週末、今年の初仕事を終えた。今年は春の訪れが早いことから、例年より5日から10日も早いシーズンインである。とは言え、前日の夜半にはミゾレ混じりの雪が降ったようで、朝早くからグラウンド整備をして頂いた、対戦相手チームの関係者および選手の皆様方には感謝以外に言葉がない。北海道の人々は、このシーズンを心待ちにして、寒く苦しい越冬に耐え忍ぶ。昨今では、北海道の家の中の方が東京などより数段暖かいなどと揶揄されて久しいが、北海道の厳寒を経験すると、それがたわ言だと解るであろう。それほどまでに待ち焦がれた球春である。陽が蔭ったり、風が吹いたりすると野球をやるには結構寒く、ドラム缶ストーブで暖を採りながらではあるが、「物好き」には付ける薬がないと言うことか、寒い寒いと言いながらも笑顔が絶えない二日間であった。
最初の大会の開幕までは、もう1ヶ月を切った。それまで、何試合実戦に立てるであろうか。せいぜい5〜6試合であろう。年々歳々、目力が衰えていく中で、いきなり動体視力を試すようなことは結構苦痛ではあるし、精一杯のプレイを繰り返す選手たちに申し訳ないようにも思う。冬期間、シニアの練習に参加しながら、出来る限り投球練習やシート打撃で目の動きを慣らしてはきたが、やはり実戦は違う。
捕手との距離や頭の高さ、打者との間隔、左右の足の位置取り、首の角度や腕の構えなど、基本姿勢だけでもチェックポイントが多々ある。しっかりトラッキングが出来ているのかや、コールのタイミングは早すぎないかなども重要なポイントである。
これらのチェックポイントを、それなりに格好良くすることが、元々アバウトなストライクゾーンに対するジャッジメントを、それらしく見せてくれる。
球審の位置はベンチの声が良く聞こえる。ベンチから、「今の投球がストライクか?」とか「低くないか?」とか「あの高さは、今日はストライクだぞ」とか「今のハーフスイングが空振り採られたの?」などの判定に対する疑問符は、ほとんど聞こえてくる。これにイチイチ反応していると、いかにも言い訳臭くなるし、実際には腹も立つ。特にストライクゾーンの一部しか見えていないのに、判定に疑問を差し挟むのは、気分を害することはあっても、気持ちの良いものでは決してない。つまり、審判員を敵に回すということである。
我々審判員は、誰とも闘っている訳ではないし誰の味方でもない。これが、審判員の最低条件なのであろう。がしかし、微妙な心の動きが働いたように見えるのも、「人間が人間をジャッジする」からなのであろう。
今日は「プレイボール」の重要性を改めて実感した。数年前に、あるベテラン審判員から「ファウルボールの後には、必ずプレイを掛けろ」と言われたことがある。今となっては当たり前のことなのだが、これをおろそかにすると、試合が「野球」になっても「ゲーム」にならない状態になる。つまり、インプレイかボールデッドかの区切りを明確にしないとゲームにならなくなってしまう。
よくあるケースが、走者がいる状態でファウルボールがあり、球審からボールを受け取った投手が走者を牽制で威嚇する行為である。この状態は、投手が投手板に立っていないため「プレイ」を掛けられない。にも関わらず、投手が牽制球を投げてしまい、野手のタッグで塁審が「アウト」または「セーフ」を宣告してしまうケースがある。
また、投球姿勢があいまいな投手に有り勝ちな行為として、セットポジションがいい加減でボークを採られる場合がある。このような投手は、おそらく肩が強いだけの野手であり、マウンド経験が浅い選手に多いように思われる。投手の重要な要素の一つが「マウンド捌き」であろう。「肩の強い野手」と「投手」の大きな違いが「マウンド捌き」であるように思う。つまり「投手としてのセンス」なのであろう。これは、経験が大半を占めるが、最初から備わっている投手もいるから不思議である。出来ない選手は、かなり苦労するようであり、こんような選手は「投手が不向き」なのであろう。
そんな不向きな投手がマウンドにいると、インプレイとデッドのメリハリは重要となってくる。経験の浅い審判員がオープン戦で球審を務めたりすると、ファウルボールの後のプレイを掛け忘れることが見受けられるが、そこに投手が不向きな選手が絡むと、投球姿勢の開始などがあいまいとなり、「ボーク」などが判りづらくなる。
このようなことを考えると、ボークの基準なども逆の面から理解できるような気がする。
折角、球春を迎えたのである。高らかに「プレイボール」をコールしたいものである。
最初の大会の開幕までは、もう1ヶ月を切った。それまで、何試合実戦に立てるであろうか。せいぜい5〜6試合であろう。年々歳々、目力が衰えていく中で、いきなり動体視力を試すようなことは結構苦痛ではあるし、精一杯のプレイを繰り返す選手たちに申し訳ないようにも思う。冬期間、シニアの練習に参加しながら、出来る限り投球練習やシート打撃で目の動きを慣らしてはきたが、やはり実戦は違う。
捕手との距離や頭の高さ、打者との間隔、左右の足の位置取り、首の角度や腕の構えなど、基本姿勢だけでもチェックポイントが多々ある。しっかりトラッキングが出来ているのかや、コールのタイミングは早すぎないかなども重要なポイントである。
これらのチェックポイントを、それなりに格好良くすることが、元々アバウトなストライクゾーンに対するジャッジメントを、それらしく見せてくれる。
球審の位置はベンチの声が良く聞こえる。ベンチから、「今の投球がストライクか?」とか「低くないか?」とか「あの高さは、今日はストライクだぞ」とか「今のハーフスイングが空振り採られたの?」などの判定に対する疑問符は、ほとんど聞こえてくる。これにイチイチ反応していると、いかにも言い訳臭くなるし、実際には腹も立つ。特にストライクゾーンの一部しか見えていないのに、判定に疑問を差し挟むのは、気分を害することはあっても、気持ちの良いものでは決してない。つまり、審判員を敵に回すということである。
我々審判員は、誰とも闘っている訳ではないし誰の味方でもない。これが、審判員の最低条件なのであろう。がしかし、微妙な心の動きが働いたように見えるのも、「人間が人間をジャッジする」からなのであろう。
今日は「プレイボール」の重要性を改めて実感した。数年前に、あるベテラン審判員から「ファウルボールの後には、必ずプレイを掛けろ」と言われたことがある。今となっては当たり前のことなのだが、これをおろそかにすると、試合が「野球」になっても「ゲーム」にならない状態になる。つまり、インプレイかボールデッドかの区切りを明確にしないとゲームにならなくなってしまう。
よくあるケースが、走者がいる状態でファウルボールがあり、球審からボールを受け取った投手が走者を牽制で威嚇する行為である。この状態は、投手が投手板に立っていないため「プレイ」を掛けられない。にも関わらず、投手が牽制球を投げてしまい、野手のタッグで塁審が「アウト」または「セーフ」を宣告してしまうケースがある。
また、投球姿勢があいまいな投手に有り勝ちな行為として、セットポジションがいい加減でボークを採られる場合がある。このような投手は、おそらく肩が強いだけの野手であり、マウンド経験が浅い選手に多いように思われる。投手の重要な要素の一つが「マウンド捌き」であろう。「肩の強い野手」と「投手」の大きな違いが「マウンド捌き」であるように思う。つまり「投手としてのセンス」なのであろう。これは、経験が大半を占めるが、最初から備わっている投手もいるから不思議である。出来ない選手は、かなり苦労するようであり、こんような選手は「投手が不向き」なのであろう。
そんな不向きな投手がマウンドにいると、インプレイとデッドのメリハリは重要となってくる。経験の浅い審判員がオープン戦で球審を務めたりすると、ファウルボールの後のプレイを掛け忘れることが見受けられるが、そこに投手が不向きな選手が絡むと、投球姿勢の開始などがあいまいとなり、「ボーク」などが判りづらくなる。
このようなことを考えると、ボークの基準なども逆の面から理解できるような気がする。
折角、球春を迎えたのである。高らかに「プレイボール」をコールしたいものである。
コメント
僕も4月29日に大学リーグ戦デビューすることになりました。うちのリーグは甲子園でもお馴染みの審判が多いので楽しみです。
頑張って下さい。
また、愚息をよろしくね。