グラウンド整備と給水
2009年6月8日 スポーツ コメント (1)
春季大会もリーグ戦が終わり、決勝トーナメントが始まった。いよいよ大詰めである。高校野球も、先日の決勝戦で春季全道大会が終了した。今月下旬には、中学も高校も本番である夏季大会が始まる。
先日、楽天・野村監督が雨の中の敗戦の弁で「そもそも、こんな天候は野球をやる環境ではない」とボヤいていた。同じ条件とはいえ、雨中決戦に敗れたチームにとっては「天も恨めしく思える」ようである。確かに、降雨の中の試合は色々と面倒である。
今年のシーズン初めに、高校球児が練習試合で命を落としたことは記憶に新しい。誠に痛ましい事故であり、謹んで哀悼の意を表したい。
スポーツに怪我は付き物ではあるが、死に至る事故があってはならない。そのためにも、関係者は細心の注意を払うべきであろう。
中学シニアでは、この痛ましい事故を教訓として4回終了時にグラウンド整備を行う事となった。高校野球では数年前から5回終了時に実施されており、練習試合などでも実施しているようである。それでも事故は発生するのであるから、遅まきながら実行に移そうと中学シニアの運営側も決断したのであろう。
晴天の中でもグラウンドは荒れるのであるから、降雨時は想像に難くないであろう。荒れるという形容が相応しくないほど、酷い状態となる。
我が組織でも試合前の雨天決行の決定権は運営側にある。一方、試合開始後は審判員が決定できることはルールブックにも謳われているが、我が組織は違うようである。とにかく、試合が始まれば終わりまでやるのが考え方の基本となっている。
だから水田の中でボールを追いかけるような「新たな球技」が生まれるのである。春先や秋口の豪雨の中で「変な球技」を選手に強いるのである。屋根のある本部席にいて試合を観戦し、グラウンドに傘を差して状態を確認しているような人間に、2時間近く雨に晒される苦痛が理解できるとは思えない。
「雨の降る日は天気が悪い」は古い言い伝えであり、子供でも知っている事実なのである。
大会運営側は日程の消化を第一に考えているようにしか思えてならないことがある。
「子供達の健康が一番」などと言っているが、実の所は大会運営が一番なのであろう。そのためであれば、審判の都合などはまったくの「蚊帳の外」である。審判の都合は譲歩したとしても、日程消化に腐心するあまり、一番大事なことを棚上げにしている対応に思えてならない言動・行動をすることがある。
雨天決行は致し方ない部分はあるから理解したとしても、「荒れたグラウンドでプレイすることが、選手を死に至らしめるから試合中盤で整備をしよう」という教訓による初心はどこへ行ってしまったのであろうか。日程消化ばかりを気にして「4回終了時のグラウンド整備はやらないから、審判の給水も無し」とは屁理屈にもならない。
グラウンド整備をやらない事で雨が止むならば良い。または、選手のプレイに差し障りがないのであれば良しとしよう。しかし、実際にはワンプレイごとにグラウンドは荒れるのである。
長時間の試合になると、グラウンド状態が悪くなるのは皆が知っている。だから「水が浮く前に試合を消化してしまおう」などと考え、シートノックもボール回しも無し、ついでに4回終了時のグラウンド整備も無しで試合を強行する傲慢さには呆れ果てる。
「グラウンド整備もしないから、審判の給水もなし」を強要し、試合進行を最優先にプレイボールとしたはずなのに、「予想していたよりもグラウンドが荒れたから整備をしよう」とトンボを握るのである。この優柔不断さには開いた口が塞がらない。
審判の給水は一体どうなったのか。
試合中盤のインターバルは、選手はもちろん、審判員にとっても重要な休息である。雨にも当らず、直射日光にも当らない所で好き勝手を言っている人々には決して分からないことである。ゆえに審判員の休息とグラウンド整備は、まったく違うカテゴリーのものである。夏の神宮大会などは、2回ごとにインターバルをとり給水すると聞いている。そうしないと、脱水症状で倒れてしまうのである。
数年前、秋も深まった悪天候の中、試合を強行したことがあった。シーズンオフが近いこともあり、まったく日程に余裕のない状況であった。そこに立ち会っていた役員が、4回終了時の給水をしている審判員を見て「水なんか飲んでいないで、さっさと試合をやれば良いのに」と公然と言い放ったことがあった。
呆れてしまい、腹を立てるのもアホくさい。
先日、楽天・野村監督が雨の中の敗戦の弁で「そもそも、こんな天候は野球をやる環境ではない」とボヤいていた。同じ条件とはいえ、雨中決戦に敗れたチームにとっては「天も恨めしく思える」ようである。確かに、降雨の中の試合は色々と面倒である。
今年のシーズン初めに、高校球児が練習試合で命を落としたことは記憶に新しい。誠に痛ましい事故であり、謹んで哀悼の意を表したい。
スポーツに怪我は付き物ではあるが、死に至る事故があってはならない。そのためにも、関係者は細心の注意を払うべきであろう。
中学シニアでは、この痛ましい事故を教訓として4回終了時にグラウンド整備を行う事となった。高校野球では数年前から5回終了時に実施されており、練習試合などでも実施しているようである。それでも事故は発生するのであるから、遅まきながら実行に移そうと中学シニアの運営側も決断したのであろう。
晴天の中でもグラウンドは荒れるのであるから、降雨時は想像に難くないであろう。荒れるという形容が相応しくないほど、酷い状態となる。
我が組織でも試合前の雨天決行の決定権は運営側にある。一方、試合開始後は審判員が決定できることはルールブックにも謳われているが、我が組織は違うようである。とにかく、試合が始まれば終わりまでやるのが考え方の基本となっている。
だから水田の中でボールを追いかけるような「新たな球技」が生まれるのである。春先や秋口の豪雨の中で「変な球技」を選手に強いるのである。屋根のある本部席にいて試合を観戦し、グラウンドに傘を差して状態を確認しているような人間に、2時間近く雨に晒される苦痛が理解できるとは思えない。
「雨の降る日は天気が悪い」は古い言い伝えであり、子供でも知っている事実なのである。
大会運営側は日程の消化を第一に考えているようにしか思えてならないことがある。
「子供達の健康が一番」などと言っているが、実の所は大会運営が一番なのであろう。そのためであれば、審判の都合などはまったくの「蚊帳の外」である。審判の都合は譲歩したとしても、日程消化に腐心するあまり、一番大事なことを棚上げにしている対応に思えてならない言動・行動をすることがある。
雨天決行は致し方ない部分はあるから理解したとしても、「荒れたグラウンドでプレイすることが、選手を死に至らしめるから試合中盤で整備をしよう」という教訓による初心はどこへ行ってしまったのであろうか。日程消化ばかりを気にして「4回終了時のグラウンド整備はやらないから、審判の給水も無し」とは屁理屈にもならない。
グラウンド整備をやらない事で雨が止むならば良い。または、選手のプレイに差し障りがないのであれば良しとしよう。しかし、実際にはワンプレイごとにグラウンドは荒れるのである。
長時間の試合になると、グラウンド状態が悪くなるのは皆が知っている。だから「水が浮く前に試合を消化してしまおう」などと考え、シートノックもボール回しも無し、ついでに4回終了時のグラウンド整備も無しで試合を強行する傲慢さには呆れ果てる。
「グラウンド整備もしないから、審判の給水もなし」を強要し、試合進行を最優先にプレイボールとしたはずなのに、「予想していたよりもグラウンドが荒れたから整備をしよう」とトンボを握るのである。この優柔不断さには開いた口が塞がらない。
審判の給水は一体どうなったのか。
試合中盤のインターバルは、選手はもちろん、審判員にとっても重要な休息である。雨にも当らず、直射日光にも当らない所で好き勝手を言っている人々には決して分からないことである。ゆえに審判員の休息とグラウンド整備は、まったく違うカテゴリーのものである。夏の神宮大会などは、2回ごとにインターバルをとり給水すると聞いている。そうしないと、脱水症状で倒れてしまうのである。
数年前、秋も深まった悪天候の中、試合を強行したことがあった。シーズンオフが近いこともあり、まったく日程に余裕のない状況であった。そこに立ち会っていた役員が、4回終了時の給水をしている審判員を見て「水なんか飲んでいないで、さっさと試合をやれば良いのに」と公然と言い放ったことがあった。
呆れてしまい、腹を立てるのもアホくさい。
コメント
いくらでも替わってやるからいっぺんやってみろ、と思うのは私がまだまだ青いからでしょうか……
これからは涼しくなる季節ですがまだまだ気温が高い日もあります。
何卒ご自愛を。