三連戦三連荘

2008年6月17日
久し振りにチームの主力の練習試合に参加した。高校などでは良く行われている三チームによる巴戦である。
審判員を始めた頃には、三学年による三連戦をよく行っていた。その当時、我がチームの審判員はたったの二名である。当然、恒常的な人手不足状態であった。息子が在籍していたこともあり、練習試合に行かないことはないのだが、行けば必ずや球審のポジションが回ってくる。チームでは審判服から防具一式までを用意してくれた。三連戦三連荘で球審を務めることは、本当に大変ではあったが、それはそれで楽しかった。真夏などは数キロ体重が落ちるほどの消耗であったが、試合に参加できる喜びが勝っていたように記憶している。その当時の記録はないが、ルールも判らずに年間20試合程度の練習試合で球審を務めていたと思う。おそらく、ルールブックを見たこともなかったであろう。今やルールには異常にまでウルサイが、事の始まりはこんなものである。がしかし、この楽しい思い出となった「試練・修行」があったために、今があるのは確かである。この頃の経験が、今の自分の土台になっているのは確かである。当時の指導者ならびに選手諸君には、本当に感謝している。あんな下手糞なジャッジに付き合ってもらって、本当に「ありがとう」という思いである。

近年はOB父兄などの協力により、チームの審判部も両手で数えるほどの人数となった。力量の問題はあるが、頭数がいることは本当に心強い。出来る限り色々なポジションに立ってもらい、勉強を積んでもらおうと思っている。シーズンに入ると自チームとは帯同せず、他球場に配属されることが多くなったため、練習試合などはまったくと言っていいほどジャッジする機会が減った。冬季トレーニングを一緒にやってきて、その成果を見てやりたいし、選手にも見てもらいたいのだが、なかなかチャンスがないのである。
先日は久し振りに公式戦もなく、高校の練習試合もないため、チームに帯同することとした。お陰で、今年なかなか立てなかった塁審をやらせてもらえた。それも三試合連荘でグラウンドに立ってみたのだ。
結果は、数年前までは球審三連荘をやっていたのに、塁審三連荘で息も絶え絶えという情けない状態であった。誠に、寄る年波には勝てない。最初から多少セーブしてやってはいたが、それでも三試合目には乳酸が下半身を痛烈に襲っていた。
球審は確かにハードではあるが、塁審もハードだということを再認識した。塁審は、選手や観客が注目していないところで動き、プレイが起こるところには必ずいなくてはいけないのである。何とも華のない、それでいて責任だけは重いポジションであろうか。
次週は、一年間でも最も重い大会である。メインイベントの大会である。トーナメントゆえに、各チームとも気合の入り方が違うのである。
昨年までは、こんなことを考えていると、知らず知らずに気合が入り、逆に力んでしまったものである。今年は、あくまでも自然体でいこうと考えている。球審をやろうと、塁審をやろうと、目の前のプレイをジャッジするだけである。それ以上のことは求められていないし、出来ないのである。一度に、二つのアウトはコールできないし、相対する事象は一度に見えない。クルーのメンバーを信じ、一つ一つのプレイに集中することだけ考えてグラウンドに立とうと思っている。
さて、今年はどんな大会になるのやら。本当に楽しみである。

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