GW 5日間10試合
2009年5月7日 スポーツ
ハードなゴールデンウィークであった。初日が雨天順延となった春季大会リーグ戦は、実質29日が開幕。ゴールデンウィークの5連休でリーグ戦の趨勢が見えてくるという、選手や指導者、そして補助する父兄にとってもハードな連休であったし、もちろん審判員も同様である。まさに、腑抜けの状態で連休明けを迎えておられる方も多いと思いわれる。
私もハードであった。開幕してから6日間の試合日で、12試合に携わることとなった。良くぞ身体が耐えてくれたと、我ながら驚いている。家族サービスもせずに、球場から球場を渡り歩く姿に、家族も呆れているとは思うが・・・。
中学シニアの審判活動も、今年で7年目を迎えた。その間に「師匠」にも出会え(と勝手に思っているのだが)、多くの仲間にも恵まれた。そんな仲間たちと再会することも楽しみである。また、毎年変わる選手たちとの新たな出会いも楽しみのひとつである。
春の大会はまだまだ、打球の勢いや飛距離も今ひとつである。投手の投球も「切れ」がイマイチであり、コントロールも甘い。これが3ヶ月後には、打球の飛距離も伸び、投球の勢いが増すのである。その成長カーブは素晴らしい。
今年の春の大会で気が付いたことが、「投手が投手板に付かずに捕手のサインを見る」行為である。ルールブックの投手の項で、一番最初に記載されていることが守られていないのである。どうやら選手も指導者も、それほど重要に思っていないようであるが、これは野球のルールの根幹といってもいい部分である。「プレイボール」は、投手がボールを持って投手板を踏んだ時点でコールされる。つまり、投手が投手板を踏むことが試合開始の第一条件になっているということである。これは、ボールデッドであろうとボールインプレイであろうと同じと考えてよいであろう。投手が投手板を踏んで打者と正対することが、プレイのスタートとなるのである。
この遠因になっているのが、「投手板を踏まなければ野手と同じであるから、ボークを犯す危険性を回避できる」ということではないかと思う。投球動作には色々と制限があるのは確かだが、それによって「投手が萎縮して、何も出来ない」と考えるのは間違いである。これには大きな誤解がある。
ボークルールの基本理念は「走者を騙す投球動作」である。つまり、投球姿勢や投球動作で走者のスタートを遅らせたり、走者の逆を突くなどの姑息な手段は使わずに「正々堂々と勝負をせよ」ということである。投手はボールを所持したら、投手板を踏み、捕手のサインを見て、投球動作に入り打者に投球する。ただ、これだけの繰り返しなのである。
一塁の塁審を担当しているときに、本塁へ投げると思った投手の動作で、一塁に牽制球が来た場合は「ボーク」と考えてよい。審判員が騙されるということは、投球動作のどこかに不正があるのである。それを「巧みな牽制球」だとか「野球センスに秀でた牽制球」などと持て囃すから、話がややこしくなるのである。
春の審判講習会では、毎年のように投手の基本動作を確認しているにも関わらず、このようなことが多く発生するのは、何か原因があるように思われる。
「捕手がミットを動かさないキャンペーン」の理解度もまだまだ低いようである。我々審判員も「子供である選手たち」の指導者と考えて、日々接していくべきなのであろう。
とにかく、今年も野球シーズンが始まった。
私もハードであった。開幕してから6日間の試合日で、12試合に携わることとなった。良くぞ身体が耐えてくれたと、我ながら驚いている。家族サービスもせずに、球場から球場を渡り歩く姿に、家族も呆れているとは思うが・・・。
中学シニアの審判活動も、今年で7年目を迎えた。その間に「師匠」にも出会え(と勝手に思っているのだが)、多くの仲間にも恵まれた。そんな仲間たちと再会することも楽しみである。また、毎年変わる選手たちとの新たな出会いも楽しみのひとつである。
春の大会はまだまだ、打球の勢いや飛距離も今ひとつである。投手の投球も「切れ」がイマイチであり、コントロールも甘い。これが3ヶ月後には、打球の飛距離も伸び、投球の勢いが増すのである。その成長カーブは素晴らしい。
今年の春の大会で気が付いたことが、「投手が投手板に付かずに捕手のサインを見る」行為である。ルールブックの投手の項で、一番最初に記載されていることが守られていないのである。どうやら選手も指導者も、それほど重要に思っていないようであるが、これは野球のルールの根幹といってもいい部分である。「プレイボール」は、投手がボールを持って投手板を踏んだ時点でコールされる。つまり、投手が投手板を踏むことが試合開始の第一条件になっているということである。これは、ボールデッドであろうとボールインプレイであろうと同じと考えてよいであろう。投手が投手板を踏んで打者と正対することが、プレイのスタートとなるのである。
この遠因になっているのが、「投手板を踏まなければ野手と同じであるから、ボークを犯す危険性を回避できる」ということではないかと思う。投球動作には色々と制限があるのは確かだが、それによって「投手が萎縮して、何も出来ない」と考えるのは間違いである。これには大きな誤解がある。
ボークルールの基本理念は「走者を騙す投球動作」である。つまり、投球姿勢や投球動作で走者のスタートを遅らせたり、走者の逆を突くなどの姑息な手段は使わずに「正々堂々と勝負をせよ」ということである。投手はボールを所持したら、投手板を踏み、捕手のサインを見て、投球動作に入り打者に投球する。ただ、これだけの繰り返しなのである。
一塁の塁審を担当しているときに、本塁へ投げると思った投手の動作で、一塁に牽制球が来た場合は「ボーク」と考えてよい。審判員が騙されるということは、投球動作のどこかに不正があるのである。それを「巧みな牽制球」だとか「野球センスに秀でた牽制球」などと持て囃すから、話がややこしくなるのである。
春の審判講習会では、毎年のように投手の基本動作を確認しているにも関わらず、このようなことが多く発生するのは、何か原因があるように思われる。
「捕手がミットを動かさないキャンペーン」の理解度もまだまだ低いようである。我々審判員も「子供である選手たち」の指導者と考えて、日々接していくべきなのであろう。
とにかく、今年も野球シーズンが始まった。
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