クロスプレイの重さ
野球の醍醐味のひとつに、本塁における「クロスプレイ」がある。
野球は点を奪い合うゲームであるから、本塁上のクロスプレイの是非は、試合の趨勢に大きく関わるため、両チームの監督・プレイヤーはもちろん、スタンドにいる観衆や応援団も固唾を飲んで見守るジャッジである。
このプレイは球審の見せ処でもあり、「審判冥利に尽きる」と言える。

審判を始めた頃、練習試合などで球審をやる機会が頻繁にあった。その当時は師匠もいないことから、見よう見まねの我流でやっていた。それでも、私が下す本塁のクロスプレイの判定に対して、両チームの選手や観衆が一喜一憂することに、自分自身が陶酔していたのを覚えている。まったく、役者気分である。判定は衆人の視線を集めて下し、その結果起こる「どよめき」に対して酔っていたのだ。正に快感であったのを覚えている。

ゲームの主役は選手たちであり、審判員は脇役というよりも、プレイする選手たちの舞台を整えるコーディネーターのような役割である。最大限の賛辞としては「演出家」「プロデューサー」といった処か。いずれにしても主役ではないのは確かである。

それをはき違えていると、当然のように天罰が下る。試合の流れを審判員がコントロールすることはできない。それを「自分がコントロールしている」などと勘違いすると、天罰が下る。その天罰が下った時、それが我が師匠との出会いの時であった。

審判員のジャッジは、起きた現象を正確に把握し、予見なく判定を下すだけである。それが前提であるから、絶対に覆してはならない。判定を覆すということは、「プレイを正確に見ていない」ということを自白することになる。ゆえに、ジャッジの証拠をしっかりと掌握しないとならないのである。

ルールブックには、「アウト」になる条件が唱われている。つまり、アウトの条件が揃わない場合は「セーフ」となるのである。
審判員はアウトの証拠が揃わなければ、「アウト」をコールしてはいけない。タッグプレイは、タイミングがアウトでも、タッグを未確認の場合は「絶対的な証拠」があるとは言えない。ゆえに「プレイを見る角度」が非常に重要となる。逆に言えば「プレイが見える位置にポジショニング」したら良いのである。

言葉で表すのは易しである事は承知している。しかし、努力を惜しんでいることは、進歩を止めることに等しい。「なかなか難しい」ということは承知の上である。がしかし、それを理由にしていては、努力することから逃げているのと同じである。
既成概念を取り払って、ワンプレイ・ワンプレイでベストポジションを探してみようと思う。

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