決勝戦

2012年6月4日 スポーツ
久方ぶりに、戻って参りました。
自分の時間が沢山あるのに、何かと忙し過ぎて、アップできずにいました。
御心配頂いた方々に、感謝いたします。
ちなみに、健康状態含めて、至って元気です。
久し振りに書く時間があったので、最近の心情を吐露しようと思います。

決勝戦でクルーとしてグラウンドに立つことは名誉なことである。
経験と力量が認められた者がグラウンドに立つことを許されるのだと思う。
まして球審が割り当たることは、本当に名誉であり、その緊張感は並ではない。
緊張感とは裏腹に、素晴らしい仲間とクルーを組める喜びもある。日頃、なかなか組めない仲間と、クルーを組めることが楽しみでもある。
それらが相まって、グラウンドに立つ前はドキドキワクワク感となる。何とも、微妙な心理状態であるが、これが堪らなく快感でもある。
たとえ地区予選の決勝であろうと、ローカル大会の決勝戦であろうと、同じである。

四国では全国大会の予選が開催された。試合数こそ少ないが、全国大会への切符が懸かっているだけに、明らかに雰囲気が違った大会となった。
名誉なことに、決勝戦の球審を任された。四国に来て、まだ一年に満たないのにも関わらず、有難い話である。試合前までは、ドキドキワクワク感で自分自身をコントロールできていたが、プレイボールを告げてからは事態が一変した。
その理由のひとつが、帯同しているチームの試合の審判をやらなければならないことである。練習試合などでは当然のように球審を務めているが、公式戦では初めてである。
公式戦の決勝戦では、その後リハビリが必要なほど乱れた。本人しか判らないことだが、それゆえに自分に嘘はつけない。「ジャッジのタイミングの悪さ」「ジャッジの不安定さ」「ひとつひとつのプレイに集中できず、試合を観戦してしまった」などなど、まるで初心者のような乱れ振りであった。
原因は明確であるから、対策も立てた。詳しくは書けない事情があるが、暫くはリハビリである。


何事も経験とは言うが、「経験」とは「失敗」を意味する。一方「成功」は「実績」となる。審判員は「経験」ではなく「実績」となるような実体験を多く積み、キャリアとしていくことであろう。そのキャリアが自信を産み、余裕となるのである。
それらに基づき、重要な試合を任されるようになっていくはずである。
ところが、人手不足は審判員の世界も同様であり、止む無く重要な試合に立たなければならないことも多い。これによるトラブルの責任は、勿論自分にもあるが、配置を決定したチーフらに大きな責任があると言える。

私が、元所属していた組織内でも、決勝戦で色々とあったようである。所詮「アウト・セーフ」の話に枝葉が付いて、どんどん大げさになっていくのであるから、あまり信憑性を感じないようにしている。その審判員の経験や技量・力量が不足していた結果であって、決勝戦にグラウンドに立つ資格が無い話であろうが、一番の問題の根は、そのような審判員を配置した側にあり、それを認識していない審判団チーフに問題がある。相変わらず進歩の無い話である。

年に一回の審判講習会では、絶対に審判技術や野球規則の基礎の習得はできない。

如何にして、審判員としての実績や経験を積み上げるか。

それを、まじめに考えている審判員は希少価値である。

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