解説者

2007年12月5日
スポーツでは、ひとつのプレイが流れを大きく変えたり、傾けたりすることが往々にしてある。特に「流れ」を重要視する野球では、ビックプレイが雌雄を決することは稀ではない。そして、ビックプレイは必ずしも両チームの選手・首脳陣は元より、マスコミ・ファンなどの第三者からも賞賛されるようなプレイばかりとは限らない。昨日の試合では、ダルビッシュ有投手が台湾の4番打者に投じた145?のツーシーム。これを右中間に弾き飛ばした場面などは、誰もが認めるビックプレイであろう。老若男女問わず、敵味方構わずに賞賛されるべきプレイであった。勿論、星野JAPANの勝利を願ってテレビを観ていた私を含めた日本人の大半は、臍をかむ想いであったであろう。あの、スーパーエース・ダルビッシュが被弾したのである。私などは、テレビの前で凍り付いてしまった。
しかし、あれこそが力勝負であり、「ゼロか、100か」のギリギリの勝負であり、それによりテレビ画面を通して演じられたプレイは、「敵ながら天晴れ」と賞賛に値するのであろう。あのような、ビッグプレイが起きた場合は、大きく「流れ」が変わるものである。あの試合は、初回表に日本が1点を奪ったものの、俗に言う「スミ1」の状態であり、「沈滞した流れ」のゲームであった。重苦しい雰囲気と、完全アウェの中でダルビッシュ投手を中心に星野Japanは奮闘していた。ビッグプレイの伏線は、6回表の日本の攻撃にあった。先頭打者の3番青木が復調の兆しを見せて安打で出塁すると、「スモールベースボール」を標榜していた星野Japanが強攻策に出て、その後2球でスリーアウトチェンジとなってしまった。高校野球であれば、打者が4番であろうと、バントなどで走者をスコアリングポジションへ送ることを考えたと思うが、そこはプロ集団という考えが星野監督の頭の片隅にあり、冷徹になりきれなかったのだろうか。
そのウラ、台湾の攻撃は1番からの好打順であることもあり、「嫌な流れ」を感じたダルビッシュ投手は気合を入れて力でねじ伏せに行った。簡単に二死を奪ったところで「好事魔多し」である。あっという間のビッグプレイであった。
このビッグプレイは、日本にとっては「スミ1」の呪縛から解き放たれ、「沈滞した流れ」を変えるには好都合であった。いわゆる、開き直りができた。野球は点を獲るゲームであることに気付かされてくれた。
野球では「ゼロ行進」が続く中で「点が動くと試合が動く」ことがままある。その典型のような試合内容となった。先頭打者が四死球で出た場合に得点する確率もかなり高いことも重なり、なるべくしてなった日本の大逆転劇である。このイニングでのビックプレイは、里崎のバントを緩慢な動きでオールセーフにした場面であろう。あの時、解説者(誰とは言わない)は二塁走者(代走)の三塁へのスライディングを絶賛していた。
「野手の送球を妨げる絶妙なスライディング」と絶賛したのである(誰とは言わない)。
このブログを読んでいただいている方なら、すでにお気付きであろう。
「送球を妨げる=インターフェアランス(守備妨害)」であることを、解説者は絶賛したのである。
解説者(誰とは言わない)は、頭の良い元・監督である。自分自身の発言に対して不具合があったことにすぐに気付き、盛んに言い訳をしていた。「送球を妨げるのも技術です」「そういうプレイはあるのです」とは言うものの「合法的なプレイ」であるとは最後まで言わなかった。言えなかったのであろう。
実は、あのプレイは相手投手が緩慢だったため、タイミングは完全な「セーフ」であったのだから、「スライディングの巧み」を解説する必要は全くなかったのである。確かにプロ野球選手であるから「合法的な汚いプレイ」を練習し、身に付けているのであろう。それは大リーグでも同様である。元・監督である解説者は、思わず「プロ野球選手の技術の高さ」を解説しようと、余計なことを言ってしまった。
このシーンを見て、数年前に高校野球の特集を組んだ番組で、「本塁へ向かう走者が、捕手の捕球態勢を見て、バックホームの送球を予測し、身体を入れる高度なスライディング」とアナウンサーが絶賛し、多方面から猛抗議が来たために、謝罪したことを思い出した。
「星野Japan」のスポンサーである企業のコマーシャルには、沢山の少年野球選手が「応援メッセージ」を送っている。彼らを含めた「野球少年」たちは、この試合を熱く応援していたのである。
そんな中で、「合法的な汚いプレイ」を解説する必要があったのであろうか。
選手としては素晴らしくとも、解説者としては新人である。観る側・聴く側は「寛大に」とは思うものの、いずれは「Japanの看板」を背負うであろう人物なのだから、「夢」を語る人であってほしいと願っている。

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