アマチュア野球にとって、一年で最も熱いシーズンを迎えている。大学野球の全国大会は終了したが、高校野球と中学硬式野球は全国大会に向けた予選が各地で繰り広げられている。高校野球は「甲子園」という大目標に向けて、球児たちが一投一打に一喜一憂している。我々、中学シニアでも全国につながる選手権大会が始まった。春季大会と大きく違うのは、トーナメント方式を採用していることである。
春季大会はリーグ戦であるため、6~7試合は確実に戦うことが出来る。選手たちにとっては、長く厳しい冬季トレーニングを乗り越え、力試しの絶好の機会となるのである。ただし、リーグ戦のため勝敗に関しての「こだわり」は小さい。「絶対に勝つ」という執着は、執念は感じない。どこか、淡白に感じることがある。一球の大切さを判っているはずなのだが、「負けても明日がある」という思いが見え隠れするのである。
そういう意味で、夏季大会は雰囲気がまったく違う。一球に対する集中力や、選手やベンチの執着心が全然違うのである。それゆえに、予想を覆すような好ゲームや大番狂わせが起こるのである。観戦する側にとっては、チーム名で勝敗を予想する。トーナメント表に、自らの予想を赤鉛筆で書き入れていたりするのであるが、意外な無名チームが勝ち進んだりすると、それはそれで楽しみの一つなのだろう。
ネット裏の観客は、判官贔屓の人が多い。春季大会で快進撃を続け、初優勝したチームに対して、夏の大会では王者として扱い、その王者に果敢に挑むチームを応援していたりするのである。なんとも、付き合い辛い観客たちである。私のように、一つのチームを徹底して応援する人種にとっては、先週まで一緒に応援してくれていた観客が、いきなり敵に回ってしまう現象に戸惑いを感じてしまうのである。
いつもはグラウンドレベルで審判員として選手のプレイに対するジャッジをしているが、たまにスタンドで野球観戦するのも勉強になる。スタンドでは、一つのジャッジに対してどのような思いで見ているのか。または、微妙な判定に対して、どのような反応を見せているのか。それらを観察するだけでも勉強になる。
また、審判員の動き全体を見るのは、非常に参考になる。ジャッジの「コール」のタイミング、ポジショニング、試合の進め方、トラブルへの対応などなど。
ネット裏の観客は、野球の目は肥えている。
一塁牽制球でタッグをしているのに「セーフ」のコールもゼスチャーもしないと「何故、コールしない」と文句をいうような人たちである。よく野球を見ている。
このような観客の目に、応えられるようなジャッジを心がけなくてはならない。それは、プロのような派手さではなく、地味でも堅実で正確なジャッジを求められているのであろう。
トーナメント方式が「負けたら終わり」であることは少年野球の選手でも知っている。ゆえに一投一打に掛ける思いは強い。
我々、審判員もフンドシを締め直して掛からなければ、選手たちに失礼である。
春季大会はリーグ戦であるため、6~7試合は確実に戦うことが出来る。選手たちにとっては、長く厳しい冬季トレーニングを乗り越え、力試しの絶好の機会となるのである。ただし、リーグ戦のため勝敗に関しての「こだわり」は小さい。「絶対に勝つ」という執着は、執念は感じない。どこか、淡白に感じることがある。一球の大切さを判っているはずなのだが、「負けても明日がある」という思いが見え隠れするのである。
そういう意味で、夏季大会は雰囲気がまったく違う。一球に対する集中力や、選手やベンチの執着心が全然違うのである。それゆえに、予想を覆すような好ゲームや大番狂わせが起こるのである。観戦する側にとっては、チーム名で勝敗を予想する。トーナメント表に、自らの予想を赤鉛筆で書き入れていたりするのであるが、意外な無名チームが勝ち進んだりすると、それはそれで楽しみの一つなのだろう。
ネット裏の観客は、判官贔屓の人が多い。春季大会で快進撃を続け、初優勝したチームに対して、夏の大会では王者として扱い、その王者に果敢に挑むチームを応援していたりするのである。なんとも、付き合い辛い観客たちである。私のように、一つのチームを徹底して応援する人種にとっては、先週まで一緒に応援してくれていた観客が、いきなり敵に回ってしまう現象に戸惑いを感じてしまうのである。
いつもはグラウンドレベルで審判員として選手のプレイに対するジャッジをしているが、たまにスタンドで野球観戦するのも勉強になる。スタンドでは、一つのジャッジに対してどのような思いで見ているのか。または、微妙な判定に対して、どのような反応を見せているのか。それらを観察するだけでも勉強になる。
また、審判員の動き全体を見るのは、非常に参考になる。ジャッジの「コール」のタイミング、ポジショニング、試合の進め方、トラブルへの対応などなど。
ネット裏の観客は、野球の目は肥えている。
一塁牽制球でタッグをしているのに「セーフ」のコールもゼスチャーもしないと「何故、コールしない」と文句をいうような人たちである。よく野球を見ている。
このような観客の目に、応えられるようなジャッジを心がけなくてはならない。それは、プロのような派手さではなく、地味でも堅実で正確なジャッジを求められているのであろう。
トーナメント方式が「負けたら終わり」であることは少年野球の選手でも知っている。ゆえに一投一打に掛ける思いは強い。
我々、審判員もフンドシを締め直して掛からなければ、選手たちに失礼である。
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