審判員仲間が、公式戦で初めてマスクを被った。
若手の有望株である。
練習試合で初めて彼のジャッジを見て、ストライクゾーンの正確さに驚いたのを記憶している。
すでに、自分のストライクゾーンをしっかり持っている感じがした。
二年間の塁審経験を積んで、晴れて公式戦初球審のマスクを被った。
初球審は、何も無ければ良い思い出となるのだが(あくまで自分が気づかないだけだが)・・・。スムーズな船出を祈っていたが・・・。
走者満塁の場面で打者が空振りした投球を捕手が後逸。そのボールの行方を捕手が見失った状態。その間に三人の走者が生還。
捕手と守備側監督は「打者のバットが捕手のミットに当たった」から「打撃妨害」であり、打者に一塁を与えることにより進塁する走者を除き、走者の進塁は認められない。満塁のケースでは、全走者が押し出されて進塁するが、得点できるのは三塁走者のみだと主張した。
球審は「打者が空振りし、その余勢でバットが捕手に当たった」と判断し、説明をし理解を求めた。
問題は空振りしたバットが「捕手が捕球する前にミットを叩いた」のか、「捕手が落球後にバットを叩いたのか」である。
前者はインターフェアランス(守備妨害)となるが、後者は6.06(c)原注から妨害とはせずに走者の進塁は認めないとなる。
常識的には、通常のタイミングのプレイであれば「空振りしたバットが、捕手のミットに投球が達するより前に捕手を妨害する」ようなことは、無いと考えてよい。
このように審判員の判定(ジャッジメント)は、起こった事態をどのように解釈するかということが肝心である。
そして、どのようにして抗議やアピールを処置するかということで、経験や力量が問われるのである。
本塁周りのプレイは、球審が一番見えると言われるが、逆に死角も多いのも事実である。しかし今回のようなケースは、他の塁審においては「球審よりも、もっと判らない」というのが本音である。
球審が聞こえない、「バットがミットを叩く音」を二塁の塁審が聞こえるとは思えない。打者や捕手の動作を見て、何か変だと感じることがあっても確信はない。確信がない証拠では判定を下すことはできない。
野球のルールは証拠があるものだけ「アウト」になったり「妨害」となったりする。
証拠が揃わないプレイは、「セーフ」であったり、「ナッシング」になったりするのである。
このようなプレイに出会う事が多くなり、それを経験しクリアしていくことが成長なのであろう。
球審の難しさと楽しさは、ここから始まるのである。
若手の有望株である。
練習試合で初めて彼のジャッジを見て、ストライクゾーンの正確さに驚いたのを記憶している。
すでに、自分のストライクゾーンをしっかり持っている感じがした。
二年間の塁審経験を積んで、晴れて公式戦初球審のマスクを被った。
初球審は、何も無ければ良い思い出となるのだが(あくまで自分が気づかないだけだが)・・・。スムーズな船出を祈っていたが・・・。
走者満塁の場面で打者が空振りした投球を捕手が後逸。そのボールの行方を捕手が見失った状態。その間に三人の走者が生還。
捕手と守備側監督は「打者のバットが捕手のミットに当たった」から「打撃妨害」であり、打者に一塁を与えることにより進塁する走者を除き、走者の進塁は認められない。満塁のケースでは、全走者が押し出されて進塁するが、得点できるのは三塁走者のみだと主張した。
球審は「打者が空振りし、その余勢でバットが捕手に当たった」と判断し、説明をし理解を求めた。
問題は空振りしたバットが「捕手が捕球する前にミットを叩いた」のか、「捕手が落球後にバットを叩いたのか」である。
前者はインターフェアランス(守備妨害)となるが、後者は6.06(c)原注から妨害とはせずに走者の進塁は認めないとなる。
常識的には、通常のタイミングのプレイであれば「空振りしたバットが、捕手のミットに投球が達するより前に捕手を妨害する」ようなことは、無いと考えてよい。
このように審判員の判定(ジャッジメント)は、起こった事態をどのように解釈するかということが肝心である。
そして、どのようにして抗議やアピールを処置するかということで、経験や力量が問われるのである。
本塁周りのプレイは、球審が一番見えると言われるが、逆に死角も多いのも事実である。しかし今回のようなケースは、他の塁審においては「球審よりも、もっと判らない」というのが本音である。
球審が聞こえない、「バットがミットを叩く音」を二塁の塁審が聞こえるとは思えない。打者や捕手の動作を見て、何か変だと感じることがあっても確信はない。確信がない証拠では判定を下すことはできない。
野球のルールは証拠があるものだけ「アウト」になったり「妨害」となったりする。
証拠が揃わないプレイは、「セーフ」であったり、「ナッシング」になったりするのである。
このようなプレイに出会う事が多くなり、それを経験しクリアしていくことが成長なのであろう。
球審の難しさと楽しさは、ここから始まるのである。
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