私の審判員新米時代の恩師が永眠された。
最後のお見送りもできずに、義理を欠いてしまった。残念でならない。

私が審判員として右も左も解らない新米の頃に、大変目を掛けて頂き、大いに引き回して頂いた恩師である。
とにかく実戦重視の方であり、沢山の経験を積ませて頂いた。
顔を合わせる度に、「俺が責任をとるから、思い切りやって来い」が口癖で、グラウンドに送り出してくれた。
沢山の勇気をもらい、グラウンドに立たせてくれたように思う。
また、ある意味「天狗にして頂いた」ようにも思う。

最初の出会いは、故人が所属していたチームのグラウンドでの練習試合であった。
審判控え室に挨拶に行くと、愛想良く迎え入れてくれた。
「球審やれるなら、どんどん経験を積め」と言われ、いきなり球審を務めさせて頂いた。

それ以来、球場で顔を合わせる度に球審に配して頂き、多くの経験を積むことができた。
一緒にグラウンドに立つことは少なかったが、アドバイスは色々と頂いた。
組織の審判部が混沌とした時も重なり、若手育成に力を注がれた方であった。
私にとっては「審判員初等科時代」の教官という感じである。
アドバイスの多くは細かい技術よりも、審判員としての気構えや立ち振る舞いなどであった。

一昨年に第一線を退かれてからは、お会いする機会も無かっただけに、突然の訃報で打ちひしがれている。
良い報告もできぬまま、永久の別れとなってしまい、残念でならない。
もうすぐ北海道も球春であるが、春の球音を聞くこともなく逝かれてしまった。

心よりご冥福をお祈りしたい。

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