一二塁間や三遊間などに打球が飛んだ際には、走者と野手が接触するプレイが起こることを想定する必要がある。それほど頻繁に発生しなさそうであるが、あった時にはトラブルの波に飲み込まれてしまう。
審判控え室やスタンドから、遠目に見ている場合は全体の動きが見えるため、事の趨勢がわかるのであるが、本当の「接触」の有無までは判断しかねる。また、そこからでは「裁定」に対する説得力が弱い。
やはり、最も近くにいる審判員がジャッジすることが肝要であるが、近いゆえに全体が見えないリスクを伴うのも事実である。
単純に走者と野手が接触した場合は「オブストラクション(走塁妨害)」が優先されるであろうが、そこに打球が絡むと「インターフェアランス(守備妨害)」の可能性が高まる。問題は、打球に対する当該野手が「守備行為」に移行していたかが判断基準のひとつになる。
守備行為とは、「野手が打球に対して守備をし始めてから、打球をつかんで送球し終えるまでの行為【7.08(b)注一】」ということになる。つまり、この行為の途中で走者が接触しり妨げたりした場合は、すべて「インターフェアランス(守備妨害)」ということになる。これが「守備優先」の原則である。
では、この行為の途中に「ファンブル」が介在した場合はどうなるのであろうか。つまり野手は「捕球にいってエラーをした」、走者は「野手と接触した」。これが一連で発生した場合の裁定が問題である。
走者の接触が原因で、野手がエラーをしたのであれば「インターフェアランス」であるのは明確である。野手がエラーをしてから、そのボールを掴みに行く行為の最中に走者が接触した場合が問題となる。その際には、野手が弾いたボールの位置が基準となってくる。
この基準が難しい。野球規則の運用としては、大リーグなどの事例を参考に「ワンステップまたはリーチの範囲内」であれば守備行為が継続していると処理するのがベターのようである。つまり、野手の位置からスリーフットの範囲に弾いたボールがあれば守備継続と考えるべきであり、そこに走者が接触した場合は「インターフェアランス」となるのであろう。
では、それ以外はどうなるのであろうか。厳密に言えば、「ボールを持たない野手との接触」であるから、前記のとおり「オブストラクション」を採用するべきである。
しかし、プレイの流れを想像すると、「守備優先」が頭にある指導者やプレイヤーには納得しづらい裁定であろう。
審判控え室やスタンドから、遠目に見ている場合は全体の動きが見えるため、事の趨勢がわかるのであるが、本当の「接触」の有無までは判断しかねる。また、そこからでは「裁定」に対する説得力が弱い。
やはり、最も近くにいる審判員がジャッジすることが肝要であるが、近いゆえに全体が見えないリスクを伴うのも事実である。
単純に走者と野手が接触した場合は「オブストラクション(走塁妨害)」が優先されるであろうが、そこに打球が絡むと「インターフェアランス(守備妨害)」の可能性が高まる。問題は、打球に対する当該野手が「守備行為」に移行していたかが判断基準のひとつになる。
守備行為とは、「野手が打球に対して守備をし始めてから、打球をつかんで送球し終えるまでの行為【7.08(b)注一】」ということになる。つまり、この行為の途中で走者が接触しり妨げたりした場合は、すべて「インターフェアランス(守備妨害)」ということになる。これが「守備優先」の原則である。
では、この行為の途中に「ファンブル」が介在した場合はどうなるのであろうか。つまり野手は「捕球にいってエラーをした」、走者は「野手と接触した」。これが一連で発生した場合の裁定が問題である。
走者の接触が原因で、野手がエラーをしたのであれば「インターフェアランス」であるのは明確である。野手がエラーをしてから、そのボールを掴みに行く行為の最中に走者が接触した場合が問題となる。その際には、野手が弾いたボールの位置が基準となってくる。
この基準が難しい。野球規則の運用としては、大リーグなどの事例を参考に「ワンステップまたはリーチの範囲内」であれば守備行為が継続していると処理するのがベターのようである。つまり、野手の位置からスリーフットの範囲に弾いたボールがあれば守備継続と考えるべきであり、そこに走者が接触した場合は「インターフェアランス」となるのであろう。
では、それ以外はどうなるのであろうか。厳密に言えば、「ボールを持たない野手との接触」であるから、前記のとおり「オブストラクション」を採用するべきである。
しかし、プレイの流れを想像すると、「守備優先」が頭にある指導者やプレイヤーには納得しづらい裁定であろう。
ダルビッシュの不正投球
2008年10月20日 スポーツ コメント (3)
昨日、ある番組で楽天・岩隈久志投手の特集をやっていた。今年の岩隈投手は、リーグ5位の楽天にあって20勝を挙げた大エースである。楽天誕生時に近鉄から移籍され、エースとして期待されたが、当時のプロ野球に蔓延していた「二段モーション」の代表格とされ、横浜の三浦投手やヤクルトの石井投手などともに、ルールの適切な適用により矢面に晒された一人である。
番組の中では、「岩隈投手はルール改正により投球フォームの矯正を余儀なくされた」と報じていたが、これは大きな誤りである。投球フォームに関するルールは、一言一句変わっていない。
【8.01】(a)項および(b)項
投球姿勢:打者への投球に関連する動作を起こしたならば、中途で止めたり、変更したりしないで、その投球を完了しなければならない。
ここでいう「中途で止めたり、変更したり」とは、「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階をつけモーションをしたり、手足をぶらぶらさせて投球することである。
この項目については、アマチュア側からプロ側に対して、永年にわたり厳格なルール適用をお願いしてきた経緯がある。アマチュア野球の底辺にいる野球小僧たちは、憧れのプロ野球選手のプレイスタイルを、目を皿にして見ている。その一挙手一投足を研究し、懸命に真似をするのである。憧れの投手が、二段モーションで好投し勝ち星を挙げれば、野球小僧たちは何の躊躇もなく真似をするのである。
少年野球のうちは、指導者も審判員も子供たちのやりたいようにやらせているが、これが中学・高校・大学と進むと、審判団との確執に大いに悩むこととなるのである。
中学シニアで、「二段モーション」を指摘すると、真っ先に返ってくる答えが「プロ野球の投手がやっている」である。しかたがないので「プロは許されるが、アマは駄目」という子供騙しのような指導を繰り返してきた。
2006年度から「二段モーション」について、プロ側が重い腰を挙げて厳格に適用することになった。これはルール改正ではなく、ルール適用の変更である。プロ側は「一連の投球動作」としていた岩隈投手たちの投球動作を「ルール違反」として認めたのである。審判団からすると、「今日からルールを厳格に適用しよう」ですむが、投手たちにとっては死活問題である。投手は微妙なバランスとテンポで、その技を磨いているから、その一部をいきなり変えろと言われても簡単にはいかないであろう。
岩隈投手は、2006年が5勝、2007年が1勝と惨憺たる結果であった。重ねてフォーム矯正による影響からか、大きな故障までもしてしまった。
そこから復活した、今年の20勝はフォーム矯正が、ようやく完成した証なのかもしれない。
そんな番組を見た余韻の中で、パリーグのクライマックスシリーズを観戦していた。日本ハムのダルビッシュ・有投手が快投を演じている。今や押しも押されぬ日本の大エースに成長したダルビッシュ投手ゆえ、憧れを抱いて熱視線を送り続ける野球小僧がたくさんいるであろう。
そのダルビッシュ投手の投球フォームがかなり怪しい。投球姿勢の不適格な箇所が2箇所もある。やや怪しい箇所と、明らかに怪しい箇所である。
そのひとつが「投球動作を中途で止める」に抵触する、「自由な足を挙げて、止める」行為である。いわゆる「タメ」を作る意識であろうが、かなり怪しい動作である。
もうひとつが「投球動作の変更」に抵触する、「投球動作を開始して、両手を離してから、ふたたび両手を合わせる」行為である。これは「投球リズム」を作るためであろうが、厳密には不正投球である。おそらく、ダルビッシュ投手の影響であろう、中学シニアでも徐々に徴候が見られ出している。
ダルビッシュ投手は、いつもフォア・ザ・チームを口にし、ファンを大切にしている。当然、野球少年達の夢と希望であることの自覚もあるであろう。あれだけの球威があるのであれば、おかしな細工はせずとも打者を牛耳ることができるであろう。そして、それが少年達の夢をつなぐ事となるのではなかろうか。
番組の中では、「岩隈投手はルール改正により投球フォームの矯正を余儀なくされた」と報じていたが、これは大きな誤りである。投球フォームに関するルールは、一言一句変わっていない。
【8.01】(a)項および(b)項
投球姿勢:打者への投球に関連する動作を起こしたならば、中途で止めたり、変更したりしないで、その投球を完了しなければならない。
ここでいう「中途で止めたり、変更したり」とは、「投手が投球動作中に、故意に一時停止したり、投球動作をスムーズに行わずに、ことさらに段階をつけモーションをしたり、手足をぶらぶらさせて投球することである。
この項目については、アマチュア側からプロ側に対して、永年にわたり厳格なルール適用をお願いしてきた経緯がある。アマチュア野球の底辺にいる野球小僧たちは、憧れのプロ野球選手のプレイスタイルを、目を皿にして見ている。その一挙手一投足を研究し、懸命に真似をするのである。憧れの投手が、二段モーションで好投し勝ち星を挙げれば、野球小僧たちは何の躊躇もなく真似をするのである。
少年野球のうちは、指導者も審判員も子供たちのやりたいようにやらせているが、これが中学・高校・大学と進むと、審判団との確執に大いに悩むこととなるのである。
中学シニアで、「二段モーション」を指摘すると、真っ先に返ってくる答えが「プロ野球の投手がやっている」である。しかたがないので「プロは許されるが、アマは駄目」という子供騙しのような指導を繰り返してきた。
2006年度から「二段モーション」について、プロ側が重い腰を挙げて厳格に適用することになった。これはルール改正ではなく、ルール適用の変更である。プロ側は「一連の投球動作」としていた岩隈投手たちの投球動作を「ルール違反」として認めたのである。審判団からすると、「今日からルールを厳格に適用しよう」ですむが、投手たちにとっては死活問題である。投手は微妙なバランスとテンポで、その技を磨いているから、その一部をいきなり変えろと言われても簡単にはいかないであろう。
岩隈投手は、2006年が5勝、2007年が1勝と惨憺たる結果であった。重ねてフォーム矯正による影響からか、大きな故障までもしてしまった。
そこから復活した、今年の20勝はフォーム矯正が、ようやく完成した証なのかもしれない。
そんな番組を見た余韻の中で、パリーグのクライマックスシリーズを観戦していた。日本ハムのダルビッシュ・有投手が快投を演じている。今や押しも押されぬ日本の大エースに成長したダルビッシュ投手ゆえ、憧れを抱いて熱視線を送り続ける野球小僧がたくさんいるであろう。
そのダルビッシュ投手の投球フォームがかなり怪しい。投球姿勢の不適格な箇所が2箇所もある。やや怪しい箇所と、明らかに怪しい箇所である。
そのひとつが「投球動作を中途で止める」に抵触する、「自由な足を挙げて、止める」行為である。いわゆる「タメ」を作る意識であろうが、かなり怪しい動作である。
もうひとつが「投球動作の変更」に抵触する、「投球動作を開始して、両手を離してから、ふたたび両手を合わせる」行為である。これは「投球リズム」を作るためであろうが、厳密には不正投球である。おそらく、ダルビッシュ投手の影響であろう、中学シニアでも徐々に徴候が見られ出している。
ダルビッシュ投手は、いつもフォア・ザ・チームを口にし、ファンを大切にしている。当然、野球少年達の夢と希望であることの自覚もあるであろう。あれだけの球威があるのであれば、おかしな細工はせずとも打者を牛耳ることができるであろう。そして、それが少年達の夢をつなぐ事となるのではなかろうか。
シーズンオフ前夜の苦悩
2008年10月15日 スポーツ コメント (4)
今年も公式戦はすべて終了した。最後の三日間は、今年を名残惜しみながら過ごした。
初日、久し振りに二塁塁審で立ったが、チョンボの嵐。
ジャッジは問題ない。メカニクスも基本的には問題なさそうに見えるのだが、ベテラン達の目は誤魔化せない。試合後のミーティングで、自己反省の弁を述べた途端に「深い反省」を求められた。
今年は、出場した試合のうち半分以上が球審であり、特に新人戦の後半は連続して球審ばかりが当たった。それを望んでいたのはあるが、これは問題である。
いつだったが、我師匠から「球審ばかりをやっていると、本当の審判員にはなれない」と忠告を受けたことがあった。そのためオープン戦などでは、率先して塁審に立つようにしているが、所詮練習試合である。緊迫感に欠けているのと、第三者が見ていないため、間違った動きに対して自分で是認していまうことが多いのである。または、後輩審判員に見ていてもらっても、なかなか鋭くは指摘してくれない。これは致し方が無いことなのであろう。
試合後に「明日も二塁やるか」と問われ、「是非ともお願いします」と応えた。リベンジを適えるチャンスが欲しかった。このまま、シーズンオフを迎えることが怖かったのもある。「塁審」に対して疑問符を残したまま、越冬状態に入る訳にはいかないと思っていた。
二日目も二塁塁審に立った。いや、立たせていただいた。
問題点はハッキリしている。カウンタークロックワイズの動きが中途半端なのである。つまり二塁走者がいるケースで、センターから左へ打球が飛び、三塁塁審が外飛の判定に動いた場合、二塁塁審は走者と共に三塁方向へ走り込む。そこまでは良いのだが、問題はその後である。
レフト方向からの返球を想定すると、インフィールド内の三遊間にポジションをとる事は、非常に邪魔であるということである。ゆえに、「外へ出ろ」と指導されるし、新人審判員などには教えてきた。それが、どうも中途半端である。外へ出るのが遅いのである。だから、本塁への送球と「カブル」のである。
この試合は、序盤から打撃戦になり、外野への打球が乱れ飛んだ。
二塁塁審の動きを、完璧なものにしようと意気込んでいた私にとっては、誠に好都合な状態である。前日とは違い、実に楽しく動くことが出来た。
それでも、まだ消化不良である。時折、顔を出す「中途半端なポジショニング」が、その原因である。
観客席から観戦していたベテラン審判員は見逃してはくれない。試合後、顔を見るなり「まだ、動きが遅いし、中途半端だ」と指摘された。
三日目。今年の公式戦最終日である。三日間一緒にいたベテラン審判員と我師匠は、私の苦悩を知っているかのように、またまた二塁に立たせてくれた。もう一度、チャンスをくれたのである。
今日のテーマは「動き出し」である。私以外はベテランばかりの強力メンバーである。このクルーでやれることの喜びを感じながら、頑張ることにした。
結果は80点ぐらいか。
来年に課題を持ち越すことにした。苦悩は続く。
これをモチベーションに、来年も頑張ろうと考えることにした。
この試合であった、プチ・トラブルの話は後日。
初日、久し振りに二塁塁審で立ったが、チョンボの嵐。
ジャッジは問題ない。メカニクスも基本的には問題なさそうに見えるのだが、ベテラン達の目は誤魔化せない。試合後のミーティングで、自己反省の弁を述べた途端に「深い反省」を求められた。
今年は、出場した試合のうち半分以上が球審であり、特に新人戦の後半は連続して球審ばかりが当たった。それを望んでいたのはあるが、これは問題である。
いつだったが、我師匠から「球審ばかりをやっていると、本当の審判員にはなれない」と忠告を受けたことがあった。そのためオープン戦などでは、率先して塁審に立つようにしているが、所詮練習試合である。緊迫感に欠けているのと、第三者が見ていないため、間違った動きに対して自分で是認していまうことが多いのである。または、後輩審判員に見ていてもらっても、なかなか鋭くは指摘してくれない。これは致し方が無いことなのであろう。
試合後に「明日も二塁やるか」と問われ、「是非ともお願いします」と応えた。リベンジを適えるチャンスが欲しかった。このまま、シーズンオフを迎えることが怖かったのもある。「塁審」に対して疑問符を残したまま、越冬状態に入る訳にはいかないと思っていた。
二日目も二塁塁審に立った。いや、立たせていただいた。
問題点はハッキリしている。カウンタークロックワイズの動きが中途半端なのである。つまり二塁走者がいるケースで、センターから左へ打球が飛び、三塁塁審が外飛の判定に動いた場合、二塁塁審は走者と共に三塁方向へ走り込む。そこまでは良いのだが、問題はその後である。
レフト方向からの返球を想定すると、インフィールド内の三遊間にポジションをとる事は、非常に邪魔であるということである。ゆえに、「外へ出ろ」と指導されるし、新人審判員などには教えてきた。それが、どうも中途半端である。外へ出るのが遅いのである。だから、本塁への送球と「カブル」のである。
この試合は、序盤から打撃戦になり、外野への打球が乱れ飛んだ。
二塁塁審の動きを、完璧なものにしようと意気込んでいた私にとっては、誠に好都合な状態である。前日とは違い、実に楽しく動くことが出来た。
それでも、まだ消化不良である。時折、顔を出す「中途半端なポジショニング」が、その原因である。
観客席から観戦していたベテラン審判員は見逃してはくれない。試合後、顔を見るなり「まだ、動きが遅いし、中途半端だ」と指摘された。
三日目。今年の公式戦最終日である。三日間一緒にいたベテラン審判員と我師匠は、私の苦悩を知っているかのように、またまた二塁に立たせてくれた。もう一度、チャンスをくれたのである。
今日のテーマは「動き出し」である。私以外はベテランばかりの強力メンバーである。このクルーでやれることの喜びを感じながら、頑張ることにした。
結果は80点ぐらいか。
来年に課題を持ち越すことにした。苦悩は続く。
これをモチベーションに、来年も頑張ろうと考えることにした。
この試合であった、プチ・トラブルの話は後日。
先日、新人戦予選リーグの大一番と位置付けた一戦に立ち会った。終わってみれば凡戦であり、実につまらないゲームであった。夏以降、トラブルメーカーとなっている監督の試合であったため、志願して立たせていただいたが、若干拍子抜けであった。今年のベストゲームとなると意気込んでいただけに残念でならない。昔から高校野球の決勝戦や大相撲の千秋楽などの大一番ほど呆気なく終わるものであるが、その典型であった。週末から始まる決勝トーナメントに期待しよう。
それはさておき、今年は公式戦50試合出場を果たせそうである。またオープン戦や控え審判などを含めて、関わった試合数は100試合を超えそうである。北海道の公式戦は5月~10月までの約半年であり、その間の土日(試合日)は50日という単純計算から考えても、よく頑張ったと思う。
50試合のうち、球審が半数以上を数えているのは、ちょっとアンバランスな感じは否めない。しかし、今年の組織内における立場や私自身の力量(もちろん、まだまだ不足という意味である)から考えると、非常に貴重な経験を積んだ一年であったように思う。気にかかるのは塁審の機会が少なく、特に一塁での出場機会がオープン戦を含めても少なかった。来年の課題である。
来年以降は、これほどの出場機会はないように思われる。それは、体力面もさることながら、組織内の新しい力が確実にレベルアップを果たしてきているということである。技術的に過不足が少なくなってきていることから、後不足しているのは「経験」だけである。
これは実戦に出場するしかない。私が師事するベテラン審判員の面々の方々が、私を育てていただいたように、次の「新しい力」が育つ環境を整えていくことが、私の使命のように感じている。
もちろん、私自身は「審判」が大好きである。今後も「張り切っていきましょう~」と選手に声を掛け続けたいが、今後年間50試合もの出場機会に恵まれることは困難であろう。
まだまだ勉強することや習得する技術が多いことは百も承知である。今後は、少ない出場機会を大切にし、試合をしてくれる選手たちに感謝しつつ、ワンプレイに集中していきたい。
次の目標は、公式戦通算200試合出場であろうか。
それはさておき、今年は公式戦50試合出場を果たせそうである。またオープン戦や控え審判などを含めて、関わった試合数は100試合を超えそうである。北海道の公式戦は5月~10月までの約半年であり、その間の土日(試合日)は50日という単純計算から考えても、よく頑張ったと思う。
50試合のうち、球審が半数以上を数えているのは、ちょっとアンバランスな感じは否めない。しかし、今年の組織内における立場や私自身の力量(もちろん、まだまだ不足という意味である)から考えると、非常に貴重な経験を積んだ一年であったように思う。気にかかるのは塁審の機会が少なく、特に一塁での出場機会がオープン戦を含めても少なかった。来年の課題である。
来年以降は、これほどの出場機会はないように思われる。それは、体力面もさることながら、組織内の新しい力が確実にレベルアップを果たしてきているということである。技術的に過不足が少なくなってきていることから、後不足しているのは「経験」だけである。
これは実戦に出場するしかない。私が師事するベテラン審判員の面々の方々が、私を育てていただいたように、次の「新しい力」が育つ環境を整えていくことが、私の使命のように感じている。
もちろん、私自身は「審判」が大好きである。今後も「張り切っていきましょう~」と選手に声を掛け続けたいが、今後年間50試合もの出場機会に恵まれることは困難であろう。
まだまだ勉強することや習得する技術が多いことは百も承知である。今後は、少ない出場機会を大切にし、試合をしてくれる選手たちに感謝しつつ、ワンプレイに集中していきたい。
次の目標は、公式戦通算200試合出場であろうか。
少年野球からプロ野球まで、どのレベルでもトラブルは発生する。それの大半が、審判員の裁定を巡る事例が多いと思われる。
では「トラブル」と聞いて、何を想像されるであろうか。その回答の多くは「ミスジャッジに基づく猛抗議」というイメージではなかろうか。審判員の立場からすると、何とも耳障りな言葉である。
それでは「ミスジャッジ」とは何を指して、そう呼ぶのであろうか。我々、審判員も人間であるがゆえに、当然間違いはある。野球の判定を「人間」がやることを認めている以上は、当然「間違い」は許容の範囲である。たとえば、スロービデオのコマ送りでなければ判らない様な「際どい一塁でのフォースプレイの判定」を、肉眼で瞬時に判断すること自体が無理なのである。それを、間違えたからといって責められることはないであろう。これが、見えるのであればオリンピックの100m走の順位を瞬時に判断できるはずである。
「ストライク・ボール」の判定も然りである。今年の夏、北京オリンピックの野球やソフトボールの放送に噛り付き、熱く声援を送っていた日本人が多いためか、「ストライクゾーン」の曖昧さが話題に上ったりもしていた。星野ジャパンの敗因のひとつに挙げた方々も居られた様である。
しかし、我々のように審判を、それも球審を経験した人間から言わせれば、「非常識も甚だしい」と一蹴されるのがオチである。
野球は二つのチームが争う競技であるから、すべての観衆や選手が納得するジャッジはあり得ないのである。「ストライク」を宣告された際に、攻撃側は不満を洩らし、守備側は喝采するのである。それを、攻守処を替えて交互に繰り返すのであるから、球審は確固たる信念を持っていなければやっていられない。球審のストライクゾーンさえ、変わらなければ良いのであるが、お互いのファンや選手は自分に有利なように見ようとするから始末が悪いのである。瞬間芸を、同じ基準で見続けなければならないのである。
北京オリンピックで星野ジャパンの初戦であるキューバ戦において、ダルビッシュ・有投手の投げた「外角低目のストレート」は見事であった。しかし「ボール」と判定された。ただ、それだけのことである。
私の経験から「ナイスボールはストライクにあらず」という事がある。確かに打者は手が出ない「ナイスボール」なのであるが、「ストライク」とはコールできない投球があるのだ。では何故であろうか。
答えは簡単である。あの高さやコースを含めた「範囲」を、何故「ストライク」と決めたのかを知っていれば、おのずと答えは導き出されるのである。
「ストライク」は審判が打者に向かい「良い投球だから打ちなさい」と促すコールである。投手にとって、あまりにもナイスピッチの投球は「ヒットになる確率が極めて低い」。こんな投球を打者に向かって「打て」とは言えないであろう。だから「ナイスボール、されどストライクにあらず」となるのである。こんな屁理屈は解説付でなければ判らないであろうし、憶える必要もないかもしれない。ただ、審判が「ボール」とコールした投球は「ストライク」にはならないという、当たり前のことを判った上で、テレビの前で唸っていただければ結構なのである。
審判が下したプレイに対する裁定を覆すことはできない。それが、例え「深夜のプロ野球ニュース」で事実が明らかになったとしても仕方のないことである。そんな番組で面白おかしく「鬼の首を獲ったが如く」、したり顔の解説者が能書きを述べるのは最低である。そこで吠えたところで、どうにもならないことは百も承知のはずである。
ルールブックには唯一「ルール適用の是非を問うための要請ができる」と書かれた条項がある。プロアマ問わず、各チームの監督たちは、これが「抗議権」であると勘違いしているらしい。
この条項で書かれている内容は、「今のプレイは野球規則の第○○項を適用するべきであろう」ということを議論してもらうために、「再度検討願います」と要請することができるだけである。これの条文の、どこをどのように読めば「抗議」などという愚行に行き着くのであろうか。
ちなみに、この条項は「9.02 審判員の裁定」の中に記載されている項目であり、審判員が判断し下された裁定は「最終結論」であることを認めた事項なのである。そこのひとつに、競技者側からの「要請」が付け加えられているのである。以下に全文を転載する。
審判員はもとより、競技者・指導者の皆様方には、是非とも理解して頂きたい重要な条項である。
9・02 審判員の裁定
(a) 打球がフェアかファウルか、投球がストライクかボールか、あるいは走者がアウトかセーフかという裁定に限らず、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、プレーヤー、監督、コーチ、または控えのプレーヤーが、その裁定に対して、異議を唱えることは許されない。
【原注】 ボール、ストライクの判定について異議を唱えるためにプレーヤーが守備位置または塁を離れたり、監督またはコーチがベンチまたはコーチスボックスを離れることは許されない。もし、宣告に異議を唱えるために本塁に向かってスタートすれば、警告が発せられる。警告にもかかわらず本塁に近づけば、試合から除かれる。
(b) 審判員の裁定が規則の適用を誤って下された疑いがあるときには、監督だけがその裁定を規則に基づく正しい裁定に訂正するように要請することができる。しかし、監督はこのような裁定を下した審判員にだけアピールする(規則適用の訂正を申し出る)ことが許される。
【注一】 イニングの表または裏が終わったときは、投手および内野手がフェア地域を去るまでにアピールしなければならない。
【注二】 審判員が、規則に反した裁定を下したにもかかわらず、アピールもなく、定められた期間が過ぎてしまった後では、たとえ審判員が、その誤りに気づいても、その裁定を訂正することはできない。
(c) 審判員が、その裁定に対してアピールを受けた場合は、最終の裁定を下すにあたって、他の審判員の意見を求めることはできる。裁定を下した審判員から相談を受けた場合を除いて、審判員は、他の審判員の裁定に対して、批評を加えたり、変更を求めたり、異議を唱えたりすることは許されない。
【原注】 ハーフスイングのさい、球審がストライクと宣告しなかったときだけ、監督または捕手は、振ったか否かについて、塁審のアドバイスを受けるよう球審に要請することができる。球審は、このような要請があれば、塁審にその裁定を一任しなければならない。塁審は、球審からの要請があれば、ただちに裁定を下す。このようにして下された塁審の裁定は最終のものである。
ハーフスイングについて、監督または捕手が前記の要請を行なってもボールインプレイであり、塁審がストライクの裁定に変更する場合があるから、打者、走者、野手を問わず、状況の変化に対応できるよう常に注意していなければならない。
監督が、ハーフスイングに異議を唱えるためにダッグアウトから出て一塁または三塁に向かってスタートすれば警告が発せられる。警告にもかかわらず一塁または三塁に近づけば試合から除かれる。監督はハーフスイングに関して異議を唱えるためにダッグアウトを離れたつもりでも、ボール、ストライクの宣告について異議を唱えるためにダッグアウトを離れたことになるからである。
(d) 試合中、審判員の変更は認められない。ただし、病気または負傷のため、変更の必要が生じた場合は、この限りではない。
では「トラブル」と聞いて、何を想像されるであろうか。その回答の多くは「ミスジャッジに基づく猛抗議」というイメージではなかろうか。審判員の立場からすると、何とも耳障りな言葉である。
それでは「ミスジャッジ」とは何を指して、そう呼ぶのであろうか。我々、審判員も人間であるがゆえに、当然間違いはある。野球の判定を「人間」がやることを認めている以上は、当然「間違い」は許容の範囲である。たとえば、スロービデオのコマ送りでなければ判らない様な「際どい一塁でのフォースプレイの判定」を、肉眼で瞬時に判断すること自体が無理なのである。それを、間違えたからといって責められることはないであろう。これが、見えるのであればオリンピックの100m走の順位を瞬時に判断できるはずである。
「ストライク・ボール」の判定も然りである。今年の夏、北京オリンピックの野球やソフトボールの放送に噛り付き、熱く声援を送っていた日本人が多いためか、「ストライクゾーン」の曖昧さが話題に上ったりもしていた。星野ジャパンの敗因のひとつに挙げた方々も居られた様である。
しかし、我々のように審判を、それも球審を経験した人間から言わせれば、「非常識も甚だしい」と一蹴されるのがオチである。
野球は二つのチームが争う競技であるから、すべての観衆や選手が納得するジャッジはあり得ないのである。「ストライク」を宣告された際に、攻撃側は不満を洩らし、守備側は喝采するのである。それを、攻守処を替えて交互に繰り返すのであるから、球審は確固たる信念を持っていなければやっていられない。球審のストライクゾーンさえ、変わらなければ良いのであるが、お互いのファンや選手は自分に有利なように見ようとするから始末が悪いのである。瞬間芸を、同じ基準で見続けなければならないのである。
北京オリンピックで星野ジャパンの初戦であるキューバ戦において、ダルビッシュ・有投手の投げた「外角低目のストレート」は見事であった。しかし「ボール」と判定された。ただ、それだけのことである。
私の経験から「ナイスボールはストライクにあらず」という事がある。確かに打者は手が出ない「ナイスボール」なのであるが、「ストライク」とはコールできない投球があるのだ。では何故であろうか。
答えは簡単である。あの高さやコースを含めた「範囲」を、何故「ストライク」と決めたのかを知っていれば、おのずと答えは導き出されるのである。
「ストライク」は審判が打者に向かい「良い投球だから打ちなさい」と促すコールである。投手にとって、あまりにもナイスピッチの投球は「ヒットになる確率が極めて低い」。こんな投球を打者に向かって「打て」とは言えないであろう。だから「ナイスボール、されどストライクにあらず」となるのである。こんな屁理屈は解説付でなければ判らないであろうし、憶える必要もないかもしれない。ただ、審判が「ボール」とコールした投球は「ストライク」にはならないという、当たり前のことを判った上で、テレビの前で唸っていただければ結構なのである。
審判が下したプレイに対する裁定を覆すことはできない。それが、例え「深夜のプロ野球ニュース」で事実が明らかになったとしても仕方のないことである。そんな番組で面白おかしく「鬼の首を獲ったが如く」、したり顔の解説者が能書きを述べるのは最低である。そこで吠えたところで、どうにもならないことは百も承知のはずである。
ルールブックには唯一「ルール適用の是非を問うための要請ができる」と書かれた条項がある。プロアマ問わず、各チームの監督たちは、これが「抗議権」であると勘違いしているらしい。
この条項で書かれている内容は、「今のプレイは野球規則の第○○項を適用するべきであろう」ということを議論してもらうために、「再度検討願います」と要請することができるだけである。これの条文の、どこをどのように読めば「抗議」などという愚行に行き着くのであろうか。
ちなみに、この条項は「9.02 審判員の裁定」の中に記載されている項目であり、審判員が判断し下された裁定は「最終結論」であることを認めた事項なのである。そこのひとつに、競技者側からの「要請」が付け加えられているのである。以下に全文を転載する。
審判員はもとより、競技者・指導者の皆様方には、是非とも理解して頂きたい重要な条項である。
9・02 審判員の裁定
(a) 打球がフェアかファウルか、投球がストライクかボールか、あるいは走者がアウトかセーフかという裁定に限らず、審判員の判断に基づく裁定は最終のものであるから、プレーヤー、監督、コーチ、または控えのプレーヤーが、その裁定に対して、異議を唱えることは許されない。
【原注】 ボール、ストライクの判定について異議を唱えるためにプレーヤーが守備位置または塁を離れたり、監督またはコーチがベンチまたはコーチスボックスを離れることは許されない。もし、宣告に異議を唱えるために本塁に向かってスタートすれば、警告が発せられる。警告にもかかわらず本塁に近づけば、試合から除かれる。
(b) 審判員の裁定が規則の適用を誤って下された疑いがあるときには、監督だけがその裁定を規則に基づく正しい裁定に訂正するように要請することができる。しかし、監督はこのような裁定を下した審判員にだけアピールする(規則適用の訂正を申し出る)ことが許される。
【注一】 イニングの表または裏が終わったときは、投手および内野手がフェア地域を去るまでにアピールしなければならない。
【注二】 審判員が、規則に反した裁定を下したにもかかわらず、アピールもなく、定められた期間が過ぎてしまった後では、たとえ審判員が、その誤りに気づいても、その裁定を訂正することはできない。
(c) 審判員が、その裁定に対してアピールを受けた場合は、最終の裁定を下すにあたって、他の審判員の意見を求めることはできる。裁定を下した審判員から相談を受けた場合を除いて、審判員は、他の審判員の裁定に対して、批評を加えたり、変更を求めたり、異議を唱えたりすることは許されない。
【原注】 ハーフスイングのさい、球審がストライクと宣告しなかったときだけ、監督または捕手は、振ったか否かについて、塁審のアドバイスを受けるよう球審に要請することができる。球審は、このような要請があれば、塁審にその裁定を一任しなければならない。塁審は、球審からの要請があれば、ただちに裁定を下す。このようにして下された塁審の裁定は最終のものである。
ハーフスイングについて、監督または捕手が前記の要請を行なってもボールインプレイであり、塁審がストライクの裁定に変更する場合があるから、打者、走者、野手を問わず、状況の変化に対応できるよう常に注意していなければならない。
監督が、ハーフスイングに異議を唱えるためにダッグアウトから出て一塁または三塁に向かってスタートすれば警告が発せられる。警告にもかかわらず一塁または三塁に近づけば試合から除かれる。監督はハーフスイングに関して異議を唱えるためにダッグアウトを離れたつもりでも、ボール、ストライクの宣告について異議を唱えるためにダッグアウトを離れたことになるからである。
(d) 試合中、審判員の変更は認められない。ただし、病気または負傷のため、変更の必要が生じた場合は、この限りではない。
誰にでも「新人」と呼ばれる時期はある。どんなに練習試合などを経験したとしても、公式戦はまったくの別物である。また、別の組織で経験を積んでいたとしても「郷に入りては郷に従え」の格言とおり、組織独自の決り事があり、やはり「新人」と同じ心積もりが必要となる。野球のルールブックは同じであるのに、まったく面倒な話である。
「新人」にとっての公式戦は、緊張との戦いであることは容易に想像できるであろう。どんな局面でも、初めてのことが多く、私も心臓の鼓動が聞こえてくる想いであったと記憶している。
そういった意味でも、「新人審判員」は三塁塁審を担うことが多い。理由は、ジャッジの回数が少ないことと、フォーメーションの動きが単純であることが理由とされている。しかし、「本塁に一番近い塁」という視点からは、最も重要な塁審とも言える。一塁のアウト・セーフの微妙な判定には、両チームとも許容範囲が広いが、三塁は得点に絡む可能性が高いだけに、そのジャッジには神経質になる。
スコアリングポジションとしては二塁も重要ではあるが、三塁に走者が行くことで得点パターンが圧倒的に増えるのは周知のことであろう。そういった意味でも、三塁でのジャッジは試合の趨勢に支配的であると考えても過言ではない。
ただ、三塁のジャッジに特殊性はあるのであろうか。「アウト・セーフ」のジャッジは、フォースプレイとタッグプレイであり、これはどの塁にも共通することである。逆に、一塁に比べればフォースプレイは圧倒的に少ないし、盗塁のジャッジが多い二塁に比べればタッグプレイも少ないといえる。一試合のうちに、一度も「アウト・セーフ」をコールしないことも稀ではない。ジャッジしたのは「フェア・ファール」だけなどという試合もある。
フォーメーションでは、三塁塁審はキーマンになる。特にクロックワイズメカニクスが発動される場面では、三塁塁審が動き出さなければ、他の審判は動けない状態となる。ただし、これも走者無しの場面で外野に飛球が飛び、二塁塁審が動いた時がほとんどである。このケースで三塁塁審は二塁のカバーリングに走ることができれば、「新人」としては満点と考えて良いであろう。私などは、何故そのような動きが必要なのかを理解することもなく、「新人」の時は走っていたと記憶している。この動きにより、他の審判員も含めて「時計回り」に動き出すことからクロックワイズと呼ばれているのであるが、それを知ったのは、審判員に興味を持って勉強しだしてからである。
これらのことから、「新人」の審判員は三塁に配置されることが多い。ここで、「アウト・セーフ」や「フェア・ファウル」などを無難にこなし、審判員としての姿勢や態度、そして意欲を見て、その後他の塁に配置されるのが通常のパターンである。
私などは三塁と一塁を繰り返し経験させてもらってから、ある重要な試合で初めて二塁を任され困惑したことがあった。試合経験はそれなりにあっても、初めての塁はとにかく緊張するものである。フォーメーションのマニュアルに囚われ「間違った動きをしないように」という想いが強くなりやすく、肝心要のジャッジへの集中力が落ちることに気付かずにいる場合が多かった。何度か、経験を積むうちにフォーメーションの意味を肌で理解することが出来たときに、初めて余裕が生まれて来た様に思う。
そうすることで、周囲の色々な事が見え始めるのである。
最近、「どうしたら塁審をやっていて一球・一球に集中できるか」のコツを見つけた。球審は、一球ごとにジャッジする可能性が高いため、その集中力により多大なエネルギーを費やす。塁審は、一球ごとに集中しようと考えてはいるが、なかなか出来ないのが現実であろう。「新人」の時などは緊張感の方が先になり、集中力を妨げているのであろう。よく、ハーフスイングのリクエストをしているのに「我関せず」の姿勢でいる「新人」がいるが、正に集中力が欠落しているのであろう。
これを克服するコツを見つけた。「新人」の方々は、ぜひとも試していただきたい。それは、自分が立つ位置から、一球ごとに「ストライク・ボール」を判定することである。一・三塁の塁審は高さしか見えないかもしれないが、捕手の構えなどからある程度想像は出来るであろう。もちろん、球審のジャッジが最優先されるが、自分なりにジャッジを繰り返すことで、本塁付近に集中していることが可能となる。
この心境になるまで、150試合の公式戦経験を費やしてしまった。
「新人」にとっての公式戦は、緊張との戦いであることは容易に想像できるであろう。どんな局面でも、初めてのことが多く、私も心臓の鼓動が聞こえてくる想いであったと記憶している。
そういった意味でも、「新人審判員」は三塁塁審を担うことが多い。理由は、ジャッジの回数が少ないことと、フォーメーションの動きが単純であることが理由とされている。しかし、「本塁に一番近い塁」という視点からは、最も重要な塁審とも言える。一塁のアウト・セーフの微妙な判定には、両チームとも許容範囲が広いが、三塁は得点に絡む可能性が高いだけに、そのジャッジには神経質になる。
スコアリングポジションとしては二塁も重要ではあるが、三塁に走者が行くことで得点パターンが圧倒的に増えるのは周知のことであろう。そういった意味でも、三塁でのジャッジは試合の趨勢に支配的であると考えても過言ではない。
ただ、三塁のジャッジに特殊性はあるのであろうか。「アウト・セーフ」のジャッジは、フォースプレイとタッグプレイであり、これはどの塁にも共通することである。逆に、一塁に比べればフォースプレイは圧倒的に少ないし、盗塁のジャッジが多い二塁に比べればタッグプレイも少ないといえる。一試合のうちに、一度も「アウト・セーフ」をコールしないことも稀ではない。ジャッジしたのは「フェア・ファール」だけなどという試合もある。
フォーメーションでは、三塁塁審はキーマンになる。特にクロックワイズメカニクスが発動される場面では、三塁塁審が動き出さなければ、他の審判は動けない状態となる。ただし、これも走者無しの場面で外野に飛球が飛び、二塁塁審が動いた時がほとんどである。このケースで三塁塁審は二塁のカバーリングに走ることができれば、「新人」としては満点と考えて良いであろう。私などは、何故そのような動きが必要なのかを理解することもなく、「新人」の時は走っていたと記憶している。この動きにより、他の審判員も含めて「時計回り」に動き出すことからクロックワイズと呼ばれているのであるが、それを知ったのは、審判員に興味を持って勉強しだしてからである。
これらのことから、「新人」の審判員は三塁に配置されることが多い。ここで、「アウト・セーフ」や「フェア・ファウル」などを無難にこなし、審判員としての姿勢や態度、そして意欲を見て、その後他の塁に配置されるのが通常のパターンである。
私などは三塁と一塁を繰り返し経験させてもらってから、ある重要な試合で初めて二塁を任され困惑したことがあった。試合経験はそれなりにあっても、初めての塁はとにかく緊張するものである。フォーメーションのマニュアルに囚われ「間違った動きをしないように」という想いが強くなりやすく、肝心要のジャッジへの集中力が落ちることに気付かずにいる場合が多かった。何度か、経験を積むうちにフォーメーションの意味を肌で理解することが出来たときに、初めて余裕が生まれて来た様に思う。
そうすることで、周囲の色々な事が見え始めるのである。
最近、「どうしたら塁審をやっていて一球・一球に集中できるか」のコツを見つけた。球審は、一球ごとにジャッジする可能性が高いため、その集中力により多大なエネルギーを費やす。塁審は、一球ごとに集中しようと考えてはいるが、なかなか出来ないのが現実であろう。「新人」の時などは緊張感の方が先になり、集中力を妨げているのであろう。よく、ハーフスイングのリクエストをしているのに「我関せず」の姿勢でいる「新人」がいるが、正に集中力が欠落しているのであろう。
これを克服するコツを見つけた。「新人」の方々は、ぜひとも試していただきたい。それは、自分が立つ位置から、一球ごとに「ストライク・ボール」を判定することである。一・三塁の塁審は高さしか見えないかもしれないが、捕手の構えなどからある程度想像は出来るであろう。もちろん、球審のジャッジが最優先されるが、自分なりにジャッジを繰り返すことで、本塁付近に集中していることが可能となる。
この心境になるまで、150試合の公式戦経験を費やしてしまった。
書式を変更して、再開します。管理人さんに感謝!!
また、新たな気持ちで投稿します。前回までの記録が消失したので、流れが立ち消えになってしまいました。でも、やはり審判のジャッジ数が最も多く、かつ最も難しい「ストライクゾーン」についてから始めましょう。
打者の体型や投手の投球の質、そして審判員の技量や好みによりストライクゾーンは変化します。ゆえに、「アバウトゾーン」とも考えられます。昨今は、オリンピックやWBCなどで国際試合を観る機会が増えたため、特に広いアウトコースに戸惑っている日本人が多いようです。それが「審判のジャッジのせいで負けた」と自己弁護をする顛末となっています。今年から、パリーグでは、アウトコースを広くするようですが、この辺りの議論をしているのは日本のプロ野球だけです。日本のアマチュア野球は、野球規則の本家であるアメリカ野球に準じているため、早くから「アウトコースは広く、インコースは辛く」が基本になっています。ゆえに、今年のシニアリーグのアウトコースは従来通りだと考えていた方いいでしょう。
さて、インコースはどうでしょう。私の基準は「インコースはルール通り」、つまりベース上を通った場合のみ「ストライク」としています。しかし、これも左投手が右打者に投げるインコースの場合は微妙に変わっていると思います。自分では判らない程度ですが、広いように思います。根底にあるのは「左投手の決め球=クロスファイヤー」という思い込みです。
阪神時代の江夏投手が長嶋のインコースを鋭く突く。そんなレトロな情景が「クロスファイヤー」という言葉の響きを、憧れへと変えているのかも知れません。
今年は、どんな左投手に出会えるか、愉しみです。
また、新たな気持ちで投稿します。前回までの記録が消失したので、流れが立ち消えになってしまいました。でも、やはり審判のジャッジ数が最も多く、かつ最も難しい「ストライクゾーン」についてから始めましょう。
打者の体型や投手の投球の質、そして審判員の技量や好みによりストライクゾーンは変化します。ゆえに、「アバウトゾーン」とも考えられます。昨今は、オリンピックやWBCなどで国際試合を観る機会が増えたため、特に広いアウトコースに戸惑っている日本人が多いようです。それが「審判のジャッジのせいで負けた」と自己弁護をする顛末となっています。今年から、パリーグでは、アウトコースを広くするようですが、この辺りの議論をしているのは日本のプロ野球だけです。日本のアマチュア野球は、野球規則の本家であるアメリカ野球に準じているため、早くから「アウトコースは広く、インコースは辛く」が基本になっています。ゆえに、今年のシニアリーグのアウトコースは従来通りだと考えていた方いいでしょう。
さて、インコースはどうでしょう。私の基準は「インコースはルール通り」、つまりベース上を通った場合のみ「ストライク」としています。しかし、これも左投手が右打者に投げるインコースの場合は微妙に変わっていると思います。自分では判らない程度ですが、広いように思います。根底にあるのは「左投手の決め球=クロスファイヤー」という思い込みです。
阪神時代の江夏投手が長嶋のインコースを鋭く突く。そんなレトロな情景が「クロスファイヤー」という言葉の響きを、憧れへと変えているのかも知れません。
今年は、どんな左投手に出会えるか、愉しみです。
コメントをみる |
