明日の開会式を皮切りに、明後日より秋季新人戦が始まる。今年もいよいよ終盤に突入である。この大会が終了するころには、北海道では確実に冬の足音が聞こえて来る。せいぜい、残ったシーズンを楽しみたいと思う。
毎年のことではあるが、新人戦のジャッジメントは、半月前まで3年生のプレイを見てきたことから、パワーもスピードも技術の正確性も劣り、かなり調子が狂ってしまう。
また、多くの新人審判の方々も公式戦デビューすることから珍プレイ・珍ジャッジが多くなる。
ミスはミスとして、それもこれも「野球の一部」と考えて楽しんでいきたいものであるが、勝負にこだわる「勝負師」たちが、審判のジャッジに対して「揚足取り」をする場面があるのも事実である。
そこで、それらの勝負師たちにアドバイス。せめて投手の投球動作だけでもルールブックとおりに指導していただければ、ゲーム進行に大きく寄与できるのである。
そのひとつが、「アウト」となることが少ないのに、しつこく行われる「牽制球」がある。
投手は投手板を踏んだ時点で「投手」となる。その時点からは「投手」の姿勢・動作をしなくてはならない。それが、所謂「プレートさばき」といわれる「投手」というポジションの独特の雰囲気なのであろう。これができていない「投手と自認する選手」は、どこか落ち着きがなく、肝が据わっていないように見えるものである。プレートさばきができていない投手は、牽制球も下手である。どこかぎこちない。打者に投球することで精一杯なのに、走者にまで注意を払うのは所詮無理があるのであろうが、「投手と自認する選手」はそれもやろうとしてしまう。
投手板の後縁およびその延長線上より後方へ軸足を外した状態が、投手が野手になった瞬間といえる。野手になれば、1塁への偽投も許されるし、塁に踏み出さずに牽制球が投げられるのである。しかし、軸足を動かすという大きな動作では、走者を牽制球でアウトを獲ることも、リードを狭めさせる事も困難である。そして、この牽制球が悪送球になりボールデッドの地域に入るような場合には、「野手による送球」という扱いで走者は2個の進塁を与えられるのである。
次に投手が考える事は、軸足を投手板に触れたまま牽制球を投じる事である。ただこの場合は、自由な足を牽制する塁に向けて踏み出さなければならず、これも大きな動作となる。つまり、牽制球を投げるということは、走者にも塁審にも分かる「大きな動作」を伴うはずである。
投手は時として、この「大きな動作」を少しでも小さくして、走者を騙そうと試みる。それの代表格がツイストやターンであり、投手板の踏み替えによる牽制球も話題になる。
投手は軸足を投手板の上で踏み替えることを禁止されている。これを行った場合は、走者がいると「ボーク」となる。ただし、このケースは見分けるのがなかなか難しい。例えば、右投手が一塁へ牽制球を投じるケースで、軸足(右足)を投手板に接触させた状態で自由な足(左足)を一塁方向へ踏み出そうとすると、どうしても軸足である右足が投手板の上で動いてしまう。この動作までも「ボーク」としていては、あまりにも制約がきつすぎると考えるべきであろう。
そこで考えられたのが、「一挙動」という見方である。つまり軸足を小さく踏み替えて、素早く自由な足を踏み出す牽制は「一挙動」と見なして良いと考えられている。ただし、踏み替えの幅が極端に大きかった場合や自由な足の踏み出しが不十分な場合は「ボーク」となる。これは、右投手の一塁牽制球で多いので、試合序盤で注意することである。好投手ほど、牽制球のパターンを多く持っているので注意を怠ると、走者と一緒に塁審も騙される事となってしまう。
左投手に多いのが、顔の向きで走者を牽制する行為である。投手が走者のいる塁を見ながら投球動作を開始するのは問題ないが、すでに投球動作を開始してから、走者のいる塁へ「顔を振る」動作は「ボーク」となる。これは走者を騙す行為として「欺瞞行為」となる。
牽制球には多くのリスクが潜んでいることを指導者も選手も自覚し、気持ちの良い試合展開を希望するものである。
さてさて、今年の新人戦はどうなることやら。
毎年のことではあるが、新人戦のジャッジメントは、半月前まで3年生のプレイを見てきたことから、パワーもスピードも技術の正確性も劣り、かなり調子が狂ってしまう。
また、多くの新人審判の方々も公式戦デビューすることから珍プレイ・珍ジャッジが多くなる。
ミスはミスとして、それもこれも「野球の一部」と考えて楽しんでいきたいものであるが、勝負にこだわる「勝負師」たちが、審判のジャッジに対して「揚足取り」をする場面があるのも事実である。
そこで、それらの勝負師たちにアドバイス。せめて投手の投球動作だけでもルールブックとおりに指導していただければ、ゲーム進行に大きく寄与できるのである。
そのひとつが、「アウト」となることが少ないのに、しつこく行われる「牽制球」がある。
投手は投手板を踏んだ時点で「投手」となる。その時点からは「投手」の姿勢・動作をしなくてはならない。それが、所謂「プレートさばき」といわれる「投手」というポジションの独特の雰囲気なのであろう。これができていない「投手と自認する選手」は、どこか落ち着きがなく、肝が据わっていないように見えるものである。プレートさばきができていない投手は、牽制球も下手である。どこかぎこちない。打者に投球することで精一杯なのに、走者にまで注意を払うのは所詮無理があるのであろうが、「投手と自認する選手」はそれもやろうとしてしまう。
投手板の後縁およびその延長線上より後方へ軸足を外した状態が、投手が野手になった瞬間といえる。野手になれば、1塁への偽投も許されるし、塁に踏み出さずに牽制球が投げられるのである。しかし、軸足を動かすという大きな動作では、走者を牽制球でアウトを獲ることも、リードを狭めさせる事も困難である。そして、この牽制球が悪送球になりボールデッドの地域に入るような場合には、「野手による送球」という扱いで走者は2個の進塁を与えられるのである。
次に投手が考える事は、軸足を投手板に触れたまま牽制球を投じる事である。ただこの場合は、自由な足を牽制する塁に向けて踏み出さなければならず、これも大きな動作となる。つまり、牽制球を投げるということは、走者にも塁審にも分かる「大きな動作」を伴うはずである。
投手は時として、この「大きな動作」を少しでも小さくして、走者を騙そうと試みる。それの代表格がツイストやターンであり、投手板の踏み替えによる牽制球も話題になる。
投手は軸足を投手板の上で踏み替えることを禁止されている。これを行った場合は、走者がいると「ボーク」となる。ただし、このケースは見分けるのがなかなか難しい。例えば、右投手が一塁へ牽制球を投じるケースで、軸足(右足)を投手板に接触させた状態で自由な足(左足)を一塁方向へ踏み出そうとすると、どうしても軸足である右足が投手板の上で動いてしまう。この動作までも「ボーク」としていては、あまりにも制約がきつすぎると考えるべきであろう。
そこで考えられたのが、「一挙動」という見方である。つまり軸足を小さく踏み替えて、素早く自由な足を踏み出す牽制は「一挙動」と見なして良いと考えられている。ただし、踏み替えの幅が極端に大きかった場合や自由な足の踏み出しが不十分な場合は「ボーク」となる。これは、右投手の一塁牽制球で多いので、試合序盤で注意することである。好投手ほど、牽制球のパターンを多く持っているので注意を怠ると、走者と一緒に塁審も騙される事となってしまう。
左投手に多いのが、顔の向きで走者を牽制する行為である。投手が走者のいる塁を見ながら投球動作を開始するのは問題ないが、すでに投球動作を開始してから、走者のいる塁へ「顔を振る」動作は「ボーク」となる。これは走者を騙す行為として「欺瞞行為」となる。
牽制球には多くのリスクが潜んでいることを指導者も選手も自覚し、気持ちの良い試合展開を希望するものである。
さてさて、今年の新人戦はどうなることやら。
コメント
本文で「左投手に多いのが、顔の向きで走者を牽制する行為である。投手が走者のいる塁を見ながら投球動作を開始するのは問題ないが」とありますが、投手は投球動作を開始する場合は、打者に正対しなければならない。
との矛盾が生じるのではないでしょうか?
私も小中学生の審判をする機会が多く、よくランナーを
見ながら投球する子達がいます。どうもコーチの方々が
そう教えて居られるようです。
中には盗塁を阻止する為、左ピッチでゆっくりと足を上げてランナーが
走れば牽制、走らなければ本塁へ投球する子も
いました。
ランナーを見ながら投球動作が出来るとなるとこの動作は
認められることになります。
すみませんがご教授お願いします。