古都
2008年2月15日20数年ぶりに京都を訪れた。
以前訪れた時は、まだ独身ということもあり、麻のジャケットを着て、レイバンのサングラスをして、肩で風を切って闊歩していた記憶がある。当時は、レンタカーを借りるというアイディアは浮かばず、電車と地下鉄を駆使して、古都を歩き回っていた。
今回は、息子の引越しの為の上洛であり、時間があれば観光でもしようかと考えて四泊五日の小旅行を計画したのだが、甘かった。とにかく、京都といえど真冬である。寒い・寒い・・・。
宿泊先も、火の気がなく、あるのはエアコンと床暖マット。そして電気ストーブで、本当に寒い。風呂に入る気力が薄れるほど、底冷えする。オマケに、小旅行の中日には、日中大雪が降ってしまった。
レンタカーを借りて、東へ西へと走り回っていたのだが、さすがに積雪の中を夏タイヤで走る気は起きなかった。
しかし、地元の人々は、ある意味慣れているのか、夏タイヤで雪降る中を普通に走っていた。
そんな中、大学で野球部のマネージャーをやりながら、審判の勉強をしている、息子の先輩に久し振りにあった。
高校時代の体型からすると、ちょっと太った感じではあるが、すっかり大人の雰囲気である。
初めて会ったのは、丁度3年前で、彼が高校3年の春である。その当時から、プレイヤーの道を断念して、裏方に徹していた彼の仕事の一つが、練習試合の球審である。
そんな彼に、自分の経験談を伝え、何かとアドバイスを送っていた仲である。
そんな彼の話によると、今シーズンから大学の公式リーグ戦でジャッジをすると言うことである。ある意味、うらやましい話である。
審判員を続けていると、どんなレベルであれ、公式戦でグラウンドに立つということは非常に名誉なことであり、全然違うプレッシャーを感じる喜びもあることを知ってしまう。
ましてや、高校野球の厳しい規律のタガが外れた大学生の試合のジャッジは大変である。
彼らは、ある意味で「審判」のジャッジに公正さではなく、失敗した理由を求める傾向があるようである。
「自分が失敗した原因は、審判のジャッジにある」と思いたいのである。自分の技術や心の未熟さは横に置き、兎に角、そう思いたいようである。そこには、審判員の中立性は必要ないのである。
WBCで世界一となり、オリンピック出場も決まって、今や日本の野球は輝いているように思われている。しかし、それが仮初である事は、スター選手の大リーグ流出が停まらないことからも明らかであろう。日本野球の盟主を自負する球団が、今年のFAの目玉選手を大リーグ球団と競った時に、「法外な値段」という捨て台詞を残して撤退した話があったが、果たしてそうであろうか。大リーガーと日本のプロ野球選手の年俸差は、今や「月とスッポン」である。日本の一流選手が、大リーグで力試しをしたくなる気持ちも良く解る。彼らは、選手としての本当の評価を求めているに過ぎないのであろう。大会社のスポンサーが後ろ盾としている日本の球団は、球団経営を本気で考える必要がないことから、ほとんどが赤字である。赤字ゆえに、選手の年俸が抑えられるのである。この悪循環に早く気付かなければ、日本のプロ野球の未来はない。いっそ、大リーグの下部組織になってしまった方が良いのかもしれない。
日本の野球は、大学野球がルーツである。一時は職業野球よりも早慶戦の方が人気があったのである。そんな状況ゆえに、学閥が幅を利かせている。
日本の野球界に蔓延り続ける「縦社会」の象徴が「大学野球」であろう。これを打破しなければ、日本の野球の未来は暗いと思っているのは、私だけなのだろうか。
古都・京都の風に吹かれ、思うことの多い小旅行であった。
以前訪れた時は、まだ独身ということもあり、麻のジャケットを着て、レイバンのサングラスをして、肩で風を切って闊歩していた記憶がある。当時は、レンタカーを借りるというアイディアは浮かばず、電車と地下鉄を駆使して、古都を歩き回っていた。
今回は、息子の引越しの為の上洛であり、時間があれば観光でもしようかと考えて四泊五日の小旅行を計画したのだが、甘かった。とにかく、京都といえど真冬である。寒い・寒い・・・。
宿泊先も、火の気がなく、あるのはエアコンと床暖マット。そして電気ストーブで、本当に寒い。風呂に入る気力が薄れるほど、底冷えする。オマケに、小旅行の中日には、日中大雪が降ってしまった。
レンタカーを借りて、東へ西へと走り回っていたのだが、さすがに積雪の中を夏タイヤで走る気は起きなかった。
しかし、地元の人々は、ある意味慣れているのか、夏タイヤで雪降る中を普通に走っていた。
そんな中、大学で野球部のマネージャーをやりながら、審判の勉強をしている、息子の先輩に久し振りにあった。
高校時代の体型からすると、ちょっと太った感じではあるが、すっかり大人の雰囲気である。
初めて会ったのは、丁度3年前で、彼が高校3年の春である。その当時から、プレイヤーの道を断念して、裏方に徹していた彼の仕事の一つが、練習試合の球審である。
そんな彼に、自分の経験談を伝え、何かとアドバイスを送っていた仲である。
そんな彼の話によると、今シーズンから大学の公式リーグ戦でジャッジをすると言うことである。ある意味、うらやましい話である。
審判員を続けていると、どんなレベルであれ、公式戦でグラウンドに立つということは非常に名誉なことであり、全然違うプレッシャーを感じる喜びもあることを知ってしまう。
ましてや、高校野球の厳しい規律のタガが外れた大学生の試合のジャッジは大変である。
彼らは、ある意味で「審判」のジャッジに公正さではなく、失敗した理由を求める傾向があるようである。
「自分が失敗した原因は、審判のジャッジにある」と思いたいのである。自分の技術や心の未熟さは横に置き、兎に角、そう思いたいようである。そこには、審判員の中立性は必要ないのである。
WBCで世界一となり、オリンピック出場も決まって、今や日本の野球は輝いているように思われている。しかし、それが仮初である事は、スター選手の大リーグ流出が停まらないことからも明らかであろう。日本野球の盟主を自負する球団が、今年のFAの目玉選手を大リーグ球団と競った時に、「法外な値段」という捨て台詞を残して撤退した話があったが、果たしてそうであろうか。大リーガーと日本のプロ野球選手の年俸差は、今や「月とスッポン」である。日本の一流選手が、大リーグで力試しをしたくなる気持ちも良く解る。彼らは、選手としての本当の評価を求めているに過ぎないのであろう。大会社のスポンサーが後ろ盾としている日本の球団は、球団経営を本気で考える必要がないことから、ほとんどが赤字である。赤字ゆえに、選手の年俸が抑えられるのである。この悪循環に早く気付かなければ、日本のプロ野球の未来はない。いっそ、大リーグの下部組織になってしまった方が良いのかもしれない。
日本の野球は、大学野球がルーツである。一時は職業野球よりも早慶戦の方が人気があったのである。そんな状況ゆえに、学閥が幅を利かせている。
日本の野球界に蔓延り続ける「縦社会」の象徴が「大学野球」であろう。これを打破しなければ、日本の野球の未来は暗いと思っているのは、私だけなのだろうか。
古都・京都の風に吹かれ、思うことの多い小旅行であった。
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