昨今の父母像は変わってきているのであろう。突然、モンスターが現れたわけではないのであるから、マイナーチェンジを繰り返した末の結果なのであろう。
確かに自分が子供の頃は、生活する事自体が大変で、大人が子供に関わること自体が少なかった。野球ひとつとっても、はっきりと判る。少年野球やシニア野球のように、大人がいないと成り立たないようなことは、絶対になかった。毎日、学校のグラウンドに集まり、気の合う仲間でチームを作り、メンバーを自分達で決め、自分達で練習メニューを考え、時に紅白戦をやったり、違う学年を混じえた混合紅白戦をやったり、果ては違う学校に試合を申し込みに行ったりもしていた。今思うと、何とも頼もしい小学生であった。違う小学校といっても、自転車で行くのであるから、とんでもなく遠い。今のように、舗装道路ばかりではない。ましてや私のいた地方都市では、まだ馬車が通行していた。そこかしこに馬の糞がある未舗装道路を、ギアチェンジなど付いていない重たい自転車で、野球の試合をするためだけに何キロも汗を流しながら走るのである。まあ、そんな道路であるから、自動車自体が少ないのではあるが。
すべての仕切りは、子供達がやっていた。ゆえにローカルルールも沢山あった。野球をやるメンバーが少ない時などは二塁の無い三角ベースにしたり、「ぶつけ有り」などという危険なルールもあった。近くの子供達が集まり、小学1年生から中学生まで、そして女の子も一緒に野球を楽しんでいた。
いつからであろうか。そんな少年たちの野球に大人が関わるようになったのは。始めは小学校の近くに住む個人商店の主人などが、子供達に野球を教えるという名目で、夕方のひと時を楽しんでいたのであろう。体系的に練習などをやりだせば、試合がしたくなるのは必然のことである。そんな大人がネットワークを張り巡らせ、多くの少年野球大会を作り出してきた。元々、日本人は野球好きであるから、スポンサーも黙っていて付いたであろう。
近くの公園や学校のグラウンドで楽しんでいた野球が、野球場へと処を移すようになっていく。硬式野球などは、郊外の人里離れた処でしか練習すら出来ない状況となる。
ここまで来ると、子供達から「楽しい野球」を奪ったようなものである。公園には「キャッチボール禁止」の立て札が立ち、小学校からは子供達が消えた。野球をやるためには、それなりの施設に行かなければキャッチボールすら出来なくなってしまった。
それ故に、子供達が野球をやるためには、父母の全面協力が不可欠となってしまった。最初は我が子が野球をやりたいから、と気軽に入団してくるのであるが、各チーム事情を知るにつれ、足抜けが出来なくなる父母が大半である。足抜けどころか、頭の先から足の先までドップリと浸かってしまう父母が多いのも間違いない。そこには、我が子のためにという未来永劫、不朽であろう親心が深く関わっている。
この親心が、時に方向性を誤ることがある。自分の息子が上手くならない理由やレギュラーを獲れない理由を、違うベクトルで追求し出すのである。酷い時などは、同じプレイで違うジャッジを求めるのもモンスターたちの常である。
このモンスターは我がままであり、理不尽である。我が息子の技量は、メジャー級とでも思っているのであろう。多少練習をサボった程度で、先発メンバーを外されることが理解できないのである。そんな時には、常識は通用しないのである。どんなに冷静と思われる父兄でも、我が子のこととなると常軌を逸してしまうことが多い。これらが乗じて、モンスターと変化してしまう父母が多数いるのは事実である。
斯く言う私も、モンスターであった。
自分の子供が少年野球から旅立ち4年になるが、ようやく平素な気持ちで野球が見られるようになった。誰にも気兼ねせずに野球を観ることが出来るようになったように思う。
そういう意味では、ようやく審判員の資格を得たのかもしれない。

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