昨日の続編。
今回の「インターフェア(守備妨害)」は、非常に変わったケースであった。走者1塁の場面で、打者がバントをした。ボールは一塁線を転々と転がり、やがてファウルゾーンへ。一塁手が捕球体勢で待っている。「野手が触れるか、ファウルゾーンで留まるか」まで「ファウル」のコールを待ちボールの行方を凝視。そこへ打者走者が走り込み、こともあろうか打球に足が触れた。攻撃側は「ファウルだ、戻れ」と叫んでいる。私は「これって良いのか。良い訳ないよな」と心の中で反芻し、「インターフェア、タイム、バッターアウト」と宣告した。打者も攻撃側のダッグアウトも呆気に取られている。「何故、妨害なの」。私は「打者走者が打球の方向を変えた行為」と説明し、「フェア・ファウルに関わらず、打球方向を故意に変えたとして、インターフェアとします」と付け加えた。ここで問題となるのが「故意」の有無であろう。このケースでは野手が守備体勢にあることと、打者走者は「守備優先」の原則からそれを避けるべきことから、打者走者の足に打球が当たること自体が「不注意」または「故意」と判断した。あるベテラン審判員に、このケースの判断の是非を確認したところ「非常に珍しいケースに遭遇したね」と感心され、判断は「OK」と言われてホッとしている。
一昨日あった「オブストラクション(走塁妨害)」は、結構ありそうで見逃されているかもしれないケースであった。2塁ベース上であった走塁妨害を2塁塁審が見逃したため、球審の私がマウンド付近まで「オブストラクション、オブストラクション」と叫びながらしゃしゃり出て行った。走者1塁の場面、打者が左翼線に飛球を打ち上げた。打球はサード後方ライン寄りにポトリと落ちる。その打球とレフトの動きに合わせるように、一塁走者はハーフウェイから徐々に2塁方向へ近づいていた。この時、守備側も攻撃側も打球の行方に注目していた状態であり、2塁ベースの3塁側にはセカンドベースマンがベースカバーで立っていた。この状況で、打球が落ちた次の瞬間に一塁走者は2塁ベースを回り、まだ打球方向を見ているセカンドベースマンと接触した。ボールを持たない野手と走者の接触である。走者は、この接触にもめげずに進塁を試みたが、3塁手前で憤死。ここで「タイム、オブストラクション、1塁走者は3塁へ、打者走者は2塁へ」と処理した。守備側チームの監督は「おい、本当にぶつかったのか」と野手を怒鳴る。私はハッキリと「2塁手と走者の接触を見ました。明らかな走塁妨害です」と伝え、監督は渋渋納得。さて、あのようなオブストラクションはきっと良くあるのだろう。長打コースに行った打球に気をとられる一塁手と、2塁を伺う打者走者などの接触は、きっと多いのだろう。あとは、本塁上の捕手のオブストラクション。本塁上のコンタクトプレイは、得点・失点に絡むだけに激しくなる。捕手のポジショニングを、どこまで許容(立ち位置)するか、どの時点(走路上に立てる条件)まで許容するか。この辺りは、非常に難しい。
今年は、シーズンインから色々な場面に出くわすので、楽しみながらも十分注意して臨まなければならないように気を引締め直す必要がありそうだ。
今年は色々な場面や珍プレイに遭遇する。まだ練習試合を含めても球審10試合程度、塁審数試合であるのにも関わらず、珍しいプレイや妨害の目白押しである。
このゴールデンウィークの4試合だけでも、「インフィールドフライ」、「イリーガル(反則打球)」、「ボーク」、「インターフェア(守備妨害)」、「オブストラクション(走塁妨害)」と種々雑多あった。

毎回クルーでサインの確認を行うのが「インフィールドフライ」であるが、今までほとんどコールしたことがなかった。シニアの場合、内野に高いフライが飛ぶケースが比較的少ないように感じる。「インフィールドフライ」は、無死または一死で一二塁や満塁であるから、このケースでのシニアの攻撃パターンにも起因するのかと思う。それとも、私が遭遇していないだけなのか・・・。

シニア公式戦の初マスクでは「イリーガル(反則打球)」があった。左打者が送りバントを試みた際に、左足がバッタースボックスから完全に出てしまったのである。ホームベースに左足全体が完全掛かった状態でバントしたのであるから、すかさず「イリーガル・タイム・バッターアウト」とコールした。選手は至って不満な表情をしている。今までバントなどは何百回とやってきているのに、一度も言われたことがないのであろう。この判定はなかなか難しく、投球のコースによっては「足のはみ出し」が見えないこともある。目には映っているのであろうが、「動き」の中での出来事であるから「確信」を持つまではいかない。野球のジャッジの基本のひとつに「アウトは確信のあるもの」というのがある。つまり、あいまいな場合は「ナッシング=何もない」で「インプレイ」として試合を流そうということである。
しかしこの時は、「ハッキリ」と見えてしまったのである。

投手のセットポジションのチェックは2塁塁審が見やすいと思う。球審の場合は、他に目を配るポイントが多いのと、ピッチャーズプレートが見えにくいことが多いため、「セットの姿勢や長さ」「一・三塁への足の踏み出し」などのチェックに留まる。1・3塁の塁審は投手の手の動きが良く見える側と、まったく見えない側とで極端に違うため、同じジャッジが難しい。ただし今回の「ボーク」はあまりにも目に余る動作であったため、全員が納得のジャッジであった。ただし、厳しい場面でボークを宣告した、そのタイミングを除いては・・・。「ボーク」のジャッジにとって、最初のセットポジションが行われた時が重要だと考えられている。しかし、「ボーク」は突然やってくるのである。「ボーク」は反則投球であるから、攻撃側チームを「騙そう」とする時に突如として出現するものである。その時まで集中力を保って、突然起こる「不正行為」に対処できるかが鍵であろう。なかなか1回の挙動不審でジャッジすることは至難の業である。少しの逡巡が「ボーク」のコールを阻み、ボークの基準を勝手に曲げて解釈しようとする自分がいる。その試合は、本当に苦しい時間が続くこととなる。またシニアレベルでは、「ボーク」を「採るか、採らないか」に関する判断も難しい。下手をすると試合を壊してしまいかねない。最近は多少、逡巡がある。
                        (つづく)
ルールブックの章立ての中で、「人」に関する項目が4つある。
その「4人」は「打者」「走者」「投手」そして「審判員」である。野球は8人の野手と投手から成り立つと言われているが、「野手」に関する項目はない。
これは、『BASEBALL』という競技の成り立ちから考えると、至極当然のことである。
日本では「野球は投手が投げて始まるスポーツ」とされているが、BASEBALLは「打者が打って始まるスポーツ」としてルールが整理されているからである。つまりBASEBALLは【打つ】スポーツである。その理由のひとつとして、ルールブックに登場する「4人」の順番は「打者」「走者」「投手」「審判員」となるのである。つまり、点取りゲームと言う事なのであろう。野球の基本とされる「守備」については、「打者」や「走者」の項で「妨害」として記載されているに過ぎない。これは、記録の面からも「打率」と「守備率」を比べれば納得がいく。「打率」は3割で強打者となり、「守備率」は9割でも名プレイヤーとは言われない。つまりOUTとできる打球をOUTにするのは当たり前だということなのであろう。これでは「ゲーム」としてはつまらない。狩猟民族であるアメリカと農耕民族である日本の思考回路の違いが、打撃と守備の比重を変えているのかもしれない。
ルールブックの「打者」に関する章には、以下の10項目が書かれている。
?打撃の順序、?打者の義務、?打者のポジション、?打撃の完了、?打者がアウトになる場合、?打者の反則行為、?打撃順の誤り、?打者が安全に走者となる場合、?打者が走者となる場合、?指名打者
このうち、分かっているようで全く無視されていると思われるのが「打者の義務」である。
「打者の義務」とは(a)打順がきたら、すみやかにバッタースボックスに入って、打撃姿勢をとる。(b)投手が投球モーションを始めたら、バッタースポックスの外に出たり、打撃姿勢をやめることは許されない。(c)バッタースボックス内で打撃姿勢をとらない場合は「ストライク」を宣告する。
要は、『打順が来たら、さっさとバッタースボックスに入り、打撃をしなさい。その義務を怠ったら、ストライクだよ』ということである。
球審をやっていて困る事のひとつが、「打順が来ているのにすみやかにバッタースボックスに入らない」打者が多いことである。それに加えて、「一球ごとに打席を外す」打者しかいないことである。少年野球からのなごりなのか、とにかくベンチを見る。ベンチを見るためにバッタースボックスを外すのである。先頭打者や走者がいない状況でも同じである。このような状況で、ベンチの監督やコーチはサインを出すのであろうか。
野球という競技は、非常に不公平な競技である。どんなスポーツでも、違う人数がフィールド上で競い合う事はない。ところが、野球は打者一人に対して、守備側は9人いるというアンバランスな競技である。打者はチームを代表して、1kg近いバットを持ちバッタースボックスに打撃をするために入るのであるから、その義務をまっとうしてほしい。
毎年の事であるが、バッタースボックスから平気で足を出してしまう打者が多いことには閉口する。
一球ごとに指示を出しておいて「集中しろ」も可笑しな話であると思うのだが。この辺りに原因があるのであろう。

一塁線

2007年5月3日
各塁間の距離は90フィート(=27.431m)である。そのうち、本塁一塁間には、中間地点の45フィートからスリーフットレーンが描かれており、打者走者はこの内側を走る事を義務付けられている。左打者はスイングの回転方向と走塁方向が一致することから、一塁線上を容易に走る事が出来る。これに対し、右打者はスイングしてからスタートするまで2〜3歩遅れることと、打ち終わった体勢から一塁までの角度から、どうしてもラインの内側を走る事になる。球審は、走者なしや一塁のケースでは、打者走者がスリーフットレーンを正しく走行するかを確認するが、ここで内側を走る選手に右打者が多いのは、スイングのメカニズムに起因するのであろうと思われる。そう考えると、スリーフットレーンを外れて走っていたとしても、野手に対しての妨害がなければ、即「ラインアウト」として打者走者を「He’s OUT」とする必要もないのであろう。一応、注意はするが。
ここで問題になるのが、一塁線付近で守備を行う野手と走者の関係である。最も多いケースが、一塁線へのバント処理をする投手や野手と打者走者の妨害行為である。
「バッターボックス」は打撃をする場所であるから、打撃を終了した打者は速やかにバッターボックスから出なくてはならない。つまりバントをした打者は、次の瞬間から走者となり一塁へ向かい「バッターボックス」を出なくてはならない。左打者はそのまま一塁方向へ走るのであるが、右打者の場合は本塁を横切り一塁へ向かうこととなる。
一方守備側は、捕手がバント処理のために本塁より前方へ出ようとする。
この二つのプレイで起こり得るのが、「出会い頭の接触」である。このプレイに関しては、ルールブックで「ナッシング」としている。つまり、「何もなし=お互いに妨害なし」として処理する。ただし、打者走者が野手を押したりした場合は「インターフェア=守備妨害」となり、捕手が打者走者を掴まえたりした場合は「オブストラクション=走塁妨害」となるのは当たり前である。
忘れがちだが、もう一つ起こり得るプレイが、「フェアボール」または「ファウルボール」に触れて進路を変更する行為である。ルールブックでは【6.05:打者は次の場合、アウトになる(g)野手(投手を含む)に触れていないフェアボールが、打者走者に触れた場合】と【6.05(i)打者が、打つか、バントした後、一塁に走るにあたって、ファウルボールの進路を、どんな方法であろうとも故意に狂わせた場合】となっている。
一塁線付近にコロコロと転がるボール。「フェア」「ファウル」は野手が触れた地点、または止まった地点が、どのゾーンに在るかで決まるが、この付近に転がったボールに打者走者が触れた場合は、「走者はアウト」となることが分かっていないと、ファウルゾーンで当った場合に、『ファウルボール』と叫んでしまいそうである。
そういえば、数年前にイチローが一塁線にセイフティバントをして、ファウルゾーンで足に当たり、『He’s OUT』とされて抗議したことがあった。イチローは「故意ではない」と主張したようであるが、おそらく【7.08次の場合、走者はアウトとなる(b)原注:打球(ファウル・フェアの区別なく)を処理しようとしている野手の妨げになったと審判員が認めた走者は、それが故意の有無に関わらずアウトとなる】も適用したのであろう。
一塁線では、色々なことが起こる。
そういえば、空タッチも一塁線だったなぁ〜

ポジショニング

2007年5月1日
以前より色々とご助言を頂いているベテラン審判員の方と昨日は一日を共にした。相手は名前も覚えていないであろうが、私はかなり意識していて、何か良い一言をもらえないものかとアドバイスを求める素振りをしてみせていた。
審判員は机上の論議よりも、生の試合の経験が何十倍も勉強になると以前書いたかが、正にそういうシーンがあった。
2塁塁審である私は、走者1・2塁の場面で、中に入っているケース。打球が外野へ飛んだ。センター前へのハーフライナー。外野飛球の判定を1・3塁塁審のどちらが行くのか?確認。「1塁塁審が行った!」。私は打球を観ながら、マウンドの一二塁間方向へステップバックした。教科書どおりの動きである。
その時、いきなり背後に人の気配がした。それは、カットマンの一塁手である。打球を処理したセンターの位置と背後の一塁手の気配から、私のポジションは明らかに「かぶった」状態である。つまりプレイに邪魔な存在となっている。センターからのバックホームが投じられた。しゃがんでも避けられるが、どう観ても格好が悪い。そんな時にベテラン審判員の一言を思い出す。「迷ったら前に出ろ」。そうである。打球や送球を避けるのではなく、打球や送球に向かっていってかわす。勇気も必要であるし難しいが、一度感覚を憶えると、結構使えることが判った。
例えば、二塁盗塁の際の捕手からの送球に対してである。講習会等では、送球に合わせて振り返るように教えられるが、どうしてもタッグプレイに視線が間に合わないように感じられる。本当に止まって見ることが出来ているのであろうか不安になる。ところが、「前に出てかわす」をやると送球のボールを後ろから見て、二塁手のキャッチングから走者のスライディングまで見事に見えたのである。
これらは、ポジショニングが良かったということなのであろう。講習会でも「プレイが起こる地点との距離よりも観る角度」が強調される。実戦では、色々と勉強になることが起こる。
しかし、一方ではプレイする選手と「ダブル=重なる」という問題もある。二塁塁審がステップバックでマウンド方向へ行くケースは結構ある。そうすることで、1・2塁または2・3塁を同時に視野に入れることが出来るからである。そうしておいて、プレイが起きそうな塁へ送球が行ったら、「切れ込んでジャッジ」するのである。ただし、この位置が微妙である。審判員が良く見えるということは、野手も良く見えるということであるから、カットマンにとっては好都合の場所といえる。こうなると審判員の立場は弱い。自らが「インターフェア」となり兼ねないのである。
では、送球をある程度予測してポジショニングすれば良いかというと、それもシニアでは正解ではない。シニアの技術レベルでは、考えられない所に送球が来たりするのである。やはり、目は離す事はできない。
そんなことを考えていると、結局正解のポジショニングがわからないまま、次の試合を迎えることとなりそうである。

ダートサークール

2007年4月30日
一日遅れで、私の春季大会が始まった。今年のルール改正は7項目あることは以前紹介したが、プレイしている選手や観戦している選手にとって、明らかな違いが分かるのがホームベースを中心に描かれた3/4の円形の白線であろう。この円形は「ダートサークル」という名称である。イチローや松井、そして松坂など、日本を代表する選手達がぞくぞくと大リーグに移籍し、活躍することにより、テレビなどで大リーグの試合を観戦する機会が増えた。大リーグの球場は「ボールパーク」「スタジアム」「フィールド」など色々な呼び名があるが、一時期流行した「ドーム」球場と人口芝球場は激減し、今では天然芝の球場が主流を占めている。イチローの内野安打が多い理由の一つが、天然芝球場は内野も芝仕様となっているため、打球の勢いが死にイチローの俊足が最大限に活かされるからということであろう。
天然芝球場では、走者の走路部分と本塁付近が土仕様となっている。そのお陰で、スリーフットラインなども明確になっており、日本のように「スリーフットライン」から「出た」とか「出ていない」などという揉め事も少ないのであろう。
この芝の切れ目が、本塁ベース後方にもあり、およそ半径4mの円形をしている。
この範囲を「ダートサークル」(競馬をやっている方は、すぐピンと来るでしょう。競馬のコースには芝と土があり、土のコースをダートコースと呼ぶ。)とした。
このダートサークルにはどのような意味があるのであろうか。それは、スリーストライク目の送球を捕手が確捕出来なかった場合、かつ一塁に走者がいなければ、打者をアウトにするためには、タッグするか、一塁に打者より早く触球する必要がある。いわゆる「振り逃げ」である。では、この振り逃げの権利が消滅、または放棄したとされ、アウトになるのはどの時点なのであろうか。ルールブック改正前は、ダッグアウトに片脚がかかった時点であったが、あまりにも遠く、時間がかかり非効率的である。実際に、ダッグアウトまで行った時点で「バッターアウト」と言っても、非常に間が抜けた感じである。
ルール改正では、それを解消するために、「ダートサークル」を出た時点で「自動アウト」としようと言う事である。これにより、試合時間の短縮が可能となるというのだが、果たして・・・。非常に疑問であり、効果は眉唾である。
本日私が担当した試合は、試合時間が7回表までで1時間20分であった。両チーム合わせて8得点であったから、それなりに走者は出ているし、投手交替を含め選手交替は結構あった。要因は色々考えられる。両チームの投手のコントロールが良く、打者は比較的早打ちであった。これらの他に、攻守交替のすばやさもあったように思う。審判団全体で、両チームに「ハリーアップ」の声を掛け、選手達もハツラツとプレイしていたことが、最大の要因のように思う。
今年のルール改正は「時間短縮」がキーワードとなっているが、ルール改正以前にやるべきことがシニアにはあるように思う。
最近、高校野球に関わる事が度々あるが、選手達の行動の素早さは雲泥の差である。この辺りがスムーズにできるようになれば、試合内容の濃いゲームを堪能できるようになるように思うのだが。
それにしても、シニアの一部指導者の自分本位には悩まされる。
頭を冷やしてから書こうと思ったが、少々触れておこう。
選手宣誓に合わせて、監督宣誓、指導者宣誓をさせた方が良いのではないかと思う。
「我々指導者は、マナーとモラルに基づき、ルールを十分に理解した上で正々堂々と闘うことを選手達に指導することを誓います」等はどうであろうか。
相手チームの過ちを指摘する前に、自チームの選手のプレイをルールに基づき指導して頂きたい。
まして、指導者が大声で野次を飛ばすとは情けない。さっさとダッグアウトから「ゲットアウト」してほしい。
それを、あたかも審判員の無能を指摘して悦に入っているようでは、お里が知れる。
まあ、始まったばかりであるから、選手達の成長には大いに期待するが、他の大人たちの成長には??である。
本日の審判団の面々の常識だけが救いであった。
審判団の皆様方、本当にありがとうございました。

選手宣誓

2007年4月28日
いよいよ春季大会の開会式を経て、今年の公式戦が始まる。開会式では、選手代表が「正々堂々と精一杯、最後まで戦い抜くことを誓います」と、決まり文句を宣誓するのであろうか。最近の甲子園を見ていると、なかなか気の利いた台詞で宣誓するシーンを見かけるが、シニアでは定型句でお茶を濁す事が多い。結局は定型句であるから、自分の思いやチームの思いが言葉の中にはなく、通り一遍の感が否めないように思う。思い入れのない言葉は、すぐに忘れてしまうのか、試合が始まると、宣誓とはまったく逆のことをやってしまう選手やチームが多い。
まずは「正々堂々」であるが、プロ野球の影響なのか、それが文化であるのか知らないが、平気で野次を飛ばすチームがある。スポーツマンとしては最低のレベルであり、グラウンドに立つ資格のない愚挙である。相手チームを野次る暇があるのなら、味方の選手を応援するのが先であろう。マナーとモラルを守れない選手に、ルールのあるゲームを楽しむ資格はないのである。ましてや、妨害まがいのプレイがチームプレイであるなどと理解している選手や指導している大人は、是非とも考え方を変えていただきたい。
次に「精一杯」であるが、これも怪しい。小学校時代には、監督やコーチの掛け声一つで、全力疾走していたはずの選手達が、ダラダラとベンチを出てくるのである。審判員が毎回「追い出し」を掛けても「平気の平左」である。誰が試合をしたいのか分からなくなるような選手もいる。こういうチームのジャッジをする時は、いつもよりハッスルするようにしている。中年親父が張り切っているのに、「ええ若い者が何をやっているんだ」と言う事である。誰の為に、誰の試合の為に球場を確保し、休日をつぶしてまで関係者が集まっているのか。高校野球などを見ていても、だらしのないチームを時折見かけるが、そう言うチームは十中八九勝てないし、応援する気にもなれない。グラウンドに立てる喜びに欠けているのであろう。
そして「最後まで戦い抜く」に至っては、執念の欠如が著しく現れている。野球と言うゲームの最大の魅力である「大逆転劇」を放棄している選手やチームには、「本当に野球が好きなの」「野球の魅力を知っているの」と問いかけたくなる。野球はサッカーやバスケットボールのようにタイムゲームではない。時間制限のないゲームである。最後のアウトを取られるまで、攻撃権は継続するのである。「そんなことは当たり前」という声が聞こえてくるが、本当に「当たり前」に分かっているのであろうか。
今年の春季大会では、選手宣誓の意味を噛み締めて、最後まで戦い抜く姿勢が多く見られることを期待している。

新人

2007年4月27日
今朝のニュースで、アメリカ大リーグの審判を目指す平林岳さんの奮闘記が流れた。以前より、雑誌等でその活躍は知っていたが、改めて「大リーグ目指して頑張れ」とエールを送りたい。大リーグ審判への道は非常に厳しい。ご存知の方も多いと思うが、アメリカにはオフィシャルの審判学校がある。どのレベルの審判員も、必ずそこで単位を取得しなければ審判員にはなれない。審判学校では、ルール解釈はもちろん、基本動作の徹底繰返しが行われる。その基本動作の入口は「GO-STOP-CALL」であり、出口もまた同じである。この動作を徹底して行う。もちろんクロックワイズメカニクスやトラブル処理などのケーススタディも実施される。これらの基本を習得したのち、その成績により大リーグ機構の階層に配属されるのである。一般に大リーグの審判になるためには、7〜10年必要といわれており、日本のパリーグで審判経験のある平林さんも例外ではない。平林さんは松坂大輔投手のデビュー戦をジャッジしている経験を持っているが、何故イバラの道を選択し、単身アメリカまで行ったのであろうか。その答えは、「野球が好きで審判をやっているのではなく、審判が好きだから」である。「審判が好き」だから審判をやる。実に明快で判りやすい。
人はそれぞれの家庭があり、色々な仕事に就き、そして色々な趣味がある。仕事は生活を支えるため義務感が大勢を占めているように感じる。しかし趣味は仕事ではなく「好きだ、やりたい」が先行してのめり込んでいくのであろう。平林さんは、仕事を「好きだ」と言えるところに感心する。
シニアの審判員はどうであろうか。私の場合は「誰か審判できない?」というコーチの一言から、「子供のために」という思いで参加したのがきっかけである。何試合や煽てられながらやるうちに、「面白さ」が見えてきた。
今は「野球も好きだが、審判も好き」のレベルまで来た様に思う。これが「野球よりも、審判が好き」のレベルへステップアップすることがあるか否かは判らないが、とりあえず今年も続けることとなる。続けるからにはハッスルしてやるのが、私の信条なので、一球・一球集中しようと思う。
新人審判員の皆様。最初は不安が大勢を占めているでしょうが、ベテランといわれている審判員も皆初めは同じでしたよ。ジャッジを間違えたらどうしようとか、トラブルになったらどうしようなどと不安に駆られていたものです。しかし、クルーにはベテラン審判員がいますし、必ず味方になってくれます。まずは一年間頑張って下さい。
私も、一年頑張ろうー!!

2007年審判心得

2007年4月26日
春季大会の審判員の配置が決まった。わがチームの希望に沿った配置をしていただいた審判部事務局には感謝したい。自チームの球場以外にも足を運びたいのだが、今年はなかなか都合がつかなくわがままを聞いていただいたように思う。改めて感謝したい。
球場に行ってからの番割は、責任審判員の裁量の範疇なので、全面的にお任せであるが、人数が少ない時などの大変さを考えると球場入りしてからのわがままは控えるべきと、改めて思う。昨年までは、随分とわがままを言っていたように反省してしまう。
審判配置表とともに同封されてきた書面があった。今年の公式戦における「審判心得」である。私も5年目を迎え、審判員の立場や役割、そして内情などが徐々に判りだしたためか、書かれている内容が良く理解できる。なかなか、強い意志が感じられる。その一部を紹介しよう。
?審判員は誇りを持ち、毅然とした態度で対応する。
?規則・細則を熟読し、関係者に納得のいく説明をする。
?2007年度のルール改正のうち関係分は7項目であり、習得に努め、指導者や選手に徹底指導する。
?ダートサークルを白線にて表示する。
?次試合の投球練習は5回終了後とし、遠投は禁止とする。
?当該審判員の判定が最終とし、ルール適用の正誤については控審判共々協議し対処する。
?クルーのミーティングは、事前事後に必ず行う。
?審判員は、自分がとった行動・言動に責任を持つこと。
?本部席内での言動に配慮すること。ジャッジへの批評は差し控えるべし。
?審判室には、関係者以外を立入らせないこと。

実は、ルールブックの中にも「審判心得」が書かれている。審判を始めた当時、ある人に『審判員がルールブックを初めに読むところは、ここだよ』と教えていただいたことを思い出し、一読してみた。野球の試合における審判員の重要性、責任と権限、そして誇りについて明確に記載されている。
私の場合は、言動に要注意であるのは自他共に認めるところである。十分に注意しながら、一年を無事過ごしたいものだが・・・・

試合の流れ

2007年4月25日
先日の練習試合で、珍プレイがあった。周囲は、わからなかっただろうが、審判団やスコアラーは気になるプレイである。プレイそのものは、草野球や少年野球で良く見かけるシーンであり、プロ野球レベルでもありそうなものであるから、気にならない人は全然憶えていないかもしれない。試合展開も一方的であったことが、そういう思いに拍車を掛けていると考えられる。
しかし、スコアラーは気になっていた。得点が絡むプレイであったから、スコアラーは気になってしまった。
私も「こうだ」と言ってから、「本当にそうかな」と疑心暗鬼であった。
場面は、1死一三塁。投手の投球と同時に一塁走者がスタート。打者が打った。ヒットエンドランである。ところが打球は、フラフラと右翼手と二塁手の間へ飛んだ。三塁走者は、それを見てタッグアップの姿勢。右翼手がダイレクトでキャッチ。一塁走者は、慌てて戻るが、ボールが一塁に転送されダブルプレイ成立でチェンジである。三塁走者はタッグアップから、ダブルプレイ成立前に本塁に達していた。さて、得点は???
では、似たようなケースで、もう一問(クイズになってきてしまった)。1死一三塁。打者の打球は、低いライナーでライト前へ。完全なヒットと思い走者はそれぞれスタート切ったが、右翼手が猛然と突っ込み、地上スレスレで「ダイレクトキャッチ」したかに見えた。それを見て打者は「アウト」と思い、悔しがりながらベンチへ。ところが一塁塁審は『ノーキャッチ』とコール。右翼手はボールを2塁へ送球し、一塁へ転送されダブルプレイ成立。その間に、ヒットと決め付けていた三塁走者は本塁を踏んでいた。さて、得点は????
よくよく見れば、何のことはない問題ですが、これがゲームであると、結構まごつく。冷静さが、いかに大切かということです。いずれも、三死が成立していますから、ボールデッドの状態。ゆっくりと協議して結論を出せば良いケースです。
ちなみに、実際にあった最初のケースでは、正解の判断をしてゲームを進めましたが、終了後に見解を一転させてしまいました。その際に考えたことは、『ルールブックのどの項に当てはまるのであろうか』ということです。実は、こういうことは世間一般の常識で考えた方が間違いありません。変に『野球規則』を意識するから疑惑の判定となるのでしょう。あまり、杓子定規にならずに、自分の常識という定規に基づいて判定することで良い様に思います。ルールブック上は、確かに禁じられたことでも、この程度であれば実際のプレイに支障がないと判断したら、流してしまうのも野球なのでしょう。サッカーやラグビーなどにある、『アドバンテージ』の考え方に立ち、流れを重視することも審判の役割なのでしょう。
ただし、流ればかりを気にして肝心のジャッジがいい加減になっては本末転倒ですから、ある程度の判定ラインは意識していないといけないでしょうが。実際に、こんなことを考えられるようになるには、相当の実績が必要でしょうね。私は、まだまだ目の前のプレイで精一杯ですよ。
人間の反射神経は、歳を重ねるごとに衰えていくものの、反応してはならない局面で、どうしても反応してしまうことがある。私は球審はジャッジを下すまで、つまり「ストライク・ボール」の判定をコールするまでは、動いてはならないと思っている。もちろん、明らかな空振りやファウルボールは別である。投手の投球がショートバウンドになった時などは、反射的に危険を回避しようと足が動いたり、身体が浮いたりする。中学生の場合は、捕手の技術が未熟なため、後逸することが非常に多く、そのたびに球審は危険に晒されるのである。中学生の投げるボールではあるが、そこは硬式である。当たれば痛い。昨日も、ワンバウンドが左の肘を直撃した。今も腫れが退かない。腹にも直撃したが、インサイドプロテクターのお陰で助かった。今年は、肩に直撃して一週間痛みが退かなかったこともあった。これらの痛みは、毎回新鮮であり、決して慣れるものではない。
痛みには慣れないが、ボールのスピードには慣れることが可能である。投手の全力投球にできるだけ慣れるため、投球練習中に捕手の後ろで目慣らしをする審判員もいるが、私は、ある先輩の忠告を受けてから「目慣らし」は止めた。格好つける訳ではないが、それ以来やっていない。
この目慣らしをやらずに、第一球を迎える時の「スピード」に対する恐怖心は物凄い。そして「絶対に不恰好な避け方をせずに、しっかり見るぞ」と決心し立ち向かわなければ、身体が勝手に逃げてしまうのである。正に「風林火山」の「動かざるがこと山の如し」の心境である。
昨日はできたであろうか。結果は、相手エースの投じた高速スライダーに、右足が反応してしまった。そしてもうひとつは魔が差したかのような反応。明らかなワンバウンドが来た時に、捕手の後逸に備えて逃げてしまった。魔が差したように、狐につままれたように、動いてしまった。
審判員も人間であり、ボールが当たれば痛いし、下手をすると怪我もする。当たり前である。しかし、変な反応をしたがために試合の流れを変えてしまうこともあるだろう。
まあ、それも野球のうち、それも試合の妙だと思ってくれれば良いのだが。
初球を見るまでは、スピードへの恐怖心は抜けないのは、私だけであろうか。自分自身、結構臆病だと思ってはいるが・・・

2007年4月22日
今年もようやく始まった。2日間で4試合の実戦。球審が2試合、塁審が2試合である。久し振りに走り、スロットポジションによるスクワットで、右足のひらめ筋が悲鳴を上げた。左の肘にも投球が直撃した。1日目が終わり、家に帰ってから両足をアイシングし、翌日に備えた。それらがすべて心地良い疲れである。
初日はなかなか集中できず、勘が戻らない。昨年は、一体何処を見て、集中していたのであろうか。ジャッジが安定しない。ストライクゾーンばかりではなく、クロックワイズの動きもなんとなく違う気がする。子供達が球春を楽しみながら、一生懸命プレイしているのに申し訳ない気がする。それでも、投手は次々と投球し、打者がそれを打ち返し、走者はダイヤモンドを駆け回る。選手達の動きについてゆくのが精一杯である。
2日目の今日は、塁審から始めたが、まだ全体を見ることが出来ずにいる。他の審判員の動きも確認できずにいる。やはり、冬季間の5ヶ月間のブランクは大きい。
球審をやりながら、ようやく少しずつであるが勘が戻ってきたが、投手とのタイミングがイマイチである。机上の勉強よりも、実戦経験が一番であることを再確認した。
オープン戦でもあるし、注意もせずにボークをとろうと考えていたが、最初の動きでとる事が出来なかった。集中しようと思えば思うほど、一歩目が、一声がでない。
暫くは、勘が戻るまでは慎重にジャッジしようかと思うのだが、公式戦は待ってくれない。

捕球スタイル

2007年4月21日
球審は、何を見て判定するのであろうか。投手の手を離れてから、捕手のミットに納まるまで、中学生レベルでは0.6〜0.7秒である。このわずか1秒弱で、コース・高低を見て判断し、コールするのである。ここで、重要な役割を果たすのが捕手が捕球したミットの位置である。球審は、投手が投じたボールの軌道を残像として目に焼き付け、その軌道と捕手のミットの位置を結んで反すうし、判断するのである。だから、上手い球審のジャッジはワンテンポ遅れてコールされるように感じるのである。人間の目は錯覚に弱い。思い込みや見間違い、そして目の構造上どうしようもない欠陥もある。コールの早い審判ほど、「山勘」でジャッジしていると考えてよいのである。どんなに経験を積んだベテランでも、一球・一球は常に新鮮であり、そのたびにジャッジしなくてはならないのである。テレビゲームのように、同じ軌道のボールが来たとしても、一球・一球大切に、慎重にジャッジする必要があるはずである。だから、捕手の捕球後のミットの位置は、非常に大切なのである。
中学生レベルでは、そんなことは分からず、少年野球の癖で、ボールを投手に早く返す癖の捕手が多い。恐らく、少年野球時代に「早く投手にボールを返せ!お前が持っていても仕方がないだろう」と怒鳴られていたのであろう。
また、自分でジャッジしてしまう捕手も多い。勝手に「ストライク」や「ボール」だと思い込み、さっさと投手に返球してしまう捕手が多い。捕手がジャッジできるのであれば、球審はいらない。中立の立場でいる球審を、味方につけることができるのは、捕手の捕球スタイルに懸かる比重が大きい。
投手有利なカウントで、高目の釣り球を要求する捕手がいるが、その際に立ち上がる捕手を時折見かける。最初からボールを要求しているのであるから、「別にジャッジしてもらわなくてもいいよ」と言う事であろうか、球審の視界を完全にさえぎってしまう捕手がいる。最近の中学生は身体も大きいことから、立ち上がられると、完全に視界から球筋が消えてしまう。さすがの名球審でも、見えないボールの軌道は判断できない。ある意味、球審へのインターフェアである。
同じことをやるのでも、頭の良い捕手は、立ち位置を考えている。通常、球審はスロットポジションにセットすることは以前書いた。捕手と打者の「スロット=すき間」に立つのである。つまり、インコース側で捕手に立たれると「消えるボール」になるのであるから、アウトコース側に立ってくれると軌道が確認できる。この辺りを分かっている捕手は(本当に分かっているかは疑問だが)、中腰かアウトコースに立つのである。
それにしても、そもそも釣り球に、どの程度の効果があるのかは非常に疑問である。打者の視界の中に、捕手が立つ姿が映っているであろうから、「釣り球」が来る事は予測されてしまうであろうに。そうとはいえ、その見え見えの「釣り球」に引っかかる打者がいる限り、捕手も投手も見え見えのボール球を投げるのであろうが。

タイミング

2007年4月21日
審判の判定はレアケースを除くと、ジャッジメントに迷う事はそう沢山あるわけではない。一試合のうちに、「ウーン」とうなるような場面は1度か2度である。球審をしていても「ストライク」と「ボール」の判定で躊躇したり、迷走したりするケースはそう多くはない。確かに審判員を始めたばかりの頃は、自信のなさから、周囲にどう見られているかが気になり、それが迷いにつながったりしたが、「自分がジャッジをしなければ、ゲームが止まってしまう」と考え出し、「せっかくなら、演出するつもりで楽しもう」と思うようになってからは、たとえ迷ったとしても後を引かなくなった。それは、反省をしないという意味ではなく、野球と言うスポーツはそういうゲームであるという悟りに近い。
技術的なヒントは、以前にも書いたが『セーフは早く、アウトはゆっくり』という【タイミング】を身につける事であるが、言うは易しでこれがなかなか出来ない。コールは「ゆっくり」と考えていると、「セーフ」のタイミングが遅れてしまう場合が結構ある。「セーフ」の場合は、その後のプレイがインプレイであるから、事情がややこしくなる事が多い。
例えば、二死走者二塁の場面で三遊間深い位置にゴロが飛び、一塁が際どい場面の判定で、「アウト」であれば「チェンジ」となり何事もないが、「セーフ」の場合は二塁走者が本塁を突く場合がある。野手は「アウト」で「チェンジ」と思い込み油断した時に「セーフ」となると、その後のインプレイに対処できない事がある。
このケースでの「セーフ」は、打者走者の足が送球より早いか、一塁手がジャッグルしたか、一塁手の足が離れた場合などであるから、『一度セーフとした判定が、絶対にアウトへ覆ることはない』のであり、つまりセーフだなと思った瞬間に「セーフ」とコールして良いのである。
逆に「アウト」を早くコールした場合は、間違いが起こりやすい。抗議が大好きな監督の餌食となるのが、このケースである。いわゆる「誤審」なのであろう。実際には誤審はありえないのであるが。それは別の機会に譲るとして、同じケースでの「アウト」は、打者走者の足が一塁ベースに触塁するよりも早く、一塁手が送球を正規に捕球した場合である。もちろん、一塁手の足はベースについていることが前提である。これらの条件をすべて満たした時に、初めて『アウト(今年からHe’s OUTである)』とコールできるのである。正規の捕球であるから、いわゆる「お手玉」や「抱え込む」ような場合は『ジャッグル・ザ・ボール』となる。一塁手の足が離れていれば『オフ・ザ・バッグ』となる。この条件を確認するには、時間が必要であり、そのタイムラグが、「アウト」コールにとって、程よいタイミングとなってくれるのである。
ジャッジは、決して慌てる事はない。「セーフ」は「アウト」に変わることがないのであるから、見たままをコールすれば良いし、逆に「アウト」は条件確認をしてからコールすれば良いのであるから。

修行の時

2007年4月19日
リトルリーグで審判を始めてから、色々な方々・諸先輩方に苦言・進言・忠告・激励を受けてきた。時に持ち上げられ、時におとしめられ、時に励まされながら、今年も審判員を続ける気持ちが持てるのも、色々な方々のお陰である。私自身「審判員が好きだから」という理由だけで、球団の手伝いをしているようなものであるが、それもこれも審判仲間や諸先輩方との温かい関係があればこそである。改めて感謝。
「お前のジャッジは駄目だ」「お前は要らない」と言われれば、いくら好きな審判業も続ける気にはならなかったであろう。好きなことを継続できる幸せを感じながら、今年も修行の時を堪能しようと思っている。
ある人が「人間死ぬまで勉強だ」と言っていたが、本当にその通りである。自分自身で、「絶対間違い無い」と思えるジャッジができるまで、勉強・修練・修行は続くのである。
選手諸君も、折角好きになった野球である。修練を続けていたつもりでも、なかなか結果が出ないこともあるであろうが、今日より明日、明日より明後日は、間違いなく成長をしている。特に中学生は、その成長量が大きい。私のような中年親父は、油断すると成長どころか後退しかねないが、君たち中学生は違う。間違いなくプラスへと成長する。そんな選手たちの真剣なプレイスタイルに励まされながら、中年親父はわずかな成長を期待しつつ頑張るのである。是非とも、こんな私の修行の時に付き合ってもらいたい。それには、精一杯のプレイを大いに期待しつつ、今年の開幕に心ウキウキの日々である。
今年は、どんな選手に、どんな珍プレイに、どんなファインプレイに出会えることやら。本当に楽しみである。

オープン戦の心得

2007年4月18日
先週は悪天候の為、函館までオープン戦に行って、グラウンド状態が悪く、バス旅行になってしまった。誠に残念である。今週末のオープン戦が初ジャッジとなるが、例年に比べて早くから準備をしていた割りには、結局始動が遅れた感じで、少々焦り気味である。とりあえず、最初の試合はストライクゾーンの確認とポジショニングの確認が出来れば良いであろう。試合の流れをスムーズに進めることに腐心するであろうから、そこまで気が回るか心配ではある。試合前に、しっかり目標を立てて挑まなければ、何の成果も成長も得られないから、その辺りは意識的にやろうと考えている。何試合がジャッジすることが出来たら、今年の最大のテーマである「妨害」を意識しようと思う。
こんなことを書くと「あの審判はやたらと【妨害:インターフェア、オブストラクション】を獲るぞ」と思われるであろうが、試合の中では細かい妨害が多々ある。
打撃妨害、守備妨害、走塁妨害、反則投球、反則打球などなど。その中でも、本塁付近の妨害に関するプレイは、本当に多い。クロスプレイ時の捕手の立ち位置、バント処理の際の打者走者と捕手の関係、盗塁に対する捕手の送球の際の打者の仕草、安打を打って一塁を回った時の一塁手の立ち位置、狭殺プレイのボールを持たない野手と走者の関係などなど。トラブルは数知れず。
ベンチの監督・コーチ、そしてスタンドの父兄などは、自チームに有利な判定の場合は何も言わないが、ひとたび不利になると、俄然元気になるから困る。クロスプレイで選手が怪我をする場合があるが、怪我をした選手が正しくて、怪我をさせた方が悪いとは一概に言えないから、実に困る。
自分に不利でも「正しい判断はこっちです」と自己申告してくれる、スポーツマンシップの塊のようなチームはいないものであろうか。審判員が恐縮するようなチームは現れないであろうか。中学シニアであれば、そのようなチームがあっても良い様に思うのだが、現実は厳しい。
だからオープン戦の時期は、色々な局面に厳しく当たろうと思う。この時期に出来ないことは、公式戦では絶対にできない。それほど、公式戦のプレッシャーはキツイのである。
さてさて結果を恐れずに、思い切りやってみるか。
何か、子供たちにいつも言っている事を、自問自答しているようである。
あとは、体力がどの程度持つかが心配ではある。

相性

2007年4月17日
3年前の函館の夏。審判としてのターニングポイントとなった試合はプレイボールとなった。空は、今にも降り出しそうな曇り空。第四試合でもあることも重なり、暗闇が急に近づきつつあった。そんな背景の下、コースの狭さに悩んでいた私は、旭川北稜の投手の第一球を迎えた。アウトコース高目のストレート。いつもなら、迷った末に「ボール」と判定しそうな球筋。
「ストライク!!」右手が挙がった。この試合のストライクゾーンが決まった。
打者にとっては、かなり遠く感じるのであろう、コールのあとに後ろをチラッと見る。第一球目に味をしめたバッテリーは、第二球目も同じコースを選択。
「ストラック・ツー!」再び右手は挙がった。
俄然調子付くバッテリーに対し、戸惑う打者。いつもよりも、アウトコースが広く感じるのであろうが、委細構わず、ドンドン「ストライクコール」。テンポが良い。
攻守交替となり、今度は空知滝川のバッテリー。これまた、ナイスコントロール。左投手が、右打者のアウトコースに見事にコントロールする。素晴らしい。感心しながら、「ストラックアウト!」。
私がアウトコースを積極的に採る事で、両チームの投手を乗せることが出来たが、私も両投手の見事な投球に乗せられた。正に相性の良さが出た試合であった。
野球では「審判と喧嘩をしても、何も得るものは無い」という。そのとおりであり、審判を上手く乗せ、気持ちよくジャッジしてもらうのも、ひとつの戦術だと思う。だからと言って、ジャッジが有利になることは決して無いが。
この試合中に、同じ頃から審判をやり始めた同僚から、「ナイスジャッジ。良いテンポだね」と言われた事は、今でも忘れない。あの時の、あの一言で、アウトコースシンドロームから脱却できた。
プロ野球では、今年から新ストライクゾーンなるものが話題になっているようである。ボール一個半広くなったなどと解説者は言っているが、そんな定規で測ったようなストライクゾーンは存在しない。個性があって良いのである。元々、高さは打者の打つ構えによって変わると明記されているのであるから、幅もアバウトで良いと思う。問題は安定して同じようなコースを、ストライク・ボールとジャッジできるかであろう。
野球をやっていても、観戦していても、だらける試合は決まって四球が多い。「ピッチャー、打たせろ〜」と野次が飛ぶような試合は、観ていてつまらない。アウトになろうとも、打者がガンガン打ち、投手がストライクをドンドン放る試合はテンポが良くて面白い。
そういう意味でも、投手と球審との相性はキーポイントである。しかし、出会ってみなくては判らないのが相性でもあるが。
そういえば、私と投手の相性を見破った監督さんがいたなぁ〜。
今年は、まだお会いしていないが・・・・。
この監督さんも、相性を大切にする方である。
春の函館遠征は、あいにくの天候で初試合が出来ず、残念であった。新チームにとっての春先の遠征には二つの目的がある。ひとつは、とにかく試合をやって勘を取り戻す事。そして、もうひとつは寝食を共にすることによるチームワークの確認である。試合が出来なかった事は残念であるが、最低目標は達成できたであろう。たった一晩ではあるが、選手達の成長が見えたように感じた。それにしても、函館遠征は天候に恵まれない事が多い。これも巡り合せなのであろうか。
そんな函館遠征で思い出す試合がある。今思えば、私の球審としてのスタートと言って良い試合である。審判歴2年目の夏の上磯球場(現北斗球場)。早いもので、もう3年前になる。案の定、天候がすぐれない中、私の担当は第四試合の球審であった。第一試合から雨が近く、何時降ってもおかしくない空模様の中、プレイボールとなった。
それまでの私の球審としてのジャッジ癖は、「低めに甘く、コーナーが辛い」であった。低目は投手にとって生命線という認識の下、低めは投手有利な判定をしていた。これはプロ野球のテレビ中継の影響が大きい。ご存知の通り、プロとアマチュアでは、低目のストライクゾーンに大きな違いがある。つまり、プロは低めにボール1個広いのであり、テレビ観戦が大好きな私にとっては、少年期から頭に刷り込まれたストライクゾーンであった。これには、諸先輩方から厳しい忠告がかなりあった。審判員は独自のストライクゾーンがある。つまり好きなコース・得意なコースがある。私の場合、それが「低目」であった。これの克服には2年の経験を要した。この件は、後日・・・。
これとは逆に、不得意なコースもある。それが「アウトコース」であった。この話は審判を始めたリトルリーグ時代に遡る。
審判を始めた当時は、ジャッジを正確に見ようとするが故に陥るワナに見事に落ちてしまった。際どいコースを「ボール」と判定したり、際どいタイミングのプレイを「アウト」と判定することが「良い審判・良いジャッジ」と思い込んでいた。このために、多くの子供達に「悔しい思い」をさせたと思うと、改めて申し訳なく思う。
転機は、リトルリーグ時代の大ベテラン審判員の一言を思い出した時であった。「ストライクの意味を知っているかい。ストライクとは打てという意味。野球は打つスポーツなのだから、子供達に積極的な打撃をさせることも審判の役割だよ」。つまり、ストライクゾーンを広げることで、「四球」狙いの姿勢から「積極的打撃」の姿勢に替えてあげる事が、審判員の役割だと言う事である。最初に聞いたときは分からなかったことが、球審暦を積むごとに徐々に理解できるようになってきた。
話しが長くなってしまったが、私の「ストライクゾーン」のうち、コースについて確立した試合が、3年前の夏であった。雨が近いことから、試合の進行を意識し、コーナーを広く取ろうと意識し挑んだ。問題は、初球である。これを取れないと、一試合取れない。緊張の第一球。
「ストライ〜ク」。
この時、私のストライクゾーンの確立への第一歩を踏み出した。

9.02

2007年4月13日
ある野球審判のブログに、こんな記載があったのを思い出した。ブログには【審判員を志す人、あるいはやむなく審判員をやらざるを得なくなった人など、初めてルールブックを開く際には、まずは「9.00」から読みなさい。】とあった。改めて規則書を開き、「9.00」を見てみると、そこには「審判員」について書かれている。
【9.01 審判員の資格と権限】
【9.02 審判員の裁定】
【9.03 単独審判制、複数審判制】
【9.04 球審および塁審の任務】
【9.05 審判員の報告の義務】
注目すべき第一は、【9.01】における審判員の責任と権限である。試合会場における審判員の責任は重いが、それ以上に権限は大きい。よく子供達に『球場で会う人たちは、みな関係者だから、きちっと挨拶をしよう』と教えているが、その関係者全員の規律や秩序をコントロールし、時には大ナタ(退場など)を振るう事を許されているのは、審判員のみである。それほどの権限が、ルールブックにより明文化されている。それは、大会の運用であったり、グラウンドルールのようにローカルな事ではなく、グローバルでオフィシャルなことなのである。
第二は、【9.02】における審判員のジャッジメントについてである。有名な言葉で『私がルールブックだ』は、決して思い上がりでも、勘違いでもなく、確かにその通りで正しいのである。そして、規則の適用を間違っていると思われる時のみ、監督だけが適用の訂正を求めることが出来るのであり、クレームや異議を唱えることは許されていない。ましてや抗議権は皆無である。ストライク・ボールやアウト・セーフ、フェア・ファウルに対する異議申し立ては、一切認められていない。もしも、そのような態度をプレイヤーなり監督・コーチが見せた場合は、まずは警告が発せられ、なおもしつこい場合は退場とすることが、ルールブックに明文化されている。
プロ野球では、早くも2人の退場者が出た。それも二人ともアメリカ人であり、監督である。広島のブラウン監督とオリックスのコリンズ監督。彼らは、抗議をすることで退場となることを承知の上で行っている。それは、時にチームを奮い立たせるためであり、時に不満を持つ選手の身代わりになったりである。二人ともアメリカ時代には幾度となく退場を経験してきているベテランである。彼らは、指揮官として当然のようにルールブックに精通した上で、抗議に来るのである。日本の指揮官のように手は出さない。言葉の攻撃のみである(時としてベースを隠したり、抜いたりするが)。
その点、シニアではまだまだである。監督やコーチは平気でアウト・セーフに文句をつけ、二言目には『子供達は一生懸命にやっている。子供達が可愛そうだ』である。私に言わせれば、そんなことに文句をつけるルールも知らない指導者に教えられている子供達の方が、よっぽど不幸に思うのだが・・・。
それよりも子供達に野次を飛ばさせて、黙っている指導者(一緒に野次ったり、煽ったりしている場合もある)の方がよっぽど酷い。そういう輩から、子供達を守り、試合会場の秩序を守るのも審判員の役割である。
野次っている父兄もいるなぁ〜。
そういう輩も『GET-OUT!!』

入れ込み過ぎず

2007年4月12日
鼻息荒く、興奮状態で物事に挑むとろくな事はない。逆にリラックスし過ぎても、本来の力は出ないようである。この緊張感とリラックス感の中間の状態に心を持っていくことが重要なのは、選手も審判員も同じであろう。しかし、シーズンイン間近になり、日に日に緊張感が高まり、合わせて「やるぞー」という気合も入ってくるのは、正に「入れ込み過ぎ」の状態なのであろう。私の場合は、異常なリラックス状態よりも、入れ込む状態に陥りやすいように思っている。いかにして肩の力を抜き、平素な状態でプレイを観れるかであろう。かと言って、漠然とプレイを観ている訳にもいかないであろう。集中力は必要である。こんなことを、一試合中考えているうちに、試合が終わってくれればいいのだが、そうもいかない。
最近は、パソコンでも動画なるもので野球中継が楽しめるようになったのだが、選手のプレイよりも、ついつい審判員のポジションや動きに目が行ってしまう。「今のはベストポジションだな」とか、「あの位置で見えるのか??試してみるか」など。アウト・セーフの判定よりも、ポジショニングやコールのタイミングなどが気になってしまう。
どうやら、相当「入れ込み過ぎて」いるようである。

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