師匠に「スランプ」と言われた。
密かに考えていた事を、ズバリと指摘された。
自分の試合でトラブルやサプライズが多い事も気になっていたが、これもズバリと指摘された。
私がトラブルやサプライズの「メーカー」になっているわけではなく、そのような場面に巡り合っているのだという指摘であった。これも考えていたとおりの指摘である。トラブルやサプライズが発生する試合は必ずある。それは担当しているクルーに起因する場合もあるが、大抵のケースが別のところに原因がある。つまり、誰かがトラブルやサプライズが起きる試合を担当しなくてはならないのであり、私の場合は「その試合」を担当する確率が高いということなのであろう。これは正に「試練」であり、仰々しく言うと「宿命」なのであろう。いわゆる「そのような星の下に生れてきた」ということなのだろう。
トラブルやサプライズを正面から受け止められていたはずなのに、何かのキッカケで自信が揺らいでいるようである。それは「過信」からくる産物のように理解した上で自戒しようと考えていたが、そればかりが理由ではないように思われる。
試合後にはできるかぎり日記を書いている。回想録のようなものから事例集までさまざまであるが、いつの日にか役に立つ時がくると思いながら書いている。
これらを読み返していると、どうやらその原因が見え隠れしてくる。
原因の主なものは「基本のブレ」ように思える。
「ゴー・ストップ・コール」や「トラッキング」などの動作は、毎年シーズン初めの審判講習会で繰り返し実施されるとおり「審判員の基本」なのである。
この基本動作が、すべて甘くなっているように思える。それが自分のスタイルなどと考え、楽をしていたように感じてならない。知らず知らずに「ベテラン」と呼ばれる心地よい響きに騙されて、基本動作をないがしろにしていた。
その誘因となっているのが「慣れ」である。明らかに「慣れ」が「基本動作」にブレを生じさせている。
審判は頭で考え、ケーススタディを繰り返す事も必要ではあるが、実戦経験がもっとも重要なことはいうまでもない。これは選手達と同様であり、反復練習よりも試合の中で学ぶ事の方が断然多い。しかし、それは「基本動作」を忠実に実践した上で得られる経験であり、基本がブレた状態では本当の意味での経験にはならない。
スランプの時こそ「基本動作」の反復しかない。これが結論である。
「トラッキング」は球審が投球判定をするために、捕手のミットに納まるまで「目でボールを追う」という基本動作であるが、これは塁審にも共通する。つまり「ボールから目を切らない」という審判員の基本動作の特殊ケースが「トラッキング」なのであろう。
雑念も無用である。「自然体で目の前のプレイを判定する」という基本を忠実に行うためには、雑念や思い込みなどは一切無用なのである。
試合前に目標を持つようにしているが、それに囚われるあまり、「目標」が「雑念」になってしまっていたのであろう。
「試練」がもたらした「スランプ」を脱することは、審判員を続けている限り、無いかもしれない。
野球に対して感謝し、謙虚になって試合に臨むことから始めてみようと思う。
密かに考えていた事を、ズバリと指摘された。
自分の試合でトラブルやサプライズが多い事も気になっていたが、これもズバリと指摘された。
私がトラブルやサプライズの「メーカー」になっているわけではなく、そのような場面に巡り合っているのだという指摘であった。これも考えていたとおりの指摘である。トラブルやサプライズが発生する試合は必ずある。それは担当しているクルーに起因する場合もあるが、大抵のケースが別のところに原因がある。つまり、誰かがトラブルやサプライズが起きる試合を担当しなくてはならないのであり、私の場合は「その試合」を担当する確率が高いということなのであろう。これは正に「試練」であり、仰々しく言うと「宿命」なのであろう。いわゆる「そのような星の下に生れてきた」ということなのだろう。
トラブルやサプライズを正面から受け止められていたはずなのに、何かのキッカケで自信が揺らいでいるようである。それは「過信」からくる産物のように理解した上で自戒しようと考えていたが、そればかりが理由ではないように思われる。
試合後にはできるかぎり日記を書いている。回想録のようなものから事例集までさまざまであるが、いつの日にか役に立つ時がくると思いながら書いている。
これらを読み返していると、どうやらその原因が見え隠れしてくる。
原因の主なものは「基本のブレ」ように思える。
「ゴー・ストップ・コール」や「トラッキング」などの動作は、毎年シーズン初めの審判講習会で繰り返し実施されるとおり「審判員の基本」なのである。
この基本動作が、すべて甘くなっているように思える。それが自分のスタイルなどと考え、楽をしていたように感じてならない。知らず知らずに「ベテラン」と呼ばれる心地よい響きに騙されて、基本動作をないがしろにしていた。
その誘因となっているのが「慣れ」である。明らかに「慣れ」が「基本動作」にブレを生じさせている。
審判は頭で考え、ケーススタディを繰り返す事も必要ではあるが、実戦経験がもっとも重要なことはいうまでもない。これは選手達と同様であり、反復練習よりも試合の中で学ぶ事の方が断然多い。しかし、それは「基本動作」を忠実に実践した上で得られる経験であり、基本がブレた状態では本当の意味での経験にはならない。
スランプの時こそ「基本動作」の反復しかない。これが結論である。
「トラッキング」は球審が投球判定をするために、捕手のミットに納まるまで「目でボールを追う」という基本動作であるが、これは塁審にも共通する。つまり「ボールから目を切らない」という審判員の基本動作の特殊ケースが「トラッキング」なのであろう。
雑念も無用である。「自然体で目の前のプレイを判定する」という基本を忠実に行うためには、雑念や思い込みなどは一切無用なのである。
試合前に目標を持つようにしているが、それに囚われるあまり、「目標」が「雑念」になってしまっていたのであろう。
「試練」がもたらした「スランプ」を脱することは、審判員を続けている限り、無いかもしれない。
野球に対して感謝し、謙虚になって試合に臨むことから始めてみようと思う。
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