ショートバウンド
先日から日本シリーズが開幕となった。一方アメリカの大リーグでは、一足早くワールドシリーズが開幕となっており、第一戦はフィリーズが、昨年度サイヤング賞のリー投手が快投して先勝したが、第二戦はヤンキースが松井秀喜選手の活躍もあり一勝一敗として、舞台をニューヨークからフィラデルフィアへ移すこととなった。今後も白熱した試合が期待される。
この時期になると、私自身はほぼシーズンオフ状態となっている。北海道の冬の到来は早い。日本シリーズ開幕の日に初雪の便りが届きそうである。ついこの前まで、土日になると平日よりも早く起床して、ウキウキ気分で球場へ向かっていたのに、寄る年波か、夏場の疲れか、一気にオフモードへ突入した感じである。来週には、今年最後の試合が組まれているが、果たして身体が反応してくれるか心配でもあり、一方では楽しみでもある。

私が所属する組織は、諸先輩方の指導もあり、ルールやメカニクスなどに対して貪欲であるが、父兄審判も多いことから、全体レベルが飛躍的に向上することはない。毎年、春先の講習会では、当然のように基本から始まるのである。子供が次のステージへ挙がるときに、組織に残る審判員は数名しかいない。つまり、経験3年目ぐらいで辞めてしまう審判員が圧倒的に多いということである。一番、面白さが分かり出す時期に辞めてしまうのである。まったく、惜しい感が否めない。来年は、多くの審判員の方々が残留していてくれることを期待している。

私の師匠には、ルールの理解を野球の起源から考えることと、基本的なテクニックの重要性を教えられている。最近は直接的指導ではなく、私が気付くのを待っているような気がする。審判配置の関係から、なかなか同じ球場となることは少ないが、一緒の時はドキドキもするしワクワクもしていた。何とか、良いアドバイスを貰おうと気合いを入れたりもした。夏頃までは、それが余計な力みにつながり、ジャッジメントが乱れ、メカニクスに迷いが生じていた。最初は、指摘されるまで分からないような小さなミスであったが、場慣れが油断を産んでいたのであろう。審判を始めた頃の、純粋な集中力に欠けていた結果、雑で稚拙なジャッジメントになっていたと考えられ、反省している。

我々審判員は、どのような試合であろうとも、試合を行おうとする選手がいなくては、大好きなジャッジメントもできない。ゆえに、試合に挑もうとする選手に感謝し、そのジャッジメントをすることを許されたことに感謝してグラウンドに立たなくてはならないのだろう。それには「ありのままのプレイを、ありのままにジャッジする」という基本概念を再認識し、集中力だけを維持して、一球を、ワンプレイを大切にジャッジに挑むことであろう。その事に気付いた時のは、シーズンオフ間近の秋季大会直前の勉強会でであった。後輩審判員たちと、事例などを検証しつつ、迎える大会に備えて勉強会を行っていて気付いたことであった。

審判員は経験が重要であるが、すべての事象を、段階を踏んで経験できる訳ではない。学校の勉強であれば、1年生はここまで、2年生はここまでとカリキュラムが決まっている。しかし審判員は、1年目のルーキーイヤーに大事件に巻き込まれることもある。一方で、長年やっているのに、まったくトラブル知らずの審判員もいる(本人が気付いていないことが多いようだが)。

我が師匠曰く、「困難は乗り越えられる者のみに与えられる。つまり、乗り越えられない困難はない。だから際どいプレイのジャッジやトラブルは、それを裁ける審判員のみに訪れる」ということである。トラブルは無い方が良いが、無ければ無いで物足りなさを感じる自分もいるのは確かである。ただし、自分自身のジャッジがトラブルの原因となってはいけない。
さらに我が師匠曰く。「君は、自らトラブルを呼んでいる」と戒められている。
まだまだ「青い」ということであろう。まだまだ「考えが浅い」ということであろう。

経験値は年数ではない。場数でもない。要は、ワンプレイに対するジャッジやメカニクスを、より良いものにするには、如何にするかを考えることであろう。試合後のミーティングで「何もなし」と言って、サッサと身支度をしているうちは、進歩はないというこであろう。その意味でも、事例を共有することは、一つの方法論として正しいと考えている。

前ぶりが長くなったが、このオフシーズンは、今年私自身が経験したことや、見聞きした事例を紹介してみようと思っている。それらを検証することで、色々なことを共有し、仮想の経験値を得ることができると考えたからである。

今年、非常に多くあった事例に、内野手への「低いライナー」の判定があった。通常、内野手の定位置より前方のインフライトの打球判定は球審が行うこととなっている。試合前のミーティングの確認事項のひとつでもある。
これは、あくまでも「オープン・グラブ・ポリシー」という基本が根底にあるジャッジメントであり、「ボールがグラブに入って、捕球していることが確認できる側にいる審判員がジャッジする」という基本である。
この基本に則ると、内野手前方のインフライトの打球は、野手が本塁側を向いて捕球するため、球審がジャッジすることが良いとされているのであろう。
ただし、これには落とし穴がある。高く上がったフライは、誰が見てもジャッジを間違うことは少ないが、「低いライナー」はミスを誘発することがある。
地面に接するような「低いライナー」を野手の正面、つまりグラブの正面側から見ると、ダイレクトキャッチか否かの判定は、非常に難しい。
その理由としては、「遠くて見えにくい」ということであろう。プレイに近い位置であれば、バウンドやキャッチの「音」が判定の補助要素となりえる。また、球審はダイレクトキャッチを見ようとして慌てて前方へ移動するため、ジャッジメントの基本中の基本である「停まって見て判定する」ことができないのです。

今年、ある試合で三塁塁審をやっていた時に、ショートの足元へライナーが飛んだ。私はショートの横からのぞき込む状態であったが、それが明らかな「ダイレクトキャッチ」であることが確認できたため、「セーフは早く、アウトはゆっくり」の基本に従い、ショートがグラブを挙げて捕球をアピールするのを待って「キャッチアウト」をコールしようとした瞬間、右側より「ノーキャッチ」の大コールが聞こえてきた。なんと球審がショートバウンドキャッチをコールしてしまったのです。私は、思わず右手の拳を引っ込めました。

今年のワールドシリーズ第1戦で、松井選手がチーム初安打で出塁した後、次打者の遊撃手へのハーフライナーで併殺となったプレイがあった。遊撃手はダブルプレイを狙ったが、遊撃手はショートバウンドの感触があったのであろう、二塁ベースを踏んでから一塁へ送球した。しかし、判定はダイレクトキャッチで打者がアウト。たまたま一塁への転送よりも、松井選手が早くベースへ帰塁していたために一旦はセーフの判定となった。松井選手は二塁でフォースアウトが成立したと思い、ダッグアウトへ帰りかけた。結局はベースを離れた際にタッグされて「アウト」が成立した。まさに珍プレイ。
あの時二塁塁審が、どのような動作とコールをしていたかは定かではない。しかし本塁側からのカメラの映像でも判定が難しいプレイであったのは間違いない。つまり、球審側からは判定が難しいということである。

「低いライナー」の判定は、近くの塁審がやるべきとは思う。しかし、それには良いポジショニングを常に意識していなくてはならない。例え近いと言っても、野手の後ろからのジャッジメントは問題がある。
どのような打球も、四人の審判員でしっかりと見ることが重要だということであろう。

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