蠢動
2008年2月26日先日の猛吹雪で、冬季練習も中止となった。国道で100台以上の車が立ち往生するほどの吹雪であるから、無理もないであろう。こんな時は、じっと我慢が一番である。除雪もほどほどに家の中で、久し振りの休日を満喫していた。春夏秋冬、一年を通して、週末になると野球に携わるようになって10年にもなる。審判業も、今年で6年目に突入した。いよいよライフワークとなりつつあるが、身体が資本のであることから、如何せん老いとも闘わなくてはならない。もっと、早く出会っていればとも思うが、これも巡り合わせてと思うようにしている。逆に、このタイミングで審判と出合ったことが、今の諸先輩や仲間の方々とのつながりを持てたと思えれば、それはそれで結構なことである。
1月に東京で行われた審判講習会には、若年の審判員が多数見られた。東京方面では、年中野球ができることから、高校生や大学生の審判員が結構いるようである。各組織の垣根がないとも聞き及んでおり、それらから経験を積む機会が圧倒的に多いのであろう。以前にも書いたが、審判員の技術は「知識に裏付けされた経験」であると考えている。知識も経験も甲乙つけ難いが、「案ずるは産むが易し」の諺のとおり、どんどん経験を積むことが知識の吸収を早め、深めていくことは間違いないように思われる。この視点から考えても、身体と時間に余裕のある若年層の審判員が実戦経験を積むことは、その吸収力の良さからも技術習得のスピードは格段であろう。如何せん、北海道では一年の半分が雪に閉ざされることから夢物語でしかないが、若年の審判員の台頭は待たれるところではある。
されど東京も、オフシーズンであることには変わりない。通年で野球は出来るが、オフシーズンではある。そんな中で、アメリカの審判学校からジムエバンス氏を講師に迎えた審判講習会が開かれたようである。ご存知のとおり、野球の審判学校は世界広しといえどもアメリカに2校あるだけである。MLB公認のハリーウェンデルステッド審判学校とジムエバンス審判学校である。ここは、国籍はもちろん性別、審判経験などは一切問われず、18歳以上であれば誰でも入学可能である。ここに入学する者の目標は、メジャーリーグの審判員を目指すものから、短期的に技術の習得を目指す者まで様々のようである。メジャーリーグを目指すためには、この学校で優秀な成績を収めた上で、学校からの推薦を勝ち取り、まずはマイナーリーグから修行が始まる。マイナーリーグと言っても、日本のプロ野球の1・2軍組織ではない。マイナーリーグは、最下位組織のルーキーリーグに始まり、ショートシーズンA、A、アドバンストA(1A)、ダブルA(2A)、トリプルA(3A)と6段階もある。この途方もない階段を一歩ずつ登った先に夢の「メジャーリーグ」があるのである。この巨大ピラミッド型組織が「大リーガーになるよりも確率が低い」と言われる所以であろう。
実は、ここに挑戦している日本人がいる。パリーグの審判員を数年勤めてから、ジムエバンス審判学校に入学し、成績優秀によりマイナーリーグに推挙され、階段を一歩ずつ歩んでいる日本人がいるのである。今年、41歳になる年齢のハンディキャップと闘いながら、今シーズンはダブルAに昇格した。
この日本人の名は「平林岳(ひらばやし・たけし)」という。是非とも、憶えておいて欲しい。近い将来、日本人審判員が、松坂投手や黒田投手の投球を判定し、打席にイチロー選手や松井選手が立つシーンを見られるかもしれない。
こんな夢を抱かせるには十分なビッグニュースであった。
世間では、いよいよ球春が蠢きだしたのかもしれない。
1月に東京で行われた審判講習会には、若年の審判員が多数見られた。東京方面では、年中野球ができることから、高校生や大学生の審判員が結構いるようである。各組織の垣根がないとも聞き及んでおり、それらから経験を積む機会が圧倒的に多いのであろう。以前にも書いたが、審判員の技術は「知識に裏付けされた経験」であると考えている。知識も経験も甲乙つけ難いが、「案ずるは産むが易し」の諺のとおり、どんどん経験を積むことが知識の吸収を早め、深めていくことは間違いないように思われる。この視点から考えても、身体と時間に余裕のある若年層の審判員が実戦経験を積むことは、その吸収力の良さからも技術習得のスピードは格段であろう。如何せん、北海道では一年の半分が雪に閉ざされることから夢物語でしかないが、若年の審判員の台頭は待たれるところではある。
されど東京も、オフシーズンであることには変わりない。通年で野球は出来るが、オフシーズンではある。そんな中で、アメリカの審判学校からジムエバンス氏を講師に迎えた審判講習会が開かれたようである。ご存知のとおり、野球の審判学校は世界広しといえどもアメリカに2校あるだけである。MLB公認のハリーウェンデルステッド審判学校とジムエバンス審判学校である。ここは、国籍はもちろん性別、審判経験などは一切問われず、18歳以上であれば誰でも入学可能である。ここに入学する者の目標は、メジャーリーグの審判員を目指すものから、短期的に技術の習得を目指す者まで様々のようである。メジャーリーグを目指すためには、この学校で優秀な成績を収めた上で、学校からの推薦を勝ち取り、まずはマイナーリーグから修行が始まる。マイナーリーグと言っても、日本のプロ野球の1・2軍組織ではない。マイナーリーグは、最下位組織のルーキーリーグに始まり、ショートシーズンA、A、アドバンストA(1A)、ダブルA(2A)、トリプルA(3A)と6段階もある。この途方もない階段を一歩ずつ登った先に夢の「メジャーリーグ」があるのである。この巨大ピラミッド型組織が「大リーガーになるよりも確率が低い」と言われる所以であろう。
実は、ここに挑戦している日本人がいる。パリーグの審判員を数年勤めてから、ジムエバンス審判学校に入学し、成績優秀によりマイナーリーグに推挙され、階段を一歩ずつ歩んでいる日本人がいるのである。今年、41歳になる年齢のハンディキャップと闘いながら、今シーズンはダブルAに昇格した。
この日本人の名は「平林岳(ひらばやし・たけし)」という。是非とも、憶えておいて欲しい。近い将来、日本人審判員が、松坂投手や黒田投手の投球を判定し、打席にイチロー選手や松井選手が立つシーンを見られるかもしれない。
こんな夢を抱かせるには十分なビッグニュースであった。
世間では、いよいよ球春が蠢きだしたのかもしれない。
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遅くなりました
2008年2月25日昨年は33項目にも及ぶ大改正が行われたが、今年は6項目である。それも記録に関する改正が主であり、注意を要する改正は「走路」に関するものだけと考えて良さそうである。
7.08の「次の場合、走者はアウトとなる」のうち、走者の走路違反に関する基準が変わったのである。
<旧規則>7.08(a)(1) 走者が、野手の触球を避けて、塁間を結ぶ直線から3フィート以上離れて走った場合。ただし、打球を処理している野手を妨げないために、塁間を結ぶ直線から3フィート以上離れて走った場合は、このかぎりではない。 【注一】"塁間を結ぶ直線から各3フィート" というのは、塁間を結ぶ直線を中心として左右へ各3フィート、すなわち6フィートの幅の地帯を指し、これが通常走者の走路とみなされる場所である。従って、走者が、野手の触球を避けてこの走路から走路外へ出たときには、その身体に触球されていなくてもアウトになる。走者がこの走路外にいたときに触球プレイが生じた場合、走路から遠ざかるようにして野手の触球を避けたときは、ただちにアウトになり、走路内にもどるようにして野手の触球を避けたときに走者と塁とを結ぶ直線から3フィート以上離れれば、その身体に触球されていなくてもアウトになる。
<新規則>7.08(a)(1) 走者が、野手の触球を避けて、走者のベースライン(走路)から3フィート以上離れて走った場合。ただし、打球を処理している野手を妨げないための行為であれば、この限りではない。この場合の走者のベースライン(走路)とは、タッグプレイが生じたときの、走者と塁を結ぶ直線をいう。 【注一】通常の走者の走路とみなされる場所は、塁間を結ぶ直線を中心として左右へ各3フィート、すなわち6フィートの幅の地帯を指すが、走者が大きく膨らんで走っているときなど、最初からこの走路外にいたときに触球プレイが生じた場合は、本項(1)のとおり、その走者と塁を結ぶ直線を中心として左右へ各3フィートが、その走者の走路となる。
ルールブックは法律書と同様に、非常に解り辛い。噛み砕いていうと、走者の走路は「塁間を結ぶ直線」から「走者と塁を結ぶ直線」に変わり、その直線の両側に3フィートの幅があることとなったのである。
昨年までは、初めから走路外にいる走者(二塁走者や三塁走者に多い)が、その位置から挟殺プレイなどで追い込まれた場合、3フィートの幅は内側にしか認められていないため、ちょっとでも外側へ逃げた時点で「アウト」となっていた。
今年からは、走路は「走者と塁とを結ぶベースライン」を中心に左右3フィートの幅、つまり6フィートの幅が認められたのである。
ある意味、非常に判りやすく、実情に合ったルール改正といえ、今までのルールを適正に運用していたかと問われると、疑問符の残るところである。年齢層が低くなればなるほど、鬼ごっこのような挟殺プレイが多くなることは周知のとおりであり、基準の適用を鈍らせていたように思われる。
走路を逸脱する「ラインアウト」の目安は、野手の体格にもよるが、概ね両手を広げた状態から外側へ逃げた場合は「走路外」と判断して良いであろう。
3フィートは概ね90?程度である。一方、両手を広げた状態は、身長と同じ程度ということが知られている。つまり、野手の身体の中心が走者と塁を結ぶベースライン上にあった場合、広げられたグラブをすり抜けた場合は、ほとんど3フィートをオーバーしていると考えて良い。これを目安にして、慌てず騒がず適切な判断をすることが良いであろう。
最後になりましたが、この項目に関する質問が来ておりました。なかなか回答が出来ずにおりましたことを反省しております。
7.08の「次の場合、走者はアウトとなる」のうち、走者の走路違反に関する基準が変わったのである。
<旧規則>7.08(a)(1) 走者が、野手の触球を避けて、塁間を結ぶ直線から3フィート以上離れて走った場合。ただし、打球を処理している野手を妨げないために、塁間を結ぶ直線から3フィート以上離れて走った場合は、このかぎりではない。 【注一】"塁間を結ぶ直線から各3フィート" というのは、塁間を結ぶ直線を中心として左右へ各3フィート、すなわち6フィートの幅の地帯を指し、これが通常走者の走路とみなされる場所である。従って、走者が、野手の触球を避けてこの走路から走路外へ出たときには、その身体に触球されていなくてもアウトになる。走者がこの走路外にいたときに触球プレイが生じた場合、走路から遠ざかるようにして野手の触球を避けたときは、ただちにアウトになり、走路内にもどるようにして野手の触球を避けたときに走者と塁とを結ぶ直線から3フィート以上離れれば、その身体に触球されていなくてもアウトになる。
<新規則>7.08(a)(1) 走者が、野手の触球を避けて、走者のベースライン(走路)から3フィート以上離れて走った場合。ただし、打球を処理している野手を妨げないための行為であれば、この限りではない。この場合の走者のベースライン(走路)とは、タッグプレイが生じたときの、走者と塁を結ぶ直線をいう。 【注一】通常の走者の走路とみなされる場所は、塁間を結ぶ直線を中心として左右へ各3フィート、すなわち6フィートの幅の地帯を指すが、走者が大きく膨らんで走っているときなど、最初からこの走路外にいたときに触球プレイが生じた場合は、本項(1)のとおり、その走者と塁を結ぶ直線を中心として左右へ各3フィートが、その走者の走路となる。
ルールブックは法律書と同様に、非常に解り辛い。噛み砕いていうと、走者の走路は「塁間を結ぶ直線」から「走者と塁を結ぶ直線」に変わり、その直線の両側に3フィートの幅があることとなったのである。
昨年までは、初めから走路外にいる走者(二塁走者や三塁走者に多い)が、その位置から挟殺プレイなどで追い込まれた場合、3フィートの幅は内側にしか認められていないため、ちょっとでも外側へ逃げた時点で「アウト」となっていた。
今年からは、走路は「走者と塁とを結ぶベースライン」を中心に左右3フィートの幅、つまり6フィートの幅が認められたのである。
ある意味、非常に判りやすく、実情に合ったルール改正といえ、今までのルールを適正に運用していたかと問われると、疑問符の残るところである。年齢層が低くなればなるほど、鬼ごっこのような挟殺プレイが多くなることは周知のとおりであり、基準の適用を鈍らせていたように思われる。
走路を逸脱する「ラインアウト」の目安は、野手の体格にもよるが、概ね両手を広げた状態から外側へ逃げた場合は「走路外」と判断して良いであろう。
3フィートは概ね90?程度である。一方、両手を広げた状態は、身長と同じ程度ということが知られている。つまり、野手の身体の中心が走者と塁を結ぶベースライン上にあった場合、広げられたグラブをすり抜けた場合は、ほとんど3フィートをオーバーしていると考えて良い。これを目安にして、慌てず騒がず適切な判断をすることが良いであろう。
最後になりましたが、この項目に関する質問が来ておりました。なかなか回答が出来ずにおりましたことを反省しております。
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順風満帆
2008年2月22日北海道日本ハムファイターズの中田翔選手がもがき苦しんでいる。新聞紙上では、「野球人生初、屈辱のスタメン落ち」などと大袈裟に書かれている。新聞や雑誌、そしてテレビやラジオなどのニュースは、読者や視聴者が居て、初めて成り立つ商売であるから、できるだけ興味を惹くようにデザインされるのは仕方のないところである。問題は、それらの情報を、いかに自分の中で消化するかに掛かっており、読者や視聴者側の心理状態や分析能力は問われる時代となっている。ある意味、面倒臭い時代である。
ただ、十人十色という言葉のとおり、一つの事象に対する物の見方・考え方は様々あってしかるべきであり、事象の本質は、最も関わりの強い人間の判断や分析により結果が決まるのであろう。
それに批評を加えることは勝手であるが、どんなに立派なことを言っても「野次馬」であることに変わりはない。例え、それが恩師であろうと、親であろうと、夫婦であろうと。結局は、自分自身でもがき苦しんだ上で、結論を見い出すしかないのであろう。
良く考えれば、当たり前のことである。つい、先日まで高校球児だった選手が、いきなりプロの球を打てという方が無理な話である。そこは「超高校級」とか「スーパールーキー」などと、頼んでもいない冠をマスコミが付けたものだから、ファンは期待をどんどん膨らませるのであるが、彼も昨年の夏には予選で涙を呑んだ高校球児だったのである。
野球を含めたスポーツで、一つ上のステージに上がった時、真っ先に戸惑うのが「スピード」の違いであろう。それに加えて、どんな世界の「新人」も、新しい環境へ順応するため心身ともに疲弊するのである。つまり、中田選手は小学校に入学したピカピカの1年生の心境と、なんら変わらないのである。
ただし、色んな冠が付くだけのことはあり、スピードが速くなった「違い」には対応したようで、いきなり場外弾を打ち込んだ当りは流石である。
今、彼が苦しんでいるのは、「スピードの違い」のもうひとつの側面である「変化球」である。日本人の変化球のイメージは、「大きく曲がり落ちるカーブ」などに代表されるように、その軌道の変化のイメージが強いが、「変化球」の本来の目的は、打者のタイミングを外すことである。つまり、「ちょっと遅い」スピードへの対応が出来ていないのであろう。
審判員もステージが上がることで、スピードへの対応が最も気になるところだと思う。春先は、最もスピードへの対応が難しい。日常生活にないスピードの物体の動向を判定しなくてはならないからである。
シニア野球で育った私が、練習試合といえ高校野球の球審をお願いされた時に、真っ先に気になったのが「スピード」への対応である。高校生が投げる速球を判定できるか不安であった。一方で、スピードに対する恐怖心もあった。
逆に、夏の大会を終えて新人戦が始まると、新チームになることから、いきなりジャッジが楽になる。
北海道は、白い冬に閉ざされてリセット期間が長いため、毎年春先の対応に苦慮している。
なかなか、順風満帆とはいかないものだよ、中田君。
ただ、十人十色という言葉のとおり、一つの事象に対する物の見方・考え方は様々あってしかるべきであり、事象の本質は、最も関わりの強い人間の判断や分析により結果が決まるのであろう。
それに批評を加えることは勝手であるが、どんなに立派なことを言っても「野次馬」であることに変わりはない。例え、それが恩師であろうと、親であろうと、夫婦であろうと。結局は、自分自身でもがき苦しんだ上で、結論を見い出すしかないのであろう。
良く考えれば、当たり前のことである。つい、先日まで高校球児だった選手が、いきなりプロの球を打てという方が無理な話である。そこは「超高校級」とか「スーパールーキー」などと、頼んでもいない冠をマスコミが付けたものだから、ファンは期待をどんどん膨らませるのであるが、彼も昨年の夏には予選で涙を呑んだ高校球児だったのである。
野球を含めたスポーツで、一つ上のステージに上がった時、真っ先に戸惑うのが「スピード」の違いであろう。それに加えて、どんな世界の「新人」も、新しい環境へ順応するため心身ともに疲弊するのである。つまり、中田選手は小学校に入学したピカピカの1年生の心境と、なんら変わらないのである。
ただし、色んな冠が付くだけのことはあり、スピードが速くなった「違い」には対応したようで、いきなり場外弾を打ち込んだ当りは流石である。
今、彼が苦しんでいるのは、「スピードの違い」のもうひとつの側面である「変化球」である。日本人の変化球のイメージは、「大きく曲がり落ちるカーブ」などに代表されるように、その軌道の変化のイメージが強いが、「変化球」の本来の目的は、打者のタイミングを外すことである。つまり、「ちょっと遅い」スピードへの対応が出来ていないのであろう。
審判員もステージが上がることで、スピードへの対応が最も気になるところだと思う。春先は、最もスピードへの対応が難しい。日常生活にないスピードの物体の動向を判定しなくてはならないからである。
シニア野球で育った私が、練習試合といえ高校野球の球審をお願いされた時に、真っ先に気になったのが「スピード」への対応である。高校生が投げる速球を判定できるか不安であった。一方で、スピードに対する恐怖心もあった。
逆に、夏の大会を終えて新人戦が始まると、新チームになることから、いきなりジャッジが楽になる。
北海道は、白い冬に閉ざされてリセット期間が長いため、毎年春先の対応に苦慮している。
なかなか、順風満帆とはいかないものだよ、中田君。
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視界良好
2008年2月21日北海道はまだまだ雪深く、まったく球春の気配も感じないが、それでも、もう二月もすると球音が聞こえるようになる。先日、開催されたシニアの総会の席では、各チームの監督たちが練習試合の日程を決めていたようである。我々審判員も、そろそろ準備段階に入らなければならないのだろう。
年々歳々、老いへの恐怖心に苛まれながらも、体力・気力を奮い立たせる準備が必要である。選手たちの年齢は、毎年同じなのに、我々審判員は確実に衰える方向へ向かっているのである。
一番気になるのは、目である。審判員の命とも言うべき、目力の衰えは注意が必要だ。自動車の運転と同じで、動体視力や見てからの判断力に衰えを感じた時が、辞する時なのだろう。
今は、少なからず積み重ねた経験を基に、テクニックを駆使して目力の衰えをカバーしているが、年々視界が狭くなっているのは事実であろう。
審判員は、広い視野も必要であり、ここぞの場面は一点集中の視力も必要である。しかし、集中して見ているばかりに、見えないこともあるのも事実である。正に、「灯台基暗し」の状態なのであろう。時には漠然と見ることも必要と感じている。その使い分けは、自分で試してみるしかない。あからさまに試すわけにはいかないが、チャンスがあれば実行することをお薦めする。
さて、1月の東京で開催された講習会で指摘を受けたことを開陳しよう。球審の視界に関する注意事項である。
アマチュア野球では、スロットスタンスが主流である。捕手と打者の隙間に位置することから、このように呼ばれている。球審の大きな役割は、ストライクゾーンの判定であることは周知のとおりである。このストライクゾーンは空中の五角柱を、ボールが通過したか否かを判定するのである。とはいえ、見えない五角柱であるのと、打者の構えによって、その大きさが変化するという、何とも厄介な基準である。世の中に、これほどいい加減な基準があるのかと思われるようなことを、瞬時に判断し、判定してコールすることを審判員は求められている。
逆に言うと、基準がいい加減なのであるから、ある程度アバウトに考えても良いのかもしれない、と考えるようになってから、判定が安定してきたのは、何とも皮肉なものである。球審をやりだした駆け出しの時代には、「正確に見よう、見よう」としたあまりに、見えなかったことが沢山あったし、明らかなミスジャッジもあったように思う(それでも、試合は進行し、終了するのだが・・・)。
コースを正確に見ようとすると、ホームベースの中心に身体の中心を合わせるのが、最も見やすいのであろう。一方、高さを正確に見ようとすると、真横から見るのが間違いない。審判員のトレーニングのひとつに、真横から高さの確認をする手法があるが、これは実に良く見える。
と言うことは、球審が二人いたら精度の高いジャッジが可能と言うことであろう。しかし、残念ながら球審はひとりである。
そこで、考え出されたのがスロットポジションである。この隙間に入ることで、捕手に被さるように構えることが可能となり、ホームベースがより近くなった。そして何より、アウトコース低目に対する、視界が広がったことである。
講習会では、基本どおりに捕手の足と、自分の足の位置を確認しながら構えたのだが、「まだ遠い、もっと捕手に被され」と指摘された。
また、別の人は頭の位置の低さを指摘されていた。
これらに共通することは、自分の目の前の視界を広く確保することである。捕手に近付き、捕手の頭にあごを乗せることで、ホームベースへの視界が大きく変わるのである。
球審のポジショニングと構えのチェックポイントを、また一つ会得したように感じている。
キーワードは「視界良好か?」である。
年々歳々、老いへの恐怖心に苛まれながらも、体力・気力を奮い立たせる準備が必要である。選手たちの年齢は、毎年同じなのに、我々審判員は確実に衰える方向へ向かっているのである。
一番気になるのは、目である。審判員の命とも言うべき、目力の衰えは注意が必要だ。自動車の運転と同じで、動体視力や見てからの判断力に衰えを感じた時が、辞する時なのだろう。
今は、少なからず積み重ねた経験を基に、テクニックを駆使して目力の衰えをカバーしているが、年々視界が狭くなっているのは事実であろう。
審判員は、広い視野も必要であり、ここぞの場面は一点集中の視力も必要である。しかし、集中して見ているばかりに、見えないこともあるのも事実である。正に、「灯台基暗し」の状態なのであろう。時には漠然と見ることも必要と感じている。その使い分けは、自分で試してみるしかない。あからさまに試すわけにはいかないが、チャンスがあれば実行することをお薦めする。
さて、1月の東京で開催された講習会で指摘を受けたことを開陳しよう。球審の視界に関する注意事項である。
アマチュア野球では、スロットスタンスが主流である。捕手と打者の隙間に位置することから、このように呼ばれている。球審の大きな役割は、ストライクゾーンの判定であることは周知のとおりである。このストライクゾーンは空中の五角柱を、ボールが通過したか否かを判定するのである。とはいえ、見えない五角柱であるのと、打者の構えによって、その大きさが変化するという、何とも厄介な基準である。世の中に、これほどいい加減な基準があるのかと思われるようなことを、瞬時に判断し、判定してコールすることを審判員は求められている。
逆に言うと、基準がいい加減なのであるから、ある程度アバウトに考えても良いのかもしれない、と考えるようになってから、判定が安定してきたのは、何とも皮肉なものである。球審をやりだした駆け出しの時代には、「正確に見よう、見よう」としたあまりに、見えなかったことが沢山あったし、明らかなミスジャッジもあったように思う(それでも、試合は進行し、終了するのだが・・・)。
コースを正確に見ようとすると、ホームベースの中心に身体の中心を合わせるのが、最も見やすいのであろう。一方、高さを正確に見ようとすると、真横から見るのが間違いない。審判員のトレーニングのひとつに、真横から高さの確認をする手法があるが、これは実に良く見える。
と言うことは、球審が二人いたら精度の高いジャッジが可能と言うことであろう。しかし、残念ながら球審はひとりである。
そこで、考え出されたのがスロットポジションである。この隙間に入ることで、捕手に被さるように構えることが可能となり、ホームベースがより近くなった。そして何より、アウトコース低目に対する、視界が広がったことである。
講習会では、基本どおりに捕手の足と、自分の足の位置を確認しながら構えたのだが、「まだ遠い、もっと捕手に被され」と指摘された。
また、別の人は頭の位置の低さを指摘されていた。
これらに共通することは、自分の目の前の視界を広く確保することである。捕手に近付き、捕手の頭にあごを乗せることで、ホームベースへの視界が大きく変わるのである。
球審のポジショニングと構えのチェックポイントを、また一つ会得したように感じている。
キーワードは「視界良好か?」である。
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古都
2008年2月15日20数年ぶりに京都を訪れた。
以前訪れた時は、まだ独身ということもあり、麻のジャケットを着て、レイバンのサングラスをして、肩で風を切って闊歩していた記憶がある。当時は、レンタカーを借りるというアイディアは浮かばず、電車と地下鉄を駆使して、古都を歩き回っていた。
今回は、息子の引越しの為の上洛であり、時間があれば観光でもしようかと考えて四泊五日の小旅行を計画したのだが、甘かった。とにかく、京都といえど真冬である。寒い・寒い・・・。
宿泊先も、火の気がなく、あるのはエアコンと床暖マット。そして電気ストーブで、本当に寒い。風呂に入る気力が薄れるほど、底冷えする。オマケに、小旅行の中日には、日中大雪が降ってしまった。
レンタカーを借りて、東へ西へと走り回っていたのだが、さすがに積雪の中を夏タイヤで走る気は起きなかった。
しかし、地元の人々は、ある意味慣れているのか、夏タイヤで雪降る中を普通に走っていた。
そんな中、大学で野球部のマネージャーをやりながら、審判の勉強をしている、息子の先輩に久し振りにあった。
高校時代の体型からすると、ちょっと太った感じではあるが、すっかり大人の雰囲気である。
初めて会ったのは、丁度3年前で、彼が高校3年の春である。その当時から、プレイヤーの道を断念して、裏方に徹していた彼の仕事の一つが、練習試合の球審である。
そんな彼に、自分の経験談を伝え、何かとアドバイスを送っていた仲である。
そんな彼の話によると、今シーズンから大学の公式リーグ戦でジャッジをすると言うことである。ある意味、うらやましい話である。
審判員を続けていると、どんなレベルであれ、公式戦でグラウンドに立つということは非常に名誉なことであり、全然違うプレッシャーを感じる喜びもあることを知ってしまう。
ましてや、高校野球の厳しい規律のタガが外れた大学生の試合のジャッジは大変である。
彼らは、ある意味で「審判」のジャッジに公正さではなく、失敗した理由を求める傾向があるようである。
「自分が失敗した原因は、審判のジャッジにある」と思いたいのである。自分の技術や心の未熟さは横に置き、兎に角、そう思いたいようである。そこには、審判員の中立性は必要ないのである。
WBCで世界一となり、オリンピック出場も決まって、今や日本の野球は輝いているように思われている。しかし、それが仮初である事は、スター選手の大リーグ流出が停まらないことからも明らかであろう。日本野球の盟主を自負する球団が、今年のFAの目玉選手を大リーグ球団と競った時に、「法外な値段」という捨て台詞を残して撤退した話があったが、果たしてそうであろうか。大リーガーと日本のプロ野球選手の年俸差は、今や「月とスッポン」である。日本の一流選手が、大リーグで力試しをしたくなる気持ちも良く解る。彼らは、選手としての本当の評価を求めているに過ぎないのであろう。大会社のスポンサーが後ろ盾としている日本の球団は、球団経営を本気で考える必要がないことから、ほとんどが赤字である。赤字ゆえに、選手の年俸が抑えられるのである。この悪循環に早く気付かなければ、日本のプロ野球の未来はない。いっそ、大リーグの下部組織になってしまった方が良いのかもしれない。
日本の野球は、大学野球がルーツである。一時は職業野球よりも早慶戦の方が人気があったのである。そんな状況ゆえに、学閥が幅を利かせている。
日本の野球界に蔓延り続ける「縦社会」の象徴が「大学野球」であろう。これを打破しなければ、日本の野球の未来は暗いと思っているのは、私だけなのだろうか。
古都・京都の風に吹かれ、思うことの多い小旅行であった。
以前訪れた時は、まだ独身ということもあり、麻のジャケットを着て、レイバンのサングラスをして、肩で風を切って闊歩していた記憶がある。当時は、レンタカーを借りるというアイディアは浮かばず、電車と地下鉄を駆使して、古都を歩き回っていた。
今回は、息子の引越しの為の上洛であり、時間があれば観光でもしようかと考えて四泊五日の小旅行を計画したのだが、甘かった。とにかく、京都といえど真冬である。寒い・寒い・・・。
宿泊先も、火の気がなく、あるのはエアコンと床暖マット。そして電気ストーブで、本当に寒い。風呂に入る気力が薄れるほど、底冷えする。オマケに、小旅行の中日には、日中大雪が降ってしまった。
レンタカーを借りて、東へ西へと走り回っていたのだが、さすがに積雪の中を夏タイヤで走る気は起きなかった。
しかし、地元の人々は、ある意味慣れているのか、夏タイヤで雪降る中を普通に走っていた。
そんな中、大学で野球部のマネージャーをやりながら、審判の勉強をしている、息子の先輩に久し振りにあった。
高校時代の体型からすると、ちょっと太った感じではあるが、すっかり大人の雰囲気である。
初めて会ったのは、丁度3年前で、彼が高校3年の春である。その当時から、プレイヤーの道を断念して、裏方に徹していた彼の仕事の一つが、練習試合の球審である。
そんな彼に、自分の経験談を伝え、何かとアドバイスを送っていた仲である。
そんな彼の話によると、今シーズンから大学の公式リーグ戦でジャッジをすると言うことである。ある意味、うらやましい話である。
審判員を続けていると、どんなレベルであれ、公式戦でグラウンドに立つということは非常に名誉なことであり、全然違うプレッシャーを感じる喜びもあることを知ってしまう。
ましてや、高校野球の厳しい規律のタガが外れた大学生の試合のジャッジは大変である。
彼らは、ある意味で「審判」のジャッジに公正さではなく、失敗した理由を求める傾向があるようである。
「自分が失敗した原因は、審判のジャッジにある」と思いたいのである。自分の技術や心の未熟さは横に置き、兎に角、そう思いたいようである。そこには、審判員の中立性は必要ないのである。
WBCで世界一となり、オリンピック出場も決まって、今や日本の野球は輝いているように思われている。しかし、それが仮初である事は、スター選手の大リーグ流出が停まらないことからも明らかであろう。日本野球の盟主を自負する球団が、今年のFAの目玉選手を大リーグ球団と競った時に、「法外な値段」という捨て台詞を残して撤退した話があったが、果たしてそうであろうか。大リーガーと日本のプロ野球選手の年俸差は、今や「月とスッポン」である。日本の一流選手が、大リーグで力試しをしたくなる気持ちも良く解る。彼らは、選手としての本当の評価を求めているに過ぎないのであろう。大会社のスポンサーが後ろ盾としている日本の球団は、球団経営を本気で考える必要がないことから、ほとんどが赤字である。赤字ゆえに、選手の年俸が抑えられるのである。この悪循環に早く気付かなければ、日本のプロ野球の未来はない。いっそ、大リーグの下部組織になってしまった方が良いのかもしれない。
日本の野球は、大学野球がルーツである。一時は職業野球よりも早慶戦の方が人気があったのである。そんな状況ゆえに、学閥が幅を利かせている。
日本の野球界に蔓延り続ける「縦社会」の象徴が「大学野球」であろう。これを打破しなければ、日本の野球の未来は暗いと思っているのは、私だけなのだろうか。
古都・京都の風に吹かれ、思うことの多い小旅行であった。
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捕手へ
2008年1月31日審判員のジャッジにとって、球審と捕手の関係は重要な要素である。審判員四氏が一試合で下すジャッジメントの内、50〜60%は球審のコールであると言われている。そのうち、半分はストライク・ボールの判定であろうと思われる。
スイングをしたストライク、つまり空振りやファウルボールは判断に窮する事は少ない。打者が見逃した際の「ストライク」OR「ボール」の判定が試合の趨勢を左右するのである。
球審は「トラッキング」という技術により、投手からの投球を長く見ようとする。投手の手から放たれたボールを、目の玉を動かすだけで捕手のミットまで見届けることを「トラッキング」という。
そこまで見届けた上で、捕手のミットからビデオを再生するように、残像を逆回転してストライクゾーンとの関係をチェックする。その上で、判定を下すことを一試合繰り返すのである。
ここで、重要なのが捕手のミットである。捕手はストライクゾーンの一番近くにいる野手であり、それも投手に対して正面に位置している。捕手は「ストライク・ボール」を判断できるポジションにいるのである。ゆえに、勝手に捕手が「ストライク・ボール」を判断し、球審にとっては一番重要な「ミットで捕球した位置」を明確にしない場合が多い。
また、ミットが流れる癖のある捕手や、手首を使い内に内にミットをこねる捕手もいる。少しでもストライクに見せようとする努力は解るが、是非ともこのような捕手は、投球をバシッと止める練習をしてもらいたい。バシッと捕球して、球審にミットを見せてもらいたい。
ドカベンの主人公・山田太朗は、「ボール臭い」里中の投球を、ミットを動かして「ストライク」に見せるようとしていたシーンがあった。ドカベンは卓越した捕手の技術を持っている事から、その動きに騙された球審は、際どいコースをことごとく「ストライク」とコールするのである。
しかし、この逸話は現実にはありえない。その理由は、捕手がミットを動かすことが見えない球審はいないからである。トラッキングにより、捕手のミットまで目を付ける癖をつけているから、ミットを動かせば絶対に見えるのである。
逆に、ミットを動かすことで損をしていることのほうが多いと思われる。つまり球審は「ボール臭いから動かした」と考えるからである。
捕手は、球審がコールする間は、ミットを留め置くつもりでいてもらいたい。
一方、際どい投球を「ボール」と判定されいるにも関わらず、ずっとミットを動かさない捕手もいる。これは、明らかなる抗議行動であり、球審の心証を害すること請け合いである。そんな捕手に限って、アウトローぎりぎりに投球が決まっり「ストライク」をコールされているにも関わらず、ジッと捕球姿勢を崩さない捕手もいる。投手の投球と自分自信のキャッチングに陶酔しているかのように、いつまでも投手にボールを返球しないのである。
捕手は、ダイヤモンド内では「監督」の役割といわれるほど、重要なポジションである。このポジションを担う選手は、是非ともテンポ良く試合進行してもらいたいものである。
先日の審判講習会で講師の方が、講習会を中断してまでも選手に教えていたのが、「捕手のオブストラクション」である。
その講師の方曰く「捕手のレガースは何のために付けているのか。それは、投手の投球から身を守るためであり、三塁走者のホームインを阻むブロックをするために着用しているのではない」と言うことである。
確かにそのとおりである。野球の試合の中で、駆け抜けることが許されているのが、1塁と本塁である。走り抜けられるということは、走路が確保されているはずである。つまり、五角形のホームベースの三本間のライン上は走路なのであるから、そこを塞ぐことは「走塁妨害・・・オブストラクション」となるのである。
捕手のブロックが許されるのであれば、一塁手にも防具を着用させてブロックをさせれば良いということになる。
講師の方は、この妨害は厳しく採るべきであると強調されていた。それは、大怪我にもつながるからであろう。
捕手の諸君よ、君たちの一挙手一投足は、試合の流れを大きく左右することを自覚していてもらいたいものである。
スイングをしたストライク、つまり空振りやファウルボールは判断に窮する事は少ない。打者が見逃した際の「ストライク」OR「ボール」の判定が試合の趨勢を左右するのである。
球審は「トラッキング」という技術により、投手からの投球を長く見ようとする。投手の手から放たれたボールを、目の玉を動かすだけで捕手のミットまで見届けることを「トラッキング」という。
そこまで見届けた上で、捕手のミットからビデオを再生するように、残像を逆回転してストライクゾーンとの関係をチェックする。その上で、判定を下すことを一試合繰り返すのである。
ここで、重要なのが捕手のミットである。捕手はストライクゾーンの一番近くにいる野手であり、それも投手に対して正面に位置している。捕手は「ストライク・ボール」を判断できるポジションにいるのである。ゆえに、勝手に捕手が「ストライク・ボール」を判断し、球審にとっては一番重要な「ミットで捕球した位置」を明確にしない場合が多い。
また、ミットが流れる癖のある捕手や、手首を使い内に内にミットをこねる捕手もいる。少しでもストライクに見せようとする努力は解るが、是非ともこのような捕手は、投球をバシッと止める練習をしてもらいたい。バシッと捕球して、球審にミットを見せてもらいたい。
ドカベンの主人公・山田太朗は、「ボール臭い」里中の投球を、ミットを動かして「ストライク」に見せるようとしていたシーンがあった。ドカベンは卓越した捕手の技術を持っている事から、その動きに騙された球審は、際どいコースをことごとく「ストライク」とコールするのである。
しかし、この逸話は現実にはありえない。その理由は、捕手がミットを動かすことが見えない球審はいないからである。トラッキングにより、捕手のミットまで目を付ける癖をつけているから、ミットを動かせば絶対に見えるのである。
逆に、ミットを動かすことで損をしていることのほうが多いと思われる。つまり球審は「ボール臭いから動かした」と考えるからである。
捕手は、球審がコールする間は、ミットを留め置くつもりでいてもらいたい。
一方、際どい投球を「ボール」と判定されいるにも関わらず、ずっとミットを動かさない捕手もいる。これは、明らかなる抗議行動であり、球審の心証を害すること請け合いである。そんな捕手に限って、アウトローぎりぎりに投球が決まっり「ストライク」をコールされているにも関わらず、ジッと捕球姿勢を崩さない捕手もいる。投手の投球と自分自信のキャッチングに陶酔しているかのように、いつまでも投手にボールを返球しないのである。
捕手は、ダイヤモンド内では「監督」の役割といわれるほど、重要なポジションである。このポジションを担う選手は、是非ともテンポ良く試合進行してもらいたいものである。
先日の審判講習会で講師の方が、講習会を中断してまでも選手に教えていたのが、「捕手のオブストラクション」である。
その講師の方曰く「捕手のレガースは何のために付けているのか。それは、投手の投球から身を守るためであり、三塁走者のホームインを阻むブロックをするために着用しているのではない」と言うことである。
確かにそのとおりである。野球の試合の中で、駆け抜けることが許されているのが、1塁と本塁である。走り抜けられるということは、走路が確保されているはずである。つまり、五角形のホームベースの三本間のライン上は走路なのであるから、そこを塞ぐことは「走塁妨害・・・オブストラクション」となるのである。
捕手のブロックが許されるのであれば、一塁手にも防具を着用させてブロックをさせれば良いということになる。
講師の方は、この妨害は厳しく採るべきであると強調されていた。それは、大怪我にもつながるからであろう。
捕手の諸君よ、君たちの一挙手一投足は、試合の流れを大きく左右することを自覚していてもらいたいものである。
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早目の球春
2008年1月30日先日、東京で催された全日本リトルシニア委員会の審判講習会に参加してきた。北海道から九州までのリトルシニア連盟から250名にも及ぶ審判員が参加し、アマチュア球界トップの審判員の方が10名も講師として来て下さった。
東京と言えども、まだまだ1月。朝はグラウンドも凍った状態である。
しかし、そこはシニア発祥の地調布。リトルリーグの選手たちが、朝の8時前から大きな声で練習に励んでいた。昼近くになると、「1番サード○○君」なるアナウンスが聞こえてきた。1月に小学生たちの野球の試合を観戦できるとは思ってもいなかった。さすがに、雪の少ない地域は恵まれている。
我々審判員も、それに負けじと、9時から班分けをして講習会スタート。もちろん、実技。基本動作の反復がほとんどであるが、これが重要なのである。結局、1試合の中で、最も多く使われるジャッジや動きが、「基本」と呼ばれるのであるから、これを繰返し練習することが上達の早道なのである。この他に「道はなし」と言うことであろう。
その最もベーシックな動作が、「GO-STOP-CALL」である。「GO」で緩やかにスタートし、「STOP」でスムーズに停まる。そして、プレイをイメージして「CALL」する。あくまでも、落ち着いて、ゆっくりとを意識することが重要のようだ。
ここで、急激な動きをして練習することは、何の意味も持たない。結局、それが試合で出てしまうのである。慌てて動いて、急ブレーキで立ち止まり、プレイが終わる前に「判定」を決め付けてしまう。これでは、正確な「ジャッジ」は望めないし、信頼を勝ち取ることもできない。
野球の審判員のジャッジは、すべてが正解ではない。というよりも、人間の能力で判定できないような限界のプレイもある。つまり、「アウト」でも「セーフ」でも良いようなプレイなどである。
ここで信頼される審判員とは、正しいポジショニングと姿勢でプレイを観て、正しいタイミングでジャッジする方をいうのであろう。
ジャッジの正確さは、ビデオ判定で確認すれば白黒をハッキリさせることができるかもしれない。しかし、それは何の意味も持たない。
人間がプレイし、人間がジャッジするから珍プレー好プレーが生まれるのであり、何年経っても色々なシーンを思い出しては、時間を忘れて語り合えるのである。
そうあって欲しいがために、審判員は寒風吹きすさぶ中で、準備を進めているのである。今年も、選手たちとともにグラウンドに立ち、彼等の全力プレイを支えるために。
「今年も、全力でジャッジするぞ」と意気込むものの、球春まだ遠く・・・
早目の球春を楽しんだ1日であった。
東京と言えども、まだまだ1月。朝はグラウンドも凍った状態である。
しかし、そこはシニア発祥の地調布。リトルリーグの選手たちが、朝の8時前から大きな声で練習に励んでいた。昼近くになると、「1番サード○○君」なるアナウンスが聞こえてきた。1月に小学生たちの野球の試合を観戦できるとは思ってもいなかった。さすがに、雪の少ない地域は恵まれている。
我々審判員も、それに負けじと、9時から班分けをして講習会スタート。もちろん、実技。基本動作の反復がほとんどであるが、これが重要なのである。結局、1試合の中で、最も多く使われるジャッジや動きが、「基本」と呼ばれるのであるから、これを繰返し練習することが上達の早道なのである。この他に「道はなし」と言うことであろう。
その最もベーシックな動作が、「GO-STOP-CALL」である。「GO」で緩やかにスタートし、「STOP」でスムーズに停まる。そして、プレイをイメージして「CALL」する。あくまでも、落ち着いて、ゆっくりとを意識することが重要のようだ。
ここで、急激な動きをして練習することは、何の意味も持たない。結局、それが試合で出てしまうのである。慌てて動いて、急ブレーキで立ち止まり、プレイが終わる前に「判定」を決め付けてしまう。これでは、正確な「ジャッジ」は望めないし、信頼を勝ち取ることもできない。
野球の審判員のジャッジは、すべてが正解ではない。というよりも、人間の能力で判定できないような限界のプレイもある。つまり、「アウト」でも「セーフ」でも良いようなプレイなどである。
ここで信頼される審判員とは、正しいポジショニングと姿勢でプレイを観て、正しいタイミングでジャッジする方をいうのであろう。
ジャッジの正確さは、ビデオ判定で確認すれば白黒をハッキリさせることができるかもしれない。しかし、それは何の意味も持たない。
人間がプレイし、人間がジャッジするから珍プレー好プレーが生まれるのであり、何年経っても色々なシーンを思い出しては、時間を忘れて語り合えるのである。
そうあって欲しいがために、審判員は寒風吹きすさぶ中で、準備を進めているのである。今年も、選手たちとともにグラウンドに立ち、彼等の全力プレイを支えるために。
「今年も、全力でジャッジするぞ」と意気込むものの、球春まだ遠く・・・
早目の球春を楽しんだ1日であった。
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愚行の成れの果て
2008年1月29日大リーグには色々な球団があるが、その特徴は「長」であるオーナーの性格が色濃く反映されている場合が多い。日本のプロ野球は企業が宣伝効果を期待して球団を持つことが、ほとんどであったが、大リーグでは、今でも個人で球団を持つ変わり者がいるのには驚かされる。
スポーツメーカーとしての草分けであるスポルディング社は、その創設者が球団を所有していた。この当時の野球は、正に興行であり、その位置付けはサーカスやプロレスと同様であった。観客が集まり、お金になると思えば、そこに投資したのである。また、アイディアを出し、客寄せのためならルールまで変えてしまったのである。時代が流れ、野球のスポーツ化が進むと、興行師であるスポルディングにとっては、面白味が欠けてきつつあるところに、常識人が大勢を占め出した大リーグ機構にとっては、ふさわしい存在とは映らなかったのであろう。
さてさて、現代の日本のアマチュア野球界では、どうであろうか。一時期には沢山あった社会人野球チームは、昨今の不況の煽りを喰らい、どんどん休部に追い込まれている。休部とは名ばかりで、廃部である。北海道にも沢山あった社会人野球チームも、今やJR北海道が最後の砦のようになってしまった。
「たくぎん」「大昭和製紙北海道」「王子製紙」「日産サニー」「NTT北海道」・・・。
これは、所有する企業の業績不振が原因で、浪費する金額の割には宣伝効果しか見込めない、「道楽息子」を勘当するような感覚だったであろう。
少年野球の世界にも、どうしようもない指導者や球団代表が沢山いる。子供たちは野球をやりたくて集まっているのに、球団の方針を理解できないのであれば、辞めてもらって結構などということを平気で言ってしまう馬鹿な責任者もいる。
こうなると、責任者と呼ぶのもおこがましい。所詮、お山の大将のボス猿であり、すでに子分がいなくなっていることが判らずに吠えているのである。
「団体」とは、ある共通項目について同じような目的を持ち、協力しあって楽しもうとすることであろう。その内、一つでも違う方向を向いた人間は、団体に所属する権利を失うのである。団体の方向性は所属する権利を持った、つまり同じ目的を持ち協力し合える人たちが方向性を決めれば良いのである。その時代に則した、その時のメンバーに合致した方向性を決定すれば良いのであり、団体のポリシーや理念などは、変化するのが当たり前であるし、変化しない方が気持ちが悪い。
ましてや、金も出さないのに創設者の一員だというだけで、オーナー気取りで気持ちの悪い理念を振り回す輩は、何とも哀れである。
少年野球やシニア野球の中心は、当たり前だが「子供たち」である。そのサポートをするのが父兄であり、指導者である。その場を提供したり、活動がスムーズに進行することをサポートするのが球団の役割である。
シニアの名門球団が窮地に立たされている。我がチームも窮地に立たされた時があった。その際に、色々と面倒を見てくれた恩義がある。何か力になってあげたいと考えている。春が来たら、少しでも力になってあげたい。
これも、球団や企業の愚行の成れの果てである。
我が球団も、共通の目的意識を持って行かなければ、いつ一人の馬鹿の愚行に振り回される結果となるか判らないのである。
しっかりと、足許を見つめていたい。
スポーツメーカーとしての草分けであるスポルディング社は、その創設者が球団を所有していた。この当時の野球は、正に興行であり、その位置付けはサーカスやプロレスと同様であった。観客が集まり、お金になると思えば、そこに投資したのである。また、アイディアを出し、客寄せのためならルールまで変えてしまったのである。時代が流れ、野球のスポーツ化が進むと、興行師であるスポルディングにとっては、面白味が欠けてきつつあるところに、常識人が大勢を占め出した大リーグ機構にとっては、ふさわしい存在とは映らなかったのであろう。
さてさて、現代の日本のアマチュア野球界では、どうであろうか。一時期には沢山あった社会人野球チームは、昨今の不況の煽りを喰らい、どんどん休部に追い込まれている。休部とは名ばかりで、廃部である。北海道にも沢山あった社会人野球チームも、今やJR北海道が最後の砦のようになってしまった。
「たくぎん」「大昭和製紙北海道」「王子製紙」「日産サニー」「NTT北海道」・・・。
これは、所有する企業の業績不振が原因で、浪費する金額の割には宣伝効果しか見込めない、「道楽息子」を勘当するような感覚だったであろう。
少年野球の世界にも、どうしようもない指導者や球団代表が沢山いる。子供たちは野球をやりたくて集まっているのに、球団の方針を理解できないのであれば、辞めてもらって結構などということを平気で言ってしまう馬鹿な責任者もいる。
こうなると、責任者と呼ぶのもおこがましい。所詮、お山の大将のボス猿であり、すでに子分がいなくなっていることが判らずに吠えているのである。
「団体」とは、ある共通項目について同じような目的を持ち、協力しあって楽しもうとすることであろう。その内、一つでも違う方向を向いた人間は、団体に所属する権利を失うのである。団体の方向性は所属する権利を持った、つまり同じ目的を持ち協力し合える人たちが方向性を決めれば良いのである。その時代に則した、その時のメンバーに合致した方向性を決定すれば良いのであり、団体のポリシーや理念などは、変化するのが当たり前であるし、変化しない方が気持ちが悪い。
ましてや、金も出さないのに創設者の一員だというだけで、オーナー気取りで気持ちの悪い理念を振り回す輩は、何とも哀れである。
少年野球やシニア野球の中心は、当たり前だが「子供たち」である。そのサポートをするのが父兄であり、指導者である。その場を提供したり、活動がスムーズに進行することをサポートするのが球団の役割である。
シニアの名門球団が窮地に立たされている。我がチームも窮地に立たされた時があった。その際に、色々と面倒を見てくれた恩義がある。何か力になってあげたいと考えている。春が来たら、少しでも力になってあげたい。
これも、球団や企業の愚行の成れの果てである。
我が球団も、共通の目的意識を持って行かなければ、いつ一人の馬鹿の愚行に振り回される結果となるか判らないのである。
しっかりと、足許を見つめていたい。
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多忙
2008年1月25日自分が札幌に出て来た時、きっと両親はこんな思いをしていたのだろうか。
長男が来月、大学進学で家を出る。一方、次男は高校受験である。ダブルで進学となるため、金も掛かるが、兎に角ドタバタと忙しい。
家族四人で過ごした日々は15年余り。それが、大きく変革しようとしているが、寂しさに耽っている暇もなく、ただ忙しい思いをしている。息子の計画性のなさもあるが、ある意味で、私自身が現実を直視しようとしていなかったのも一因である。
いざ、長男の一人暮らしの準備をし出すと、あるわあるわ、問題山積である。
そこに次男の不安定な「15の春」が重なって、心身ともに疲れ果ててしまいそうである。
そんな折、当たり目に祟り目とはこのことか。今まで固辞してきたことが、回避不可能な状態となり、追い討ちを掛けてきた。
明日、東京に向かう。
息子二人のお陰で、大雪の中、春を感じてはいるのであるが、明日は球春を感じに東京へ向かう。
春の選抜高校野球の推薦枠も決まったようである。
プロ野球も、早くもキャンプインである。怪物・中田の動向も気になる。「清原だけにはなってくれるな」と願いつつ、それでも大きく育てとエールを送りたい。
多忙の中、講習会のレポートは後日報告します。
本当に書けるのであろうか・・・・
長男が来月、大学進学で家を出る。一方、次男は高校受験である。ダブルで進学となるため、金も掛かるが、兎に角ドタバタと忙しい。
家族四人で過ごした日々は15年余り。それが、大きく変革しようとしているが、寂しさに耽っている暇もなく、ただ忙しい思いをしている。息子の計画性のなさもあるが、ある意味で、私自身が現実を直視しようとしていなかったのも一因である。
いざ、長男の一人暮らしの準備をし出すと、あるわあるわ、問題山積である。
そこに次男の不安定な「15の春」が重なって、心身ともに疲れ果ててしまいそうである。
そんな折、当たり目に祟り目とはこのことか。今まで固辞してきたことが、回避不可能な状態となり、追い討ちを掛けてきた。
明日、東京に向かう。
息子二人のお陰で、大雪の中、春を感じてはいるのであるが、明日は球春を感じに東京へ向かう。
春の選抜高校野球の推薦枠も決まったようである。
プロ野球も、早くもキャンプインである。怪物・中田の動向も気になる。「清原だけにはなってくれるな」と願いつつ、それでも大きく育てとエールを送りたい。
多忙の中、講習会のレポートは後日報告します。
本当に書けるのであろうか・・・・
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始動
2008年1月15日12月末までは、下半身強化メニューが多いため、投手陣も陸上部に鞍替えしたのかと思われるほどで、投球練習はおろか、キャッチボールも行わない状態であった。
ボールが動かないと言うことは、我々審判員の出番は無しである。せいぜい、マシン打撃の後ろへ行って、動く球を見るのが関の山であり、あまり効果的ではない。
かと言って、中学生のトレーニングに付き合えるほどの体力もなく、せいぜい子供たちの尻を叩くのが精一杯である。
新年が明けて、はや二週間。ようやく、シニアの練習も通常メニューに戻り、投手陣もいよいよ投球練習が始まった。まだ立ち投げの状態ではあるが、各投手ともマウンドに立てる喜びを味わいながら、一球・一球確かめるように捕手のミットへ投げ込んでいる。「バシッ!」という乾いた音と、「ナイスボール!!」の掛け声がブルペンにこだまし出すと、いきなり球春を感じてしまうのは私だけであろうか。ブルペンに入れ替わり立ち代り往来する投手陣のウキウキ感が鮮明に伝わってくるのが心地良く感じる。
来週は、捕手も座り出すであろう。私も、防具を持ってブルペンに向かうこととしよう。
いよいよ、始動である。
ボールが動かないと言うことは、我々審判員の出番は無しである。せいぜい、マシン打撃の後ろへ行って、動く球を見るのが関の山であり、あまり効果的ではない。
かと言って、中学生のトレーニングに付き合えるほどの体力もなく、せいぜい子供たちの尻を叩くのが精一杯である。
新年が明けて、はや二週間。ようやく、シニアの練習も通常メニューに戻り、投手陣もいよいよ投球練習が始まった。まだ立ち投げの状態ではあるが、各投手ともマウンドに立てる喜びを味わいながら、一球・一球確かめるように捕手のミットへ投げ込んでいる。「バシッ!」という乾いた音と、「ナイスボール!!」の掛け声がブルペンにこだまし出すと、いきなり球春を感じてしまうのは私だけであろうか。ブルペンに入れ替わり立ち代り往来する投手陣のウキウキ感が鮮明に伝わってくるのが心地良く感じる。
来週は、捕手も座り出すであろう。私も、防具を持ってブルペンに向かうこととしよう。
いよいよ、始動である。
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一年の計
2008年1月4日明けましておめでとうございます。本年も、懲りずに、良い意味で「適当」に頑張ろうと考えております。
私事ではありますが、私の家族にとっても大きな変革期にありまして、何かと忙しい一年になりそうな予感がしております。年々、唯一の私の長所であります「機動力(行動力)」が衰えているのが気にはなりますが、自覚があるうちは大丈夫かなと勝手に良い方向へ考えることにしております。
毎年、正月は実家へ帰省するために、慌しい正月三が日となりますが、これも一年のリズムを作る上では大切な行事かなと思います。三年ほど前の正月に、帰省せずに札幌で正月を迎えたことがありましたが、「ゆったり」し過ぎて「暇」だったのを憶えております。永年続けてきた年中行事と違うことをやると言うことは、それなりにエネルギーを消費するものです。変化のない生活は、刺激はないのですが、それはそれで良いことなのかもしれません。
とは言え、「審判業」は、まだまだ未熟という自覚を持って挑まなければ、年々衰える体力をカバーできませんので、勉強の日々が続きます。何やら、気力との根競べ状態に入ったような気がしております。
正月は帰省の移動のために、テレビも録に観れない状態なのですが、そんな中でも、大好きなスポーツ番組を片っ端から観れるのは嬉しい限りです。箱根駅伝、サッカー、ラグビー、アメフトなどなどを、テレビガイドと睨めっこしながら観戦しました。
今年の箱根は波乱含みでした。昨年優勝のチームが、早々にリタイヤしたり、その他にも優勝候補や伝統校がリタイヤしたりと、テレビ的にはドラマチック(悲劇を好む日本人受けする)だったのでしょうが、リタイヤした大学関係者(指導者やトレーナー)は、青ざめる結果だったのでしょう。長距離走を専門としている選手たちにとっては、20キロ程度の距離は日頃から十分に練習しているのでしょうから、練習不足ということは考えられません。体調管理の難しさを再認識させられます。昨今の大学では、トレーナー専門の学生などもおり、心身ともにケアやバックアップは万全のはずです。それゆえに、最高のパフォーマンスを発揮させようと、プログラムを組んだが為の結果なのでしょう。非常に上手く行ったチームと、極端に逆目が出たチームで明暗が分かれたように感じます。
チームスポーツの難しさに「個を捨てて、みんなのために」という概念があります。誰かのミスを挽回しようと、頑張ったがゆえに、自分自身が空回りしたり、ポテンシャル以上のものを出そうとしてバンクしてしまったり、というシーンを見かけます。
チームスポーツは「個」の集合体でしかないのですから、「自分にできることをやる」が基本なのですが、ついつい余計に頑張ろうとしてしまうようです。もしも、その結果「いつも以上にできた」と感じるのであれば、それは元々の自分の評価が間違っていたのです。チームメイトのパフォーマンスに期待することはできますが、その結果を「自分の力」で左右することは出来ないのですが、時に「気合い」が先行する日本のスポーツでは、なかなか理解できていないように感じます。
今年の正月も、あっという間に過ぎ去りそうですが、「自分のできることを頑張る」を「一年の計」としようかなと考えています。
私事ではありますが、私の家族にとっても大きな変革期にありまして、何かと忙しい一年になりそうな予感がしております。年々、唯一の私の長所であります「機動力(行動力)」が衰えているのが気にはなりますが、自覚があるうちは大丈夫かなと勝手に良い方向へ考えることにしております。
毎年、正月は実家へ帰省するために、慌しい正月三が日となりますが、これも一年のリズムを作る上では大切な行事かなと思います。三年ほど前の正月に、帰省せずに札幌で正月を迎えたことがありましたが、「ゆったり」し過ぎて「暇」だったのを憶えております。永年続けてきた年中行事と違うことをやると言うことは、それなりにエネルギーを消費するものです。変化のない生活は、刺激はないのですが、それはそれで良いことなのかもしれません。
とは言え、「審判業」は、まだまだ未熟という自覚を持って挑まなければ、年々衰える体力をカバーできませんので、勉強の日々が続きます。何やら、気力との根競べ状態に入ったような気がしております。
正月は帰省の移動のために、テレビも録に観れない状態なのですが、そんな中でも、大好きなスポーツ番組を片っ端から観れるのは嬉しい限りです。箱根駅伝、サッカー、ラグビー、アメフトなどなどを、テレビガイドと睨めっこしながら観戦しました。
今年の箱根は波乱含みでした。昨年優勝のチームが、早々にリタイヤしたり、その他にも優勝候補や伝統校がリタイヤしたりと、テレビ的にはドラマチック(悲劇を好む日本人受けする)だったのでしょうが、リタイヤした大学関係者(指導者やトレーナー)は、青ざめる結果だったのでしょう。長距離走を専門としている選手たちにとっては、20キロ程度の距離は日頃から十分に練習しているのでしょうから、練習不足ということは考えられません。体調管理の難しさを再認識させられます。昨今の大学では、トレーナー専門の学生などもおり、心身ともにケアやバックアップは万全のはずです。それゆえに、最高のパフォーマンスを発揮させようと、プログラムを組んだが為の結果なのでしょう。非常に上手く行ったチームと、極端に逆目が出たチームで明暗が分かれたように感じます。
チームスポーツの難しさに「個を捨てて、みんなのために」という概念があります。誰かのミスを挽回しようと、頑張ったがゆえに、自分自身が空回りしたり、ポテンシャル以上のものを出そうとしてバンクしてしまったり、というシーンを見かけます。
チームスポーツは「個」の集合体でしかないのですから、「自分にできることをやる」が基本なのですが、ついつい余計に頑張ろうとしてしまうようです。もしも、その結果「いつも以上にできた」と感じるのであれば、それは元々の自分の評価が間違っていたのです。チームメイトのパフォーマンスに期待することはできますが、その結果を「自分の力」で左右することは出来ないのですが、時に「気合い」が先行する日本のスポーツでは、なかなか理解できていないように感じます。
今年の正月も、あっという間に過ぎ去りそうですが、「自分のできることを頑張る」を「一年の計」としようかなと考えています。
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イチロー選手の哲学
2007年12月27日今年も残す所、あとわずかとなった。毎年のことではあるが、年末の忙しさは半端でないため、なかなかブログも更新できずにいた。年の瀬も押し迫っているというのに往生際が悪いということである。
往生際という点では、一塁への「ヘッドスライディング」も、そのひとつであろう。我が愚息も、最後の夏に2度ほど敢行していた。日頃から「無駄な愚行」であり「大怪我」のリスクも背負う行為であるからと言い聞かせているのに、高校野球の「麻薬効果」は恐ろしい。
イチロー選手とソフトバンクの川崎選手が合同自主トレを行った記事に触れた。しかし、イチロー選手は豪くご立腹であったようである。川崎選手の態度次第では「もう合同ではやらない」という状況であったようである。その原因となっているのが、先日実施された北京五輪のアジア地区予選における、川崎選手の一塁への「ヘッドスライディング」であったという。イチロー選手のプレイスタイルには、一塁へのヘッドスライディングは格好が悪いということで、あり得ないプレイと言うことのようだ。その最たる理由が「走り抜けた方が速い」と「怪我のリスクがある」ということだ。
シニアや高校野球では、一塁へのヘッドスライディングを奨励しているチームもあるように感じる。何を根拠に、あの危険なプレイを推奨するのか不思議でならない。確か、桑田選手や清原選手と同世代のPL学園の選手は、一塁へのヘッドスライディングで「頚椎損傷」の大怪我を負い、車椅子生活をされている方がいたように記憶している。
そのように「危険なプレイ」ゆえにリトルリーグでは、「一塁へヘッドスライディングを試みた段階でアウトを宣告する」というローカルルールがあった(今もあるのであろうか)。確かに5年ほど前には、実際にあったルールである。リトルリーグの目的から考えると、至極当たり前のように感じるルールであったように記憶している。
一塁塁審をしていると、内野ゴロでフォースプレイの準備をしている時に、打者走者がヘッドスライディングを敢行した段階で「何故?」と感じてしまう。明らかに、走り抜けた方が速いのに「何故?」と感じてしまう。私などは「何故?」と感じた時点で、心の中で右手はコブシを握っているかもしれない。今年も、何度かそのようなプレイがあったが、ほとんどが「アウト」であったように記憶している。
シニアの場合、一塁への悪送球は非常に多い。一度、腹ばいで寝てしまった状態から、悪送球を確認して二塁へ向かうのは大変であり、もしかすると三塁を奪えたタイミングも失う可能性が高い。戦術面からも、決して推奨できるプレイでないのであろう。
先ほどの川崎選手などは、初回一死からのプレイであるから、チームを鼓舞する意味合いが強いのであろうが、その考え方自体が大間違いである。ダッグアウト内の登録選手を代表して出場機会を得ている選手がリスクの多いプレイをされたら、控に回った選手は、どのように感じるであろうか。
時に孤独感を漂わせる孤高の天才・イチロー選手の哲学には、野球のプレイに対してストイックなまでの理論に包まれていることを再確認する記事であった。
往生際という点では、一塁への「ヘッドスライディング」も、そのひとつであろう。我が愚息も、最後の夏に2度ほど敢行していた。日頃から「無駄な愚行」であり「大怪我」のリスクも背負う行為であるからと言い聞かせているのに、高校野球の「麻薬効果」は恐ろしい。
イチロー選手とソフトバンクの川崎選手が合同自主トレを行った記事に触れた。しかし、イチロー選手は豪くご立腹であったようである。川崎選手の態度次第では「もう合同ではやらない」という状況であったようである。その原因となっているのが、先日実施された北京五輪のアジア地区予選における、川崎選手の一塁への「ヘッドスライディング」であったという。イチロー選手のプレイスタイルには、一塁へのヘッドスライディングは格好が悪いということで、あり得ないプレイと言うことのようだ。その最たる理由が「走り抜けた方が速い」と「怪我のリスクがある」ということだ。
シニアや高校野球では、一塁へのヘッドスライディングを奨励しているチームもあるように感じる。何を根拠に、あの危険なプレイを推奨するのか不思議でならない。確か、桑田選手や清原選手と同世代のPL学園の選手は、一塁へのヘッドスライディングで「頚椎損傷」の大怪我を負い、車椅子生活をされている方がいたように記憶している。
そのように「危険なプレイ」ゆえにリトルリーグでは、「一塁へヘッドスライディングを試みた段階でアウトを宣告する」というローカルルールがあった(今もあるのであろうか)。確かに5年ほど前には、実際にあったルールである。リトルリーグの目的から考えると、至極当たり前のように感じるルールであったように記憶している。
一塁塁審をしていると、内野ゴロでフォースプレイの準備をしている時に、打者走者がヘッドスライディングを敢行した段階で「何故?」と感じてしまう。明らかに、走り抜けた方が速いのに「何故?」と感じてしまう。私などは「何故?」と感じた時点で、心の中で右手はコブシを握っているかもしれない。今年も、何度かそのようなプレイがあったが、ほとんどが「アウト」であったように記憶している。
シニアの場合、一塁への悪送球は非常に多い。一度、腹ばいで寝てしまった状態から、悪送球を確認して二塁へ向かうのは大変であり、もしかすると三塁を奪えたタイミングも失う可能性が高い。戦術面からも、決して推奨できるプレイでないのであろう。
先ほどの川崎選手などは、初回一死からのプレイであるから、チームを鼓舞する意味合いが強いのであろうが、その考え方自体が大間違いである。ダッグアウト内の登録選手を代表して出場機会を得ている選手がリスクの多いプレイをされたら、控に回った選手は、どのように感じるであろうか。
時に孤独感を漂わせる孤高の天才・イチロー選手の哲学には、野球のプレイに対してストイックなまでの理論に包まれていることを再確認する記事であった。
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触発
2007年12月15日昨年、自らの努力と強い意志により大リーガーの夢を果たした桑田真澄投手に対し、古巣・パイレーツから契約継続の意思が届いた。マイナーのキャンプ参加からスタートしたものの、オープン戦で不幸なアクシデントに見舞われ、そのまま現役引退も囁かれる中、大怪我から復帰し、6月に大リーグデビューを果たした。「これぞ桑田」と思わせる活躍であったが、足の怪我の後遺症もあり、成績不振から一度は戦力外通告、つまりは「クビ」を宣告された。普通であれば、ここで現役引退となるのであろうが「さすが桑田」である。恩師であるジョーブ博士と再会してから、復帰の道を模索し始め、再出術に挑み、今は大リーグ復帰を目指しリハビリに励んでいる。
何が、これほどまでに桑田を動かすのであろうか。それは「夢」であり、「目標」であり、「ロマン」であるのであろう。本当に頭が下がる思いであり、ファンならずとも「勇気」を貰っている気がしてくる。
プロ野球選手を含めたスポーツ選手たちが、よく口にする「ファンに夢と勇気を与えたい」という言葉がある。先日の北京五輪のアジア地区予選でも、「子供たちに夢と勇気を」というキャッチコピーを目に、耳にしたように思う。桑田真澄という一野球人は、正にこの言葉が似合う。
テレビなどのメディアを通じて知るところの「桑田」選手は、何か達観した感じさえする。「単純に野球が好きなんですよ」という桑田の目は優しく、喜びに溢れており、ギラギラとした勝負師のそれではないように感じる。マウンドに上がれば、打者との駆け引きという勝負を楽しみ、されどチームの勝利のためには力を惜しまず発揮し、試合を彩るジグソーパズルのワンピースになりきれる。自分のプレーを客観視でき、冷静に次のチャンスを窺う姿勢を崩さない。そんな桑田選手を見ていると、うらやましくもある。
「好きこそ、ものの上手なれ」という言葉があるが、野球に限らず、ひとつの道を極める人間にとっては、最も大きなエネルギー源になっているのであろう。
来年の桑田投手の雄姿が見られることを、大いに期待している。
私の場合は「下手の横好き」ではあるが、桑田投手に触発されて、また一年モチベーションが保てそうな気がする。
何が、これほどまでに桑田を動かすのであろうか。それは「夢」であり、「目標」であり、「ロマン」であるのであろう。本当に頭が下がる思いであり、ファンならずとも「勇気」を貰っている気がしてくる。
プロ野球選手を含めたスポーツ選手たちが、よく口にする「ファンに夢と勇気を与えたい」という言葉がある。先日の北京五輪のアジア地区予選でも、「子供たちに夢と勇気を」というキャッチコピーを目に、耳にしたように思う。桑田真澄という一野球人は、正にこの言葉が似合う。
テレビなどのメディアを通じて知るところの「桑田」選手は、何か達観した感じさえする。「単純に野球が好きなんですよ」という桑田の目は優しく、喜びに溢れており、ギラギラとした勝負師のそれではないように感じる。マウンドに上がれば、打者との駆け引きという勝負を楽しみ、されどチームの勝利のためには力を惜しまず発揮し、試合を彩るジグソーパズルのワンピースになりきれる。自分のプレーを客観視でき、冷静に次のチャンスを窺う姿勢を崩さない。そんな桑田選手を見ていると、うらやましくもある。
「好きこそ、ものの上手なれ」という言葉があるが、野球に限らず、ひとつの道を極める人間にとっては、最も大きなエネルギー源になっているのであろう。
来年の桑田投手の雄姿が見られることを、大いに期待している。
私の場合は「下手の横好き」ではあるが、桑田投手に触発されて、また一年モチベーションが保てそうな気がする。
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魂のエース
2007年12月13日寂しいニュースを耳にした。
近年はすっかりチーム力も充実し、毎年のように優勝争いに加わる千葉ロッテマリーンズであるが、苦しい時代もあった。そんな時代を支えた、「魂のエース」こと黒木知宏投手が現役引退を発表した。2001年に右肩を痛め、苦しいリハビリ生活が続いていた。それ以来、ほとんど登板機会もなかったが、今年は2軍戦で一年間投げ抜くことができ、来年の「復活」に向けて希望が見え始めた時だっただけに、10月2日の戦力外通告は非情にさえ思えた。
私は、札幌ドームが落成し、その後西武や巨人が準フランチャイズとして使用する噂が流れた頃には、どうせ来るなら「ロッテが良いな」と思っていた。それはフロントを含めたチームカラーが、北海道に会っているように感じたことと、「ちゃんと野球をやっている」チームであったからだ。それは、千葉マリンスタジアムの雰囲気を見ていれば、誰にでも感じることであろう。あのファンこそが、「サポーター」であり、応援団なのであろう。そんな無印良品のようなロッテが、功労者である黒木をクビにしたのである。非情さを感じると共に、黒木の怪我の影響の深さを感じたものである。
しかし、黒木は現役にこだわる発言をした。ロッテ球団も「任意引退」とはせずに、「戦力外通告」をした辺りに、他球団からの誘いを期待したよう思われる。その結果、彼が選択した行動は「誘いを待つ」という受動的な姿勢であった。それが、12球団合同トライアウトにも参加しない姿勢となってしまった。
黒木投手の「復活への思い」を支えていたのが「野球が好きだ」であったのであろう。だから、苦しい試練を乗り越えられた。であれば何故、「野球の原風景」である「ガムシャラさ」や「泥んこになって」という姿を見せなかったのかが悔やまれる。どうして、桑田投手のように、自ら売り込む能動的な姿勢を見せなかったのが悔やまれる。
他球団のフロントや首脳陣は、黒木の実力は知っているであろう。だから、トライアウトの結果が惨憺たるものであったとしても、「合否」には関係なかったのだと思われる。
トライアウトの場は、「野球への情熱」をどのようにアピールできるかである。どれほどまでに「泥んこになって」白球を追えるかであろう。その熱き思いさえ見せることができれば、チャンスは広がるのである。
「魂のエース」といわれた男から、魂の炎が消えてしまったということなのであろうか。
打たれても打たれても、インコースを責め続ける「気迫の投球」を、もう一度見てみたかった。それが「夢を伝える」ということではないのではあるまいか。
寂しいニュースであった。
近年はすっかりチーム力も充実し、毎年のように優勝争いに加わる千葉ロッテマリーンズであるが、苦しい時代もあった。そんな時代を支えた、「魂のエース」こと黒木知宏投手が現役引退を発表した。2001年に右肩を痛め、苦しいリハビリ生活が続いていた。それ以来、ほとんど登板機会もなかったが、今年は2軍戦で一年間投げ抜くことができ、来年の「復活」に向けて希望が見え始めた時だっただけに、10月2日の戦力外通告は非情にさえ思えた。
私は、札幌ドームが落成し、その後西武や巨人が準フランチャイズとして使用する噂が流れた頃には、どうせ来るなら「ロッテが良いな」と思っていた。それはフロントを含めたチームカラーが、北海道に会っているように感じたことと、「ちゃんと野球をやっている」チームであったからだ。それは、千葉マリンスタジアムの雰囲気を見ていれば、誰にでも感じることであろう。あのファンこそが、「サポーター」であり、応援団なのであろう。そんな無印良品のようなロッテが、功労者である黒木をクビにしたのである。非情さを感じると共に、黒木の怪我の影響の深さを感じたものである。
しかし、黒木は現役にこだわる発言をした。ロッテ球団も「任意引退」とはせずに、「戦力外通告」をした辺りに、他球団からの誘いを期待したよう思われる。その結果、彼が選択した行動は「誘いを待つ」という受動的な姿勢であった。それが、12球団合同トライアウトにも参加しない姿勢となってしまった。
黒木投手の「復活への思い」を支えていたのが「野球が好きだ」であったのであろう。だから、苦しい試練を乗り越えられた。であれば何故、「野球の原風景」である「ガムシャラさ」や「泥んこになって」という姿を見せなかったのかが悔やまれる。どうして、桑田投手のように、自ら売り込む能動的な姿勢を見せなかったのが悔やまれる。
他球団のフロントや首脳陣は、黒木の実力は知っているであろう。だから、トライアウトの結果が惨憺たるものであったとしても、「合否」には関係なかったのだと思われる。
トライアウトの場は、「野球への情熱」をどのようにアピールできるかである。どれほどまでに「泥んこになって」白球を追えるかであろう。その熱き思いさえ見せることができれば、チャンスは広がるのである。
「魂のエース」といわれた男から、魂の炎が消えてしまったということなのであろうか。
打たれても打たれても、インコースを責め続ける「気迫の投球」を、もう一度見てみたかった。それが「夢を伝える」ということではないのではあるまいか。
寂しいニュースであった。
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解説者
2007年12月5日スポーツでは、ひとつのプレイが流れを大きく変えたり、傾けたりすることが往々にしてある。特に「流れ」を重要視する野球では、ビックプレイが雌雄を決することは稀ではない。そして、ビックプレイは必ずしも両チームの選手・首脳陣は元より、マスコミ・ファンなどの第三者からも賞賛されるようなプレイばかりとは限らない。昨日の試合では、ダルビッシュ有投手が台湾の4番打者に投じた145?のツーシーム。これを右中間に弾き飛ばした場面などは、誰もが認めるビックプレイであろう。老若男女問わず、敵味方構わずに賞賛されるべきプレイであった。勿論、星野JAPANの勝利を願ってテレビを観ていた私を含めた日本人の大半は、臍をかむ想いであったであろう。あの、スーパーエース・ダルビッシュが被弾したのである。私などは、テレビの前で凍り付いてしまった。
しかし、あれこそが力勝負であり、「ゼロか、100か」のギリギリの勝負であり、それによりテレビ画面を通して演じられたプレイは、「敵ながら天晴れ」と賞賛に値するのであろう。あのような、ビッグプレイが起きた場合は、大きく「流れ」が変わるものである。あの試合は、初回表に日本が1点を奪ったものの、俗に言う「スミ1」の状態であり、「沈滞した流れ」のゲームであった。重苦しい雰囲気と、完全アウェの中でダルビッシュ投手を中心に星野Japanは奮闘していた。ビッグプレイの伏線は、6回表の日本の攻撃にあった。先頭打者の3番青木が復調の兆しを見せて安打で出塁すると、「スモールベースボール」を標榜していた星野Japanが強攻策に出て、その後2球でスリーアウトチェンジとなってしまった。高校野球であれば、打者が4番であろうと、バントなどで走者をスコアリングポジションへ送ることを考えたと思うが、そこはプロ集団という考えが星野監督の頭の片隅にあり、冷徹になりきれなかったのだろうか。
そのウラ、台湾の攻撃は1番からの好打順であることもあり、「嫌な流れ」を感じたダルビッシュ投手は気合を入れて力でねじ伏せに行った。簡単に二死を奪ったところで「好事魔多し」である。あっという間のビッグプレイであった。
このビッグプレイは、日本にとっては「スミ1」の呪縛から解き放たれ、「沈滞した流れ」を変えるには好都合であった。いわゆる、開き直りができた。野球は点を獲るゲームであることに気付かされてくれた。
野球では「ゼロ行進」が続く中で「点が動くと試合が動く」ことがままある。その典型のような試合内容となった。先頭打者が四死球で出た場合に得点する確率もかなり高いことも重なり、なるべくしてなった日本の大逆転劇である。このイニングでのビックプレイは、里崎のバントを緩慢な動きでオールセーフにした場面であろう。あの時、解説者(誰とは言わない)は二塁走者(代走)の三塁へのスライディングを絶賛していた。
「野手の送球を妨げる絶妙なスライディング」と絶賛したのである(誰とは言わない)。
このブログを読んでいただいている方なら、すでにお気付きであろう。
「送球を妨げる=インターフェアランス(守備妨害)」であることを、解説者は絶賛したのである。
解説者(誰とは言わない)は、頭の良い元・監督である。自分自身の発言に対して不具合があったことにすぐに気付き、盛んに言い訳をしていた。「送球を妨げるのも技術です」「そういうプレイはあるのです」とは言うものの「合法的なプレイ」であるとは最後まで言わなかった。言えなかったのであろう。
実は、あのプレイは相手投手が緩慢だったため、タイミングは完全な「セーフ」であったのだから、「スライディングの巧み」を解説する必要は全くなかったのである。確かにプロ野球選手であるから「合法的な汚いプレイ」を練習し、身に付けているのであろう。それは大リーグでも同様である。元・監督である解説者は、思わず「プロ野球選手の技術の高さ」を解説しようと、余計なことを言ってしまった。
このシーンを見て、数年前に高校野球の特集を組んだ番組で、「本塁へ向かう走者が、捕手の捕球態勢を見て、バックホームの送球を予測し、身体を入れる高度なスライディング」とアナウンサーが絶賛し、多方面から猛抗議が来たために、謝罪したことを思い出した。
「星野Japan」のスポンサーである企業のコマーシャルには、沢山の少年野球選手が「応援メッセージ」を送っている。彼らを含めた「野球少年」たちは、この試合を熱く応援していたのである。
そんな中で、「合法的な汚いプレイ」を解説する必要があったのであろうか。
選手としては素晴らしくとも、解説者としては新人である。観る側・聴く側は「寛大に」とは思うものの、いずれは「Japanの看板」を背負うであろう人物なのだから、「夢」を語る人であってほしいと願っている。
しかし、あれこそが力勝負であり、「ゼロか、100か」のギリギリの勝負であり、それによりテレビ画面を通して演じられたプレイは、「敵ながら天晴れ」と賞賛に値するのであろう。あのような、ビッグプレイが起きた場合は、大きく「流れ」が変わるものである。あの試合は、初回表に日本が1点を奪ったものの、俗に言う「スミ1」の状態であり、「沈滞した流れ」のゲームであった。重苦しい雰囲気と、完全アウェの中でダルビッシュ投手を中心に星野Japanは奮闘していた。ビッグプレイの伏線は、6回表の日本の攻撃にあった。先頭打者の3番青木が復調の兆しを見せて安打で出塁すると、「スモールベースボール」を標榜していた星野Japanが強攻策に出て、その後2球でスリーアウトチェンジとなってしまった。高校野球であれば、打者が4番であろうと、バントなどで走者をスコアリングポジションへ送ることを考えたと思うが、そこはプロ集団という考えが星野監督の頭の片隅にあり、冷徹になりきれなかったのだろうか。
そのウラ、台湾の攻撃は1番からの好打順であることもあり、「嫌な流れ」を感じたダルビッシュ投手は気合を入れて力でねじ伏せに行った。簡単に二死を奪ったところで「好事魔多し」である。あっという間のビッグプレイであった。
このビッグプレイは、日本にとっては「スミ1」の呪縛から解き放たれ、「沈滞した流れ」を変えるには好都合であった。いわゆる、開き直りができた。野球は点を獲るゲームであることに気付かされてくれた。
野球では「ゼロ行進」が続く中で「点が動くと試合が動く」ことがままある。その典型のような試合内容となった。先頭打者が四死球で出た場合に得点する確率もかなり高いことも重なり、なるべくしてなった日本の大逆転劇である。このイニングでのビックプレイは、里崎のバントを緩慢な動きでオールセーフにした場面であろう。あの時、解説者(誰とは言わない)は二塁走者(代走)の三塁へのスライディングを絶賛していた。
「野手の送球を妨げる絶妙なスライディング」と絶賛したのである(誰とは言わない)。
このブログを読んでいただいている方なら、すでにお気付きであろう。
「送球を妨げる=インターフェアランス(守備妨害)」であることを、解説者は絶賛したのである。
解説者(誰とは言わない)は、頭の良い元・監督である。自分自身の発言に対して不具合があったことにすぐに気付き、盛んに言い訳をしていた。「送球を妨げるのも技術です」「そういうプレイはあるのです」とは言うものの「合法的なプレイ」であるとは最後まで言わなかった。言えなかったのであろう。
実は、あのプレイは相手投手が緩慢だったため、タイミングは完全な「セーフ」であったのだから、「スライディングの巧み」を解説する必要は全くなかったのである。確かにプロ野球選手であるから「合法的な汚いプレイ」を練習し、身に付けているのであろう。それは大リーグでも同様である。元・監督である解説者は、思わず「プロ野球選手の技術の高さ」を解説しようと、余計なことを言ってしまった。
このシーンを見て、数年前に高校野球の特集を組んだ番組で、「本塁へ向かう走者が、捕手の捕球態勢を見て、バックホームの送球を予測し、身体を入れる高度なスライディング」とアナウンサーが絶賛し、多方面から猛抗議が来たために、謝罪したことを思い出した。
「星野Japan」のスポンサーである企業のコマーシャルには、沢山の少年野球選手が「応援メッセージ」を送っている。彼らを含めた「野球少年」たちは、この試合を熱く応援していたのである。
そんな中で、「合法的な汚いプレイ」を解説する必要があったのであろうか。
選手としては素晴らしくとも、解説者としては新人である。観る側・聴く側は「寛大に」とは思うものの、いずれは「Japanの看板」を背負うであろう人物なのだから、「夢」を語る人であってほしいと願っている。
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国際試合
2007年12月4日北京五輪アジア地区予選は、「星野Japan」の全勝優勝により幕を閉じた。これでようやく、日本野球も本格的なシーズンオフに入ることとなる。五輪競技としての「BASEBALL」は北京五輪が最後となることもあり、たった一つの出場権を獲るために早くから周到な事前調査が行われていたことはマスコミ等で周知されていたが、何よりもペナントレース終了後に行われる大会であることから、選手たちのモチベーションの維持が最も苦労したことであったであろうし、星野監督以下首脳陣・裏方の苦労は計り知れないことである。
昨今は大リーグに選手が進出していくようになったため、選手はもとより、マスコミやファンにも日本野球と世界観との差異に気付かされることが多くなった。日本の野球はプロ野球を頂点としてはいるものの、プレイヤーの大半が高校野球終了後に選手を辞めてしまう背景があり、決してすそ野が広いとは言い難い現状がある。そこには、世界との距離感が否めないためであり、「箱庭野球」たる所以であると考えている。
アジアの野球は、実力的に日本がリードしていた時代は「今は昔」であり、今回のアジア予選を見ていても感じることができた。特に韓国戦は、国際大会の厳しさや不可解さを痛感したことでもあった。
他の競技でもそうであるが、日韓戦は色々な意味で盛り上がる。
先日の試合では開始早々から、いやプレイボールが宣告される前から「駆け引き」があった。事前に交換されていたメンバー表から、先発投手が変更となり、野手は6人も変更となっていたのである。ルールブック上は、試合開始直前に監督同士が交換するメンバー表が「最終」となることから、星野監督の抗議もあっさりと終わったが、心中は「早速やってきたか」と気を引締めたであろう。国際大会では諸般のトラブル防止とメディア対応として、事前にメンバー表を公表するが、あくまでも大会運営上の「暫定措置」であり、ルール上の正式なメンバー表は試合開始前に行われる「メンバー交換」で明らかとなる。事前の監督会議では「事前=最終」という紳士協定を交わしていたようであるが、そこは国際大会、色々とあるのは当たり前である。
しかし韓国チームの最大の誤算は、星野監督が「男・星野」「闘将・星野」と言われた人物であり、このようなトラブルをエネルギーに変えることが最も得意な監督であったことであろう。通訳を引き連れて球審に抗議に向かい、球審の説明を受けた際の「苦笑い」が不気味に見えたのは私だけではないであろう。
韓国選手が内角球に対して身体を寄せてくる行為を「闘志」と履き違えているように感じてしまった。韓国プロ野球の三冠王が、内角球に対して「膝を突き出して」死球を得たケースが2度もあったが、あれでは「内角は苦手です。内角は打てません」と言っているようなものである。スーパースローで何度も再生されていたが、生で見ていても明確に解る行為であり、はっきり言って「見難い行為」であった。
テレビを介してさえも、見える違法行為であるから、球審にははっきりと見えていたと思うのだが、あれが国際大会の異様な雰囲気なのであろうか。あそこは、毅然としたジャッジをして欲しかったものである。ただし、私は日本を応援している側であるから、見えたのかもしれない。逆の立場であれば、「三冠王」に死球を与えた相手投手を罵倒していたかもしれない。国際大会のジャッジの難しさであろう。
アマチュア野球でも、今もなお時折見掛けるケースであるが、内角球に対して肘や膝を突き出して死球を得ようとするプレイヤーがいる。この行為は、スーパースローで再生しなくても、球審の目にははっきりと見えるものである。投手の投球が身体に当たった場合でも、「明らかな故意」であれば「ボール」を宣告される。つまり「死球」には為らないのである。
【6.08】打者は次の場合走者となり、アウトにされるおそれなく、安全に一塁が与えられる。(中略)
(b) 打者が打とうとしなかった投球に触れた場合。ただし、(1)バウンドしない投球が、ストライクゾーンで打者に触れたとき、(2)打者が投球を避けないでこれに触れたときは除かれる。
バウンドしない投球がストライクゾーンで打者に触れた場合には、打者がこれを避けようとしたかどうかを問わず、すべてストライクが宣告される。 しかし、投球がストライクゾーンの外で打者に触れ、しかも打者がこれを避けようとしなかった場合には、ボールが宣告される。
【注三】 打者が投球を避けようとしたかどうかは、一に球審の判断によって決定されるものであって、投球の性質上避けることができなかったと球審が判断した場合には、避けようとした場合と同様に扱われる。
昨今は大リーグに選手が進出していくようになったため、選手はもとより、マスコミやファンにも日本野球と世界観との差異に気付かされることが多くなった。日本の野球はプロ野球を頂点としてはいるものの、プレイヤーの大半が高校野球終了後に選手を辞めてしまう背景があり、決してすそ野が広いとは言い難い現状がある。そこには、世界との距離感が否めないためであり、「箱庭野球」たる所以であると考えている。
アジアの野球は、実力的に日本がリードしていた時代は「今は昔」であり、今回のアジア予選を見ていても感じることができた。特に韓国戦は、国際大会の厳しさや不可解さを痛感したことでもあった。
他の競技でもそうであるが、日韓戦は色々な意味で盛り上がる。
先日の試合では開始早々から、いやプレイボールが宣告される前から「駆け引き」があった。事前に交換されていたメンバー表から、先発投手が変更となり、野手は6人も変更となっていたのである。ルールブック上は、試合開始直前に監督同士が交換するメンバー表が「最終」となることから、星野監督の抗議もあっさりと終わったが、心中は「早速やってきたか」と気を引締めたであろう。国際大会では諸般のトラブル防止とメディア対応として、事前にメンバー表を公表するが、あくまでも大会運営上の「暫定措置」であり、ルール上の正式なメンバー表は試合開始前に行われる「メンバー交換」で明らかとなる。事前の監督会議では「事前=最終」という紳士協定を交わしていたようであるが、そこは国際大会、色々とあるのは当たり前である。
しかし韓国チームの最大の誤算は、星野監督が「男・星野」「闘将・星野」と言われた人物であり、このようなトラブルをエネルギーに変えることが最も得意な監督であったことであろう。通訳を引き連れて球審に抗議に向かい、球審の説明を受けた際の「苦笑い」が不気味に見えたのは私だけではないであろう。
韓国選手が内角球に対して身体を寄せてくる行為を「闘志」と履き違えているように感じてしまった。韓国プロ野球の三冠王が、内角球に対して「膝を突き出して」死球を得たケースが2度もあったが、あれでは「内角は苦手です。内角は打てません」と言っているようなものである。スーパースローで何度も再生されていたが、生で見ていても明確に解る行為であり、はっきり言って「見難い行為」であった。
テレビを介してさえも、見える違法行為であるから、球審にははっきりと見えていたと思うのだが、あれが国際大会の異様な雰囲気なのであろうか。あそこは、毅然としたジャッジをして欲しかったものである。ただし、私は日本を応援している側であるから、見えたのかもしれない。逆の立場であれば、「三冠王」に死球を与えた相手投手を罵倒していたかもしれない。国際大会のジャッジの難しさであろう。
アマチュア野球でも、今もなお時折見掛けるケースであるが、内角球に対して肘や膝を突き出して死球を得ようとするプレイヤーがいる。この行為は、スーパースローで再生しなくても、球審の目にははっきりと見えるものである。投手の投球が身体に当たった場合でも、「明らかな故意」であれば「ボール」を宣告される。つまり「死球」には為らないのである。
【6.08】打者は次の場合走者となり、アウトにされるおそれなく、安全に一塁が与えられる。(中略)
(b) 打者が打とうとしなかった投球に触れた場合。ただし、(1)バウンドしない投球が、ストライクゾーンで打者に触れたとき、(2)打者が投球を避けないでこれに触れたときは除かれる。
バウンドしない投球がストライクゾーンで打者に触れた場合には、打者がこれを避けようとしたかどうかを問わず、すべてストライクが宣告される。 しかし、投球がストライクゾーンの外で打者に触れ、しかも打者がこれを避けようとしなかった場合には、ボールが宣告される。
【注三】 打者が投球を避けようとしたかどうかは、一に球審の判断によって決定されるものであって、投球の性質上避けることができなかったと球審が判断した場合には、避けようとした場合と同様に扱われる。
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今年最初の審判講習会が開催された。講師はセリーグ審判員の木内氏と国際審判員の熊沢氏。木内氏の講習会は、今年で3回目になる。座学を1時間30分ほど行った後に、日本ハムの室内練習場で実技を行った。今年の公式戦を終えて、早1ヶ月以上が経過しているが、人間の感覚とは恐ろしいもので、技術を習得するのには多大な時間を要するのに対し、忘れるのはあっという間とはこのことかと思い知らされた。シーズン中は、あれ程考え、あれ程動いていたのに、一歩が出ないのである。講習会ということで、試合と同じような緊張感が湧いてこないのもある。また基本動作の復習が中心であるから、のめり込めないのもあるが、あまりに動けないのには正直ショックであった。自分の中では、2週間前の「ぎっくり腰」のせいにしたいのだが、自分に嘘は吐けないし、吐いたところで自分が情けなくなるだけだ。
途中から、何か吸収できるものはないかと耳を立て、目を皿にすることとにした。
一つ目は、確認事項であった。審判員の基本動作である「GO−STOP−CALL」を例のごとく、繰返し実施した。数日間実施される審判講習では、この基本動作を何時間もやり続けるらしい。それ程、大切な動作なのである。確かにこれが出来るようになれば、ジャッジの正確さはさておき、審判員として周囲に認知されることは間違いないであろう。その中で、「GOは右足でスタート」と「STOPは左足から1・2で正対」を再確認した。春先の講習会で反復練習し、判ったつもりで何となく実戦に入っていったが、シーズンオフに改めて基本動作のチェックをすると、「今年、この動作が出来ていたのだろうか」と不安になってしまった。本当に、人間の記憶はあいまいである(私は特にそうかもしれない)。
二つ目は、今後軌道修正が必要な項目。ここでも書いたが、「セーフは早く、アウトはゆっくり」がジャッジのタイミングの基本であるが、「セーフは慌てず、しっかり確認」が必要のようである。つまり、あまりに早くコールしようとすると、慌ててしまい、コールやジェスチャーが雑になってしまうようである。タイミング的には、確認事項の多い「アウト」のコールよりも早くなるのであろうが、落ち着いてしっかりと「LOOK」する必要がある。多少ゆっくり目にやったとしても、「アウト」のように確認項目が多くはないので、必然的に「アウト」コールよりは早くなるのだということである。選手や観衆には、判らないが審判には判る間合いであるが、これが決まると選手や観衆も納得しやすいタイミングなのだということである。実に奥深い。おそらく、これを読んでいる方には、この微妙なタイミングは分からないであろう。言葉では伝えきれない「間合い」である。
三つ目は、スロットポジションのちょっとした違いである。がしかし、これには目からウロコであった。スロットポジションは、捕手と打者の「隙間」に位置することで、ホームベースがすべて見え、かつアウトコースの低目が確認できるメリットがある。その際にホームベースのインコース側のラインが身体の中心になるように立つように指導されてきた。しかし、忠実にこれを実践しようとすると、捕手がアウトコースに構えた場合、自分の前に何もない状況となってしまう。捕手の構えたミット目掛けてボールが来てくれれば良いが、当然逆球もある。この逆球を打者がファウルチップでもしようものなら、当然のように直撃である。これは当然のように「恐怖感」が先に立つ。何事もなければラッキーとしか言いようがない。この様なことがあった試合後のミーティングでは、控の審判員に助言を求める。「こんな場合は、どうしたらいいだろうか」と。何人かの審判員と話し合い出た結論は、「実戦の中で修正しながら、つまり捕手側へ移動しても良いのではないか」であった。しかし、これも感覚的なものであった。基準が欲しいと思っていた。
その答えが、「捕手の中心に、自分のアウトコース側の肩の位置を合わせる」である。これなら、身体が半分以上捕手に隠れる。ただし、最大ホームベースの中心よりアウトコースへは寄らないのが原則のようではある。
要は、捕手と打者の隙間に入り、ホームベースが良く見えて、アウトローが良く見える位置に移動することができれば良いのだ、と勝手な解釈をすることにした。
四つ目は、コールのタイミングを再確認した。シーズンも深まってくると、色々な事が雑になってくる。人間慣れることは恐ろしい。「ベテラン」と呼ばれるようになると、大体が「怪しい領域」へと足を踏み込む。球審のジャッジの大半を占めるのが「ストライク・ボール」である。このコールが、徐々に早くなってきていることは、薄々は感じていた。それは、一番大切な基本動作を省略していたからだと気付かされた。
この基本動作が「トラッキング」である。投手の投球が、捕手のミットに収まるまで、目だけで追い続ける動作である。頭を動かしてはならない。目の玉だけを動かすのである。ミットにボールが収まった後、今の投球を頭の中でリプレイし、軌道を再確認してからコールするのである。これは、ストライクもボールも同様の動作となる。
「トラッキング」を一試合続けると、目の玉が痛くなる。それ程、大変な作業ではあるが、これを実践できた時に「コールの間合い」が一定するようだ。
冬の間に、どの程度トレーニングが積めるであろうか。
途中から、何か吸収できるものはないかと耳を立て、目を皿にすることとにした。
一つ目は、確認事項であった。審判員の基本動作である「GO−STOP−CALL」を例のごとく、繰返し実施した。数日間実施される審判講習では、この基本動作を何時間もやり続けるらしい。それ程、大切な動作なのである。確かにこれが出来るようになれば、ジャッジの正確さはさておき、審判員として周囲に認知されることは間違いないであろう。その中で、「GOは右足でスタート」と「STOPは左足から1・2で正対」を再確認した。春先の講習会で反復練習し、判ったつもりで何となく実戦に入っていったが、シーズンオフに改めて基本動作のチェックをすると、「今年、この動作が出来ていたのだろうか」と不安になってしまった。本当に、人間の記憶はあいまいである(私は特にそうかもしれない)。
二つ目は、今後軌道修正が必要な項目。ここでも書いたが、「セーフは早く、アウトはゆっくり」がジャッジのタイミングの基本であるが、「セーフは慌てず、しっかり確認」が必要のようである。つまり、あまりに早くコールしようとすると、慌ててしまい、コールやジェスチャーが雑になってしまうようである。タイミング的には、確認事項の多い「アウト」のコールよりも早くなるのであろうが、落ち着いてしっかりと「LOOK」する必要がある。多少ゆっくり目にやったとしても、「アウト」のように確認項目が多くはないので、必然的に「アウト」コールよりは早くなるのだということである。選手や観衆には、判らないが審判には判る間合いであるが、これが決まると選手や観衆も納得しやすいタイミングなのだということである。実に奥深い。おそらく、これを読んでいる方には、この微妙なタイミングは分からないであろう。言葉では伝えきれない「間合い」である。
三つ目は、スロットポジションのちょっとした違いである。がしかし、これには目からウロコであった。スロットポジションは、捕手と打者の「隙間」に位置することで、ホームベースがすべて見え、かつアウトコースの低目が確認できるメリットがある。その際にホームベースのインコース側のラインが身体の中心になるように立つように指導されてきた。しかし、忠実にこれを実践しようとすると、捕手がアウトコースに構えた場合、自分の前に何もない状況となってしまう。捕手の構えたミット目掛けてボールが来てくれれば良いが、当然逆球もある。この逆球を打者がファウルチップでもしようものなら、当然のように直撃である。これは当然のように「恐怖感」が先に立つ。何事もなければラッキーとしか言いようがない。この様なことがあった試合後のミーティングでは、控の審判員に助言を求める。「こんな場合は、どうしたらいいだろうか」と。何人かの審判員と話し合い出た結論は、「実戦の中で修正しながら、つまり捕手側へ移動しても良いのではないか」であった。しかし、これも感覚的なものであった。基準が欲しいと思っていた。
その答えが、「捕手の中心に、自分のアウトコース側の肩の位置を合わせる」である。これなら、身体が半分以上捕手に隠れる。ただし、最大ホームベースの中心よりアウトコースへは寄らないのが原則のようではある。
要は、捕手と打者の隙間に入り、ホームベースが良く見えて、アウトローが良く見える位置に移動することができれば良いのだ、と勝手な解釈をすることにした。
四つ目は、コールのタイミングを再確認した。シーズンも深まってくると、色々な事が雑になってくる。人間慣れることは恐ろしい。「ベテラン」と呼ばれるようになると、大体が「怪しい領域」へと足を踏み込む。球審のジャッジの大半を占めるのが「ストライク・ボール」である。このコールが、徐々に早くなってきていることは、薄々は感じていた。それは、一番大切な基本動作を省略していたからだと気付かされた。
この基本動作が「トラッキング」である。投手の投球が、捕手のミットに収まるまで、目だけで追い続ける動作である。頭を動かしてはならない。目の玉だけを動かすのである。ミットにボールが収まった後、今の投球を頭の中でリプレイし、軌道を再確認してからコールするのである。これは、ストライクもボールも同様の動作となる。
「トラッキング」を一試合続けると、目の玉が痛くなる。それ程、大変な作業ではあるが、これを実践できた時に「コールの間合い」が一定するようだ。
冬の間に、どの程度トレーニングが積めるであろうか。
シリーズ「壁」その2
2007年11月22日やはり、オフシーズンと言うことか。
最近、ブログの更新が滞っているのは自覚している。シーズン中は毎週試合があり、試合があれば色々なことが起こるから、ネタには事欠かなかった。土日の試合での出来事を書き綴っているうちに、次の土日になってしまうことはザラにあった。書きたいことが沢山ありすぎて、何回かに分けたこともあった。
やはり、オフシーズンなのであろう。どうにも、キーボードを叩く勢いが鈍い。
とは言え、壁シリーズを書き出したので、何とか搾り出して行こうと考えている。
前回は審判クルー全体の「壁」である「クロックワイズ」についてであったが、今回からは各ポジション別の「壁」についてである。
もちろん私自身の経験談であり、他の審判員に共通する「壁」ではない。「こんなの壁ではないよ」と言われることは覚悟の上である。
まずは、一塁塁審の「壁」・・・
【オフ・ザ・バック】の壁
先日の試合で一塁塁審を担当した際に、3回終了時まで内野ゴロが一本も無かったことがあった。非常に珍しいことである。
クルーの中で、球審に次いでジャッジの機会が多いのが一塁塁審である。ジャッジとしては、一塁でのフォースプレイの判定、牽制球によるタッグプレイの判定、一塁線のファウル・フェア、ハーフスイングの判定、ボークなどであり、その主なものが一塁でのフォースプレイであろう。内野へのゴロが転がった場合、それを捌いた野手の送球に合わせてポジショニングするのだが、送球に対して直角の方向へ移動し、かつある程度距離を保つ必要がある。この動きは一度に3箇所の確認をする必要があるためで、一塁手の捕球と打者走者のベースタッチの優劣の判定と、一塁手が捕球した際に足がベースタッチしているかの確認である。この一塁手の足がベースタッチしているか否かの確認は非常に重要ではあるが、突き詰めすぎると「紙一重」まで見てしまおうとして迷宮へ入ってしまう。つまり、一塁手もベースタッチしている感覚があり、かつダッグアウトも観客も相手選手もベースタッチを疑っていない時に、「紙一重」で離れたように見えたために「オフ・ザ・バック」を派手に掛けてしまうことがある。私も一塁塁審を任されるようになった当時は、「紙一重」を見よう見ようとしたばかりに、「錯覚なのか、現実なのか」分からなくなってしまった時期があった。
「オフ・ザ・バック」は送球が多少荒れた場合、一塁手が背伸びしたり、ジャンプしたり、ショートバウンドを抱えたり、横に逸れた送球に対し身体を伸ばして捕球したりした時に、一塁手の足の離れを見て判断することが選手もダッグアウトも観客も納得する判定となりやすいのであろう。
今年、一塁塁審が割り当たった際に、リラックスと集中を上手くコントロールしてスムーズに動いていたのだが、たった一度の「オフ・ザ・バック」の動作と声が出なかったことがあった。判定は、悪送球で一塁手の足が離れたとして「セーフ」としたが、「オフ・ザ・バック」のコールが咄嗟に出来なかった。早い話が準備不足である。次のプレイを想定していないことが原因なのである。まだまだ甘いと苦笑いで誤魔化した。当然、試合終了後のミーティングでは指摘されたし、大いに自己反省をした。
まだまだ、「壁」を乗り越えられずにいる。
最近、ブログの更新が滞っているのは自覚している。シーズン中は毎週試合があり、試合があれば色々なことが起こるから、ネタには事欠かなかった。土日の試合での出来事を書き綴っているうちに、次の土日になってしまうことはザラにあった。書きたいことが沢山ありすぎて、何回かに分けたこともあった。
やはり、オフシーズンなのであろう。どうにも、キーボードを叩く勢いが鈍い。
とは言え、壁シリーズを書き出したので、何とか搾り出して行こうと考えている。
前回は審判クルー全体の「壁」である「クロックワイズ」についてであったが、今回からは各ポジション別の「壁」についてである。
もちろん私自身の経験談であり、他の審判員に共通する「壁」ではない。「こんなの壁ではないよ」と言われることは覚悟の上である。
まずは、一塁塁審の「壁」・・・
【オフ・ザ・バック】の壁
先日の試合で一塁塁審を担当した際に、3回終了時まで内野ゴロが一本も無かったことがあった。非常に珍しいことである。
クルーの中で、球審に次いでジャッジの機会が多いのが一塁塁審である。ジャッジとしては、一塁でのフォースプレイの判定、牽制球によるタッグプレイの判定、一塁線のファウル・フェア、ハーフスイングの判定、ボークなどであり、その主なものが一塁でのフォースプレイであろう。内野へのゴロが転がった場合、それを捌いた野手の送球に合わせてポジショニングするのだが、送球に対して直角の方向へ移動し、かつある程度距離を保つ必要がある。この動きは一度に3箇所の確認をする必要があるためで、一塁手の捕球と打者走者のベースタッチの優劣の判定と、一塁手が捕球した際に足がベースタッチしているかの確認である。この一塁手の足がベースタッチしているか否かの確認は非常に重要ではあるが、突き詰めすぎると「紙一重」まで見てしまおうとして迷宮へ入ってしまう。つまり、一塁手もベースタッチしている感覚があり、かつダッグアウトも観客も相手選手もベースタッチを疑っていない時に、「紙一重」で離れたように見えたために「オフ・ザ・バック」を派手に掛けてしまうことがある。私も一塁塁審を任されるようになった当時は、「紙一重」を見よう見ようとしたばかりに、「錯覚なのか、現実なのか」分からなくなってしまった時期があった。
「オフ・ザ・バック」は送球が多少荒れた場合、一塁手が背伸びしたり、ジャンプしたり、ショートバウンドを抱えたり、横に逸れた送球に対し身体を伸ばして捕球したりした時に、一塁手の足の離れを見て判断することが選手もダッグアウトも観客も納得する判定となりやすいのであろう。
今年、一塁塁審が割り当たった際に、リラックスと集中を上手くコントロールしてスムーズに動いていたのだが、たった一度の「オフ・ザ・バック」の動作と声が出なかったことがあった。判定は、悪送球で一塁手の足が離れたとして「セーフ」としたが、「オフ・ザ・バック」のコールが咄嗟に出来なかった。早い話が準備不足である。次のプレイを想定していないことが原因なのである。まだまだ甘いと苦笑いで誤魔化した。当然、試合終了後のミーティングでは指摘されたし、大いに自己反省をした。
まだまだ、「壁」を乗り越えられずにいる。
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シリーズ「壁」その1
2007年11月20日シニア審判員として5シーズン目が終わろうとしているが、審判員のジャッジや動きの中で色々な壁を感じてきた。そのたびに、諸先輩方や同僚などからアドバイスを受け、少しずつではあるが壁を乗り越えてきたように思う。これから審判員を目指す方や、今正に「壁」を実感している方の一助になればという思いで紹介しようと思う。
斯く言う私も、「壁」を感じることは日常茶飯事であるが、それも勉強と思うようにしている。
シリーズ「壁」の一回目は、私も悩んだ「クロックワイズメカニクスの壁」についてである。
【クロックワイズメカニクス】の壁
クロックワイズ(CLOCKWISE)とは、『時計の針のように、右回りに』という意味である。私が初めてこの言葉を耳にしたのは6年前であり、まだリトルリーグの父兄をやっていた頃である。
父兄審判員として講習会に参加し、新しい審判員の動き方として紹介された。しかし、「新しい動き」と言っても、それまでの動きを知らないのであるから、何がなんだか分からなかったのを記憶している。
講習会では、一日で色々なポジションの色々な動きを教えてくれるが、基本的考え方や基礎的技術がない一父兄にとっては、憶えろという方が無理なことである。今にして思えば、せめて「三塁塁審」の動きだけなどと限定してやった方が良いのではないかとは思うが、やはり基礎・基本の習得を意識することが最優先であろう。
それだけ頑張ってやったのに、私が実戦で最初にやったのはリトルリーグの線審であった。クロックワイズメカニクスは、走者なし、または一塁の場面で「時計回りの動き」をすることが基本的な動きとなる。ここでのキーマンは三塁塁審であろう。三塁塁審がスムーズな動きをしたならば、クロックワイズは機能する場合が多い。
シニアでは、審判デビューを三塁塁審で経験される方が圧倒的に多いと思われる。私も、三塁塁審から始めたが、先輩からは「ジャッジする機会は圧倒的に少ないから、気楽にやりな」と言われ、救われた思いでグラウンドに立っていた記憶がある。今思えば、いきなりクルーのキーマンに指名されていたことも露知らず、気楽に「野球観戦」していたのであろう。
最近、三塁塁審にベテラン審判員が入り、クルーが活発に動くことを良く見掛ける。
そんな時は、改めて「塁審のキーマン」だと思い知るのである。
来年も三塁塁審で、何名の方が審判デビューを飾るのであろうか。
なかなか、二塁方向へ走ってはいけないものである。
斯く言う私も、「壁」を感じることは日常茶飯事であるが、それも勉強と思うようにしている。
シリーズ「壁」の一回目は、私も悩んだ「クロックワイズメカニクスの壁」についてである。
【クロックワイズメカニクス】の壁
クロックワイズ(CLOCKWISE)とは、『時計の針のように、右回りに』という意味である。私が初めてこの言葉を耳にしたのは6年前であり、まだリトルリーグの父兄をやっていた頃である。
父兄審判員として講習会に参加し、新しい審判員の動き方として紹介された。しかし、「新しい動き」と言っても、それまでの動きを知らないのであるから、何がなんだか分からなかったのを記憶している。
講習会では、一日で色々なポジションの色々な動きを教えてくれるが、基本的考え方や基礎的技術がない一父兄にとっては、憶えろという方が無理なことである。今にして思えば、せめて「三塁塁審」の動きだけなどと限定してやった方が良いのではないかとは思うが、やはり基礎・基本の習得を意識することが最優先であろう。
それだけ頑張ってやったのに、私が実戦で最初にやったのはリトルリーグの線審であった。クロックワイズメカニクスは、走者なし、または一塁の場面で「時計回りの動き」をすることが基本的な動きとなる。ここでのキーマンは三塁塁審であろう。三塁塁審がスムーズな動きをしたならば、クロックワイズは機能する場合が多い。
シニアでは、審判デビューを三塁塁審で経験される方が圧倒的に多いと思われる。私も、三塁塁審から始めたが、先輩からは「ジャッジする機会は圧倒的に少ないから、気楽にやりな」と言われ、救われた思いでグラウンドに立っていた記憶がある。今思えば、いきなりクルーのキーマンに指名されていたことも露知らず、気楽に「野球観戦」していたのであろう。
最近、三塁塁審にベテラン審判員が入り、クルーが活発に動くことを良く見掛ける。
そんな時は、改めて「塁審のキーマン」だと思い知るのである。
来年も三塁塁審で、何名の方が審判デビューを飾るのであろうか。
なかなか、二塁方向へ走ってはいけないものである。
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星となった鉄腕
2007年11月13日朝から信じたくはないニュースが耳に入った。稲尾和久氏が逝去された。享年70歳。
長年病床に臥せっていたのであれば、それなりに心の準備もあるが、ニュースによれば10月末から検査入院をしており、病名も判らないまま病状が激変して急死したとの事である。医学の進歩は日進月歩であるはずなのに、人間の生命をコントロールすることは叶わないのであろう。まして、稲尾氏は神様や仏様と同格までに見られた人物である。
稲尾氏は1956年(昭和31年)、西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)に入団し、1年目から21勝6敗・防御率1.06(未だにパリーグ記録)の好成績を挙げ、最優秀防御率と新人王のタイトルを獲得する活躍をした。
※余談ではあるが、実はこの年もう1人の新人が大活躍していた。全試合に出場し、なんと新人で180安打も打った佐々木信也である。佐々木信也といえば、現在フジテレビ系で放送されている「スポルト」の前身番組である「プロ野球ニュース」でキャスターを務めて活躍していた。
稲尾氏はデビューから8年連続20勝以上・2年目からは3年連続30勝以上を挙げ(未だに破られていないし、今後破られることはないであろう)、1961年(昭和36年)にはヴィクトル・スタルヒンに並ぶ42勝(これも日本記録、絶対に破られない)という途轍もない記録を打ち立てている。現代野球では、先発投手の登板数ですらこの勝ち星を上回ることは絶対にないであろう。日本ハムファイターズのダルビッシュでさえ26登板である。今年の日本プロ野球の先発ピッチャーの最多登板数は30試合前後であろう。この年、稲尾氏は78試合に登板し、25完投(7完封)している。一昨年、阪神タイガースの藤川球児投手が80試合に登板し、稲尾氏の偉大な記録を破ったと話題になったが、その時の投球回数は中継ぎ投手であったため92回1/3であったのに対し、先発・中継ぎ・抑えとフル回転していた稲尾氏は404回も投げぬいたのである。ダルビッシュ投手が投球回数200回を突破して話題になる時代にあって、この数字は天文学的な感じさえする。この年は稲尾氏のキャリアハイであり、最多登板78試合、最多勝利数42勝、最優秀勝率0.750、最多投球回数404回、最多奪三振353個(今年のダルビッシュは210個)、最優秀防御率1.69(今年のダルビッシュは1.82)を記録している。この先破られることがないであろう最多勝利数の日本記録はスタルヒンと分け合った形となっているが、これにも有名な逸話がある。プロ野球の記録は、当時は今ほど重要視されておらず、あいまいなことが多かった。稲尾氏が42勝を挙げた時点での、それまでのスタルヒンの記録は「40勝」と言われていたため、稲尾氏はシーズンの残り数試合を欠場している。後日、記録の整理が成された際に「スタルヒンの勝利数」が40から42に変更されたために「タイ記録」で終わったのである。
何と言っても、この時代の西鉄ライオンズは強かったらしい(私は幼少ゆえに記憶にない)。中西太、豊田泰光、仰木彬、大下弘などの強力な野手陣に加え、鉄腕・稲尾がいたのである。1958年(昭和33年)の巨人との日本シリーズにおける3連敗後の4連勝は有名な話であり、稲尾氏は7試合中6試合に登板(5試合に先発し、4試合を完投)し、3戦以降は5連投して獅子奮迅の活躍を見せ、「神様・仏様・稲尾様」となったのである。
そんな鉄腕・稲尾も、1964年(昭和39年)には肩を故障し、リリーフへと転向して1969年限りで現役引退している。なんと32歳の若さである。現在大リーグに挑戦しようとしている黒田博樹投手と同じ年齢である。この時代に、桑田投手の主治医であるジョーブ博士のような医師がいれば、一体どこまで勝ち星を挙げたのであろう。稲尾氏は実働14年間のうち最初の8年間で234勝を挙げ、残りの6年間はリリーフで42勝を挙げている。
稲尾氏の得意な球種は「スライダー」というのが定説になっていたが、これは情報戦略であり、実は「スライダー」は見せ球であり、最も得意な「シュート」を活かすための吹聴であったのも有名な話である。そして、それを見抜いたのが野村克也(南海・現ソフトバンク)であったのも有名な話。また、対戦成績が悪かった榎本喜八(大毎・現ロッテ)を打ち取るためだけにフォークボールを覚え、榎本以外には投げなかった逸話もある。
現役を引退した後は、西鉄ライオンズの監督に就任したが、「黒い霧事件」や球団の身売りなどの荒波に晒された。ロッテの監督時代の教え子には落合博光もいる。
荒波といえば、稲尾氏の父親は猟師であり、幼い頃から父と一緒に漁に出ていた。この時、小舟で櫓を漕いでいたことが強靭な足腰を作ったとも言われており、「小舟で荒波に出ること」で物事に動じない精神力も鍛えられたと言われている。
テレビの解説者としても活躍していたが、その判りやすく理論立てた論調はファンも多かったであろう。斯く言う私もファンであった。現役時代をほとんど知らない私にとっては「伝説の偉人」であり、まさに「神様・仏様」であった。
長嶋茂雄が脳梗塞で倒れ、王貞治が胃癌に苦しみ、昭和30年代のプロ野球全盛期を支えた偉人たちが、次々と去っていってしまう。寂しい限りである。
稲尾氏のご冥福を祈ると共に、最後に素晴らしいエピソードをひとつ。
稲尾氏は、イニングが終わりマウンドを相手投手に譲る際に、ロージンバックを所定の位置に置き、踏込み足で掘れてしまったマウンドを均していた。このマナーの良さに感銘を受けたライバル・南海ホークスのエース杉浦忠(立教大学で長嶋茂雄と同期)も、以後マネをするようになったのである。
「正々堂々」や「スポーツマンシップ」は当たり前のことであり、人間として自然と出来ることであるはずである。少なくとも、当たり前のことを目の辺りにした際に、気付き自らを改めるのが「スポーツ」であろう。
「相手の嫌がることをやる」ことが全盛の現代野球を、鉄腕・稲尾は空の上からどのように見つめているのであろうか。
合掌。
長年病床に臥せっていたのであれば、それなりに心の準備もあるが、ニュースによれば10月末から検査入院をしており、病名も判らないまま病状が激変して急死したとの事である。医学の進歩は日進月歩であるはずなのに、人間の生命をコントロールすることは叶わないのであろう。まして、稲尾氏は神様や仏様と同格までに見られた人物である。
稲尾氏は1956年(昭和31年)、西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)に入団し、1年目から21勝6敗・防御率1.06(未だにパリーグ記録)の好成績を挙げ、最優秀防御率と新人王のタイトルを獲得する活躍をした。
※余談ではあるが、実はこの年もう1人の新人が大活躍していた。全試合に出場し、なんと新人で180安打も打った佐々木信也である。佐々木信也といえば、現在フジテレビ系で放送されている「スポルト」の前身番組である「プロ野球ニュース」でキャスターを務めて活躍していた。
稲尾氏はデビューから8年連続20勝以上・2年目からは3年連続30勝以上を挙げ(未だに破られていないし、今後破られることはないであろう)、1961年(昭和36年)にはヴィクトル・スタルヒンに並ぶ42勝(これも日本記録、絶対に破られない)という途轍もない記録を打ち立てている。現代野球では、先発投手の登板数ですらこの勝ち星を上回ることは絶対にないであろう。日本ハムファイターズのダルビッシュでさえ26登板である。今年の日本プロ野球の先発ピッチャーの最多登板数は30試合前後であろう。この年、稲尾氏は78試合に登板し、25完投(7完封)している。一昨年、阪神タイガースの藤川球児投手が80試合に登板し、稲尾氏の偉大な記録を破ったと話題になったが、その時の投球回数は中継ぎ投手であったため92回1/3であったのに対し、先発・中継ぎ・抑えとフル回転していた稲尾氏は404回も投げぬいたのである。ダルビッシュ投手が投球回数200回を突破して話題になる時代にあって、この数字は天文学的な感じさえする。この年は稲尾氏のキャリアハイであり、最多登板78試合、最多勝利数42勝、最優秀勝率0.750、最多投球回数404回、最多奪三振353個(今年のダルビッシュは210個)、最優秀防御率1.69(今年のダルビッシュは1.82)を記録している。この先破られることがないであろう最多勝利数の日本記録はスタルヒンと分け合った形となっているが、これにも有名な逸話がある。プロ野球の記録は、当時は今ほど重要視されておらず、あいまいなことが多かった。稲尾氏が42勝を挙げた時点での、それまでのスタルヒンの記録は「40勝」と言われていたため、稲尾氏はシーズンの残り数試合を欠場している。後日、記録の整理が成された際に「スタルヒンの勝利数」が40から42に変更されたために「タイ記録」で終わったのである。
何と言っても、この時代の西鉄ライオンズは強かったらしい(私は幼少ゆえに記憶にない)。中西太、豊田泰光、仰木彬、大下弘などの強力な野手陣に加え、鉄腕・稲尾がいたのである。1958年(昭和33年)の巨人との日本シリーズにおける3連敗後の4連勝は有名な話であり、稲尾氏は7試合中6試合に登板(5試合に先発し、4試合を完投)し、3戦以降は5連投して獅子奮迅の活躍を見せ、「神様・仏様・稲尾様」となったのである。
そんな鉄腕・稲尾も、1964年(昭和39年)には肩を故障し、リリーフへと転向して1969年限りで現役引退している。なんと32歳の若さである。現在大リーグに挑戦しようとしている黒田博樹投手と同じ年齢である。この時代に、桑田投手の主治医であるジョーブ博士のような医師がいれば、一体どこまで勝ち星を挙げたのであろう。稲尾氏は実働14年間のうち最初の8年間で234勝を挙げ、残りの6年間はリリーフで42勝を挙げている。
稲尾氏の得意な球種は「スライダー」というのが定説になっていたが、これは情報戦略であり、実は「スライダー」は見せ球であり、最も得意な「シュート」を活かすための吹聴であったのも有名な話である。そして、それを見抜いたのが野村克也(南海・現ソフトバンク)であったのも有名な話。また、対戦成績が悪かった榎本喜八(大毎・現ロッテ)を打ち取るためだけにフォークボールを覚え、榎本以外には投げなかった逸話もある。
現役を引退した後は、西鉄ライオンズの監督に就任したが、「黒い霧事件」や球団の身売りなどの荒波に晒された。ロッテの監督時代の教え子には落合博光もいる。
荒波といえば、稲尾氏の父親は猟師であり、幼い頃から父と一緒に漁に出ていた。この時、小舟で櫓を漕いでいたことが強靭な足腰を作ったとも言われており、「小舟で荒波に出ること」で物事に動じない精神力も鍛えられたと言われている。
テレビの解説者としても活躍していたが、その判りやすく理論立てた論調はファンも多かったであろう。斯く言う私もファンであった。現役時代をほとんど知らない私にとっては「伝説の偉人」であり、まさに「神様・仏様」であった。
長嶋茂雄が脳梗塞で倒れ、王貞治が胃癌に苦しみ、昭和30年代のプロ野球全盛期を支えた偉人たちが、次々と去っていってしまう。寂しい限りである。
稲尾氏のご冥福を祈ると共に、最後に素晴らしいエピソードをひとつ。
稲尾氏は、イニングが終わりマウンドを相手投手に譲る際に、ロージンバックを所定の位置に置き、踏込み足で掘れてしまったマウンドを均していた。このマナーの良さに感銘を受けたライバル・南海ホークスのエース杉浦忠(立教大学で長嶋茂雄と同期)も、以後マネをするようになったのである。
「正々堂々」や「スポーツマンシップ」は当たり前のことであり、人間として自然と出来ることであるはずである。少なくとも、当たり前のことを目の辺りにした際に、気付き自らを改めるのが「スポーツ」であろう。
「相手の嫌がることをやる」ことが全盛の現代野球を、鉄腕・稲尾は空の上からどのように見つめているのであろうか。
合掌。
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