審判は「石ころ」であるという逸話を耳にしたことがあるだろうか。
審判員に打球や送球が当たった場合、「石ころ」扱いしておけば面倒なことにはならない。
つまり、地面でバウンドすることと同じであるから、ボールインプレイで試合を続行できるのである。
しかし、これは「クロックワイズメカニクス」が導入され、二塁塁審がインフィールドの内野手より前方へ入るようになってからは、今まであまり目立つ活躍のなかったルールが、一躍注目されるようになった。それが、「審判員の妨害」である。
【2.44】インターフェアランス(c)審判員の妨害
(1)捕手の送球動作を、球審がじゃましたり、はばんだり、妨げた場合
(2)打球が、野手(投手を除く)を通過する前に、フェア地域で審判員に触れた場合に起こる。
妨害が起きた場合は、ボールデッドとなる。
【6.08】打者が安全に進塁できる場合
(d)野手(投手を含む)に触れていないフェアボールが、フェア地域で審判員または走者に触れた場合。ただし、内野手(投手を除く)をいったん通過するか、または野手(投手を含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合にはボールインプレイである。
通常、審判員は内野手の後方に位置する。球審も捕手の後ろに位置する。このポジショニングであれば、打球や投球・送球に対して、審判員が野手の障害になることはほとんどない。審判員にライブボール(打球、送球)が当る前に、まずは野手がプレイをするチャンスがある。野手が処理した後に、それでも野手を通過したボールが審判員に触れた場合は、ボールインプレイである。審判員が野手の障害にはなっていないのであるから、「妨害」とはならない。つまり、「守備側には不利益がない」という判断であるから、グラウンドでバウンドするのと同様の扱いとなる。要は「石ころ」扱いとなるのである。石ころに当った場合は、イレギュラー安打のように、守備側は諦めるしかない。
唯一インフィールドの野手より前方に入るのが、「走者なし、および単独三塁」以外のケースにおける二塁塁審である。内野手よりも前方に位置するのであるから、打球は内野手に到達するより前に二塁塁審を通過する。ということは、二塁塁審に触れることが考えられ、それにより内野手が通常のプレイをできない可能性が高まる。つまり、「守備側に不利益があり」という事態が発生するのである。これは、審判員が野手の後方にいて打球に触れる場合と区別する必要があり、「審判員の妨害」と処理せざるを得ない。
このプレイは審判員にボールが当った場合のレアケースと考えてよいであろう。他のケースは「審判員は石ころ」の伝説に従えば良い。
ゆえに、レアケースの処置を憶えておけば良いことになる。この際の処置は、守備妨害があった場合は「走者は進塁しない」という大原則に従い、走者はボールデッド時点の占有塁へ戻される。打者は、審判員の妨害により「アウト」を与えることが「著しく攻撃側の不利益」と考え、一塁を与える。これにより押し出される走者は進塁する。
現場でサプライズがあるたびに、野球のルールの深さを痛感させられる。自分が当事者なら、深く心に刻まれるであろう。
二塁塁審に立つ可能性は、誰にでもある。自らの「インターフェアランス」をコールできる勇気を持ちたいものである。
もちろん、ルールの再確認はグラウンドに立つための必需品である。
審判員に打球や送球が当たった場合、「石ころ」扱いしておけば面倒なことにはならない。
つまり、地面でバウンドすることと同じであるから、ボールインプレイで試合を続行できるのである。
しかし、これは「クロックワイズメカニクス」が導入され、二塁塁審がインフィールドの内野手より前方へ入るようになってからは、今まであまり目立つ活躍のなかったルールが、一躍注目されるようになった。それが、「審判員の妨害」である。
【2.44】インターフェアランス(c)審判員の妨害
(1)捕手の送球動作を、球審がじゃましたり、はばんだり、妨げた場合
(2)打球が、野手(投手を除く)を通過する前に、フェア地域で審判員に触れた場合に起こる。
妨害が起きた場合は、ボールデッドとなる。
【6.08】打者が安全に進塁できる場合
(d)野手(投手を含む)に触れていないフェアボールが、フェア地域で審判員または走者に触れた場合。ただし、内野手(投手を除く)をいったん通過するか、または野手(投手を含む)に触れたフェアボールが審判員に触れた場合にはボールインプレイである。
通常、審判員は内野手の後方に位置する。球審も捕手の後ろに位置する。このポジショニングであれば、打球や投球・送球に対して、審判員が野手の障害になることはほとんどない。審判員にライブボール(打球、送球)が当る前に、まずは野手がプレイをするチャンスがある。野手が処理した後に、それでも野手を通過したボールが審判員に触れた場合は、ボールインプレイである。審判員が野手の障害にはなっていないのであるから、「妨害」とはならない。つまり、「守備側には不利益がない」という判断であるから、グラウンドでバウンドするのと同様の扱いとなる。要は「石ころ」扱いとなるのである。石ころに当った場合は、イレギュラー安打のように、守備側は諦めるしかない。
唯一インフィールドの野手より前方に入るのが、「走者なし、および単独三塁」以外のケースにおける二塁塁審である。内野手よりも前方に位置するのであるから、打球は内野手に到達するより前に二塁塁審を通過する。ということは、二塁塁審に触れることが考えられ、それにより内野手が通常のプレイをできない可能性が高まる。つまり、「守備側に不利益があり」という事態が発生するのである。これは、審判員が野手の後方にいて打球に触れる場合と区別する必要があり、「審判員の妨害」と処理せざるを得ない。
このプレイは審判員にボールが当った場合のレアケースと考えてよいであろう。他のケースは「審判員は石ころ」の伝説に従えば良い。
ゆえに、レアケースの処置を憶えておけば良いことになる。この際の処置は、守備妨害があった場合は「走者は進塁しない」という大原則に従い、走者はボールデッド時点の占有塁へ戻される。打者は、審判員の妨害により「アウト」を与えることが「著しく攻撃側の不利益」と考え、一塁を与える。これにより押し出される走者は進塁する。
現場でサプライズがあるたびに、野球のルールの深さを痛感させられる。自分が当事者なら、深く心に刻まれるであろう。
二塁塁審に立つ可能性は、誰にでもある。自らの「インターフェアランス」をコールできる勇気を持ちたいものである。
もちろん、ルールの再確認はグラウンドに立つための必需品である。
今週末から、いよいよ開幕である。
天気予報では降雪の便りが聞こえるぐらい、今年の天候は怪しいが、とりあえずは始まりそうである。
先日、開幕直前に第四回審判講習会が開催された。日本野球連盟規則審判委員会の麻生絋二委員長を迎えて、今にも雨が降り出しそうな曇天の中、熱い講習会であった。皆、球春を待ち侘びていたかのように張り切ってコール、ジャッジ、メカニクスの反復練習に汗を流していた。
投球判定では、相当間を明けてコールしているのであるが、講師の方から「まだ早い」と指摘されてしまった。実際の試合では、どうしても早くなってしまうから、練習では「意識的に遅くする」ことを心掛けなければならない。指摘さえれて、改めて「目からうろこ」であった。
この講習会は、ジャッジやコールやメカニクスなど、自分流にアレンジしていたものを基本に戻すための「審判クリニック」の意味が大きい。
初心忘れるべからずである。
さて審判員の動きの中で、何点が変更点があったので紹介する。
①一塁塁審のフォース判定時のポジショニング
一二塁間のセカンドゴロに対しては、従来ライン上で判定をしていたが、「送球に対して90度」の基本に立ち返り、一塁塁審はファールライン外側へ45度程度開いた位置へ移動する。これにより、二塁手からの送球に対して90度となり、かつ打者走者の走路にも邪魔にならない。
【メリット】一二塁間のゴロがライトまで抜けた場合、ライトゴロに備えて「コーチャースボックス」付近まで移動する必要がある。この動作に対しては有効な位置である。
②一塁塁審の併殺プレイの際のポジショニング
走者一塁で内野ゴロのケースでは、併殺プレイに備えて一塁塁審はライン上をステップバックして二塁からの送球に備えていた。今年からは、最初の打球処理をした野手からの送球を想定して、「送球に対して90度」の位置まで移動する。併殺狙いで二塁へ送球され、一塁へ転送された場合は、その位置で判定する。
【メリット】二塁からの送球が悪投となった場合、一塁塁審はボールに正対しながら打者走者の触塁を確認し、本塁方向へ移動する。この動作に対して有効な位置である。打者走者やカバーの野手と接触する可能性が低い。
③ファールライン付近の打球判定は同調しない
フェア・ファールの打球判定に関する球審と塁審のテリトリーは変更ない。従来はこのテリトリーでいずれかが判定し、他方が同調することを指導されてきたが、今年からは「同調はしない」こととなった。
【メリット】ダブルコールがなくなる。トラブルの減少。
【デメリット】講習会では、ベース付近の打球に対して、譲り合い「判定が遅れる」ケースが目立った。経験の浅い審判員は、どうしても消極的になってしまうかもしれない。
④盗塁判定時の二塁塁審のステップ
従来「4歩ステップ」「3歩ステップ」などとしてきたが、時間的・物理的に困難なため、今年から「2歩ステップ」とする。本塁に正対した状態から、捕手の二塁送球に合わせて、「右足を半歩右にずらし、左足を踏込みながら反転し、二塁ベースへ正対する」。
以上が変更点であるが、いずれも意識して早目に慣れる事必要であろうかと思う。特にフェアファールの判定を「同調しない」は、相当に違和感があった。
さて、球春に向けて準備万端整えて、頑張っていきましょう。
天気予報では降雪の便りが聞こえるぐらい、今年の天候は怪しいが、とりあえずは始まりそうである。
先日、開幕直前に第四回審判講習会が開催された。日本野球連盟規則審判委員会の麻生絋二委員長を迎えて、今にも雨が降り出しそうな曇天の中、熱い講習会であった。皆、球春を待ち侘びていたかのように張り切ってコール、ジャッジ、メカニクスの反復練習に汗を流していた。
投球判定では、相当間を明けてコールしているのであるが、講師の方から「まだ早い」と指摘されてしまった。実際の試合では、どうしても早くなってしまうから、練習では「意識的に遅くする」ことを心掛けなければならない。指摘さえれて、改めて「目からうろこ」であった。
この講習会は、ジャッジやコールやメカニクスなど、自分流にアレンジしていたものを基本に戻すための「審判クリニック」の意味が大きい。
初心忘れるべからずである。
さて審判員の動きの中で、何点が変更点があったので紹介する。
①一塁塁審のフォース判定時のポジショニング
一二塁間のセカンドゴロに対しては、従来ライン上で判定をしていたが、「送球に対して90度」の基本に立ち返り、一塁塁審はファールライン外側へ45度程度開いた位置へ移動する。これにより、二塁手からの送球に対して90度となり、かつ打者走者の走路にも邪魔にならない。
【メリット】一二塁間のゴロがライトまで抜けた場合、ライトゴロに備えて「コーチャースボックス」付近まで移動する必要がある。この動作に対しては有効な位置である。
②一塁塁審の併殺プレイの際のポジショニング
走者一塁で内野ゴロのケースでは、併殺プレイに備えて一塁塁審はライン上をステップバックして二塁からの送球に備えていた。今年からは、最初の打球処理をした野手からの送球を想定して、「送球に対して90度」の位置まで移動する。併殺狙いで二塁へ送球され、一塁へ転送された場合は、その位置で判定する。
【メリット】二塁からの送球が悪投となった場合、一塁塁審はボールに正対しながら打者走者の触塁を確認し、本塁方向へ移動する。この動作に対して有効な位置である。打者走者やカバーの野手と接触する可能性が低い。
③ファールライン付近の打球判定は同調しない
フェア・ファールの打球判定に関する球審と塁審のテリトリーは変更ない。従来はこのテリトリーでいずれかが判定し、他方が同調することを指導されてきたが、今年からは「同調はしない」こととなった。
【メリット】ダブルコールがなくなる。トラブルの減少。
【デメリット】講習会では、ベース付近の打球に対して、譲り合い「判定が遅れる」ケースが目立った。経験の浅い審判員は、どうしても消極的になってしまうかもしれない。
④盗塁判定時の二塁塁審のステップ
従来「4歩ステップ」「3歩ステップ」などとしてきたが、時間的・物理的に困難なため、今年から「2歩ステップ」とする。本塁に正対した状態から、捕手の二塁送球に合わせて、「右足を半歩右にずらし、左足を踏込みながら反転し、二塁ベースへ正対する」。
以上が変更点であるが、いずれも意識して早目に慣れる事必要であろうかと思う。特にフェアファールの判定を「同調しない」は、相当に違和感があった。
さて、球春に向けて準備万端整えて、頑張っていきましょう。
私の審判員新米時代の恩師が永眠された。
最後のお見送りもできずに、義理を欠いてしまった。残念でならない。
私が審判員として右も左も解らない新米の頃に、大変目を掛けて頂き、大いに引き回して頂いた恩師である。
とにかく実戦重視の方であり、沢山の経験を積ませて頂いた。
顔を合わせる度に、「俺が責任をとるから、思い切りやって来い」が口癖で、グラウンドに送り出してくれた。
沢山の勇気をもらい、グラウンドに立たせてくれたように思う。
また、ある意味「天狗にして頂いた」ようにも思う。
最初の出会いは、故人が所属していたチームのグラウンドでの練習試合であった。
審判控え室に挨拶に行くと、愛想良く迎え入れてくれた。
「球審やれるなら、どんどん経験を積め」と言われ、いきなり球審を務めさせて頂いた。
それ以来、球場で顔を合わせる度に球審に配して頂き、多くの経験を積むことができた。
一緒にグラウンドに立つことは少なかったが、アドバイスは色々と頂いた。
組織の審判部が混沌とした時も重なり、若手育成に力を注がれた方であった。
私にとっては「審判員初等科時代」の教官という感じである。
アドバイスの多くは細かい技術よりも、審判員としての気構えや立ち振る舞いなどであった。
一昨年に第一線を退かれてからは、お会いする機会も無かっただけに、突然の訃報で打ちひしがれている。
良い報告もできぬまま、永久の別れとなってしまい、残念でならない。
もうすぐ北海道も球春であるが、春の球音を聞くこともなく逝かれてしまった。
心よりご冥福をお祈りしたい。
最後のお見送りもできずに、義理を欠いてしまった。残念でならない。
私が審判員として右も左も解らない新米の頃に、大変目を掛けて頂き、大いに引き回して頂いた恩師である。
とにかく実戦重視の方であり、沢山の経験を積ませて頂いた。
顔を合わせる度に、「俺が責任をとるから、思い切りやって来い」が口癖で、グラウンドに送り出してくれた。
沢山の勇気をもらい、グラウンドに立たせてくれたように思う。
また、ある意味「天狗にして頂いた」ようにも思う。
最初の出会いは、故人が所属していたチームのグラウンドでの練習試合であった。
審判控え室に挨拶に行くと、愛想良く迎え入れてくれた。
「球審やれるなら、どんどん経験を積め」と言われ、いきなり球審を務めさせて頂いた。
それ以来、球場で顔を合わせる度に球審に配して頂き、多くの経験を積むことができた。
一緒にグラウンドに立つことは少なかったが、アドバイスは色々と頂いた。
組織の審判部が混沌とした時も重なり、若手育成に力を注がれた方であった。
私にとっては「審判員初等科時代」の教官という感じである。
アドバイスの多くは細かい技術よりも、審判員としての気構えや立ち振る舞いなどであった。
一昨年に第一線を退かれてからは、お会いする機会も無かっただけに、突然の訃報で打ちひしがれている。
良い報告もできぬまま、永久の別れとなってしまい、残念でならない。
もうすぐ北海道も球春であるが、春の球音を聞くこともなく逝かれてしまった。
心よりご冥福をお祈りしたい。
週末にプロ野球のパリーグが開幕し、春の選抜高校野球大会も熱戦が始まった。いよいよ、今年もシーズンインである。
北海道のアマチュア野球は、そのほとんどはゴールデンウィークが開幕である。連休の初日に一年間の合同開会式を行い、次の休日より春季大会に突入する。まずは、春季大会で小手調べというところか。
選手たちは北国の永い冬に厳しい練習を積み、大きく成長を遂げている。クラブチームの場合は、高校野球のように毎日全体練習というわけにはいかないが、5ヶ月間のうち50日弱の全体練習と自主トレで心身ともに強化されて、新しいシーズンに臨む。当然、新人戦の時とチーム事情も違えば、子供たちのモチベーションも違う。どのような対戦が繰り広げられるか、今からワクワクした思いである。
それに対して、私の状態はというと、今年は例年よりも準備が早い。冬期間の研修会は、恒例行事となりつつあるが、その他にも審判仲間たちと実技の反復を行ってきた。また、例年よりもブルペンに通い、投手の生きた球を見た。シート打撃の審判にも入り、投球判定も行った。当然、ファールカップまで防具はフル装備である。目の調子が悪かったが、眼鏡を変えたら、すっかり視界も良好となった。あとは、最近悩まされている、かかとの痛みさえ治れば完璧である。
準備万端の時こそ、好事魔多しである。鼻息荒く乗り込むと、落とし穴が待っているので、まずは静かにスタートしようかと思っている。例年のように、オープン戦に数試合立ってから、公式戦に臨もうと考えている。つまりは、いつもと変わらない春にしようと考えているのである。
実際は、組織自体が風雲急を告げているが・・・・。流れに任せることにしよう。
春の選抜大会を観ていると、今年の指導項目であった「捕手の足」が徹底していないことに気付いた。初日が終わった時点で、色々な方々から連絡を頂いた。只今、調査中であるが、恐らく選抜大会には間に合わなかったのが現実だと思われる。「捕手のミット」は、かなり改善されたように見えるが、もう少し指導の継続が必要であろう。このようなルールにない慣例を変更することは数年を要すると考えていた方よい。
そうこうしていたら、大リーグから珍事が舞い込んできた。
今年、ヤンキースから移籍した松井秀樹選手のエンゼルスとイチロー選手のマリナーズとのオープン戦で「一人審判」の珍現象が起きたのである。
審判員が一人の場合は「投手の背後」の位置に立ち、すべてのジャッジメントを一人で行うこととなる。私も数年前にオープン戦で「一人審判」をやってみたことがあるが、その時は捕手の後ろに立った。正式には「投手の後ろ」ということは知っていたが、どういう理由であったかは忘れたが、通常とおり「捕手の後ろ」でジャッジをしていたのを記憶している。
永い大リーグの歴史の中でも、なかなか無いことだと思われる。ただし、マイナーリーグでは、2Aより下部組織は「二人制」であるから、一人が急病になった場合などは、「一人制」で試合をやることがあるかもしれない。
日本では、まずお目にかかることはないであろう。先日改訂となった「審判メカニクスハンドブック」にも「二人制」まではあるが、「一人制」はない。確かに、一人の審判員であればメカニクスも何もないであろう。ひたすら、ボールの在り処を追って、その都度ジャッジメントを繰り返すしかない。
この試合、最初は3人制で始まったのだが、途中で球審が負傷退場したため、他の塁審が防具を付けて用意をしている間、残った一人の審判員でゲームを進行したようだ。7回裏から8回表2死までの間、「一人審判」となったようである。
日本ではオープン戦とはいえ、松井とイチローの対決とあって注目されていたが、とんだ珍プレイに遭遇する機会を得たものだ。イチローはマルチ安打と活躍したが、この日だけは引き立て役となってしまったようだ。
北海道のアマチュア野球は、そのほとんどはゴールデンウィークが開幕である。連休の初日に一年間の合同開会式を行い、次の休日より春季大会に突入する。まずは、春季大会で小手調べというところか。
選手たちは北国の永い冬に厳しい練習を積み、大きく成長を遂げている。クラブチームの場合は、高校野球のように毎日全体練習というわけにはいかないが、5ヶ月間のうち50日弱の全体練習と自主トレで心身ともに強化されて、新しいシーズンに臨む。当然、新人戦の時とチーム事情も違えば、子供たちのモチベーションも違う。どのような対戦が繰り広げられるか、今からワクワクした思いである。
それに対して、私の状態はというと、今年は例年よりも準備が早い。冬期間の研修会は、恒例行事となりつつあるが、その他にも審判仲間たちと実技の反復を行ってきた。また、例年よりもブルペンに通い、投手の生きた球を見た。シート打撃の審判にも入り、投球判定も行った。当然、ファールカップまで防具はフル装備である。目の調子が悪かったが、眼鏡を変えたら、すっかり視界も良好となった。あとは、最近悩まされている、かかとの痛みさえ治れば完璧である。
準備万端の時こそ、好事魔多しである。鼻息荒く乗り込むと、落とし穴が待っているので、まずは静かにスタートしようかと思っている。例年のように、オープン戦に数試合立ってから、公式戦に臨もうと考えている。つまりは、いつもと変わらない春にしようと考えているのである。
実際は、組織自体が風雲急を告げているが・・・・。流れに任せることにしよう。
春の選抜大会を観ていると、今年の指導項目であった「捕手の足」が徹底していないことに気付いた。初日が終わった時点で、色々な方々から連絡を頂いた。只今、調査中であるが、恐らく選抜大会には間に合わなかったのが現実だと思われる。「捕手のミット」は、かなり改善されたように見えるが、もう少し指導の継続が必要であろう。このようなルールにない慣例を変更することは数年を要すると考えていた方よい。
そうこうしていたら、大リーグから珍事が舞い込んできた。
今年、ヤンキースから移籍した松井秀樹選手のエンゼルスとイチロー選手のマリナーズとのオープン戦で「一人審判」の珍現象が起きたのである。
審判員が一人の場合は「投手の背後」の位置に立ち、すべてのジャッジメントを一人で行うこととなる。私も数年前にオープン戦で「一人審判」をやってみたことがあるが、その時は捕手の後ろに立った。正式には「投手の後ろ」ということは知っていたが、どういう理由であったかは忘れたが、通常とおり「捕手の後ろ」でジャッジをしていたのを記憶している。
永い大リーグの歴史の中でも、なかなか無いことだと思われる。ただし、マイナーリーグでは、2Aより下部組織は「二人制」であるから、一人が急病になった場合などは、「一人制」で試合をやることがあるかもしれない。
日本では、まずお目にかかることはないであろう。先日改訂となった「審判メカニクスハンドブック」にも「二人制」まではあるが、「一人制」はない。確かに、一人の審判員であればメカニクスも何もないであろう。ひたすら、ボールの在り処を追って、その都度ジャッジメントを繰り返すしかない。
この試合、最初は3人制で始まったのだが、途中で球審が負傷退場したため、他の塁審が防具を付けて用意をしている間、残った一人の審判員でゲームを進行したようだ。7回裏から8回表2死までの間、「一人審判」となったようである。
日本ではオープン戦とはいえ、松井とイチローの対決とあって注目されていたが、とんだ珍プレイに遭遇する機会を得たものだ。イチローはマルチ安打と活躍したが、この日だけは引き立て役となってしまったようだ。
昨年、アマチュア規則委員会の麻生委員長が「捕手のミットを動かさないキャンペーン」を発表した際、日本の野球の根幹を揺るがすようなイメージを持った。
日本の捕手は際どいコースの投球を捕球する際、ミットを微妙に動かしてストライクのアピールをするのは当たり前の技術とされてきた。漫画の主人公などはこの技術が卓越していて、球審さえも唸ってしまうというストーリーに、読者である野球少年たちはあこがれを持って納得し、その技術の習得に励んだものである。
また、日本の捕手は投手の投球をミットの芯で捕球し、「いい音」を立てることが良いキャッチングとされている。しかし本場アメリカでは「そんなことをして、多くの球数を受けたために、手を故障するのはナンセンス」となるのである。つまり、投球を捕球できれば良いのであり、「いい音」を立てることが目的はないという考え方である。合理的なアメリカの考え方としては、当たり前のように思われる。
日本では「いい音」が出ると、投手が気分良く投げられるのと、球審の判定にも少なからず影響すると考えるのであろう。しかし、球審の判定にはまったく関係ないと思われる。少なくとも、私は関係ない。球審の投球判定は、投球を捕手のミットまでトラッキングにより目で追い、再度投球の軌道に押し戻して判定するように指導される。このため、「目でボールを追う」ことに集中しており、捕球の音が気になることは絶対にない。
確かに捕球の音の良否よりも、捕手のミットが動くことの方が気になる。私のようにへそ曲がりが球審を担当すると、「ミットを動かすということは、ボールなんだな」となる。
昨年のキャンペーンが効を湊したのであろう、捕手のミットの動きは明らかに小さくなった。捕手のミットが物分かり良くなったように感じ、非常にジャッジがし易く楽になった。
私は、球審を担当する際には、捕手との関係を最も気にする。捕手はストライクゾーンを、一番間近で見ている選手である。この選手の感性と合致したジャッジメントができたと感じた試合は、実にスムーズに試合が展開する。とは言う物の、捕手にゴマを擂るわけにも、捕手に迎合するわけにもいかない。
捕手の不満を感じつつも、一試合安定したジャッジメントをすることが、遠回りではあるが、捕手の信頼を得ることになる。
この「捕手の信頼」は重要である。
捕手は球審の前にいて、投手の投球を受けるとともに、ファールチップに対しては「盾」にもなってくれる。
ショートバウンドを、ことごとく止めてくれると、捕手に対する信頼が生まれ、投球を最後まで見ることができ、ジャッジメントが安定する。
つまり、互いが信頼していることが、ジャッジメントの安定につながるのである。
今年、新たなキャンペーンが発表された。規則【4.03(a)および8.05(l)】の解釈を、「常に捕手はボールが投手の手から離れるまでは、キャッチャーズボックスの中に両足を置いておかねばならない」とすることを指導していくこととなった。
【4.03(a)】試合の開始
捕手は、ホームプレートの直後に位置しなければならない。故意の四球が企図された場合は、ボールが投手の手を離れるまで、捕手はその両足をキャッチャーズボックス内に置いていなければならないが、その他の場合は、捕球またはプレイのためならいつでもその位置を離れてもよい。<ペナルティ>ボークとなる。
【8.05(l)】ボーク
故意四球が企図されたときに、投手がキャッチャーズボックスの外にいる捕手に投球した場合。【注】“キャッチャーズボックスの外にいる捕手”とは、捕手がキャッチャーズボックス内に両足を入れていないことをいう。したがって、故意四球が企図されたときに限って、ボールが投手の手を離れないうちに捕手が片足でもボックスの外に出しておれば、本項が適用される。
この根底に流れるのは「捕手が大きく動くため球審が無防備になる」ことであり、キャンペーンの理由のひとつと考えられる。このような動きを捕手がするのは、アジア系のチームに多いため、アメリカや南米の審判に不評を買っている。「JAPANの捕手は、球審を危険に晒す」と毛嫌いされている。これも、国際試合が増えてきた影響・摩擦である。
我がチームの捕手に指導してみたが、なかなか大変である。キャッチャーズボックスから出られないのは、かなり狭っ苦しいようだ。しかし、その後ろにいる球審の精神状態は安定する。防具の無い箇所に打球や投球が直撃した経験のある審判員なら、この安心感は分かるはずである。
二年続けて、捕手がターゲットとなった感はある。捕手受難の時代は続く、ということか。
日本の捕手は際どいコースの投球を捕球する際、ミットを微妙に動かしてストライクのアピールをするのは当たり前の技術とされてきた。漫画の主人公などはこの技術が卓越していて、球審さえも唸ってしまうというストーリーに、読者である野球少年たちはあこがれを持って納得し、その技術の習得に励んだものである。
また、日本の捕手は投手の投球をミットの芯で捕球し、「いい音」を立てることが良いキャッチングとされている。しかし本場アメリカでは「そんなことをして、多くの球数を受けたために、手を故障するのはナンセンス」となるのである。つまり、投球を捕球できれば良いのであり、「いい音」を立てることが目的はないという考え方である。合理的なアメリカの考え方としては、当たり前のように思われる。
日本では「いい音」が出ると、投手が気分良く投げられるのと、球審の判定にも少なからず影響すると考えるのであろう。しかし、球審の判定にはまったく関係ないと思われる。少なくとも、私は関係ない。球審の投球判定は、投球を捕手のミットまでトラッキングにより目で追い、再度投球の軌道に押し戻して判定するように指導される。このため、「目でボールを追う」ことに集中しており、捕球の音が気になることは絶対にない。
確かに捕球の音の良否よりも、捕手のミットが動くことの方が気になる。私のようにへそ曲がりが球審を担当すると、「ミットを動かすということは、ボールなんだな」となる。
昨年のキャンペーンが効を湊したのであろう、捕手のミットの動きは明らかに小さくなった。捕手のミットが物分かり良くなったように感じ、非常にジャッジがし易く楽になった。
私は、球審を担当する際には、捕手との関係を最も気にする。捕手はストライクゾーンを、一番間近で見ている選手である。この選手の感性と合致したジャッジメントができたと感じた試合は、実にスムーズに試合が展開する。とは言う物の、捕手にゴマを擂るわけにも、捕手に迎合するわけにもいかない。
捕手の不満を感じつつも、一試合安定したジャッジメントをすることが、遠回りではあるが、捕手の信頼を得ることになる。
この「捕手の信頼」は重要である。
捕手は球審の前にいて、投手の投球を受けるとともに、ファールチップに対しては「盾」にもなってくれる。
ショートバウンドを、ことごとく止めてくれると、捕手に対する信頼が生まれ、投球を最後まで見ることができ、ジャッジメントが安定する。
つまり、互いが信頼していることが、ジャッジメントの安定につながるのである。
今年、新たなキャンペーンが発表された。規則【4.03(a)および8.05(l)】の解釈を、「常に捕手はボールが投手の手から離れるまでは、キャッチャーズボックスの中に両足を置いておかねばならない」とすることを指導していくこととなった。
【4.03(a)】試合の開始
捕手は、ホームプレートの直後に位置しなければならない。故意の四球が企図された場合は、ボールが投手の手を離れるまで、捕手はその両足をキャッチャーズボックス内に置いていなければならないが、その他の場合は、捕球またはプレイのためならいつでもその位置を離れてもよい。<ペナルティ>ボークとなる。
【8.05(l)】ボーク
故意四球が企図されたときに、投手がキャッチャーズボックスの外にいる捕手に投球した場合。【注】“キャッチャーズボックスの外にいる捕手”とは、捕手がキャッチャーズボックス内に両足を入れていないことをいう。したがって、故意四球が企図されたときに限って、ボールが投手の手を離れないうちに捕手が片足でもボックスの外に出しておれば、本項が適用される。
この根底に流れるのは「捕手が大きく動くため球審が無防備になる」ことであり、キャンペーンの理由のひとつと考えられる。このような動きを捕手がするのは、アジア系のチームに多いため、アメリカや南米の審判に不評を買っている。「JAPANの捕手は、球審を危険に晒す」と毛嫌いされている。これも、国際試合が増えてきた影響・摩擦である。
我がチームの捕手に指導してみたが、なかなか大変である。キャッチャーズボックスから出られないのは、かなり狭っ苦しいようだ。しかし、その後ろにいる球審の精神状態は安定する。防具の無い箇所に打球や投球が直撃した経験のある審判員なら、この安心感は分かるはずである。
二年続けて、捕手がターゲットとなった感はある。捕手受難の時代は続く、ということか。
第3版の審判メカニクスハンドブックを入手した。
早速、第2版との違いをチェック。これも、オフシーズンの楽しみである。そのうち、ルールブックの改訂版が発行されるが、これもまた楽しみである。
今回のメカニクスの改訂は、2005年以来4年振りの変更である。
その目玉が「リミング」であり、以下のように定義されている。
【リミング】
一塁塁審が、一・二塁を結ぶラインの外側から、一・二塁のプレイに備える動きをいう。
状況は、走者二塁、走者三塁、走者一・二塁、走者一・三塁、走者二・三塁、満塁の場面で、中堅手から左側の外野飛球を三塁塁審または二塁塁審が追った場合。
このリミングの流れは、2008年の全国の審判講習会に参加した際に、教えていただいた動きであった。たった1日の講習会であるため説明時間が短く、その動きのメリットなどの説明がないままであったことから、「こんな動きもあるのだ」と思いつつ、必死にメモだけは残していたようである。
昨年、一塁ベースの空過事件があり、我々審判仲間で作った倶楽部において、大変に話題になったのか「リミング」であった。
走者満塁などで、二塁塁審が内側に位置している状況で、中堅より左側に飛球が飛んだ場合、球審はステイ状態で、二塁と一塁がカウンタークロックワイズの動きとなる。反時計回りに走者を追いかけるように動くのである。
従来の一塁塁審の動きは、一・二塁間の延長線上より内側、それも出来る限りマウンド寄り走り込むように指導されてきた。これが、なかなかできない。一塁走者や一塁手、そして打者走者の動きを気にしていると、内側へ切れ込むタイミングを失ってしまうのである。なかなか、内側から一塁と二塁の触塁を確認することが出来ずにいた。
ようやく、余裕を持って動けるようになってきた矢先に、若手審判員から疑問を投げかけられた。
「内側に入った一塁塁審が、ベースの内側を蹴る打者走者の触塁を確認出来るのでしょうか」というのが疑問であった。
なるほど、道理である。
一塁塁審がフォースアウトのポジショニングとして、最初に教えられるのが、「送球に対して直角の位置」である。これは、角度の重要性を教えるために最適なケーススタディである。
つまり、ベースと走者と審判員が直線上に並ぶ位置は、決して好ましくないということであり、その位置では、まったく角度がとれていないポジショニングということである。
しかし、従来のメカニクスでは、どんなに頑張っても、一塁も二塁も、触塁確認には角度が十分とはいえない。少しでも審判員を経験した方ならば、「あの位置で見えるのか」と疑問符を打つであろう。
昨年の秋に、我が倶楽部で、ひとつの試みを行うことにした。それが一塁塁審の「リミング」であった。自分たちの勉強会で、ベストポジションを模索したりした。また、打球の方向によっては、走者の触塁は見えても、打球の行方を見失う可能性もあることにも気づいた。つまり、一・二塁間の延長線上より左翼側はリミングの位置で良いが、中堅よりの打球の場合は、ボールの行方を確認しにくいことが分かった。
この判断は難しいが、要は「ボールを正面に置く」という動作の基本に立ち返ることなのであろう。そうすれば、自然とベストポジションに立つことができるようになるはずである。
今年は、正式に「リミング」で動くことが許されると喜んでいるのであるが、果たしてどうなることやら。
それでも、私は「リミング」で動く。それは、自然な動きであるから仕方がないのである。
早速、第2版との違いをチェック。これも、オフシーズンの楽しみである。そのうち、ルールブックの改訂版が発行されるが、これもまた楽しみである。
今回のメカニクスの改訂は、2005年以来4年振りの変更である。
その目玉が「リミング」であり、以下のように定義されている。
【リミング】
一塁塁審が、一・二塁を結ぶラインの外側から、一・二塁のプレイに備える動きをいう。
状況は、走者二塁、走者三塁、走者一・二塁、走者一・三塁、走者二・三塁、満塁の場面で、中堅手から左側の外野飛球を三塁塁審または二塁塁審が追った場合。
このリミングの流れは、2008年の全国の審判講習会に参加した際に、教えていただいた動きであった。たった1日の講習会であるため説明時間が短く、その動きのメリットなどの説明がないままであったことから、「こんな動きもあるのだ」と思いつつ、必死にメモだけは残していたようである。
昨年、一塁ベースの空過事件があり、我々審判仲間で作った倶楽部において、大変に話題になったのか「リミング」であった。
走者満塁などで、二塁塁審が内側に位置している状況で、中堅より左側に飛球が飛んだ場合、球審はステイ状態で、二塁と一塁がカウンタークロックワイズの動きとなる。反時計回りに走者を追いかけるように動くのである。
従来の一塁塁審の動きは、一・二塁間の延長線上より内側、それも出来る限りマウンド寄り走り込むように指導されてきた。これが、なかなかできない。一塁走者や一塁手、そして打者走者の動きを気にしていると、内側へ切れ込むタイミングを失ってしまうのである。なかなか、内側から一塁と二塁の触塁を確認することが出来ずにいた。
ようやく、余裕を持って動けるようになってきた矢先に、若手審判員から疑問を投げかけられた。
「内側に入った一塁塁審が、ベースの内側を蹴る打者走者の触塁を確認出来るのでしょうか」というのが疑問であった。
なるほど、道理である。
一塁塁審がフォースアウトのポジショニングとして、最初に教えられるのが、「送球に対して直角の位置」である。これは、角度の重要性を教えるために最適なケーススタディである。
つまり、ベースと走者と審判員が直線上に並ぶ位置は、決して好ましくないということであり、その位置では、まったく角度がとれていないポジショニングということである。
しかし、従来のメカニクスでは、どんなに頑張っても、一塁も二塁も、触塁確認には角度が十分とはいえない。少しでも審判員を経験した方ならば、「あの位置で見えるのか」と疑問符を打つであろう。
昨年の秋に、我が倶楽部で、ひとつの試みを行うことにした。それが一塁塁審の「リミング」であった。自分たちの勉強会で、ベストポジションを模索したりした。また、打球の方向によっては、走者の触塁は見えても、打球の行方を見失う可能性もあることにも気づいた。つまり、一・二塁間の延長線上より左翼側はリミングの位置で良いが、中堅よりの打球の場合は、ボールの行方を確認しにくいことが分かった。
この判断は難しいが、要は「ボールを正面に置く」という動作の基本に立ち返ることなのであろう。そうすれば、自然とベストポジションに立つことができるようになるはずである。
今年は、正式に「リミング」で動くことが許されると喜んでいるのであるが、果たしてどうなることやら。
それでも、私は「リミング」で動く。それは、自然な動きであるから仕方がないのである。
私自身、チームに所属する審判員である。オフシーズンは「コーチ」の肩書きがついている。チームの選手たちにとっては、「審判員」である前に「コーチ」の位置づけなのかもしれない。前日にトレーニングメニューと時間割を作成する。練習当日は、集合1時間前に行って、テーピングが必要な選手を待っている。朝礼の後は、アップからランニングメニューの指導を行う。午後には、ブルペンに向かい投球練習をするバッテリーの後ろで、投球判定を行う。投内連係が始まれば、一塁の判定練習を行う。時折、打撃ゲージの方に足を向け、ティ打撃の手伝いなどもする。選手のモチベーションが下がってきたら、気合を入れてみたり、特別メニューでノックを受けている野手には、励ましの言葉を掛けたりもする。何とも忙しくもあり、楽しくもある。シーズンに入り審判員をやるのは、審判員が好きなこともあるが、選手たち・子供たちのために出来ることはないか考えた時に、「審判」があったのである。
何度か書いたことがあるが、息子が野球をやっていなかったら、絶対に野球の審判員はやっていなかったであろう。そもそも、リトルリーグに息子がお世話になった際に、入団の条件として「父兄の協力」があった。そのひとつが審判員であった。息子がリトルリーグの練習見学に行った際に、チームの事務局の方が「審判員はできますか」と聞いてきた。私自身、野球は好きだがプレイヤーであったわけではない。ルールは、テレビやラジオ中継から入手する情報がすべてである。どう答えようかと思案する間もなく、我が愚妻が「お父さん、審判ぐらい出来るよね」と快諾してしまった。息子がチームで大切に扱って欲しいが為の「親心」がもたらした、「災い」、いやいや「幸い」だったのであろう。
これが「審判員」との出会いである。
何も解らない状態から、始めた審判員である。仲間もいなければ、師匠もいない状態であった。一応、父兄審判員の先輩諸氏はおられたが、今思えば「それなり」であった。
今の団体に所属するようになってからも、チーム審判員の先輩は1名であった。その先輩の後ろにくっ付いて球場を渡り歩いていた。4年目からは先輩審判員が退かれ、チーム審判員はたった一人となってしまった。当然のように審判長になったのだが、ひとりではグループとは言えない。
この時が、仲間集めの起点だったのだろう。チームの父兄に声を掛け、審判員のなり手を募った。このとき、手を挙げてくれたのは3名であったが、今でも2名が継続してくれているのは心強い。
そうやって少しずつ仲間が集まり、6年目を迎えた今年は、いよいよ10名を超える大所帯となった。全体の実力も確実に底上げされてきている。これには、私の師匠や諸先輩方々の絶大なる「叱咤激励」があったことは言うまでもない。本当に感謝している。これらのご指導を有効なものとして、後進に伝えることも使命と感じている。
この使命の表現方法の一つとして、昨年からチーム内で講習会を実施するようになった。秋の新人戦の前に、それまでの事例を持ち寄って議論をしたり、実際にグラウンド上で動きの確認作業をしてみたりした。これが、経験の浅い若手審判員には好評であった。練習試合などの実戦を経験するのも重要であるが、ベテラン審判員に基本を教えてもらうのも非常に効果がある。今後、できるだけ時間を調整してでも「勉強会」をやろうということになった。他チームの有志たちにも声を掛けたいところだが、組織の締め付けが厳しくて難しいのが現状である。自分たちの技術を磨くことに、「良かれ」と思えない方々が居られるのも事実である。何とも「ややこしい組織」である。
とりあえずは、大所帯となった自チームの審判員の底上げを図ることで、色々な方々のご指導に報いようと考え、このオフシーズンからは「勉強会」を計画してみた。何をやるかは、具体的には決めていない。強いていえば「GO-STOP-GO」の反復練習程度はやろうかと考えている。
目的のひとつは、新しく参加してくれる父兄審判の方々が、スムーズに活動に参加できるようにすることである。最初は、当たり前だが「自信」はない。「ジャッジを間違ったら、選手に悪い」とか「ベンチの監督たちに怒られるのでは」などと考えてしまうものである。
それらの不安を取り除くまでいかなくても、緩和してあげることができれば良いと考えている。
ちなみに、審判メカニクスハンドブックの第三版が発行されている。審判技術や動きの基本を解りやすく書かれている一冊であり、審判員を志す方は必携の一冊である。
価格は1200円で、下記に現金書留で必要部数分の金額を送付すると、送料は連盟負担で送付してくれる。是非とも、購入されることをお勧めする。
ちなみに我がチームは、既に全員分を購入している。
【送付先】〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー8F
全日本アマチュア野球連盟
TEL:03-3201-1155、FAX:03-3201-0707
※現金封筒に金額と、住所・氏名・電話番号・部数を記載して同封して下さい。
何度か書いたことがあるが、息子が野球をやっていなかったら、絶対に野球の審判員はやっていなかったであろう。そもそも、リトルリーグに息子がお世話になった際に、入団の条件として「父兄の協力」があった。そのひとつが審判員であった。息子がリトルリーグの練習見学に行った際に、チームの事務局の方が「審判員はできますか」と聞いてきた。私自身、野球は好きだがプレイヤーであったわけではない。ルールは、テレビやラジオ中継から入手する情報がすべてである。どう答えようかと思案する間もなく、我が愚妻が「お父さん、審判ぐらい出来るよね」と快諾してしまった。息子がチームで大切に扱って欲しいが為の「親心」がもたらした、「災い」、いやいや「幸い」だったのであろう。
これが「審判員」との出会いである。
何も解らない状態から、始めた審判員である。仲間もいなければ、師匠もいない状態であった。一応、父兄審判員の先輩諸氏はおられたが、今思えば「それなり」であった。
今の団体に所属するようになってからも、チーム審判員の先輩は1名であった。その先輩の後ろにくっ付いて球場を渡り歩いていた。4年目からは先輩審判員が退かれ、チーム審判員はたった一人となってしまった。当然のように審判長になったのだが、ひとりではグループとは言えない。
この時が、仲間集めの起点だったのだろう。チームの父兄に声を掛け、審判員のなり手を募った。このとき、手を挙げてくれたのは3名であったが、今でも2名が継続してくれているのは心強い。
そうやって少しずつ仲間が集まり、6年目を迎えた今年は、いよいよ10名を超える大所帯となった。全体の実力も確実に底上げされてきている。これには、私の師匠や諸先輩方々の絶大なる「叱咤激励」があったことは言うまでもない。本当に感謝している。これらのご指導を有効なものとして、後進に伝えることも使命と感じている。
この使命の表現方法の一つとして、昨年からチーム内で講習会を実施するようになった。秋の新人戦の前に、それまでの事例を持ち寄って議論をしたり、実際にグラウンド上で動きの確認作業をしてみたりした。これが、経験の浅い若手審判員には好評であった。練習試合などの実戦を経験するのも重要であるが、ベテラン審判員に基本を教えてもらうのも非常に効果がある。今後、できるだけ時間を調整してでも「勉強会」をやろうということになった。他チームの有志たちにも声を掛けたいところだが、組織の締め付けが厳しくて難しいのが現状である。自分たちの技術を磨くことに、「良かれ」と思えない方々が居られるのも事実である。何とも「ややこしい組織」である。
とりあえずは、大所帯となった自チームの審判員の底上げを図ることで、色々な方々のご指導に報いようと考え、このオフシーズンからは「勉強会」を計画してみた。何をやるかは、具体的には決めていない。強いていえば「GO-STOP-GO」の反復練習程度はやろうかと考えている。
目的のひとつは、新しく参加してくれる父兄審判の方々が、スムーズに活動に参加できるようにすることである。最初は、当たり前だが「自信」はない。「ジャッジを間違ったら、選手に悪い」とか「ベンチの監督たちに怒られるのでは」などと考えてしまうものである。
それらの不安を取り除くまでいかなくても、緩和してあげることができれば良いと考えている。
ちなみに、審判メカニクスハンドブックの第三版が発行されている。審判技術や動きの基本を解りやすく書かれている一冊であり、審判員を志す方は必携の一冊である。
価格は1200円で、下記に現金書留で必要部数分の金額を送付すると、送料は連盟負担で送付してくれる。是非とも、購入されることをお勧めする。
ちなみに我がチームは、既に全員分を購入している。
【送付先】〒100-0005 東京都千代田区丸の内1-7-12 サピアタワー8F
全日本アマチュア野球連盟
TEL:03-3201-1155、FAX:03-3201-0707
※現金封筒に金額と、住所・氏名・電話番号・部数を記載して同封して下さい。
スリーボール ツーストライク
2010年1月28日 スポーツ コメント (9)
今年から日本野球機構(NPB)、つまりプロ野球のボールカウントのコールを、従来の「ストライク、ボール」の順から、「ボール、ストライク」に変更することを決定したようである。こんなことが大々的にニュースになるのであるから、日本のプロ野球も話題に乏しいのであろうか。このことで、一番苦労をするのは球審や選手であることには違いないが、一番混乱するのはメディアであろう。今まで、「ボールカウントは2&3です」と言っていたボールカウントが、「ボールカウントは3&2」ですとなる。これは、アナウンサーもファンも混乱するであろう。当面は、「3ボール2ストライク」を正確に伝える努力をするようである。
もちろん、この改正の背景は野球の国際化である。オリンピックやワールドベースボールクラシックなどを観戦していると、国際映像で流れてくる「SBO」の並びが違うことに気付いていた方は多いであろう。ワールドベースボールクラシックなどは2連覇をしてしまったので、否が応でも第三回大会の注目度は高まる。いつまでも、日本の野球に拘っていては、折角の二連覇も色褪せてしまう。ルールもプレイも世界基準に合わせた上で、堂々と連覇を成し遂げて欲しいものである。
高校野球では1997年から「ボール、ストライク」の順でコールしていたらしい。毎年、選抜チームが海を渡り、本場アメリカのチームと試合を行っていることから、高校野球の方がプロ野球よりも国際試合が多いことが一因なのかもしれない。そういう意味では、日本の野球草創期を牽引していた大学野球が、従来とおりの「ストライク、ボール」の順番であることは意外である。もちろん社会人野球も同様であるが、プロ野球の流れに追随することが検討されているらしい。
何とも、歯切れの悪い話である。こんなことは、さっさと統一してしまえば良いのである。日本で一応最高峰の日本野球機構(プロ野球)が決定したのであるから、他の団体も移行したら良いのである。
実は、私は既に「ボール、ストライク」の順でコールしている。審判員を始めて3年目くらいには、「格好良さそうだ」という安直な考えから、勝手に「3ボール2ストライク」とコールしていた。勿論、選手たちには不評である。打者や捕手が私の方に振り向いて、カウントを確認することが多々あった。
このカウントコールをしようと思ったキッカケは、大リーグである。審判員の面白さに惹かれていくうちに、ルールの勉強に熱が入り、それに伴ってベースボールのルーツを知る必要性が出てくる。ベースボールのルーツを探るということは、大リーグに触れることである。大リーグの歴史を紐解いていくと、ルールの起源がわかり、その基本理念を理解することとなる。この基本理念を理解していれば、色々なトラブルやレアケースに対応できるようになる。
野球では、色々なプレイが起こる。そのすべてのケースを勉強し、処置方法を考え記憶できるのであれば良いが、それは不可能である。ゆえに、基本の考え方だけを理解することで、対応していく方法しかない。これを、上手く運用して、試合をスムーズに進行・展開させることが審判員の腕なのであろう。
それには、ルールの基本と一般常識が不可欠であると思うようになった。
そういう意味では、ボールカウントのコールの順番は、「解れば良い」のレベルなのかもしれない。
選手もファンもマスコミも、勿論審判員も、すぐに馴れるであろうことは、既に実施している私は確信している。まったく心配はいらない。
もちろん、この改正の背景は野球の国際化である。オリンピックやワールドベースボールクラシックなどを観戦していると、国際映像で流れてくる「SBO」の並びが違うことに気付いていた方は多いであろう。ワールドベースボールクラシックなどは2連覇をしてしまったので、否が応でも第三回大会の注目度は高まる。いつまでも、日本の野球に拘っていては、折角の二連覇も色褪せてしまう。ルールもプレイも世界基準に合わせた上で、堂々と連覇を成し遂げて欲しいものである。
高校野球では1997年から「ボール、ストライク」の順でコールしていたらしい。毎年、選抜チームが海を渡り、本場アメリカのチームと試合を行っていることから、高校野球の方がプロ野球よりも国際試合が多いことが一因なのかもしれない。そういう意味では、日本の野球草創期を牽引していた大学野球が、従来とおりの「ストライク、ボール」の順番であることは意外である。もちろん社会人野球も同様であるが、プロ野球の流れに追随することが検討されているらしい。
何とも、歯切れの悪い話である。こんなことは、さっさと統一してしまえば良いのである。日本で一応最高峰の日本野球機構(プロ野球)が決定したのであるから、他の団体も移行したら良いのである。
実は、私は既に「ボール、ストライク」の順でコールしている。審判員を始めて3年目くらいには、「格好良さそうだ」という安直な考えから、勝手に「3ボール2ストライク」とコールしていた。勿論、選手たちには不評である。打者や捕手が私の方に振り向いて、カウントを確認することが多々あった。
このカウントコールをしようと思ったキッカケは、大リーグである。審判員の面白さに惹かれていくうちに、ルールの勉強に熱が入り、それに伴ってベースボールのルーツを知る必要性が出てくる。ベースボールのルーツを探るということは、大リーグに触れることである。大リーグの歴史を紐解いていくと、ルールの起源がわかり、その基本理念を理解することとなる。この基本理念を理解していれば、色々なトラブルやレアケースに対応できるようになる。
野球では、色々なプレイが起こる。そのすべてのケースを勉強し、処置方法を考え記憶できるのであれば良いが、それは不可能である。ゆえに、基本の考え方だけを理解することで、対応していく方法しかない。これを、上手く運用して、試合をスムーズに進行・展開させることが審判員の腕なのであろう。
それには、ルールの基本と一般常識が不可欠であると思うようになった。
そういう意味では、ボールカウントのコールの順番は、「解れば良い」のレベルなのかもしれない。
選手もファンもマスコミも、勿論審判員も、すぐに馴れるであろうことは、既に実施している私は確信している。まったく心配はいらない。
2010年第一回審判講習会
2010年1月24日 スポーツ
今年も、冬期間恒例の審判講習会が開催された。社会人野球の審判員が冬期間の勉強会と称して始まった講習会も13年目を迎えたとのことである。私も、この講習会の存在を知り、参加するようになって7年程度経った。1月~3月までは座学を中心に実施され、4月はシーズンイン直前の実地講習会となる。北海道は、4月上旬よりグラウンドが使用可能となり、5月のゴールデンウィークからは一気に各クラスの大会が始まるため、野外での審判実技のトレーニングは4月に集中する。この月が一年の成果を左右すると言うことである。
それまでに、過去の事例などを参考にルールの勉強やメカニクス、アンパイヤリングなどの座学を行い、頭のトレーニングをしておくのである。野球の審判は、実際にはグラウンドでの判断や裁定を素早く下すことが重要となり、実技のトレーニングが最も速効性がある。しかし、ルールの解釈やメカニクス・アンパイヤリングの基本などは、じっくりと時間を掛けて頭を洗脳する必要があると考えている。
意外に、自分自身が知っている野球の「規則」と「公認野球規則」には違いがあるものである。特に、野球のプレイヤーを経験している審判員ほど、その差異は顕著であり、審判員見習いの頃には、自分の知識・経験と公認野球規則のギャップに悩むようである。その点、私のように野球経験が小学校時代しかない審判員は、ルールブックから野球入門するため、不要な予見や予備知識に左右されることが少ない。
日本の「公認野球規則」は、MLBの「Official Baseball Rules」を忠実に再現しようとしているが、「野球」と「Baseball」の違い、「日本」と「アメリカ」の文化の違いから、解釈に微妙な差異が生じているのも事実である。つまり、日本野球の常識が世界ではまったく通じないのである。それどころか、日本野球は「アンフェアの代表格」のように扱われているらしい。何とも情けない話である。
それもこれも、審判員の毅然さが不足していることも一因ではあるが、その根底にはプレイヤーも指導者もファンも、審判員への畏敬の念が薄いことが根強く蔓延っていることがあるのであろう。
今年の第一回講習会の概要は以下のとおりであった。
1.死球の「故意」に対するジャッジ基準について。球審の判断基準を、当該試合で早めに明確にする。
2.空振りの際の捕手の捕球がダイレクトか否かの処置。四氏協議により速やかに処置。塁審から積極的にコールするべき。打者に対峙する塁審およびインフィールド時の二塁塁審は積極的にコールするべき。それは事前のミーティングで確認。四氏協議はできるだけ速やかに結論を出す。
3.バットボーイの妨害。バットを拾いに来た選手が、本塁への送球に対して妨害となった場合、その後のプレイによる守備側の不利益を取り除くように処置する。本塁前に出て、バットの処理をする行為は「妨害」と考える。内野手の後ろにいる審判員は「石ころ」。前は「インターフェア」となる。
4.盗塁時の打者による捕手の守備行為へのインターフェア。スイング無しで捕手の前に出る行為は「妨害」以外に考えられない。スイングして前に出た場合も故意の有無に関係なく「妨害」とする勇気を持つ。勇気を持ってジャッジをしたら、その行為自体が無くなる。
5.死球かファウルボールか判定し難い打球について。ファールゾーンであれば、ただちに「ボールデッド」として打者の様子で判断。打球がフェアゾーンであれば、ボールインプレイで試合を流し、打者の様子を伺う。
6.一塁ベース付近での接触。接触した時点で「ポイント」を打ち、オブストラクション(b)項を表示する。
7.併殺崩しを狙った走者の行為。ピポッドマンに対してスライディングや手を挙げる行為で妨害した場合は、故意の有無に無関係で「守備妨害」として併殺を成立させる。走者に送球が当った場合は、その時点でボールデッドとして「妨害」を適用するべき。
8.リバースダブルプレイの際の一塁塁審のコール。打者走者の一塁でのフォースアウトが成立した後に、他の塁でタッグプレイによる併殺が行われた場合、一塁塁審は、一塁でのフォースアウト成立を「アウト・アウト・アウト」などの繰り返しや、いつもより大きな発声による「アウト」コール、または「アウト」のジェスチャーを残す方法により、次のタッグプレイが行われる塁の審判員に周知させる。
9.ハーフスイングのリクエスト基準。ハーフスイングのリクエストに応えようという大前提があるが、これを逆手にとられてグリップが動いた程度でリクエストをしてくる捕手がいる。球審が自分なりの基準を設けて、リクエストに応えるか否か判断をすることが良い。
以上のほかに、「【7.09(e)】の解釈について」や「内野ゴロで一塁への送球が逸れて、一塁手の足がベースから離れたばめんで、打者走者も一塁ベースを踏まずに通過した場合のアンパイアリング」など、非常にマニアックな話題もあった。また、クロックワイズメカニクスの変更点についての概要が報告された。
これらについては、後日私見を述べようと思う。
今年も、審判員の正月が明けた。
それまでに、過去の事例などを参考にルールの勉強やメカニクス、アンパイヤリングなどの座学を行い、頭のトレーニングをしておくのである。野球の審判は、実際にはグラウンドでの判断や裁定を素早く下すことが重要となり、実技のトレーニングが最も速効性がある。しかし、ルールの解釈やメカニクス・アンパイヤリングの基本などは、じっくりと時間を掛けて頭を洗脳する必要があると考えている。
意外に、自分自身が知っている野球の「規則」と「公認野球規則」には違いがあるものである。特に、野球のプレイヤーを経験している審判員ほど、その差異は顕著であり、審判員見習いの頃には、自分の知識・経験と公認野球規則のギャップに悩むようである。その点、私のように野球経験が小学校時代しかない審判員は、ルールブックから野球入門するため、不要な予見や予備知識に左右されることが少ない。
日本の「公認野球規則」は、MLBの「Official Baseball Rules」を忠実に再現しようとしているが、「野球」と「Baseball」の違い、「日本」と「アメリカ」の文化の違いから、解釈に微妙な差異が生じているのも事実である。つまり、日本野球の常識が世界ではまったく通じないのである。それどころか、日本野球は「アンフェアの代表格」のように扱われているらしい。何とも情けない話である。
それもこれも、審判員の毅然さが不足していることも一因ではあるが、その根底にはプレイヤーも指導者もファンも、審判員への畏敬の念が薄いことが根強く蔓延っていることがあるのであろう。
今年の第一回講習会の概要は以下のとおりであった。
1.死球の「故意」に対するジャッジ基準について。球審の判断基準を、当該試合で早めに明確にする。
2.空振りの際の捕手の捕球がダイレクトか否かの処置。四氏協議により速やかに処置。塁審から積極的にコールするべき。打者に対峙する塁審およびインフィールド時の二塁塁審は積極的にコールするべき。それは事前のミーティングで確認。四氏協議はできるだけ速やかに結論を出す。
3.バットボーイの妨害。バットを拾いに来た選手が、本塁への送球に対して妨害となった場合、その後のプレイによる守備側の不利益を取り除くように処置する。本塁前に出て、バットの処理をする行為は「妨害」と考える。内野手の後ろにいる審判員は「石ころ」。前は「インターフェア」となる。
4.盗塁時の打者による捕手の守備行為へのインターフェア。スイング無しで捕手の前に出る行為は「妨害」以外に考えられない。スイングして前に出た場合も故意の有無に関係なく「妨害」とする勇気を持つ。勇気を持ってジャッジをしたら、その行為自体が無くなる。
5.死球かファウルボールか判定し難い打球について。ファールゾーンであれば、ただちに「ボールデッド」として打者の様子で判断。打球がフェアゾーンであれば、ボールインプレイで試合を流し、打者の様子を伺う。
6.一塁ベース付近での接触。接触した時点で「ポイント」を打ち、オブストラクション(b)項を表示する。
7.併殺崩しを狙った走者の行為。ピポッドマンに対してスライディングや手を挙げる行為で妨害した場合は、故意の有無に無関係で「守備妨害」として併殺を成立させる。走者に送球が当った場合は、その時点でボールデッドとして「妨害」を適用するべき。
8.リバースダブルプレイの際の一塁塁審のコール。打者走者の一塁でのフォースアウトが成立した後に、他の塁でタッグプレイによる併殺が行われた場合、一塁塁審は、一塁でのフォースアウト成立を「アウト・アウト・アウト」などの繰り返しや、いつもより大きな発声による「アウト」コール、または「アウト」のジェスチャーを残す方法により、次のタッグプレイが行われる塁の審判員に周知させる。
9.ハーフスイングのリクエスト基準。ハーフスイングのリクエストに応えようという大前提があるが、これを逆手にとられてグリップが動いた程度でリクエストをしてくる捕手がいる。球審が自分なりの基準を設けて、リクエストに応えるか否か判断をすることが良い。
以上のほかに、「【7.09(e)】の解釈について」や「内野ゴロで一塁への送球が逸れて、一塁手の足がベースから離れたばめんで、打者走者も一塁ベースを踏まずに通過した場合のアンパイアリング」など、非常にマニアックな話題もあった。また、クロックワイズメカニクスの変更点についての概要が報告された。
これらについては、後日私見を述べようと思う。
今年も、審判員の正月が明けた。
新年が明けて2週間以上が過ぎてしまいましたが、改めまして、明けましておめでとうございます。なかなかブログの更新ができず、多方面の方々から励ましの言葉などの叱咤激励を多数頂きました。野球の審判員という特殊な趣味を密かに楽しんでいる方が、意外に多いことに驚きもあり、そして嬉しくもあり。今年も「頑張って更新しよう」とちょっと遅めの新年の誓いを立ててみました。
毎年、オフシーズンに突入すると同時に、私自身はチームに戻り、中学生たちの冬季トレーニングの手伝いに奔走することとなります。役割は様々で、全選手のタイムスケジュールの調整・作成に始まり、ウォーミングアップの指導から走塁指導、選手の健康管理にテーピング、リハビリメンバーのトレーニングメニュー作成・指導など、まったく休む暇などない。
そして、今年から冬季間の審判勉強会を始めることにした。名目上の目的は、若手審判員の技術向上であるが、実際はもっと単純で「審判が好きだ」ということである。
新年が明けると、選手たちの練習内容が、より実戦に近づいてくる。投手の投球練習が始まり、2月にはシート打撃も始まる。投手が投げれば、捕手の後ろに立ちたくなるのが審判員という人種なのであろう。ついついブルペンへ足が向いてしまう。
投球判定を兼ねて、「トラッキング」と判定のタイミングをチェックする。とにかく、捕手のミットまで見ることを強く意識する。それにより、「ストライク」も「ボール」も一定のリズムでコールすることが出来る。どうしても、始めのうちは「ボール」のコールが早くなる。「ストライク」は「良く見よう」「ちゃんと見よう」とするため、黙っていても良いタイミングなるが、「ボール」、特に明らかな「ボール」は判定が早くなる。これを同じタイミングになるように意識して判定を行うことが良いであろう。
この時期にチェックして、確立しておきたいのが「低目の判定」である。同僚に横から見ていてもらい、判定を下した後で高さを確認する。このチェックは、曖昧では困る。「高低」の是非をはっきりと伝えることが同僚のためになる。これを素直に受け入れるのも、審判の技量を高めるポイントかもしれない。
実際に打者が立てば良いのだが、この時期の投手はまだまだ不安定なため、死球の危険性が高いことから、膝の高さにゴム紐を張り投球練習を行う。ここで高低の感覚を磨かくことは、非常に有効である。投球の勢いによるボールと地面の距離感、捕球の際のミットの位置などを目に焼き付け、頭に刷り込むことが、秋までの記憶を次のシーズンにつなげることができる。
このような環境にいることに感謝しながら、少しでもチームの力になり、子供たちの為になりながら、自分たちの技量をキープする。
なんとも、恵まれている。
「今年も頑張ろう」と改めて新年に誓う。
毎年、オフシーズンに突入すると同時に、私自身はチームに戻り、中学生たちの冬季トレーニングの手伝いに奔走することとなります。役割は様々で、全選手のタイムスケジュールの調整・作成に始まり、ウォーミングアップの指導から走塁指導、選手の健康管理にテーピング、リハビリメンバーのトレーニングメニュー作成・指導など、まったく休む暇などない。
そして、今年から冬季間の審判勉強会を始めることにした。名目上の目的は、若手審判員の技術向上であるが、実際はもっと単純で「審判が好きだ」ということである。
新年が明けると、選手たちの練習内容が、より実戦に近づいてくる。投手の投球練習が始まり、2月にはシート打撃も始まる。投手が投げれば、捕手の後ろに立ちたくなるのが審判員という人種なのであろう。ついついブルペンへ足が向いてしまう。
投球判定を兼ねて、「トラッキング」と判定のタイミングをチェックする。とにかく、捕手のミットまで見ることを強く意識する。それにより、「ストライク」も「ボール」も一定のリズムでコールすることが出来る。どうしても、始めのうちは「ボール」のコールが早くなる。「ストライク」は「良く見よう」「ちゃんと見よう」とするため、黙っていても良いタイミングなるが、「ボール」、特に明らかな「ボール」は判定が早くなる。これを同じタイミングになるように意識して判定を行うことが良いであろう。
この時期にチェックして、確立しておきたいのが「低目の判定」である。同僚に横から見ていてもらい、判定を下した後で高さを確認する。このチェックは、曖昧では困る。「高低」の是非をはっきりと伝えることが同僚のためになる。これを素直に受け入れるのも、審判の技量を高めるポイントかもしれない。
実際に打者が立てば良いのだが、この時期の投手はまだまだ不安定なため、死球の危険性が高いことから、膝の高さにゴム紐を張り投球練習を行う。ここで高低の感覚を磨かくことは、非常に有効である。投球の勢いによるボールと地面の距離感、捕球の際のミットの位置などを目に焼き付け、頭に刷り込むことが、秋までの記憶を次のシーズンにつなげることができる。
このような環境にいることに感謝しながら、少しでもチームの力になり、子供たちの為になりながら、自分たちの技量をキープする。
なんとも、恵まれている。
「今年も頑張ろう」と改めて新年に誓う。
審判はルールの番人として、担当した試合をコントロールすることが求められている。
礼儀を重んじ、公平で厳格でなくてはならない。
アマチュア野球では、審判員になるキッカケは様々あるだろう。高校まではプレイヤーとして頑張る道は沢山あるが、その先のステージでプレイヤーを継続することは、なかなか困難である。それでも、大好き野球を続けるために、草野球に身をおく方々も多いであろう。このタイミングで、審判の道を選択する人もいるようであるが、かなり希少な方々である。
私が所属する組織は中学生がプレイヤーであるため、その父兄の方々が審判員としてグラウンドに立つことが圧倒的に多い。かく言う私もそうである。
父兄審判の方々は、少なからず野球経験があるか、野球ファンであることから、野球の常識的なルールは知っている。しかし、そのベーシックな常識だけでは、判定を下す立場となった場合、瞬時にルール適用することは、なかなかできないのが実態であろう。ゆえに、トラブルやサプライズがあった時には、パニックになってしまうのは当然なのである。プロ野球ですら、審判の判定に関するトラブルが絶えないのであるから、細かいところをツツき出すとアマチュア野球は試合にならないであろう。
初めて審判としてグラウンドに立って一試合ジャッジを担当した日のことは、ほとんど覚えていないが、毎年春先に新人審判員が緊張した面持ちでぎこちなくジャッジしている姿を見ると、自分の初ジャッジが目に浮かぶようである。
審判員は座学での勉強も重要であるが、グラウンドで学ぶ経験が色々なことを考えさせてくれる。頭の中では理解していることも、いざ目の前で起こると「エアポケット」に入ったような状態に陥ることも、しばしばである。それも、私一人がエアポケットにはいるのではなく、クルー全員が狐に摘まれるような事態が起こるのである。
決してミステリーではないが、実際に起こってしまった事例を今回から数回にわたり紹介しようと思う。
ダブルプレイは、攻撃側のチャンスが一瞬にして消滅してしまい、守備側は一気に情勢逆転することができるプレイである。野球は流れを重視する競技であり、流れを掴んだチームがスコア的に負けていたとしても、優勢に感じることができる場面さえある。それを作り出すプレイのひとつが、ダブルプレイである。
ダブルプレイは、広義的には「ワンプレイで二つのアウトが成立する」ことである。一番オーソドックスなプレイが、走者一塁で内野ゴロ併殺となるプレイであろう。一塁走者は、二塁でフォースアウトとなり、打者走者は一塁でフォースアウトとなるプレイである。
一方、こんなダブルプレイもある。走者二塁で、打者がライト前へ飛球を打った。二塁走者は安打になると判断し、三塁方向へスタートを切った。ところが、ライトが前進しスライディングキャッチによりダイレクトで捕球した。二塁走者は三塁コーチの指示で、慌てて二塁へ戻ったが、ライトから二塁への送球が早く二塁走者はアウトとなった。これでダブルプレイが成立である。
事例は、一死走者二三塁で打者はセンターへ後方へ飛球を打った。二三塁の走者はタッグアップの状態から、センターが捕球した(二死)のを確認してスタートを切った。センターはバックホームをしたが間に合わず、三塁走者は生還し、二塁走者は三塁へ達した。
ここで、守備側から「二塁走者の離塁が早い」とアピールがあり、二塁塁審はこれを支持して「アウト」を宣告した(三死)。
アピールプレイとはいえ、二人が連続してアウトとなった、ダブルプレイの成立である。ここで球審は、ダブルプレイでチェンジとなったため、「今の得点は無し」と本部に向かいジェスチャーをした。
このように文章にすると、「なぜ、無得点としたのか」と不思議になるが、思い込みと勘違いの両方がエアポケットに落とし込むことがあるのである。
ルールブックの【4.09得点の記録】の付記には、次のようにある。
【付記】第三アウトが次のような場合には、そのアウトにいたるプレイ中に、走者が本塁に進んでも、得点は記録されない。(1)打者走者が一塁に触れる前にアウトにされたとき、(2)走者がフォースアウトされたとき、(3)前位の走者が塁に触れ損ねてアウトにされたとき。
今回のプレイは、走者二三塁の場面で、二塁走者がリタッチが早く「第三アウト」を宣告された。つまり後位の走者である。三塁走者の本塁生還が第三アウトより早かったのであるから、後位の走者のミステイクで得点を取り消されることはない。
これがフォースプレイであれば、話は別である。二死走者満塁で、打者が三遊間をゴロで破った。走者はそれぞれ進塁し、三塁走者は本塁に達したが、二塁走者が三塁ベース手前で転倒してしまった。これを見たレフトは三塁へ送球し、二塁走者よりも早く三塁手がベースタッチした。これはフォースアウトであり、第三アウトであるため、いくら三塁走者が早く本塁に達していても得点とはならない。
今年は色々な書籍や実例に触れる機会が多かった。我が師匠からも、貴重な書籍を預かっている。古きに触れ新しきを知るである。それらの書籍を読むと、走塁に関するアクシデント、ミスジャッジ、トラブル、サプライズが最も多いように感じている。これは走塁が得点に絡むことが関係していると思われる。
その時の判断ミスは、審判員・プレイヤーおよび観客も含めて、常識的な「思い込み」が「勘違い」を増長させているのかもしれない。
ベースボールルールは深く、味わいがある。
礼儀を重んじ、公平で厳格でなくてはならない。
アマチュア野球では、審判員になるキッカケは様々あるだろう。高校まではプレイヤーとして頑張る道は沢山あるが、その先のステージでプレイヤーを継続することは、なかなか困難である。それでも、大好き野球を続けるために、草野球に身をおく方々も多いであろう。このタイミングで、審判の道を選択する人もいるようであるが、かなり希少な方々である。
私が所属する組織は中学生がプレイヤーであるため、その父兄の方々が審判員としてグラウンドに立つことが圧倒的に多い。かく言う私もそうである。
父兄審判の方々は、少なからず野球経験があるか、野球ファンであることから、野球の常識的なルールは知っている。しかし、そのベーシックな常識だけでは、判定を下す立場となった場合、瞬時にルール適用することは、なかなかできないのが実態であろう。ゆえに、トラブルやサプライズがあった時には、パニックになってしまうのは当然なのである。プロ野球ですら、審判の判定に関するトラブルが絶えないのであるから、細かいところをツツき出すとアマチュア野球は試合にならないであろう。
初めて審判としてグラウンドに立って一試合ジャッジを担当した日のことは、ほとんど覚えていないが、毎年春先に新人審判員が緊張した面持ちでぎこちなくジャッジしている姿を見ると、自分の初ジャッジが目に浮かぶようである。
審判員は座学での勉強も重要であるが、グラウンドで学ぶ経験が色々なことを考えさせてくれる。頭の中では理解していることも、いざ目の前で起こると「エアポケット」に入ったような状態に陥ることも、しばしばである。それも、私一人がエアポケットにはいるのではなく、クルー全員が狐に摘まれるような事態が起こるのである。
決してミステリーではないが、実際に起こってしまった事例を今回から数回にわたり紹介しようと思う。
ダブルプレイは、攻撃側のチャンスが一瞬にして消滅してしまい、守備側は一気に情勢逆転することができるプレイである。野球は流れを重視する競技であり、流れを掴んだチームがスコア的に負けていたとしても、優勢に感じることができる場面さえある。それを作り出すプレイのひとつが、ダブルプレイである。
ダブルプレイは、広義的には「ワンプレイで二つのアウトが成立する」ことである。一番オーソドックスなプレイが、走者一塁で内野ゴロ併殺となるプレイであろう。一塁走者は、二塁でフォースアウトとなり、打者走者は一塁でフォースアウトとなるプレイである。
一方、こんなダブルプレイもある。走者二塁で、打者がライト前へ飛球を打った。二塁走者は安打になると判断し、三塁方向へスタートを切った。ところが、ライトが前進しスライディングキャッチによりダイレクトで捕球した。二塁走者は三塁コーチの指示で、慌てて二塁へ戻ったが、ライトから二塁への送球が早く二塁走者はアウトとなった。これでダブルプレイが成立である。
事例は、一死走者二三塁で打者はセンターへ後方へ飛球を打った。二三塁の走者はタッグアップの状態から、センターが捕球した(二死)のを確認してスタートを切った。センターはバックホームをしたが間に合わず、三塁走者は生還し、二塁走者は三塁へ達した。
ここで、守備側から「二塁走者の離塁が早い」とアピールがあり、二塁塁審はこれを支持して「アウト」を宣告した(三死)。
アピールプレイとはいえ、二人が連続してアウトとなった、ダブルプレイの成立である。ここで球審は、ダブルプレイでチェンジとなったため、「今の得点は無し」と本部に向かいジェスチャーをした。
このように文章にすると、「なぜ、無得点としたのか」と不思議になるが、思い込みと勘違いの両方がエアポケットに落とし込むことがあるのである。
ルールブックの【4.09得点の記録】の付記には、次のようにある。
【付記】第三アウトが次のような場合には、そのアウトにいたるプレイ中に、走者が本塁に進んでも、得点は記録されない。(1)打者走者が一塁に触れる前にアウトにされたとき、(2)走者がフォースアウトされたとき、(3)前位の走者が塁に触れ損ねてアウトにされたとき。
今回のプレイは、走者二三塁の場面で、二塁走者がリタッチが早く「第三アウト」を宣告された。つまり後位の走者である。三塁走者の本塁生還が第三アウトより早かったのであるから、後位の走者のミステイクで得点を取り消されることはない。
これがフォースプレイであれば、話は別である。二死走者満塁で、打者が三遊間をゴロで破った。走者はそれぞれ進塁し、三塁走者は本塁に達したが、二塁走者が三塁ベース手前で転倒してしまった。これを見たレフトは三塁へ送球し、二塁走者よりも早く三塁手がベースタッチした。これはフォースアウトであり、第三アウトであるため、いくら三塁走者が早く本塁に達していても得点とはならない。
今年は色々な書籍や実例に触れる機会が多かった。我が師匠からも、貴重な書籍を預かっている。古きに触れ新しきを知るである。それらの書籍を読むと、走塁に関するアクシデント、ミスジャッジ、トラブル、サプライズが最も多いように感じている。これは走塁が得点に絡むことが関係していると思われる。
その時の判断ミスは、審判員・プレイヤーおよび観客も含めて、常識的な「思い込み」が「勘違い」を増長させているのかもしれない。
ベースボールルールは深く、味わいがある。
ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜選手が栄光にたどり着いた。大の「松井ファン」を自認する私としては、何よりも嬉しいニュースであった。インターネットの試合速報で、最初の「更新ボタン」クリックが、松井のライトへの特大の先制2ランであったことに驚いた。二打席目も二死満塁の場面でセンター前へクリーンヒット。第三打席は、あわや本塁打という右中間最深部のフェンス直撃弾。この日だけで4打数3安打1本塁打6打点の大活躍で、見事MVPに輝いた。本当に素晴らしい活躍であり、日本中がこの日を待っていたようにさえ感じた。
思えば「松井秀喜」という選手が超有名人となったのは、高校三年時の夏の甲子園大会であった。
五打席連続敬遠四球。
世界広しと言えど、ベースボールの歴史がいくら長いと言えども、この記録はあり得ないであろう。
これが、松井秀喜の高校野球最後の試合となった。
一番、純粋に野球に打ち込み、汗と涙を注ぎ込み、仲間を信じてどろんこになって戦う高校野球。最後まで全力で戦うことにより、勝敗を超越した達成感と虚脱感に包まれる。一試合やる毎に勝者も作るが、敗者も作る。勝者は、次の試合があるが、敗者にはない。
高校三年生にとっては、毎試合が退部届けを忍ばせて挑むような心境であろう。全国でも最後まで勝ち続けるのは、たったの1チームしかいない。他のチームは、いつかは負けるのである。圧倒的に敗者が多いのである。それが、小学生時代から始めた「野球」の、最初のクライマックスである。
そのクライマックスの最後が、松井秀喜は五打席連続敬遠四球であった。
松井秀喜は泣くこともできなかったであろう。消化不良とか不完全燃焼などという言葉では片づけられないほどの虚無感であったであろう。
そんな松井秀樹は、長嶋茂雄の強運にも導かれ巨人に入団した。それからの長嶋茂雄との二人三脚は、今日の為にあった修行であったのではないだろうか。長嶋茂雄も、巨人時代に裏ルートでの大リーグ移籍の話があったらしい。息子の長嶋一茂は、少年期に大リーグの試合しか見ていなかったというのは有名な話である。日本の選手の名前よりも、大リーガーの選手の名前を知っていたらしい。もちろん、これも長嶋茂雄の大リーグへの思い入れがさせたことであろう。
巨人での修行の時を経て、押しも押されぬ「巨人の4番」となった時、松井秀喜は高校最後の虚無感を再度感じ始めたのではないであろうか。
それが、大リーグへの移籍であった。断腸の想いで巨人を出て、自分の夢を追うことを選択し海を渡ったが、4年目に左手首骨折の大怪我をしてからは、巨人時代からのツケが回ってきたように両膝が不調になり、メディアへの露出度もめっきりと減った。
その間に、シカゴ・ホワイトソックスで井口資仁が、セントルイス・カージナルスで田口壮が、ボストン・レッドソックスで松坂大輔が、タンパベイ・レイズの岩村明憲が、フィラデルフィア・フィリーズで井口そ田口が再びワールドシリーズへ駒を進めていた。
この頃の松井秀喜は、何を思っていたのであろうか。五打席連続敬遠四球という、バットマンにとっては、如何ともしがたい心情を知っているだけに、どのような思いであったのであろうか。
それでも前を見てコツコツと努力を積み重ね、時をじっと待ち続けるのではなく「今出来ることを、万全を期してやる」というシンプルな考え方のもと、一歩ずつ駒を進めてきたように思う。
松井秀喜の大活躍に触れ、また「野球の神様」はいるのだと思ってしまった。
思えば「松井秀喜」という選手が超有名人となったのは、高校三年時の夏の甲子園大会であった。
五打席連続敬遠四球。
世界広しと言えど、ベースボールの歴史がいくら長いと言えども、この記録はあり得ないであろう。
これが、松井秀喜の高校野球最後の試合となった。
一番、純粋に野球に打ち込み、汗と涙を注ぎ込み、仲間を信じてどろんこになって戦う高校野球。最後まで全力で戦うことにより、勝敗を超越した達成感と虚脱感に包まれる。一試合やる毎に勝者も作るが、敗者も作る。勝者は、次の試合があるが、敗者にはない。
高校三年生にとっては、毎試合が退部届けを忍ばせて挑むような心境であろう。全国でも最後まで勝ち続けるのは、たったの1チームしかいない。他のチームは、いつかは負けるのである。圧倒的に敗者が多いのである。それが、小学生時代から始めた「野球」の、最初のクライマックスである。
そのクライマックスの最後が、松井秀喜は五打席連続敬遠四球であった。
松井秀喜は泣くこともできなかったであろう。消化不良とか不完全燃焼などという言葉では片づけられないほどの虚無感であったであろう。
そんな松井秀樹は、長嶋茂雄の強運にも導かれ巨人に入団した。それからの長嶋茂雄との二人三脚は、今日の為にあった修行であったのではないだろうか。長嶋茂雄も、巨人時代に裏ルートでの大リーグ移籍の話があったらしい。息子の長嶋一茂は、少年期に大リーグの試合しか見ていなかったというのは有名な話である。日本の選手の名前よりも、大リーガーの選手の名前を知っていたらしい。もちろん、これも長嶋茂雄の大リーグへの思い入れがさせたことであろう。
巨人での修行の時を経て、押しも押されぬ「巨人の4番」となった時、松井秀喜は高校最後の虚無感を再度感じ始めたのではないであろうか。
それが、大リーグへの移籍であった。断腸の想いで巨人を出て、自分の夢を追うことを選択し海を渡ったが、4年目に左手首骨折の大怪我をしてからは、巨人時代からのツケが回ってきたように両膝が不調になり、メディアへの露出度もめっきりと減った。
その間に、シカゴ・ホワイトソックスで井口資仁が、セントルイス・カージナルスで田口壮が、ボストン・レッドソックスで松坂大輔が、タンパベイ・レイズの岩村明憲が、フィラデルフィア・フィリーズで井口そ田口が再びワールドシリーズへ駒を進めていた。
この頃の松井秀喜は、何を思っていたのであろうか。五打席連続敬遠四球という、バットマンにとっては、如何ともしがたい心情を知っているだけに、どのような思いであったのであろうか。
それでも前を見てコツコツと努力を積み重ね、時をじっと待ち続けるのではなく「今出来ることを、万全を期してやる」というシンプルな考え方のもと、一歩ずつ駒を進めてきたように思う。
松井秀喜の大活躍に触れ、また「野球の神様」はいるのだと思ってしまった。
先日から日本シリーズが開幕となった。一方アメリカの大リーグでは、一足早くワールドシリーズが開幕となっており、第一戦はフィリーズが、昨年度サイヤング賞のリー投手が快投して先勝したが、第二戦はヤンキースが松井秀喜選手の活躍もあり一勝一敗として、舞台をニューヨークからフィラデルフィアへ移すこととなった。今後も白熱した試合が期待される。
この時期になると、私自身はほぼシーズンオフ状態となっている。北海道の冬の到来は早い。日本シリーズ開幕の日に初雪の便りが届きそうである。ついこの前まで、土日になると平日よりも早く起床して、ウキウキ気分で球場へ向かっていたのに、寄る年波か、夏場の疲れか、一気にオフモードへ突入した感じである。来週には、今年最後の試合が組まれているが、果たして身体が反応してくれるか心配でもあり、一方では楽しみでもある。
私が所属する組織は、諸先輩方の指導もあり、ルールやメカニクスなどに対して貪欲であるが、父兄審判も多いことから、全体レベルが飛躍的に向上することはない。毎年、春先の講習会では、当然のように基本から始まるのである。子供が次のステージへ挙がるときに、組織に残る審判員は数名しかいない。つまり、経験3年目ぐらいで辞めてしまう審判員が圧倒的に多いということである。一番、面白さが分かり出す時期に辞めてしまうのである。まったく、惜しい感が否めない。来年は、多くの審判員の方々が残留していてくれることを期待している。
私の師匠には、ルールの理解を野球の起源から考えることと、基本的なテクニックの重要性を教えられている。最近は直接的指導ではなく、私が気付くのを待っているような気がする。審判配置の関係から、なかなか同じ球場となることは少ないが、一緒の時はドキドキもするしワクワクもしていた。何とか、良いアドバイスを貰おうと気合いを入れたりもした。夏頃までは、それが余計な力みにつながり、ジャッジメントが乱れ、メカニクスに迷いが生じていた。最初は、指摘されるまで分からないような小さなミスであったが、場慣れが油断を産んでいたのであろう。審判を始めた頃の、純粋な集中力に欠けていた結果、雑で稚拙なジャッジメントになっていたと考えられ、反省している。
我々審判員は、どのような試合であろうとも、試合を行おうとする選手がいなくては、大好きなジャッジメントもできない。ゆえに、試合に挑もうとする選手に感謝し、そのジャッジメントをすることを許されたことに感謝してグラウンドに立たなくてはならないのだろう。それには「ありのままのプレイを、ありのままにジャッジする」という基本概念を再認識し、集中力だけを維持して、一球を、ワンプレイを大切にジャッジに挑むことであろう。その事に気付いた時のは、シーズンオフ間近の秋季大会直前の勉強会でであった。後輩審判員たちと、事例などを検証しつつ、迎える大会に備えて勉強会を行っていて気付いたことであった。
審判員は経験が重要であるが、すべての事象を、段階を踏んで経験できる訳ではない。学校の勉強であれば、1年生はここまで、2年生はここまでとカリキュラムが決まっている。しかし審判員は、1年目のルーキーイヤーに大事件に巻き込まれることもある。一方で、長年やっているのに、まったくトラブル知らずの審判員もいる(本人が気付いていないことが多いようだが)。
我が師匠曰く、「困難は乗り越えられる者のみに与えられる。つまり、乗り越えられない困難はない。だから際どいプレイのジャッジやトラブルは、それを裁ける審判員のみに訪れる」ということである。トラブルは無い方が良いが、無ければ無いで物足りなさを感じる自分もいるのは確かである。ただし、自分自身のジャッジがトラブルの原因となってはいけない。
さらに我が師匠曰く。「君は、自らトラブルを呼んでいる」と戒められている。
まだまだ「青い」ということであろう。まだまだ「考えが浅い」ということであろう。
経験値は年数ではない。場数でもない。要は、ワンプレイに対するジャッジやメカニクスを、より良いものにするには、如何にするかを考えることであろう。試合後のミーティングで「何もなし」と言って、サッサと身支度をしているうちは、進歩はないというこであろう。その意味でも、事例を共有することは、一つの方法論として正しいと考えている。
前ぶりが長くなったが、このオフシーズンは、今年私自身が経験したことや、見聞きした事例を紹介してみようと思っている。それらを検証することで、色々なことを共有し、仮想の経験値を得ることができると考えたからである。
今年、非常に多くあった事例に、内野手への「低いライナー」の判定があった。通常、内野手の定位置より前方のインフライトの打球判定は球審が行うこととなっている。試合前のミーティングの確認事項のひとつでもある。
これは、あくまでも「オープン・グラブ・ポリシー」という基本が根底にあるジャッジメントであり、「ボールがグラブに入って、捕球していることが確認できる側にいる審判員がジャッジする」という基本である。
この基本に則ると、内野手前方のインフライトの打球は、野手が本塁側を向いて捕球するため、球審がジャッジすることが良いとされているのであろう。
ただし、これには落とし穴がある。高く上がったフライは、誰が見てもジャッジを間違うことは少ないが、「低いライナー」はミスを誘発することがある。
地面に接するような「低いライナー」を野手の正面、つまりグラブの正面側から見ると、ダイレクトキャッチか否かの判定は、非常に難しい。
その理由としては、「遠くて見えにくい」ということであろう。プレイに近い位置であれば、バウンドやキャッチの「音」が判定の補助要素となりえる。また、球審はダイレクトキャッチを見ようとして慌てて前方へ移動するため、ジャッジメントの基本中の基本である「停まって見て判定する」ことができないのです。
今年、ある試合で三塁塁審をやっていた時に、ショートの足元へライナーが飛んだ。私はショートの横からのぞき込む状態であったが、それが明らかな「ダイレクトキャッチ」であることが確認できたため、「セーフは早く、アウトはゆっくり」の基本に従い、ショートがグラブを挙げて捕球をアピールするのを待って「キャッチアウト」をコールしようとした瞬間、右側より「ノーキャッチ」の大コールが聞こえてきた。なんと球審がショートバウンドキャッチをコールしてしまったのです。私は、思わず右手の拳を引っ込めました。
今年のワールドシリーズ第1戦で、松井選手がチーム初安打で出塁した後、次打者の遊撃手へのハーフライナーで併殺となったプレイがあった。遊撃手はダブルプレイを狙ったが、遊撃手はショートバウンドの感触があったのであろう、二塁ベースを踏んでから一塁へ送球した。しかし、判定はダイレクトキャッチで打者がアウト。たまたま一塁への転送よりも、松井選手が早くベースへ帰塁していたために一旦はセーフの判定となった。松井選手は二塁でフォースアウトが成立したと思い、ダッグアウトへ帰りかけた。結局はベースを離れた際にタッグされて「アウト」が成立した。まさに珍プレイ。
あの時二塁塁審が、どのような動作とコールをしていたかは定かではない。しかし本塁側からのカメラの映像でも判定が難しいプレイであったのは間違いない。つまり、球審側からは判定が難しいということである。
「低いライナー」の判定は、近くの塁審がやるべきとは思う。しかし、それには良いポジショニングを常に意識していなくてはならない。例え近いと言っても、野手の後ろからのジャッジメントは問題がある。
どのような打球も、四人の審判員でしっかりと見ることが重要だということであろう。
この時期になると、私自身はほぼシーズンオフ状態となっている。北海道の冬の到来は早い。日本シリーズ開幕の日に初雪の便りが届きそうである。ついこの前まで、土日になると平日よりも早く起床して、ウキウキ気分で球場へ向かっていたのに、寄る年波か、夏場の疲れか、一気にオフモードへ突入した感じである。来週には、今年最後の試合が組まれているが、果たして身体が反応してくれるか心配でもあり、一方では楽しみでもある。
私が所属する組織は、諸先輩方の指導もあり、ルールやメカニクスなどに対して貪欲であるが、父兄審判も多いことから、全体レベルが飛躍的に向上することはない。毎年、春先の講習会では、当然のように基本から始まるのである。子供が次のステージへ挙がるときに、組織に残る審判員は数名しかいない。つまり、経験3年目ぐらいで辞めてしまう審判員が圧倒的に多いということである。一番、面白さが分かり出す時期に辞めてしまうのである。まったく、惜しい感が否めない。来年は、多くの審判員の方々が残留していてくれることを期待している。
私の師匠には、ルールの理解を野球の起源から考えることと、基本的なテクニックの重要性を教えられている。最近は直接的指導ではなく、私が気付くのを待っているような気がする。審判配置の関係から、なかなか同じ球場となることは少ないが、一緒の時はドキドキもするしワクワクもしていた。何とか、良いアドバイスを貰おうと気合いを入れたりもした。夏頃までは、それが余計な力みにつながり、ジャッジメントが乱れ、メカニクスに迷いが生じていた。最初は、指摘されるまで分からないような小さなミスであったが、場慣れが油断を産んでいたのであろう。審判を始めた頃の、純粋な集中力に欠けていた結果、雑で稚拙なジャッジメントになっていたと考えられ、反省している。
我々審判員は、どのような試合であろうとも、試合を行おうとする選手がいなくては、大好きなジャッジメントもできない。ゆえに、試合に挑もうとする選手に感謝し、そのジャッジメントをすることを許されたことに感謝してグラウンドに立たなくてはならないのだろう。それには「ありのままのプレイを、ありのままにジャッジする」という基本概念を再認識し、集中力だけを維持して、一球を、ワンプレイを大切にジャッジに挑むことであろう。その事に気付いた時のは、シーズンオフ間近の秋季大会直前の勉強会でであった。後輩審判員たちと、事例などを検証しつつ、迎える大会に備えて勉強会を行っていて気付いたことであった。
審判員は経験が重要であるが、すべての事象を、段階を踏んで経験できる訳ではない。学校の勉強であれば、1年生はここまで、2年生はここまでとカリキュラムが決まっている。しかし審判員は、1年目のルーキーイヤーに大事件に巻き込まれることもある。一方で、長年やっているのに、まったくトラブル知らずの審判員もいる(本人が気付いていないことが多いようだが)。
我が師匠曰く、「困難は乗り越えられる者のみに与えられる。つまり、乗り越えられない困難はない。だから際どいプレイのジャッジやトラブルは、それを裁ける審判員のみに訪れる」ということである。トラブルは無い方が良いが、無ければ無いで物足りなさを感じる自分もいるのは確かである。ただし、自分自身のジャッジがトラブルの原因となってはいけない。
さらに我が師匠曰く。「君は、自らトラブルを呼んでいる」と戒められている。
まだまだ「青い」ということであろう。まだまだ「考えが浅い」ということであろう。
経験値は年数ではない。場数でもない。要は、ワンプレイに対するジャッジやメカニクスを、より良いものにするには、如何にするかを考えることであろう。試合後のミーティングで「何もなし」と言って、サッサと身支度をしているうちは、進歩はないというこであろう。その意味でも、事例を共有することは、一つの方法論として正しいと考えている。
前ぶりが長くなったが、このオフシーズンは、今年私自身が経験したことや、見聞きした事例を紹介してみようと思っている。それらを検証することで、色々なことを共有し、仮想の経験値を得ることができると考えたからである。
今年、非常に多くあった事例に、内野手への「低いライナー」の判定があった。通常、内野手の定位置より前方のインフライトの打球判定は球審が行うこととなっている。試合前のミーティングの確認事項のひとつでもある。
これは、あくまでも「オープン・グラブ・ポリシー」という基本が根底にあるジャッジメントであり、「ボールがグラブに入って、捕球していることが確認できる側にいる審判員がジャッジする」という基本である。
この基本に則ると、内野手前方のインフライトの打球は、野手が本塁側を向いて捕球するため、球審がジャッジすることが良いとされているのであろう。
ただし、これには落とし穴がある。高く上がったフライは、誰が見てもジャッジを間違うことは少ないが、「低いライナー」はミスを誘発することがある。
地面に接するような「低いライナー」を野手の正面、つまりグラブの正面側から見ると、ダイレクトキャッチか否かの判定は、非常に難しい。
その理由としては、「遠くて見えにくい」ということであろう。プレイに近い位置であれば、バウンドやキャッチの「音」が判定の補助要素となりえる。また、球審はダイレクトキャッチを見ようとして慌てて前方へ移動するため、ジャッジメントの基本中の基本である「停まって見て判定する」ことができないのです。
今年、ある試合で三塁塁審をやっていた時に、ショートの足元へライナーが飛んだ。私はショートの横からのぞき込む状態であったが、それが明らかな「ダイレクトキャッチ」であることが確認できたため、「セーフは早く、アウトはゆっくり」の基本に従い、ショートがグラブを挙げて捕球をアピールするのを待って「キャッチアウト」をコールしようとした瞬間、右側より「ノーキャッチ」の大コールが聞こえてきた。なんと球審がショートバウンドキャッチをコールしてしまったのです。私は、思わず右手の拳を引っ込めました。
今年のワールドシリーズ第1戦で、松井選手がチーム初安打で出塁した後、次打者の遊撃手へのハーフライナーで併殺となったプレイがあった。遊撃手はダブルプレイを狙ったが、遊撃手はショートバウンドの感触があったのであろう、二塁ベースを踏んでから一塁へ送球した。しかし、判定はダイレクトキャッチで打者がアウト。たまたま一塁への転送よりも、松井選手が早くベースへ帰塁していたために一旦はセーフの判定となった。松井選手は二塁でフォースアウトが成立したと思い、ダッグアウトへ帰りかけた。結局はベースを離れた際にタッグされて「アウト」が成立した。まさに珍プレイ。
あの時二塁塁審が、どのような動作とコールをしていたかは定かではない。しかし本塁側からのカメラの映像でも判定が難しいプレイであったのは間違いない。つまり、球審側からは判定が難しいということである。
「低いライナー」の判定は、近くの塁審がやるべきとは思う。しかし、それには良いポジショニングを常に意識していなくてはならない。例え近いと言っても、野手の後ろからのジャッジメントは問題がある。
どのような打球も、四人の審判員でしっかりと見ることが重要だということであろう。
ガッツプレイとラフプレイ
2009年10月25日 スポーツ
北海道日本ハムファイターズがクライマックス第ステージを制し日本シリーズへの出場権を勝ち取った。常勝軍団へ向けて着々と実力を付けている姿は、北海道の希望の光のように感じる。第1戦の大逆転はクライマックス史上、今後語り継がれるような凄みを感じた。安物の野球マンガでも書かれないようなターメル・スレッジ選手の「逆転サヨナラ満塁ホームラン」に、北海道のファンのみならず、日本中の野球ファンが度肝を抜かれ、腰を抜かした。野球ファンならずとも、この一撃がシリーズの趨勢を左右するだろうと瞬間的に感じたことであろう。
結果的には、あの一打が第2戦以降の流れを呼び込み、ダルビッシュ投手不在を忘れさせるような勢いでシリーズを突っ走った。
それにしても、札幌ドームの観衆がファイターズ選手に与える影響力は凄い。スレッジのホームランは、正にファンが打たせたように感じてしまった。北海道のファンも、本物のホームチームのファンの形を作りつつあるように感じている。
ファイターズがフランチャイズとして北海津に来るまでは、北海道の野球ファンは、そのほとんどが巨人ファンであった。毎日ナイター中継があるのは巨人戦だけであり、プロ野球の公式戦は一年のうち数試合しか開催されないため、必然的に巨人ファンが圧倒的となった。そこに、長島と王の人気である。そのような状況であるから、パリーグの選手などは覚えられるはずもない。今では、セリーグの選手名がなかなか出てこない。
ただし、北海道の日本ハムファンも岐路に立たされるときが来る。ファンの本物度を試される時が来る。日本ハムが北海道に移転してからの成績は、第三期黄金時代といっても過言ではない勢いがある。実際、今年の試合内容を見ていても、最後まで試合を諦めない姿勢や、全力疾走を怠らないプレイスタイル、つなぎを意識する打線や投手陣、一軍で活躍を意識して二軍で頑張る若手など、プロスポーツチームの見本となるような良い戦い方をしていた。しばらくは安心して声援を送ることができそうなチームである。当然、そのチームにファンも含まれている。チームの一員として機能しているファンの姿勢も素晴らしいと言える。
ただし、黄金時代はいつまでも続かない。V9時代の巨人を知っている私も、引退時に長嶋茂雄が語った「巨人軍は永久に不滅です」の言葉を信じた一人であった。まさか、その後セリーグが群雄割拠となるとは思いもしなかった。それでも、私は巨人を応援し続けた。江川問題の時も、桑田問題の時も、落合や清原がFA移籍した時も、巨人を信じ応援し続けた。一時は、松井秀樹や高橋由伸がいながら、中日や広島、ヤクルト、西武の4番打者を金で買ってきた。そんな時でもである。北海道に日本ハムファイターズが来なければ、私はまだ巨人ファンであったかもしれない。それとも、巨人のやり方に嫌気がさして野球ファンを辞めていたかもしれない。
本物のファンとは、いかなる時もチームを信じ、応援し続けることができることだと思う。北海道日本ハムファイターズも、いずれ苦境の時が来るであろう。その時に、ファンの資質が試されるのであろう。
そんな本物のファンを育てるのも、ファイターズの大切な仕事であろう。地元に密着する活動は地道ではあるが、大切なサービスである。野球だけをやっていれば、球場に4万人を越える観客が、入場料を払って来てはくれない。そのためにも選手・球団関係者はもとより、OBを含めて日本ハムのチームスタイルを作り上げていかなければならない。
日本ハム戦のテレビやラジオの解説を仕事としているOBも多いであろう。北海道の少年野球に力を入れている方も多い。
北海道日本ハムファイターズのチームカラーを汚すことない、解説や指導をお願いしたいものである。
駒大苫小牧出身の田中将大投手の魂の投球で第3戦は落としたが、第4戦は再び打線が爆発し、見事日本シリーズ進出となった。この第4戦で、気になるプレイがあった。7回裏、スレッジ選手のタイムリーで5-3とし、さらに一死一二塁のチャンスで糸井選手が三遊間へのゴロ。楽天遊撃手が上手く捌いて二塁へ送球し、小谷野選手が封殺された。この時、二塁手は糸井選手の足を考え、一塁への送球は諦めていたように見えた。そこへ、一塁走者の小谷野選手がスライディング。私は、思わずテレビに向かい「インターフェア」と叫んでいた。
このシーンを、テレビ解説していた岩本氏が「素晴らしいガッツあるプレイでした。ベースに向かって滑っていますから、ルールぎりぎりのプレイでした」と絶賛した。
その後で、リプレイが流れた。外野カメラから一二塁線方向を撮った映像である。
小谷野選手は、明らかに走路を外れ、二塁手がベース内側へ移動して送球しようとする位置に向かってスライディングしていた。どんなに腕を伸ばしても二塁キャンバスへ届かない位置でスライディングしたのである。
確かに二塁手は、一塁送球を諦めたようにも見えた。もっと試合内容が緊迫していたら、野村監督も抗議に出てきたかもしれない。
あのプレイを「ガッツ溢れるプレイ」と絶賛していては、北海道に本物のベースボールが
根付かない。
プロだから許されるというのは、まったく理由になっていない。プロだからこそ、子供たちへの影響力は絶大である。プロ野球選手がやったプレイを、すぐに真似をする。それが野球小僧である。
あのプレイは「ガッツあるプレイ」には見えるが、ただの「ラフプレイ」であり、インターフェア(守備妨害)である。
結果的には、あの一打が第2戦以降の流れを呼び込み、ダルビッシュ投手不在を忘れさせるような勢いでシリーズを突っ走った。
それにしても、札幌ドームの観衆がファイターズ選手に与える影響力は凄い。スレッジのホームランは、正にファンが打たせたように感じてしまった。北海道のファンも、本物のホームチームのファンの形を作りつつあるように感じている。
ファイターズがフランチャイズとして北海津に来るまでは、北海道の野球ファンは、そのほとんどが巨人ファンであった。毎日ナイター中継があるのは巨人戦だけであり、プロ野球の公式戦は一年のうち数試合しか開催されないため、必然的に巨人ファンが圧倒的となった。そこに、長島と王の人気である。そのような状況であるから、パリーグの選手などは覚えられるはずもない。今では、セリーグの選手名がなかなか出てこない。
ただし、北海道の日本ハムファンも岐路に立たされるときが来る。ファンの本物度を試される時が来る。日本ハムが北海道に移転してからの成績は、第三期黄金時代といっても過言ではない勢いがある。実際、今年の試合内容を見ていても、最後まで試合を諦めない姿勢や、全力疾走を怠らないプレイスタイル、つなぎを意識する打線や投手陣、一軍で活躍を意識して二軍で頑張る若手など、プロスポーツチームの見本となるような良い戦い方をしていた。しばらくは安心して声援を送ることができそうなチームである。当然、そのチームにファンも含まれている。チームの一員として機能しているファンの姿勢も素晴らしいと言える。
ただし、黄金時代はいつまでも続かない。V9時代の巨人を知っている私も、引退時に長嶋茂雄が語った「巨人軍は永久に不滅です」の言葉を信じた一人であった。まさか、その後セリーグが群雄割拠となるとは思いもしなかった。それでも、私は巨人を応援し続けた。江川問題の時も、桑田問題の時も、落合や清原がFA移籍した時も、巨人を信じ応援し続けた。一時は、松井秀樹や高橋由伸がいながら、中日や広島、ヤクルト、西武の4番打者を金で買ってきた。そんな時でもである。北海道に日本ハムファイターズが来なければ、私はまだ巨人ファンであったかもしれない。それとも、巨人のやり方に嫌気がさして野球ファンを辞めていたかもしれない。
本物のファンとは、いかなる時もチームを信じ、応援し続けることができることだと思う。北海道日本ハムファイターズも、いずれ苦境の時が来るであろう。その時に、ファンの資質が試されるのであろう。
そんな本物のファンを育てるのも、ファイターズの大切な仕事であろう。地元に密着する活動は地道ではあるが、大切なサービスである。野球だけをやっていれば、球場に4万人を越える観客が、入場料を払って来てはくれない。そのためにも選手・球団関係者はもとより、OBを含めて日本ハムのチームスタイルを作り上げていかなければならない。
日本ハム戦のテレビやラジオの解説を仕事としているOBも多いであろう。北海道の少年野球に力を入れている方も多い。
北海道日本ハムファイターズのチームカラーを汚すことない、解説や指導をお願いしたいものである。
駒大苫小牧出身の田中将大投手の魂の投球で第3戦は落としたが、第4戦は再び打線が爆発し、見事日本シリーズ進出となった。この第4戦で、気になるプレイがあった。7回裏、スレッジ選手のタイムリーで5-3とし、さらに一死一二塁のチャンスで糸井選手が三遊間へのゴロ。楽天遊撃手が上手く捌いて二塁へ送球し、小谷野選手が封殺された。この時、二塁手は糸井選手の足を考え、一塁への送球は諦めていたように見えた。そこへ、一塁走者の小谷野選手がスライディング。私は、思わずテレビに向かい「インターフェア」と叫んでいた。
このシーンを、テレビ解説していた岩本氏が「素晴らしいガッツあるプレイでした。ベースに向かって滑っていますから、ルールぎりぎりのプレイでした」と絶賛した。
その後で、リプレイが流れた。外野カメラから一二塁線方向を撮った映像である。
小谷野選手は、明らかに走路を外れ、二塁手がベース内側へ移動して送球しようとする位置に向かってスライディングしていた。どんなに腕を伸ばしても二塁キャンバスへ届かない位置でスライディングしたのである。
確かに二塁手は、一塁送球を諦めたようにも見えた。もっと試合内容が緊迫していたら、野村監督も抗議に出てきたかもしれない。
あのプレイを「ガッツ溢れるプレイ」と絶賛していては、北海道に本物のベースボールが
根付かない。
プロだから許されるというのは、まったく理由になっていない。プロだからこそ、子供たちへの影響力は絶大である。プロ野球選手がやったプレイを、すぐに真似をする。それが野球小僧である。
あのプレイは「ガッツあるプレイ」には見えるが、ただの「ラフプレイ」であり、インターフェア(守備妨害)である。
私は北海道日本ハムファイターズのファンである。北海道にプロ野球チームが来てくれたことから、有無を言わずにファンになった。チーム方針も素晴らしく、これからのプロスポーツの模範となるべきチームカラーであると思っている。ただし、私自身がドーム球場の閉塞感が性に合わないため、ほとんど観戦に行ったことはない。まあ、ドンちゃん騒ぎの応援にもついていけないのもあるが。
チーム作りをする上で、監督を含めた首脳陣の人選は重要である。チーム強化の方針に欠かすことのできない要素のひとつである。もちろん、優秀な選手を獲得することやドラフトなどで有望新人を発掘することも重要ではあるが、チームカラーに沿った選手育成をする上で指導者が持つ雰囲気やポテンシャル、そしてカリスマ性は必要不可欠な要素である。日本ハムは、北海道移転を機にトレイ・ヒルマン監督を迎え入れ、白井ヘッドコーチとの抜群の二人三脚でチームの礎を築いた。それを引き継ぐ形で、梨田監督が福良ヘッドコーチ等を率いて黄金期の外枠を作り上げようとしている。インフルエンザ禍による危機も、チーム全体の力で乗り切る姿勢に共感を憶えずにはいられない。
それほど愛すべきチームの監督が、「遅延行為」で退場となった。梨田監督自身、人生二度目の退場となった。先日、広島カープのマーティ・ブラウン監督が通算8度の退場処分を受けたが、それに発奮した選手が6点差をひっくり返して勝利を得た。ブラウン監督の退場試合の戦績は7勝1敗と抜群の勝率である。チームの起爆剤として利用しているのはアメリカ人監督ならではある。
大リーグの退場記録は桁違いである。7月24日、アトランタ・ブレーブスのボビー・コックス監督は今季3度目の退場処分となったが、これがなんと大リーグ通算146回目の退場であった。選手としてはヤンキースでの実働2年しかないが、監督業としては1978年からアトランタ・ブレーブス、1982年からトロント・ブルージェイズ、そして1990年から再びアトランタへ戻り現在に至っている。その間に最優秀監督賞を4度受賞している名監督であり、2007年には史上6人目の監督としての4,000試合を達成している。
大リーグの場合は、審判員の権威と尊厳が高く認識されていることから、監督はダッグアウトを出たときから「退場処分」を覚悟している。ルールブック上も、ストライク・ボールやアウト・セーフの判定に対して不満を表しただけで警告が発せられ、それでもダッグアウトから出てきた場合は、即刻試合から除くことが明記されている。
日本の場合は、抗議の内容を聞いた上で、抗議時間が5分間を超過した場合は「遅延行為」で退場処分とすることとなっている。日本ハムの梨田監督は、これに抵触したため退場処分となったが、監督自身も覚悟の上であったようである。
退場処分の引き金となったプレイに対するジャッジは、何とも日本らいしい判断があったように思われる。私自身が、リアルタイムでもリプレイでもプレイを見ていないため憶測の域を出ないが、場面および適用規則を整理すると、以下のとおりである。
6回無死1・2塁で打者・二岡選手は投手前にバントをした。この打球を処理しようとインフィールドへ動いた田上捕手が、打者走者である二岡選手と接触し転倒したため、飯塚球審がインターフェア(打者走者による守備妨害)を宣告し、打者走者である二岡選手を妨害によりアウトとし、走者を投手が投球時に占有していた塁に戻した。直前にもバントした小谷野選手と田上捕手が接触した後、田上捕手が打球処理をミスしたプレイがあり、それに対して秋山・ソフトバンク監督が抗議をしたことが伏線となっているように思われる。ここで適用されるべき野球規則では次のとおりであると、日本ハムは主張している。
【7.09(i)】走者が打球を処理しようとしている野手を避けなかったか、あるいは送球を故意に妨げた場合。【原注】 捕手が打球を処理しようとしているときに、捕手と一塁へ向かう打者走者とが接触した場合は、守備妨害も走塁妨害もなかったものとみなされて、何も宣告されない。打球を処理しようとしている野手による走塁妨害は、非常に悪質で乱暴な場合にだけ宣告されるべきである。たとえば、打球を処理しようとしているからといって、走者を故意につまずかせるようなことをすれば、オブストラクションが宣告される。
日本ハムの主張は、これにより守備妨害も走塁妨害も宣告されることはないと明確に書かれており、強いて妨害と採用するのであれば例外として「オブストラクション(走塁妨害)」であり、「インターフェア(守備妨害)」については言及されていない、ということである。
私は日本ハムファイターズのファンであるが、アマチュア野球ではあるが審判員のひとりでもある。
日本ハムの主張は、大原則が欠落している。この規則が記載されている項目【7.09】は「打者または走者によるインターフェア」である。つまり守備妨害について記載されている項目である。その中の例外が「捕手と打者走者が本塁付近で接触した場合はナッシング」という不思議なルールである。厳密にはどちらかの妨害であるのであろうが、実際には判断がつかないための「喧嘩両成敗」的なルールである。それでも、野手が打者または走者を明確に妨害したと判断できる場合は「オブストラクション」を宣告するということである。
つまり、打者走者と捕手を含む野手の衝突は「守備優先」の大原則が根底にある上で、本塁周辺だけは「喧嘩両成敗」だということであり、走者が明確に妨害された場合のみオブストラクションとなるということである。日本ハムの「インターフェアについて言及されていない」という解釈は、適用規則の【7.09】の大原則を棚に上げた主張であるといわざるを得ない。
数年前の日本シリーズでもバントした打者が捕手の動きに合わせるかのような動きで接触プレイがあり、二度目のプレイで球審が「インターフェア」のようなシグナルを出して大問題になったことがある。守備側の監督が納得せず、コミッショナーまでが説得に当たったことがあった。
野球のルールの中で何とも不思議な常識である【7.09原注】は、審判泣かせのルールであるといえる。それがゆえに、このプレイは「ナッシング」が無難なジャッジメントといえるのかもしれない。
しかし、球審をやったことがある人であれば、少なからず感じているであろう。バントした打者が、すぐに打者席から走り出すことせずに、捕手の動きに合わせるかのように動き出すことを感じているであろう。本塁周りでの接触は「ナッシング」と教えられているが、どうも「インターフェア(守備妨害)」の匂いがすると感じているのは、私だけではないであろう。どうせ、遅れて走り出すのであれば、捕手が完全に前に出てからでも良いはずなのに、どういうわけかタイミングが合うのである。
ベースボールでは、打者が打撃を終了した場合は、速やかに打者席を出るように教育されているが、日本で行われているのは「野球」である。ルールの隙間を利用して楽しむのが「野球」である。日本人は「ルールの隙間を利用して楽しむゲーム=野球」から脱却し、ベースボールへと進化できるのであろうか。それができなければ、「日本野球」が世界で認められ、尊敬されることは無いであろう。
最後にもう一度言おう。私は北海道日本ハムファイターズのファンである。梨田監督の気概は素晴らしいが、今一度考えていただきたい。
「ナッシングであることを十分に分かっているプレイが、何故守備妨害に見えたか」を考えていただきたい。
チーム作りをする上で、監督を含めた首脳陣の人選は重要である。チーム強化の方針に欠かすことのできない要素のひとつである。もちろん、優秀な選手を獲得することやドラフトなどで有望新人を発掘することも重要ではあるが、チームカラーに沿った選手育成をする上で指導者が持つ雰囲気やポテンシャル、そしてカリスマ性は必要不可欠な要素である。日本ハムは、北海道移転を機にトレイ・ヒルマン監督を迎え入れ、白井ヘッドコーチとの抜群の二人三脚でチームの礎を築いた。それを引き継ぐ形で、梨田監督が福良ヘッドコーチ等を率いて黄金期の外枠を作り上げようとしている。インフルエンザ禍による危機も、チーム全体の力で乗り切る姿勢に共感を憶えずにはいられない。
それほど愛すべきチームの監督が、「遅延行為」で退場となった。梨田監督自身、人生二度目の退場となった。先日、広島カープのマーティ・ブラウン監督が通算8度の退場処分を受けたが、それに発奮した選手が6点差をひっくり返して勝利を得た。ブラウン監督の退場試合の戦績は7勝1敗と抜群の勝率である。チームの起爆剤として利用しているのはアメリカ人監督ならではある。
大リーグの退場記録は桁違いである。7月24日、アトランタ・ブレーブスのボビー・コックス監督は今季3度目の退場処分となったが、これがなんと大リーグ通算146回目の退場であった。選手としてはヤンキースでの実働2年しかないが、監督業としては1978年からアトランタ・ブレーブス、1982年からトロント・ブルージェイズ、そして1990年から再びアトランタへ戻り現在に至っている。その間に最優秀監督賞を4度受賞している名監督であり、2007年には史上6人目の監督としての4,000試合を達成している。
大リーグの場合は、審判員の権威と尊厳が高く認識されていることから、監督はダッグアウトを出たときから「退場処分」を覚悟している。ルールブック上も、ストライク・ボールやアウト・セーフの判定に対して不満を表しただけで警告が発せられ、それでもダッグアウトから出てきた場合は、即刻試合から除くことが明記されている。
日本の場合は、抗議の内容を聞いた上で、抗議時間が5分間を超過した場合は「遅延行為」で退場処分とすることとなっている。日本ハムの梨田監督は、これに抵触したため退場処分となったが、監督自身も覚悟の上であったようである。
退場処分の引き金となったプレイに対するジャッジは、何とも日本らいしい判断があったように思われる。私自身が、リアルタイムでもリプレイでもプレイを見ていないため憶測の域を出ないが、場面および適用規則を整理すると、以下のとおりである。
6回無死1・2塁で打者・二岡選手は投手前にバントをした。この打球を処理しようとインフィールドへ動いた田上捕手が、打者走者である二岡選手と接触し転倒したため、飯塚球審がインターフェア(打者走者による守備妨害)を宣告し、打者走者である二岡選手を妨害によりアウトとし、走者を投手が投球時に占有していた塁に戻した。直前にもバントした小谷野選手と田上捕手が接触した後、田上捕手が打球処理をミスしたプレイがあり、それに対して秋山・ソフトバンク監督が抗議をしたことが伏線となっているように思われる。ここで適用されるべき野球規則では次のとおりであると、日本ハムは主張している。
【7.09(i)】走者が打球を処理しようとしている野手を避けなかったか、あるいは送球を故意に妨げた場合。【原注】 捕手が打球を処理しようとしているときに、捕手と一塁へ向かう打者走者とが接触した場合は、守備妨害も走塁妨害もなかったものとみなされて、何も宣告されない。打球を処理しようとしている野手による走塁妨害は、非常に悪質で乱暴な場合にだけ宣告されるべきである。たとえば、打球を処理しようとしているからといって、走者を故意につまずかせるようなことをすれば、オブストラクションが宣告される。
日本ハムの主張は、これにより守備妨害も走塁妨害も宣告されることはないと明確に書かれており、強いて妨害と採用するのであれば例外として「オブストラクション(走塁妨害)」であり、「インターフェア(守備妨害)」については言及されていない、ということである。
私は日本ハムファイターズのファンであるが、アマチュア野球ではあるが審判員のひとりでもある。
日本ハムの主張は、大原則が欠落している。この規則が記載されている項目【7.09】は「打者または走者によるインターフェア」である。つまり守備妨害について記載されている項目である。その中の例外が「捕手と打者走者が本塁付近で接触した場合はナッシング」という不思議なルールである。厳密にはどちらかの妨害であるのであろうが、実際には判断がつかないための「喧嘩両成敗」的なルールである。それでも、野手が打者または走者を明確に妨害したと判断できる場合は「オブストラクション」を宣告するということである。
つまり、打者走者と捕手を含む野手の衝突は「守備優先」の大原則が根底にある上で、本塁周辺だけは「喧嘩両成敗」だということであり、走者が明確に妨害された場合のみオブストラクションとなるということである。日本ハムの「インターフェアについて言及されていない」という解釈は、適用規則の【7.09】の大原則を棚に上げた主張であるといわざるを得ない。
数年前の日本シリーズでもバントした打者が捕手の動きに合わせるかのような動きで接触プレイがあり、二度目のプレイで球審が「インターフェア」のようなシグナルを出して大問題になったことがある。守備側の監督が納得せず、コミッショナーまでが説得に当たったことがあった。
野球のルールの中で何とも不思議な常識である【7.09原注】は、審判泣かせのルールであるといえる。それがゆえに、このプレイは「ナッシング」が無難なジャッジメントといえるのかもしれない。
しかし、球審をやったことがある人であれば、少なからず感じているであろう。バントした打者が、すぐに打者席から走り出すことせずに、捕手の動きに合わせるかのように動き出すことを感じているであろう。本塁周りでの接触は「ナッシング」と教えられているが、どうも「インターフェア(守備妨害)」の匂いがすると感じているのは、私だけではないであろう。どうせ、遅れて走り出すのであれば、捕手が完全に前に出てからでも良いはずなのに、どういうわけかタイミングが合うのである。
ベースボールでは、打者が打撃を終了した場合は、速やかに打者席を出るように教育されているが、日本で行われているのは「野球」である。ルールの隙間を利用して楽しむのが「野球」である。日本人は「ルールの隙間を利用して楽しむゲーム=野球」から脱却し、ベースボールへと進化できるのであろうか。それができなければ、「日本野球」が世界で認められ、尊敬されることは無いであろう。
最後にもう一度言おう。私は北海道日本ハムファイターズのファンである。梨田監督の気概は素晴らしいが、今一度考えていただきたい。
「ナッシングであることを十分に分かっているプレイが、何故守備妨害に見えたか」を考えていただきたい。
明日の開会式を皮切りに、明後日より秋季新人戦が始まる。今年もいよいよ終盤に突入である。この大会が終了するころには、北海道では確実に冬の足音が聞こえて来る。せいぜい、残ったシーズンを楽しみたいと思う。
毎年のことではあるが、新人戦のジャッジメントは、半月前まで3年生のプレイを見てきたことから、パワーもスピードも技術の正確性も劣り、かなり調子が狂ってしまう。
また、多くの新人審判の方々も公式戦デビューすることから珍プレイ・珍ジャッジが多くなる。
ミスはミスとして、それもこれも「野球の一部」と考えて楽しんでいきたいものであるが、勝負にこだわる「勝負師」たちが、審判のジャッジに対して「揚足取り」をする場面があるのも事実である。
そこで、それらの勝負師たちにアドバイス。せめて投手の投球動作だけでもルールブックとおりに指導していただければ、ゲーム進行に大きく寄与できるのである。
そのひとつが、「アウト」となることが少ないのに、しつこく行われる「牽制球」がある。
投手は投手板を踏んだ時点で「投手」となる。その時点からは「投手」の姿勢・動作をしなくてはならない。それが、所謂「プレートさばき」といわれる「投手」というポジションの独特の雰囲気なのであろう。これができていない「投手と自認する選手」は、どこか落ち着きがなく、肝が据わっていないように見えるものである。プレートさばきができていない投手は、牽制球も下手である。どこかぎこちない。打者に投球することで精一杯なのに、走者にまで注意を払うのは所詮無理があるのであろうが、「投手と自認する選手」はそれもやろうとしてしまう。
投手板の後縁およびその延長線上より後方へ軸足を外した状態が、投手が野手になった瞬間といえる。野手になれば、1塁への偽投も許されるし、塁に踏み出さずに牽制球が投げられるのである。しかし、軸足を動かすという大きな動作では、走者を牽制球でアウトを獲ることも、リードを狭めさせる事も困難である。そして、この牽制球が悪送球になりボールデッドの地域に入るような場合には、「野手による送球」という扱いで走者は2個の進塁を与えられるのである。
次に投手が考える事は、軸足を投手板に触れたまま牽制球を投じる事である。ただこの場合は、自由な足を牽制する塁に向けて踏み出さなければならず、これも大きな動作となる。つまり、牽制球を投げるということは、走者にも塁審にも分かる「大きな動作」を伴うはずである。
投手は時として、この「大きな動作」を少しでも小さくして、走者を騙そうと試みる。それの代表格がツイストやターンであり、投手板の踏み替えによる牽制球も話題になる。
投手は軸足を投手板の上で踏み替えることを禁止されている。これを行った場合は、走者がいると「ボーク」となる。ただし、このケースは見分けるのがなかなか難しい。例えば、右投手が一塁へ牽制球を投じるケースで、軸足(右足)を投手板に接触させた状態で自由な足(左足)を一塁方向へ踏み出そうとすると、どうしても軸足である右足が投手板の上で動いてしまう。この動作までも「ボーク」としていては、あまりにも制約がきつすぎると考えるべきであろう。
そこで考えられたのが、「一挙動」という見方である。つまり軸足を小さく踏み替えて、素早く自由な足を踏み出す牽制は「一挙動」と見なして良いと考えられている。ただし、踏み替えの幅が極端に大きかった場合や自由な足の踏み出しが不十分な場合は「ボーク」となる。これは、右投手の一塁牽制球で多いので、試合序盤で注意することである。好投手ほど、牽制球のパターンを多く持っているので注意を怠ると、走者と一緒に塁審も騙される事となってしまう。
左投手に多いのが、顔の向きで走者を牽制する行為である。投手が走者のいる塁を見ながら投球動作を開始するのは問題ないが、すでに投球動作を開始してから、走者のいる塁へ「顔を振る」動作は「ボーク」となる。これは走者を騙す行為として「欺瞞行為」となる。
牽制球には多くのリスクが潜んでいることを指導者も選手も自覚し、気持ちの良い試合展開を希望するものである。
さてさて、今年の新人戦はどうなることやら。
毎年のことではあるが、新人戦のジャッジメントは、半月前まで3年生のプレイを見てきたことから、パワーもスピードも技術の正確性も劣り、かなり調子が狂ってしまう。
また、多くの新人審判の方々も公式戦デビューすることから珍プレイ・珍ジャッジが多くなる。
ミスはミスとして、それもこれも「野球の一部」と考えて楽しんでいきたいものであるが、勝負にこだわる「勝負師」たちが、審判のジャッジに対して「揚足取り」をする場面があるのも事実である。
そこで、それらの勝負師たちにアドバイス。せめて投手の投球動作だけでもルールブックとおりに指導していただければ、ゲーム進行に大きく寄与できるのである。
そのひとつが、「アウト」となることが少ないのに、しつこく行われる「牽制球」がある。
投手は投手板を踏んだ時点で「投手」となる。その時点からは「投手」の姿勢・動作をしなくてはならない。それが、所謂「プレートさばき」といわれる「投手」というポジションの独特の雰囲気なのであろう。これができていない「投手と自認する選手」は、どこか落ち着きがなく、肝が据わっていないように見えるものである。プレートさばきができていない投手は、牽制球も下手である。どこかぎこちない。打者に投球することで精一杯なのに、走者にまで注意を払うのは所詮無理があるのであろうが、「投手と自認する選手」はそれもやろうとしてしまう。
投手板の後縁およびその延長線上より後方へ軸足を外した状態が、投手が野手になった瞬間といえる。野手になれば、1塁への偽投も許されるし、塁に踏み出さずに牽制球が投げられるのである。しかし、軸足を動かすという大きな動作では、走者を牽制球でアウトを獲ることも、リードを狭めさせる事も困難である。そして、この牽制球が悪送球になりボールデッドの地域に入るような場合には、「野手による送球」という扱いで走者は2個の進塁を与えられるのである。
次に投手が考える事は、軸足を投手板に触れたまま牽制球を投じる事である。ただこの場合は、自由な足を牽制する塁に向けて踏み出さなければならず、これも大きな動作となる。つまり、牽制球を投げるということは、走者にも塁審にも分かる「大きな動作」を伴うはずである。
投手は時として、この「大きな動作」を少しでも小さくして、走者を騙そうと試みる。それの代表格がツイストやターンであり、投手板の踏み替えによる牽制球も話題になる。
投手は軸足を投手板の上で踏み替えることを禁止されている。これを行った場合は、走者がいると「ボーク」となる。ただし、このケースは見分けるのがなかなか難しい。例えば、右投手が一塁へ牽制球を投じるケースで、軸足(右足)を投手板に接触させた状態で自由な足(左足)を一塁方向へ踏み出そうとすると、どうしても軸足である右足が投手板の上で動いてしまう。この動作までも「ボーク」としていては、あまりにも制約がきつすぎると考えるべきであろう。
そこで考えられたのが、「一挙動」という見方である。つまり軸足を小さく踏み替えて、素早く自由な足を踏み出す牽制は「一挙動」と見なして良いと考えられている。ただし、踏み替えの幅が極端に大きかった場合や自由な足の踏み出しが不十分な場合は「ボーク」となる。これは、右投手の一塁牽制球で多いので、試合序盤で注意することである。好投手ほど、牽制球のパターンを多く持っているので注意を怠ると、走者と一緒に塁審も騙される事となってしまう。
左投手に多いのが、顔の向きで走者を牽制する行為である。投手が走者のいる塁を見ながら投球動作を開始するのは問題ないが、すでに投球動作を開始してから、走者のいる塁へ「顔を振る」動作は「ボーク」となる。これは走者を騙す行為として「欺瞞行為」となる。
牽制球には多くのリスクが潜んでいることを指導者も選手も自覚し、気持ちの良い試合展開を希望するものである。
さてさて、今年の新人戦はどうなることやら。
8月23日ニューヨークのシェイスタジアムにおけるニューヨーク・メッツとフィラデルフィア・フィリーズの一戦で、長い大リーグの歴史の中で二人目となる珍記録があった。
9回裏、メッツが1点を返してフィリーズ9―7メッツとなり、なおも無死1・2塁の一発出れば逆転サヨナラの場面。
メッツのジェフ・フランコアーの打球は二塁へのライナーとなり、二塁ベース寄りに守っていた二塁手エリック・ブラントレットのグラブにすっぽり納まった(1アウト)。この打球につられて飛び出していた二塁ランナーは帰塁できず、ブラントレットは二塁ベースを踏んで2アウト。さらに二塁ベース手前にまで達していた一塁ランナーにタッグして3アウト。なんと、一人でトリプルプレーを達成した。「アシストなしのトリプルプレー」はブラントレットで15人目だが、「このプレイで試合終了」というのは大リーグ史上2回目の快挙である。
この記事を目にして最初に思ったことは、「このプレイのジャッジは誰がジャッジしたのだろうか」であった。つくづく、審判が好きなのだろうと呆れている。
走者1・2塁であるから、二塁塁審は内野手よりも内側に位置している。二塁ベース付近のライナーであり、二塁塁審の目の前で起きたプレイであるから、「Catch OUT」は二塁塁審がコールしただろう。
2アウト目は二塁走者のリタッチが早いことへのプレイであり、二塁塁審の責任範疇であるから引き続き「He’s OUT」を宣告したと思われる。
3アウト目も一塁走者に対する二塁手のタッグプレイであるから二塁塁審が良く見えているであろう。
文章で書くと、行間があり余裕を感じるが、この一連のプレイはほぼ一瞬のうちに行われている。だからこそ、大リーグ史上2度目の珍事なのである。時間が掛かっているようでは、走者が戻るか、ランダウンプレイとなっていたであろう。
その一瞬のプレイを、ひとりの審判員が連続してジャッジしコールしているのである。考えただけで、面倒な気がする。
「アウト、アウト、アウト」と連続してコールするのも素人くさい気がするし、あまり間をおくのと、次のアウトと重なる気がする。だからといって、こんなプレイを予想する方がナンセンスなような気もする。
我々の組織では、連続して一人の審判員がコールすることを防ごうと、互いに補佐する習慣付けを春先から行った。
走者がいて二塁塁審が内側にいるケースで、内野にハーフライナー(直接捕球か否かの判定が必要な打球)が飛んだ際に、基本的には球審が前に出て「キャッチアウト」または「ノーキャッチ」の判定をするのである。それにより、その後に起こる走者へのプレイに対して塁審が余裕を持つことが可能となると考えている。
しかし、これも万能ではない。一番の問題点は、プレイの発生している地点と、それをジャッジしている球審のポジションが遠いことである。二塁手の位置で起きているプレイに対し、本塁よりやや前で「ノーキャッチ」とやっても、選手も観客も皆がボールの行方を追っているため見ていないことが多いのである。なんともピエロ的な動作に写ってしまう気がしている。
では、そのサイドにいる塁審がジャッジするのはどうであろうか。これは、まだ選手や観客に訴えるジャッジかもしれない。
ただし、「オープン・グラブ・ポリシー」の基本からは外れている。
今年、我が組織の試合で、これに関わる珍プレイがあった。
走者1・2塁の場面で二塁へのハーフライナーが飛んだ。二塁手が前進し処理したがショートバウンドとなった。その瞬間、球審・一塁塁審および二塁塁審が同時に「ノーキャッチ」をトリプル・コールしたのだ。
球審は自分の判定範疇と考え、一塁塁審は補佐しようと考え、二塁塁審は目の前のプレイを判定した結果であった。すべてが「ノーキャッチ」であったから良かったが、一人でも違うコールをしたら、どうなっていたかと考えると背筋が寒くなる。
それにしても、一人のプレーヤーによるトリプルプレイも珍記録だが、一人の審判員が連続して3つのアウトを宣告したのも「珍記録」なのであろう。
9回裏、メッツが1点を返してフィリーズ9―7メッツとなり、なおも無死1・2塁の一発出れば逆転サヨナラの場面。
メッツのジェフ・フランコアーの打球は二塁へのライナーとなり、二塁ベース寄りに守っていた二塁手エリック・ブラントレットのグラブにすっぽり納まった(1アウト)。この打球につられて飛び出していた二塁ランナーは帰塁できず、ブラントレットは二塁ベースを踏んで2アウト。さらに二塁ベース手前にまで達していた一塁ランナーにタッグして3アウト。なんと、一人でトリプルプレーを達成した。「アシストなしのトリプルプレー」はブラントレットで15人目だが、「このプレイで試合終了」というのは大リーグ史上2回目の快挙である。
この記事を目にして最初に思ったことは、「このプレイのジャッジは誰がジャッジしたのだろうか」であった。つくづく、審判が好きなのだろうと呆れている。
走者1・2塁であるから、二塁塁審は内野手よりも内側に位置している。二塁ベース付近のライナーであり、二塁塁審の目の前で起きたプレイであるから、「Catch OUT」は二塁塁審がコールしただろう。
2アウト目は二塁走者のリタッチが早いことへのプレイであり、二塁塁審の責任範疇であるから引き続き「He’s OUT」を宣告したと思われる。
3アウト目も一塁走者に対する二塁手のタッグプレイであるから二塁塁審が良く見えているであろう。
文章で書くと、行間があり余裕を感じるが、この一連のプレイはほぼ一瞬のうちに行われている。だからこそ、大リーグ史上2度目の珍事なのである。時間が掛かっているようでは、走者が戻るか、ランダウンプレイとなっていたであろう。
その一瞬のプレイを、ひとりの審判員が連続してジャッジしコールしているのである。考えただけで、面倒な気がする。
「アウト、アウト、アウト」と連続してコールするのも素人くさい気がするし、あまり間をおくのと、次のアウトと重なる気がする。だからといって、こんなプレイを予想する方がナンセンスなような気もする。
我々の組織では、連続して一人の審判員がコールすることを防ごうと、互いに補佐する習慣付けを春先から行った。
走者がいて二塁塁審が内側にいるケースで、内野にハーフライナー(直接捕球か否かの判定が必要な打球)が飛んだ際に、基本的には球審が前に出て「キャッチアウト」または「ノーキャッチ」の判定をするのである。それにより、その後に起こる走者へのプレイに対して塁審が余裕を持つことが可能となると考えている。
しかし、これも万能ではない。一番の問題点は、プレイの発生している地点と、それをジャッジしている球審のポジションが遠いことである。二塁手の位置で起きているプレイに対し、本塁よりやや前で「ノーキャッチ」とやっても、選手も観客も皆がボールの行方を追っているため見ていないことが多いのである。なんともピエロ的な動作に写ってしまう気がしている。
では、そのサイドにいる塁審がジャッジするのはどうであろうか。これは、まだ選手や観客に訴えるジャッジかもしれない。
ただし、「オープン・グラブ・ポリシー」の基本からは外れている。
今年、我が組織の試合で、これに関わる珍プレイがあった。
走者1・2塁の場面で二塁へのハーフライナーが飛んだ。二塁手が前進し処理したがショートバウンドとなった。その瞬間、球審・一塁塁審および二塁塁審が同時に「ノーキャッチ」をトリプル・コールしたのだ。
球審は自分の判定範疇と考え、一塁塁審は補佐しようと考え、二塁塁審は目の前のプレイを判定した結果であった。すべてが「ノーキャッチ」であったから良かったが、一人でも違うコールをしたら、どうなっていたかと考えると背筋が寒くなる。
それにしても、一人のプレーヤーによるトリプルプレイも珍記録だが、一人の審判員が連続して3つのアウトを宣告したのも「珍記録」なのであろう。
今年の夏の甲子園もベスト8が出揃いだしたようである。大会2日目から雨で2日も順延となり、スケジュールが押し気味となっているため、北海道の高校は夏休みが終わり2学期が始まってしまったようである。今年は、天候に泣かされた一年になりそうであるが、これも屋外スポーツの野球の特徴なのである。
我が連盟は、お盆休暇に恒例の大会があるため、ゆっくりと骨休みというわけにもいかないのが辛い。本来であれば実家に帰り、のんびりと高校野球観戦をしたいところであるが、大会初日は試合数も多いため手伝うこととしてるので、実質ゆっくりとできるのは1日程度しかない。あとは、渋滞と戦いながらの長旅で2日間を潰すのが盆休暇の恒例行事となっている。
たった1日しかない高校野球観戦であるが、今年の甲子園には大きな変化を感じた。
この変化とは、審判のジャッジメントが不正行為に対して毅然とペナルティを与えていることである。
何試合も見聞きしていないにも関わらず、「ボーク」「不正投球」「インターフェア」と立て続けに、私の耳に情報が舞い込んできた。
中学硬式では、よく発生する「ボーク」であるが、高校野球では珍しい。それは、フェアプレイ精神が重要視されている高校野球であるからではなく、けん制などの技術が上達することによるものと思われる。というより、高校野球では、より狡猾になるということであろう。野球の雑誌を中心にスポーツ誌全般を扱っている有名な出版社による野球専門誌ですら、「高度なけん制球」ということで「ボーク」を紹介しているぐらいである。不正ギリギリを狙うことが「高度」と扱うこと自体が変な話ではある。
「不正投球」は一時「二段モーション」が話題となり、楽天の岩隈投手や横浜の三浦投手の投球モーションが取りざたされ、その後野球界全体で見直しがなされた。レッドソックスの松坂投手なども大リーグに移籍当時は、振りかぶった際に頭の後ろでグラブを上下することを指摘され、修正する羽目になっていた。
その後は、鳴りを潜めていた感があったが、15秒ルールなるものが取り沙汰された影響なのか、「不正投球」が復活してきた。
投球モーションの大原則は、投手が投球モーションを始めたら、淀みなく、止まることなく投球を終了しなくてはならないのである。どこかで止まる動作があった時点で「不正投球」となり、走者なしの場合は「ボール」、走者がいる場合には「ボーク」となるのである。
先日の試合で、投球モーションが止まる投手に対して、インターバルの際に説明をしたことがあった。その後、そのチームの監督から説明を求められたので、「こういうモーションは不正投球ですよ」と言ったが、さっぱり判らない様子であった。「何が悪いのか」という表情である。もう一度、基礎から説明をする必要性を感じてしまった。
「インターフェア(守備妨害)」は、盗塁に対する捕手の守備行為を打者が妨害したものであった。打者は空振りをして、その余勢で打者席を出てしまい、本塁上に立ちすくんでしまったのである。捕手は、その打者を避けながら二塁へ送球したが間に合わず、盗塁は成功。このような風景は、今まで何度も見かけたプレイであったが、インターフェアランスを適用するケースはほとんどなかったように思われる。これの理由は、「打者の空振りによる余勢であり、故意ではない」との判断だったのであろう。
ルールブックには、「打者が打者席から片脚でも出て野手の守備行為を妨げたと判断した場合は守備妨害」と書かれている。一方で、「打者が空振りした余勢で、バットが投球または捕手に触れた場合は、ボールデットとして走者を投手の投球当時の塁に戻す」とある。
この二つが合体して、「打者の空振りによる余勢で打者席を出た場合でも、故意ではないのであるから妨害ではない」という「間違った常識」となっているように思われる。指導者の中には「捕手が二塁へ送球できたのだから、妨害ではない」という嘘を信じている方がいるのも事実である。
このプレイに対し、今年の甲子園では毅然と「インターフェアランス」を適用していたのを見聞きして「変化」を感じずにはいられなかった。
我が連盟は、お盆休暇に恒例の大会があるため、ゆっくりと骨休みというわけにもいかないのが辛い。本来であれば実家に帰り、のんびりと高校野球観戦をしたいところであるが、大会初日は試合数も多いため手伝うこととしてるので、実質ゆっくりとできるのは1日程度しかない。あとは、渋滞と戦いながらの長旅で2日間を潰すのが盆休暇の恒例行事となっている。
たった1日しかない高校野球観戦であるが、今年の甲子園には大きな変化を感じた。
この変化とは、審判のジャッジメントが不正行為に対して毅然とペナルティを与えていることである。
何試合も見聞きしていないにも関わらず、「ボーク」「不正投球」「インターフェア」と立て続けに、私の耳に情報が舞い込んできた。
中学硬式では、よく発生する「ボーク」であるが、高校野球では珍しい。それは、フェアプレイ精神が重要視されている高校野球であるからではなく、けん制などの技術が上達することによるものと思われる。というより、高校野球では、より狡猾になるということであろう。野球の雑誌を中心にスポーツ誌全般を扱っている有名な出版社による野球専門誌ですら、「高度なけん制球」ということで「ボーク」を紹介しているぐらいである。不正ギリギリを狙うことが「高度」と扱うこと自体が変な話ではある。
「不正投球」は一時「二段モーション」が話題となり、楽天の岩隈投手や横浜の三浦投手の投球モーションが取りざたされ、その後野球界全体で見直しがなされた。レッドソックスの松坂投手なども大リーグに移籍当時は、振りかぶった際に頭の後ろでグラブを上下することを指摘され、修正する羽目になっていた。
その後は、鳴りを潜めていた感があったが、15秒ルールなるものが取り沙汰された影響なのか、「不正投球」が復活してきた。
投球モーションの大原則は、投手が投球モーションを始めたら、淀みなく、止まることなく投球を終了しなくてはならないのである。どこかで止まる動作があった時点で「不正投球」となり、走者なしの場合は「ボール」、走者がいる場合には「ボーク」となるのである。
先日の試合で、投球モーションが止まる投手に対して、インターバルの際に説明をしたことがあった。その後、そのチームの監督から説明を求められたので、「こういうモーションは不正投球ですよ」と言ったが、さっぱり判らない様子であった。「何が悪いのか」という表情である。もう一度、基礎から説明をする必要性を感じてしまった。
「インターフェア(守備妨害)」は、盗塁に対する捕手の守備行為を打者が妨害したものであった。打者は空振りをして、その余勢で打者席を出てしまい、本塁上に立ちすくんでしまったのである。捕手は、その打者を避けながら二塁へ送球したが間に合わず、盗塁は成功。このような風景は、今まで何度も見かけたプレイであったが、インターフェアランスを適用するケースはほとんどなかったように思われる。これの理由は、「打者の空振りによる余勢であり、故意ではない」との判断だったのであろう。
ルールブックには、「打者が打者席から片脚でも出て野手の守備行為を妨げたと判断した場合は守備妨害」と書かれている。一方で、「打者が空振りした余勢で、バットが投球または捕手に触れた場合は、ボールデットとして走者を投手の投球当時の塁に戻す」とある。
この二つが合体して、「打者の空振りによる余勢で打者席を出た場合でも、故意ではないのであるから妨害ではない」という「間違った常識」となっているように思われる。指導者の中には「捕手が二塁へ送球できたのだから、妨害ではない」という嘘を信じている方がいるのも事実である。
このプレイに対し、今年の甲子園では毅然と「インターフェアランス」を適用していたのを見聞きして「変化」を感じずにはいられなかった。
コーティシーランナー
2009年8月4日 スポーツ コメント (1)
まったく聞きなれない言葉である。
それもそのはず、プロ野球では絶対に登場しない「ランナー」であり、当然のように野球規則3.04で明確に否定されている「走者」である。
しかし、アマチュア野球では条件付きで認められている。野球規則にはないのであるから、各連盟・団体などや大会ごとで任意に決められている、いわゆる「グラウンドルール」のような走者である。
「臨時代走」といえば、聞き覚えがあるであろう。今週末より開催される高校野球では頻繁に使用される走者である。
この特別ルールの根底にあるものを理解すれば、おのずとルールの使用方法が氷解するのであるが、それを理解しようとしない方々や誤った理解をされている方々が多いのには閉口する。
「臨時代走」の考え方の根底にあるのは、「できるだけ多くの選手を出場させてやりたい」などという親心ではない。単純に「試合進行をスムーズに行うため」である。
【高校野球特別規則】の第6項には、以下のように明記されている。
試合中、攻撃側選手に不慮の事故などが起き、一時走者を代えないと試合の中断が長引くと審判員が判断したときは、相手チームに事情を説明し、臨時の代走者を許可することができる。この代走者は試合に出場している選手に限られ、相手チームに指名権はない。臨時代走はその代走者がアウトになるか、得点するか、またはイニングが終了するまで継続する。臨時代走者に替えて別の代走を送ることはできる。この場合、負傷した選手に代走が起用されたことになり、負傷選手は以後出場できない。
1.打者が死球などで負傷した場合。:投手と捕手を除いた選手のうち、打撃の完了した直後の者とする。
2.塁上の走者が負傷した場合。:投手と捕手を除いた選手のうち、その時の打者を除く打撃の完了した直後の者とする。
この特別ルールの勘違いには、次のようなものが多い。
①「頭部への死球にしか適用できない」:これは大きな勘違いであり、頭部以外でも、その後のプレイに支障がある場合、それを審判員が認めれば適用できる。
②「死球にしか適用できない」:これも大きな勘違いであり、走者が何かのアクシデントやプレイにより負傷した場合、それを審判員が認めれば適応できる。
③「守備側チームの了解が必要」:これも大きな勘違いであり、審判員が臨時代走を認めれば、その報告を守備側チームには行うが、その報告に対して疑義を申し立てることはできない。
こんなことがあった。中学シニアのトーナメントで、守備側チームは第一試合、攻撃側チームは第二試合を勝ち抜き、第三試合でダブルヘッダーの二試合目を闘うこととなった。ただし、第一試合は一方的な5回コールド勝ちであり、第二試合は延長戦を逆転で勝ち抜くというゲーム内容であり、疲労の程度は明らかに守備側チームが有利であった。
そんな中、第二試合終了後50分の休憩をとり「プレイボール」となった。
初回の攻撃で、一番打者が三遊間を破ったが、一塁へ走る姿に球審を務めていた私は「明らかな異変」を感じた。打者走者は、一塁へようやく達したが「両足を痙攣」した状態であった。強豪チームの中心選手であるから、身体はガッチリしているが、所詮は中学生である。
私は「臨時代走」を提案し、9番打者に走者となるよう措置をとったが、守備側チームよりクレームがついた。守備側チームの監督が「ルールを知らないのか」と噛み付いたのだ。「こんなことを許したら、足の遅い選手が、みんな足を痙攣させて、臨時代走となるだろう」というのである。
何を言っているのであろう。
いつも、そんなことばかり考えているから、そのような発想となるのではないか。
頑として「臨時代走」は認めないと頑張り、「交替させろ」と言わんばかりである。相手の中心選手が、初回にいきなり交替となれば「ニンマリ」とでも考えたのであろうか。腹の底を疑いたくなる。
私は致し方なく「それでは治療です」ということで、試合開始からいきなり中断となった。
私が大会規約を十分に理解していたら混乱は避けられたと思うのが反省点ではある。
ルールの根底は大切である。
ちなみに、ハワイの大学チームが遠征したときの逸話がある。オープン戦ではあるが、次のような特別ルールを提案したらしい。
「二死で捕手が出塁した場合、攻守交替をスムーズに行うため臨時代走を採用する。その代走者はベンチ入りメンバーより選出する。」
合理主義のアメリカらしい提案であるが、関西遠征では一度も使われなかったようである。
それもそのはず、プロ野球では絶対に登場しない「ランナー」であり、当然のように野球規則3.04で明確に否定されている「走者」である。
しかし、アマチュア野球では条件付きで認められている。野球規則にはないのであるから、各連盟・団体などや大会ごとで任意に決められている、いわゆる「グラウンドルール」のような走者である。
「臨時代走」といえば、聞き覚えがあるであろう。今週末より開催される高校野球では頻繁に使用される走者である。
この特別ルールの根底にあるものを理解すれば、おのずとルールの使用方法が氷解するのであるが、それを理解しようとしない方々や誤った理解をされている方々が多いのには閉口する。
「臨時代走」の考え方の根底にあるのは、「できるだけ多くの選手を出場させてやりたい」などという親心ではない。単純に「試合進行をスムーズに行うため」である。
【高校野球特別規則】の第6項には、以下のように明記されている。
試合中、攻撃側選手に不慮の事故などが起き、一時走者を代えないと試合の中断が長引くと審判員が判断したときは、相手チームに事情を説明し、臨時の代走者を許可することができる。この代走者は試合に出場している選手に限られ、相手チームに指名権はない。臨時代走はその代走者がアウトになるか、得点するか、またはイニングが終了するまで継続する。臨時代走者に替えて別の代走を送ることはできる。この場合、負傷した選手に代走が起用されたことになり、負傷選手は以後出場できない。
1.打者が死球などで負傷した場合。:投手と捕手を除いた選手のうち、打撃の完了した直後の者とする。
2.塁上の走者が負傷した場合。:投手と捕手を除いた選手のうち、その時の打者を除く打撃の完了した直後の者とする。
この特別ルールの勘違いには、次のようなものが多い。
①「頭部への死球にしか適用できない」:これは大きな勘違いであり、頭部以外でも、その後のプレイに支障がある場合、それを審判員が認めれば適用できる。
②「死球にしか適用できない」:これも大きな勘違いであり、走者が何かのアクシデントやプレイにより負傷した場合、それを審判員が認めれば適応できる。
③「守備側チームの了解が必要」:これも大きな勘違いであり、審判員が臨時代走を認めれば、その報告を守備側チームには行うが、その報告に対して疑義を申し立てることはできない。
こんなことがあった。中学シニアのトーナメントで、守備側チームは第一試合、攻撃側チームは第二試合を勝ち抜き、第三試合でダブルヘッダーの二試合目を闘うこととなった。ただし、第一試合は一方的な5回コールド勝ちであり、第二試合は延長戦を逆転で勝ち抜くというゲーム内容であり、疲労の程度は明らかに守備側チームが有利であった。
そんな中、第二試合終了後50分の休憩をとり「プレイボール」となった。
初回の攻撃で、一番打者が三遊間を破ったが、一塁へ走る姿に球審を務めていた私は「明らかな異変」を感じた。打者走者は、一塁へようやく達したが「両足を痙攣」した状態であった。強豪チームの中心選手であるから、身体はガッチリしているが、所詮は中学生である。
私は「臨時代走」を提案し、9番打者に走者となるよう措置をとったが、守備側チームよりクレームがついた。守備側チームの監督が「ルールを知らないのか」と噛み付いたのだ。「こんなことを許したら、足の遅い選手が、みんな足を痙攣させて、臨時代走となるだろう」というのである。
何を言っているのであろう。
いつも、そんなことばかり考えているから、そのような発想となるのではないか。
頑として「臨時代走」は認めないと頑張り、「交替させろ」と言わんばかりである。相手の中心選手が、初回にいきなり交替となれば「ニンマリ」とでも考えたのであろうか。腹の底を疑いたくなる。
私は致し方なく「それでは治療です」ということで、試合開始からいきなり中断となった。
私が大会規約を十分に理解していたら混乱は避けられたと思うのが反省点ではある。
ルールの根底は大切である。
ちなみに、ハワイの大学チームが遠征したときの逸話がある。オープン戦ではあるが、次のような特別ルールを提案したらしい。
「二死で捕手が出塁した場合、攻守交替をスムーズに行うため臨時代走を採用する。その代走者はベンチ入りメンバーより選出する。」
合理主義のアメリカらしい提案であるが、関西遠征では一度も使われなかったようである。
二塁塁審の位置はなかなか面白い。アウトカウントや走者の有無により、大きくポジショニングを変えている。これもクロックワイズメカニクスの一部なのであろう。
イニングの始まりの時はダイヤモンドの外側に位置することとなっており、二三塁の塁線の延長上で芝の切れ目付近に立つことが基本となっているが、実はこの位置は微妙である。二塁塁審が外側にいる時の外野飛球に対する責任分担は、左翼手の正面前後から右翼手の正面前後までであり、左翼手や右翼手がライン側を向いた場合は、一塁や三塁塁審が責任を担う事となっている。この範囲の打球判定をしようとすると、先ほどの位置ではライト側の飛球はほとんど動かなくても判定可能であるが、レフト側は結構遠いのである。この距離感が、二塁塁審の打球に対する第一歩を遅らせてしまい、左中間のフライに三塁塁審が動く事の遠因になっているように思われるのである。
この微妙な位置取りに対して、師匠のアドバイスもあり、昨年中盤より改善を加えた。左翼手と右翼手から同じ距離のポジショニングがベストであるが、この位置では本塁の状況が投手によって遮られてしまう。そこで、先ほどの位置から「投手に遮られずに本塁の状況が分かる、もっともセンター寄り」にポジショニングするようにしている。こうすると、右翼手と左翼手の距離がほぼ均等になり、実にやりやすい。それと、二塁ベースが非常に近いのである。
二塁塁審は、無走者の場面での内野ゴロでも大きな動きがある。内野手から一塁へ転送されたボールが逸れてしまった場合、その後に起こりえるのが二塁でのクロスプレイや触塁である。芝の切れ目付近で内野ゴロの顛末を眺めていて、一塁手がボールを逸らしてから、慌てて二塁ベースへ走っていくのも格好の良いものではない。それゆえに、二塁塁審が外側に位置している場合には、内野ゴロが飛ぶたびに二塁ベース付近に向かって走り出し、一塁でのプレイを確認するのである。その為には、二塁ベースは近い方が良いということとなる。
また、本塁付近でのプレイも投手の真後ろ付近から確認できるので、投球の内外角が良く見えるため、その後の動きにプラスとなる。つまり、ある程度打球の予測が可能となるのである。
走者三塁の場面でも二塁塁審は、無走者の時と同様にダイヤモンドの外側に位置する。これは、三塁塁審の負担を軽減することが目的と考えられ、他の走者ありの場面で二分割だった外野の分担範囲がライン側のみとなる。ご存知のとおり三塁は本塁に最も近い塁であり、三塁走者が次に目指すは本塁のみであるが、そこには球審がいるため、外野の分担範囲を無走者の場合と同様としていると考えられる。
ただし、走者三塁の場合はアウトカウントによりポジショニングが変わってくる。二死の場合はイニングの始めの位置と同じであるが、無死・一死の場合は遊撃手の斜め右側付近(本塁から見て)となる。無死・一死で三塁に走者がいる場面では、タッグアップがあるため、できるかぎり三塁塁審の負担を軽減するためである。フェア・ファールを判定しなくてはならないようなライン際を除いたレフトへの飛球を二塁塁審が担い、三塁塁審にはタッグアップを見てもらうことが、クルー全体のリスクが少なくなるのである。
三塁に走者いる場合の二塁塁審が外野飛球を追った場合、球審および一・三塁の塁審はどのように動くことがベストであろうか。
スコアリングポジションに走者がいる場合の基本的な動きはカウンタークロックワイズとなる。つまり、球審はステイ状態であり、三塁もタッグアップの可能性があるため動かず、一塁塁審のみが動き回り打者走者の一二塁のプレイをカバーする事が基本となる。では、タッグアップのない二死の場合はどうなるのであろうか。
この場合、効率的で各審判員の負担が少なくなり、動きが格好良いのがクロックワイズメカニクスである。二塁塁審が外野飛球を追い、その二塁のカバーにはタッグアップを見る必要のない三塁塁審が入る。球審は三塁走者の本塁触塁を確認後、三塁のカバーに走る。それに呼応するように一塁塁審が本塁カバーに走るのである。これは審判の目から見て、実に効率的で非常に格好が良い。
この二種類の動きは、全くの反対であるため事前ミーティングで確認していないと、本塁がガラ空きという失態を演じてしまうリスクを含んでいる。
中学シニアでは父兄審判が多い。父兄審判員は3年もすると、ほとんどがいなくなってしまう。つまり、自分の子供一緒にシニアから脱退してしまうのである。ようやく、動きを理解してきた頃に辞めてしまうのである。これも、致し方ないと考えざるを得ないとすると、フォーメーションは単純化することが良いと考えると、非効率的はあるがアウトカウントに関係なくカウンターで動く事がリスクが少ないと思われる。
私のように、ある程度の経験を積み格好の良さを追求しだすと、大きな落とし穴に陥ってしまう。そういう意味では、基本動作やマニュアルに従う事が良いという事なのであろう。
イニングの始まりの時はダイヤモンドの外側に位置することとなっており、二三塁の塁線の延長上で芝の切れ目付近に立つことが基本となっているが、実はこの位置は微妙である。二塁塁審が外側にいる時の外野飛球に対する責任分担は、左翼手の正面前後から右翼手の正面前後までであり、左翼手や右翼手がライン側を向いた場合は、一塁や三塁塁審が責任を担う事となっている。この範囲の打球判定をしようとすると、先ほどの位置ではライト側の飛球はほとんど動かなくても判定可能であるが、レフト側は結構遠いのである。この距離感が、二塁塁審の打球に対する第一歩を遅らせてしまい、左中間のフライに三塁塁審が動く事の遠因になっているように思われるのである。
この微妙な位置取りに対して、師匠のアドバイスもあり、昨年中盤より改善を加えた。左翼手と右翼手から同じ距離のポジショニングがベストであるが、この位置では本塁の状況が投手によって遮られてしまう。そこで、先ほどの位置から「投手に遮られずに本塁の状況が分かる、もっともセンター寄り」にポジショニングするようにしている。こうすると、右翼手と左翼手の距離がほぼ均等になり、実にやりやすい。それと、二塁ベースが非常に近いのである。
二塁塁審は、無走者の場面での内野ゴロでも大きな動きがある。内野手から一塁へ転送されたボールが逸れてしまった場合、その後に起こりえるのが二塁でのクロスプレイや触塁である。芝の切れ目付近で内野ゴロの顛末を眺めていて、一塁手がボールを逸らしてから、慌てて二塁ベースへ走っていくのも格好の良いものではない。それゆえに、二塁塁審が外側に位置している場合には、内野ゴロが飛ぶたびに二塁ベース付近に向かって走り出し、一塁でのプレイを確認するのである。その為には、二塁ベースは近い方が良いということとなる。
また、本塁付近でのプレイも投手の真後ろ付近から確認できるので、投球の内外角が良く見えるため、その後の動きにプラスとなる。つまり、ある程度打球の予測が可能となるのである。
走者三塁の場面でも二塁塁審は、無走者の時と同様にダイヤモンドの外側に位置する。これは、三塁塁審の負担を軽減することが目的と考えられ、他の走者ありの場面で二分割だった外野の分担範囲がライン側のみとなる。ご存知のとおり三塁は本塁に最も近い塁であり、三塁走者が次に目指すは本塁のみであるが、そこには球審がいるため、外野の分担範囲を無走者の場合と同様としていると考えられる。
ただし、走者三塁の場合はアウトカウントによりポジショニングが変わってくる。二死の場合はイニングの始めの位置と同じであるが、無死・一死の場合は遊撃手の斜め右側付近(本塁から見て)となる。無死・一死で三塁に走者がいる場面では、タッグアップがあるため、できるかぎり三塁塁審の負担を軽減するためである。フェア・ファールを判定しなくてはならないようなライン際を除いたレフトへの飛球を二塁塁審が担い、三塁塁審にはタッグアップを見てもらうことが、クルー全体のリスクが少なくなるのである。
三塁に走者いる場合の二塁塁審が外野飛球を追った場合、球審および一・三塁の塁審はどのように動くことがベストであろうか。
スコアリングポジションに走者がいる場合の基本的な動きはカウンタークロックワイズとなる。つまり、球審はステイ状態であり、三塁もタッグアップの可能性があるため動かず、一塁塁審のみが動き回り打者走者の一二塁のプレイをカバーする事が基本となる。では、タッグアップのない二死の場合はどうなるのであろうか。
この場合、効率的で各審判員の負担が少なくなり、動きが格好良いのがクロックワイズメカニクスである。二塁塁審が外野飛球を追い、その二塁のカバーにはタッグアップを見る必要のない三塁塁審が入る。球審は三塁走者の本塁触塁を確認後、三塁のカバーに走る。それに呼応するように一塁塁審が本塁カバーに走るのである。これは審判の目から見て、実に効率的で非常に格好が良い。
この二種類の動きは、全くの反対であるため事前ミーティングで確認していないと、本塁がガラ空きという失態を演じてしまうリスクを含んでいる。
中学シニアでは父兄審判が多い。父兄審判員は3年もすると、ほとんどがいなくなってしまう。つまり、自分の子供一緒にシニアから脱退してしまうのである。ようやく、動きを理解してきた頃に辞めてしまうのである。これも、致し方ないと考えざるを得ないとすると、フォーメーションは単純化することが良いと考えると、非効率的はあるがアウトカウントに関係なくカウンターで動く事がリスクが少ないと思われる。
私のように、ある程度の経験を積み格好の良さを追求しだすと、大きな落とし穴に陥ってしまう。そういう意味では、基本動作やマニュアルに従う事が良いという事なのであろう。