順風満帆

2008年2月22日
北海道日本ハムファイターズの中田翔選手がもがき苦しんでいる。新聞紙上では、「野球人生初、屈辱のスタメン落ち」などと大袈裟に書かれている。新聞や雑誌、そしてテレビやラジオなどのニュースは、読者や視聴者が居て、初めて成り立つ商売であるから、できるだけ興味を惹くようにデザインされるのは仕方のないところである。問題は、それらの情報を、いかに自分の中で消化するかに掛かっており、読者や視聴者側の心理状態や分析能力は問われる時代となっている。ある意味、面倒臭い時代である。
ただ、十人十色という言葉のとおり、一つの事象に対する物の見方・考え方は様々あってしかるべきであり、事象の本質は、最も関わりの強い人間の判断や分析により結果が決まるのであろう。
それに批評を加えることは勝手であるが、どんなに立派なことを言っても「野次馬」であることに変わりはない。例え、それが恩師であろうと、親であろうと、夫婦であろうと。結局は、自分自身でもがき苦しんだ上で、結論を見い出すしかないのであろう。

良く考えれば、当たり前のことである。つい、先日まで高校球児だった選手が、いきなりプロの球を打てという方が無理な話である。そこは「超高校級」とか「スーパールーキー」などと、頼んでもいない冠をマスコミが付けたものだから、ファンは期待をどんどん膨らませるのであるが、彼も昨年の夏には予選で涙を呑んだ高校球児だったのである。

野球を含めたスポーツで、一つ上のステージに上がった時、真っ先に戸惑うのが「スピード」の違いであろう。それに加えて、どんな世界の「新人」も、新しい環境へ順応するため心身ともに疲弊するのである。つまり、中田選手は小学校に入学したピカピカの1年生の心境と、なんら変わらないのである。
ただし、色んな冠が付くだけのことはあり、スピードが速くなった「違い」には対応したようで、いきなり場外弾を打ち込んだ当りは流石である。
今、彼が苦しんでいるのは、「スピードの違い」のもうひとつの側面である「変化球」である。日本人の変化球のイメージは、「大きく曲がり落ちるカーブ」などに代表されるように、その軌道の変化のイメージが強いが、「変化球」の本来の目的は、打者のタイミングを外すことである。つまり、「ちょっと遅い」スピードへの対応が出来ていないのであろう。

審判員もステージが上がることで、スピードへの対応が最も気になるところだと思う。春先は、最もスピードへの対応が難しい。日常生活にないスピードの物体の動向を判定しなくてはならないからである。
シニア野球で育った私が、練習試合といえ高校野球の球審をお願いされた時に、真っ先に気になったのが「スピード」への対応である。高校生が投げる速球を判定できるか不安であった。一方で、スピードに対する恐怖心もあった。
逆に、夏の大会を終えて新人戦が始まると、新チームになることから、いきなりジャッジが楽になる。
北海道は、白い冬に閉ざされてリセット期間が長いため、毎年春先の対応に苦慮している。
なかなか、順風満帆とはいかないものだよ、中田君。

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