桑田真澄
2008年4月1日今年の北海道は雪融けも早く、4月になった暦とともに、本格的にシーズンインとなりそうだ。今度の週末には少年野球から大学野球まで、多くの学生チームがオープン戦に突入するだろう。我々審判員も、待ちに待った球春が、いよいよ始まる。大いに意気込んでいこうと思う。
海の向こうでは、大リーグも本格的に開幕したようだ。日本人選手が大挙して在籍するようになった昨今では、「パ・リーグ」と「セ・リーグ」と「大リーグ」という風に並列で報じられることが多いため、日本のどこかでやっているのではと勘違いしてしまうほど身近になった。日本野球の一流どころが名を連ねているのであるから、是非とも頑張ってもらいたい。
しかし、寂しいニュースもあった。日本を、巨人を追われる様に去り、苦境を乗り越えて見事に見返すように花開いた中年の星「桑田真澄」投手が引退を表明してしまったのだ。
一時代を築き上げた投手の最後としては、寂しすぎる巨人の非礼な扱いに対して、媚びる訳でもなく、中傷する訳でもなく、ただ純粋に野球に向き合った結果が、「大リーグ挑戦」であったのであろう。他人の揚げ足をとって皮肉を言っている自分が恥ずかしくなるような純粋さである。
そんな桑田投手に対して、野球の神様は冷たかった。まるで、桑田投手の純粋な「野球への思い」を試すかのように試練を与え続けた。昨年はオープン戦で靱帯損傷の大怪我をし、年齢的なことから引退も囁く周囲の雑音にも迷わされることもなく、夏に大リーグのマウンドに立っていた。ヤンキースタジアムでの勇姿は眩しいほどであった。背番号18を貰い涙する姿などは、思わずもらい泣きをしてしまった。同年代としては、自分のことのように嬉しい限りである。
しかし喜びも長くは続かず、結局はシーズン途中でマイナーに戻り、そのままシーズンオフとなった。春先の足首の怪我が完治しておらず、それが彼のパフォーマンスを低下させていたようである。アメリカでの夢を一応達成した桑田投手は、恩師であるジョーブ博士に挨拶に行き、そのまま引退かと思われていた。
しかし、彼のモチベーションは継続していた。夢の途中であったのだ。それが、恩師の「手術をすれば、未だやれる」の一言で、消えかけた炎を再燃させたようだ。
今年、大リーグのキャンプで活躍する桑田投手のニュースに触れるたび、きっと彼はずっと野球を続けるのだろうと感じていた。桑田投手が野球を辞める理由が見つけられなかったのだ。野球小僧で泥んこになって夢を追うのだろうと思い込んでいた。
今思えば、桑田投手は「死に場所」を探しにアメリカに渡ったのかもしれない。
まるで、矢吹丈のように燃え尽きてしまったのだろう。
お疲れ様でした。
海の向こうでは、大リーグも本格的に開幕したようだ。日本人選手が大挙して在籍するようになった昨今では、「パ・リーグ」と「セ・リーグ」と「大リーグ」という風に並列で報じられることが多いため、日本のどこかでやっているのではと勘違いしてしまうほど身近になった。日本野球の一流どころが名を連ねているのであるから、是非とも頑張ってもらいたい。
しかし、寂しいニュースもあった。日本を、巨人を追われる様に去り、苦境を乗り越えて見事に見返すように花開いた中年の星「桑田真澄」投手が引退を表明してしまったのだ。
一時代を築き上げた投手の最後としては、寂しすぎる巨人の非礼な扱いに対して、媚びる訳でもなく、中傷する訳でもなく、ただ純粋に野球に向き合った結果が、「大リーグ挑戦」であったのであろう。他人の揚げ足をとって皮肉を言っている自分が恥ずかしくなるような純粋さである。
そんな桑田投手に対して、野球の神様は冷たかった。まるで、桑田投手の純粋な「野球への思い」を試すかのように試練を与え続けた。昨年はオープン戦で靱帯損傷の大怪我をし、年齢的なことから引退も囁く周囲の雑音にも迷わされることもなく、夏に大リーグのマウンドに立っていた。ヤンキースタジアムでの勇姿は眩しいほどであった。背番号18を貰い涙する姿などは、思わずもらい泣きをしてしまった。同年代としては、自分のことのように嬉しい限りである。
しかし喜びも長くは続かず、結局はシーズン途中でマイナーに戻り、そのままシーズンオフとなった。春先の足首の怪我が完治しておらず、それが彼のパフォーマンスを低下させていたようである。アメリカでの夢を一応達成した桑田投手は、恩師であるジョーブ博士に挨拶に行き、そのまま引退かと思われていた。
しかし、彼のモチベーションは継続していた。夢の途中であったのだ。それが、恩師の「手術をすれば、未だやれる」の一言で、消えかけた炎を再燃させたようだ。
今年、大リーグのキャンプで活躍する桑田投手のニュースに触れるたび、きっと彼はずっと野球を続けるのだろうと感じていた。桑田投手が野球を辞める理由が見つけられなかったのだ。野球小僧で泥んこになって夢を追うのだろうと思い込んでいた。
今思えば、桑田投手は「死に場所」を探しにアメリカに渡ったのかもしれない。
まるで、矢吹丈のように燃え尽きてしまったのだろう。
お疲れ様でした。
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