視界良好

2008年2月21日
北海道はまだまだ雪深く、まったく球春の気配も感じないが、それでも、もう二月もすると球音が聞こえるようになる。先日、開催されたシニアの総会の席では、各チームの監督たちが練習試合の日程を決めていたようである。我々審判員も、そろそろ準備段階に入らなければならないのだろう。
年々歳々、老いへの恐怖心に苛まれながらも、体力・気力を奮い立たせる準備が必要である。選手たちの年齢は、毎年同じなのに、我々審判員は確実に衰える方向へ向かっているのである。
一番気になるのは、目である。審判員の命とも言うべき、目力の衰えは注意が必要だ。自動車の運転と同じで、動体視力や見てからの判断力に衰えを感じた時が、辞する時なのだろう。
今は、少なからず積み重ねた経験を基に、テクニックを駆使して目力の衰えをカバーしているが、年々視界が狭くなっているのは事実であろう。
審判員は、広い視野も必要であり、ここぞの場面は一点集中の視力も必要である。しかし、集中して見ているばかりに、見えないこともあるのも事実である。正に、「灯台基暗し」の状態なのであろう。時には漠然と見ることも必要と感じている。その使い分けは、自分で試してみるしかない。あからさまに試すわけにはいかないが、チャンスがあれば実行することをお薦めする。

さて、1月の東京で開催された講習会で指摘を受けたことを開陳しよう。球審の視界に関する注意事項である。
アマチュア野球では、スロットスタンスが主流である。捕手と打者の隙間に位置することから、このように呼ばれている。球審の大きな役割は、ストライクゾーンの判定であることは周知のとおりである。このストライクゾーンは空中の五角柱を、ボールが通過したか否かを判定するのである。とはいえ、見えない五角柱であるのと、打者の構えによって、その大きさが変化するという、何とも厄介な基準である。世の中に、これほどいい加減な基準があるのかと思われるようなことを、瞬時に判断し、判定してコールすることを審判員は求められている。
逆に言うと、基準がいい加減なのであるから、ある程度アバウトに考えても良いのかもしれない、と考えるようになってから、判定が安定してきたのは、何とも皮肉なものである。球審をやりだした駆け出しの時代には、「正確に見よう、見よう」としたあまりに、見えなかったことが沢山あったし、明らかなミスジャッジもあったように思う(それでも、試合は進行し、終了するのだが・・・)。
コースを正確に見ようとすると、ホームベースの中心に身体の中心を合わせるのが、最も見やすいのであろう。一方、高さを正確に見ようとすると、真横から見るのが間違いない。審判員のトレーニングのひとつに、真横から高さの確認をする手法があるが、これは実に良く見える。
と言うことは、球審が二人いたら精度の高いジャッジが可能と言うことであろう。しかし、残念ながら球審はひとりである。
そこで、考え出されたのがスロットポジションである。この隙間に入ることで、捕手に被さるように構えることが可能となり、ホームベースがより近くなった。そして何より、アウトコース低目に対する、視界が広がったことである。
講習会では、基本どおりに捕手の足と、自分の足の位置を確認しながら構えたのだが、「まだ遠い、もっと捕手に被され」と指摘された。
また、別の人は頭の位置の低さを指摘されていた。
これらに共通することは、自分の目の前の視界を広く確保することである。捕手に近付き、捕手の頭にあごを乗せることで、ホームベースへの視界が大きく変わるのである。
球審のポジショニングと構えのチェックポイントを、また一つ会得したように感じている。
キーワードは「視界良好か?」である。

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