ボークコールのタイミング
2009年4月20日 スポーツ
審判の経験を数年積むと、通常のジャッジメントは安定してくる。塁審の基本的な動きなどもスムーズになってくる。よほどのサプライズがない限り、ゲームはほぼ問題なく終えることが出来るようになる。まさに「習うより慣れろ」という事なのであろう。
しかし、この辺りから「審判員の苦悩」が始まるのである。普通に「アウト・セーフ」や「フェア・ファール」の判定をすることに満足がいかなくなってくる。
ルールブックを読みふけっていると、疑問が沸くようになってくる。今まで、何気なく看過してきたプレイに疑問を抱くようになってくるのである。
それが、不正なプレイや妨害プレイである。幼き頃から繰り返してきた、「チームプレイ」や「野球センスに溢れたプレイ」などが、その代表格かもしれない。
投手の投球姿勢は、ワインドアップポジションとセットポジションがある。投手は冬季間、一生懸命ワインドアップの練習に勤しむが、実は一試合の中ではセットポジションで投球する方が多いように思われる。最近は、走者がいない場面でもセットポジションで投球する投手が増えてきたが、ある意味で効率的かもしれない。
投手は牽制球が大好きであるが、問題はその目的であろう。
「牽制球」は走者を捕殺するプレイではない。あくまで「牽制」のはずである。しかし、投手たちは技術を駆使して走者を捕殺しようと努力する。そこに「不正」が入り込むのである。不正な投球姿勢などで、走者を騙してピンチを逃れようとするのである。
何年かの経験を積んだ審判員のステップアップが、これらの不正や妨害プレイを指摘し処理することであろう。
試合をスムーズに進行させようとした場合には、多少の不正や妨害が大勢に影響が無ければ見過ごすことがあるかもしれない。しかし、それらは本当の意味でのゲームコントロールとは違う。審判員は演出家ではない。あくまでもジャッジメントの役割を遂行するべき中立者でなくてはならない。どのような試合展開になろうとも、選手たちが「ゲームセット」まで全力を振絞る限りは厳正にルールの適用を繰り返さなければならないと考えている。
「ボーク」のコールは勇気がいる。説明ができない場合は避けるべきであろう。しかし、実践されたボークの動作を同じように繰り替えることは出来ない。ゆえに、「ボーク行為」と認め「コール」してしまった場合は、「理由」さえ用意しておけば良いのである。
それにしても、「あっ」と思った瞬間に「ボーク」をコールすることは至難の業である。よく耳にするのが「ボークを狙う」という言葉であるが、実際の「ボークコール」は「狙って」採るのではなく、自然と口を突くというのが正解だと思われる。
狙っていなければ「ボークコール」が出来ない審判員は技量が不足している場合もあるが、コールのタイミングが違うのではないかと考えられる。
投手が不正投球や不正な牽制球を犯した瞬間に「ボークコール」をしようと考えていると、ついつい獲物を逃してしまう。そこまで集中して2時間以上のゲームをジャッジすることは不可能であろう。
では、どのタイミングなのであろうか。
4月に入り、北海道でもようやくオープン戦も始まってきた。まだ、数試合のジャッジメントで、すでに3度のボークコールがあった。春先にボークが多いのは毎年のことであるが、今年は趣が例年とはかなり違う。ボークコールをされた投手が、打者に投球するのである。ボークコールにより投手が投球を中断した場合は、ボールデッドでボークの処理をするだけであるから簡単であるが、不正ながらも投球を完了してしまった場合には、場面設定によりケース分けが発生する。
ボークコールのタイミングが遅くなってきたのであろう。これは、ストライク・ボールの判定の際にトラッキングにより捕手のミットまで見届け、フィードバックして判定をしてからコールするというタイミングに似ている。
つまり「ボーク行為」に気付いてすぐにコールではなく、一呼吸置いて頭の中で反芻作業を行い、ルールに照らして確信を得てから「ボークコール」を行うのである。
そうすると、投手の投球や牽制球が投じられてからコールするタイミングになるのである。
このタイミングを会得してから、一球一球のジャッジメントに余裕が生れたように感じている。
しかし、この辺りから「審判員の苦悩」が始まるのである。普通に「アウト・セーフ」や「フェア・ファール」の判定をすることに満足がいかなくなってくる。
ルールブックを読みふけっていると、疑問が沸くようになってくる。今まで、何気なく看過してきたプレイに疑問を抱くようになってくるのである。
それが、不正なプレイや妨害プレイである。幼き頃から繰り返してきた、「チームプレイ」や「野球センスに溢れたプレイ」などが、その代表格かもしれない。
投手の投球姿勢は、ワインドアップポジションとセットポジションがある。投手は冬季間、一生懸命ワインドアップの練習に勤しむが、実は一試合の中ではセットポジションで投球する方が多いように思われる。最近は、走者がいない場面でもセットポジションで投球する投手が増えてきたが、ある意味で効率的かもしれない。
投手は牽制球が大好きであるが、問題はその目的であろう。
「牽制球」は走者を捕殺するプレイではない。あくまで「牽制」のはずである。しかし、投手たちは技術を駆使して走者を捕殺しようと努力する。そこに「不正」が入り込むのである。不正な投球姿勢などで、走者を騙してピンチを逃れようとするのである。
何年かの経験を積んだ審判員のステップアップが、これらの不正や妨害プレイを指摘し処理することであろう。
試合をスムーズに進行させようとした場合には、多少の不正や妨害が大勢に影響が無ければ見過ごすことがあるかもしれない。しかし、それらは本当の意味でのゲームコントロールとは違う。審判員は演出家ではない。あくまでもジャッジメントの役割を遂行するべき中立者でなくてはならない。どのような試合展開になろうとも、選手たちが「ゲームセット」まで全力を振絞る限りは厳正にルールの適用を繰り返さなければならないと考えている。
「ボーク」のコールは勇気がいる。説明ができない場合は避けるべきであろう。しかし、実践されたボークの動作を同じように繰り替えることは出来ない。ゆえに、「ボーク行為」と認め「コール」してしまった場合は、「理由」さえ用意しておけば良いのである。
それにしても、「あっ」と思った瞬間に「ボーク」をコールすることは至難の業である。よく耳にするのが「ボークを狙う」という言葉であるが、実際の「ボークコール」は「狙って」採るのではなく、自然と口を突くというのが正解だと思われる。
狙っていなければ「ボークコール」が出来ない審判員は技量が不足している場合もあるが、コールのタイミングが違うのではないかと考えられる。
投手が不正投球や不正な牽制球を犯した瞬間に「ボークコール」をしようと考えていると、ついつい獲物を逃してしまう。そこまで集中して2時間以上のゲームをジャッジすることは不可能であろう。
では、どのタイミングなのであろうか。
4月に入り、北海道でもようやくオープン戦も始まってきた。まだ、数試合のジャッジメントで、すでに3度のボークコールがあった。春先にボークが多いのは毎年のことであるが、今年は趣が例年とはかなり違う。ボークコールをされた投手が、打者に投球するのである。ボークコールにより投手が投球を中断した場合は、ボールデッドでボークの処理をするだけであるから簡単であるが、不正ながらも投球を完了してしまった場合には、場面設定によりケース分けが発生する。
ボークコールのタイミングが遅くなってきたのであろう。これは、ストライク・ボールの判定の際にトラッキングにより捕手のミットまで見届け、フィードバックして判定をしてからコールするというタイミングに似ている。
つまり「ボーク行為」に気付いてすぐにコールではなく、一呼吸置いて頭の中で反芻作業を行い、ルールに照らして確信を得てから「ボークコール」を行うのである。
そうすると、投手の投球や牽制球が投じられてからコールするタイミングになるのである。
このタイミングを会得してから、一球一球のジャッジメントに余裕が生れたように感じている。
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