ジャッジの後処理
2009年の開幕試合は悪天候のため中止となってしまった。みぞれ混じりの雨が降る気温3度のコンディションでは、とても野球をやれる天候ではない。大会を運営するサイドとしては、今後の日程調整が苦しくなるために粘りたくなる気持ちも分からなくもないが、昨今の天気予報の精度と照らしても回復の見込みがないのであるから、素早い決断が望まれるところである。ここ数年、大会運営を間近で見ているが、「大会日程の消化」と「選手の健康管理」のアンバランスさが目に付いて仕方がない。中学シニアの選手たちは、高校野球を夢見ている子供たちが大勢を占めており、ここで故障する訳にはいかないのである。しかし目前に重要な試合があり、チームから連投を強いられたエース投手は投げるであろう。「肩は消耗品」ということを大会関係者も指導者も父兄も熟知しているはずなのに、盲目を決め込み、大会日程の消化に勤しむのである。チームは栄光を勝ち取ったとしても、エース投手の肩や肘は消耗して高校野球の道が閉ざされたり、故障のリハビリのために貴重な青春の日々を費やすこととなるのも決して珍しくない。
2009年は出鼻を挫かれた感はあるが、今後の健全なる日程調整を望むものである。

さて、本題に移ろう。一般的に審判のジャッジメントは、その審判員の経験とともに精度が増してくるものである。それに加えて、それまで見過ごしていたプレイに対する疑問が沸きあがってくるようでもある。
前年までは「見ているようで見えていなかった」微妙なプレイが、ある時から唐突に目に付くようになるのである。一度気になりだすと「審判員の性」からか、その真相について探求してしまうものである。実際にはベテラン審判員からのアドバイスや、同僚などとの会話の中でのヒントがきっかけになっているのであろう。

昨年の講習会で、社会人野球の審判員の方と席を並べる機会に恵まれた。私はいつもの悪い癖が頭をもたげて、講習会を公聴しながら独り言をつぶやいてしまうのである。たまたま「ボーク」についての事例が報告されていた時に、私が何かを呟いた言葉に対して、隣に座っておられた社会人審判員の方が応えてくれたのである。
私の独り言は「ボークを見つけた瞬間にコールしようとすると、なかなかコールできないよな」であったのであろう(無意識の自分は、よく覚えていない)。
それに社会人審判員の方は「多少、遅れてコールしても、全然問題ないよ」と応えてくれた。
「ボークの瞬間にコールしようとすると、視野が狭くなり、他のプレイへ対応できなくなる。だから、ボークが発生したのを、頭の中で反芻した後にコールした方がいいよ」とアドバイスを頂いた。このアドバイスで、喉につかえていた魚の骨が、スーッと無くなるかのごとく気分が楽になったのである。

昨年一年間は、これを実践してみた。最初は、なかなかタイミングがつかめずにいたが、徐々にコツが分かってきた。それと同時に、今まで経験できなかったことが起こったのである。
まず、ボークコールのタイミングが若干遅くなってから、投手が打者に投げ込むことが多くなった。「ボーク」の宣告があったのであるから、どのようなことがあっても攻撃側に不利な処理は出来ないのが基本である。ただし、安全進塁権を与えた塁以上に走者が危険と賭して走ることは、インプレイであれば走者の責任の下のプレイと判断してよい。
「ボークコール」があり、投手が投球した場合には、打者は迷うことなくフルスイングで打ちにいくべきである。たとえ、それが空振りでも「ストライク」にはカウントされないのであるが、安打になり打者走者を含めた走者が一つ以上塁を進めば、これが有効となる。攻撃側にはリスクがまったくない場面なのである。
では、実戦ではどうであろう。今年のオープン戦であった事例3件(ボークだけで、すでに3件もあった)を紹介しましょう。

【ケース1】一死走者1塁の場面で、投手のセットが止まらずに「ボークコール」。しかし、投手は打者に投球し、打者が痛打した。打球はセンター後方への大飛球となったが、センターが背走して好捕した。この時点でボールデッドとし、ボークにより1塁走者を2塁へ進めて、打者は打ち直しとした。もちろん、ノーカウントである。この打球により1塁走者と打者走者が最低1個の塁を得たのであれば、ボークは無かったこととして試合を再開することとなる。

【ケース2】無死走者2・3塁で、投手が「ボークコール」を受けながら投球したが、捕手が後逸したため、走者はそれぞれ進塁した。打者はこれによって1塁を得たわけではないので、ボークの処置を選択し、ボールカウントはノーカウントとして、「1得点、無死3塁」で再開した。

【ケース3】無死走者1塁で、打者はフルカウントの場面。投手は「ボークコール」受けながら投球したが、外角に外れて「ボール」。これにより、打者は四球で1塁が与えられ、走者は押し出されて進塁するため「四球」として、無死1・2塁で再開した。

それぞれ微妙に違いがあり、文面では理解できたとしても、その場に立ち合うとサプライズでパニック状態に陥りやすいケースである。
改めて、審判はグラウンドでの経験が技術を支えることを再確認させられた事例であった。
ボークに限らす、ジャッジメントの後処理は重要な技術なのである。

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