早目の球春
2008年1月30日先日、東京で催された全日本リトルシニア委員会の審判講習会に参加してきた。北海道から九州までのリトルシニア連盟から250名にも及ぶ審判員が参加し、アマチュア球界トップの審判員の方が10名も講師として来て下さった。
東京と言えども、まだまだ1月。朝はグラウンドも凍った状態である。
しかし、そこはシニア発祥の地調布。リトルリーグの選手たちが、朝の8時前から大きな声で練習に励んでいた。昼近くになると、「1番サード○○君」なるアナウンスが聞こえてきた。1月に小学生たちの野球の試合を観戦できるとは思ってもいなかった。さすがに、雪の少ない地域は恵まれている。
我々審判員も、それに負けじと、9時から班分けをして講習会スタート。もちろん、実技。基本動作の反復がほとんどであるが、これが重要なのである。結局、1試合の中で、最も多く使われるジャッジや動きが、「基本」と呼ばれるのであるから、これを繰返し練習することが上達の早道なのである。この他に「道はなし」と言うことであろう。
その最もベーシックな動作が、「GO-STOP-CALL」である。「GO」で緩やかにスタートし、「STOP」でスムーズに停まる。そして、プレイをイメージして「CALL」する。あくまでも、落ち着いて、ゆっくりとを意識することが重要のようだ。
ここで、急激な動きをして練習することは、何の意味も持たない。結局、それが試合で出てしまうのである。慌てて動いて、急ブレーキで立ち止まり、プレイが終わる前に「判定」を決め付けてしまう。これでは、正確な「ジャッジ」は望めないし、信頼を勝ち取ることもできない。
野球の審判員のジャッジは、すべてが正解ではない。というよりも、人間の能力で判定できないような限界のプレイもある。つまり、「アウト」でも「セーフ」でも良いようなプレイなどである。
ここで信頼される審判員とは、正しいポジショニングと姿勢でプレイを観て、正しいタイミングでジャッジする方をいうのであろう。
ジャッジの正確さは、ビデオ判定で確認すれば白黒をハッキリさせることができるかもしれない。しかし、それは何の意味も持たない。
人間がプレイし、人間がジャッジするから珍プレー好プレーが生まれるのであり、何年経っても色々なシーンを思い出しては、時間を忘れて語り合えるのである。
そうあって欲しいがために、審判員は寒風吹きすさぶ中で、準備を進めているのである。今年も、選手たちとともにグラウンドに立ち、彼等の全力プレイを支えるために。
「今年も、全力でジャッジするぞ」と意気込むものの、球春まだ遠く・・・
早目の球春を楽しんだ1日であった。
東京と言えども、まだまだ1月。朝はグラウンドも凍った状態である。
しかし、そこはシニア発祥の地調布。リトルリーグの選手たちが、朝の8時前から大きな声で練習に励んでいた。昼近くになると、「1番サード○○君」なるアナウンスが聞こえてきた。1月に小学生たちの野球の試合を観戦できるとは思ってもいなかった。さすがに、雪の少ない地域は恵まれている。
我々審判員も、それに負けじと、9時から班分けをして講習会スタート。もちろん、実技。基本動作の反復がほとんどであるが、これが重要なのである。結局、1試合の中で、最も多く使われるジャッジや動きが、「基本」と呼ばれるのであるから、これを繰返し練習することが上達の早道なのである。この他に「道はなし」と言うことであろう。
その最もベーシックな動作が、「GO-STOP-CALL」である。「GO」で緩やかにスタートし、「STOP」でスムーズに停まる。そして、プレイをイメージして「CALL」する。あくまでも、落ち着いて、ゆっくりとを意識することが重要のようだ。
ここで、急激な動きをして練習することは、何の意味も持たない。結局、それが試合で出てしまうのである。慌てて動いて、急ブレーキで立ち止まり、プレイが終わる前に「判定」を決め付けてしまう。これでは、正確な「ジャッジ」は望めないし、信頼を勝ち取ることもできない。
野球の審判員のジャッジは、すべてが正解ではない。というよりも、人間の能力で判定できないような限界のプレイもある。つまり、「アウト」でも「セーフ」でも良いようなプレイなどである。
ここで信頼される審判員とは、正しいポジショニングと姿勢でプレイを観て、正しいタイミングでジャッジする方をいうのであろう。
ジャッジの正確さは、ビデオ判定で確認すれば白黒をハッキリさせることができるかもしれない。しかし、それは何の意味も持たない。
人間がプレイし、人間がジャッジするから珍プレー好プレーが生まれるのであり、何年経っても色々なシーンを思い出しては、時間を忘れて語り合えるのである。
そうあって欲しいがために、審判員は寒風吹きすさぶ中で、準備を進めているのである。今年も、選手たちとともにグラウンドに立ち、彼等の全力プレイを支えるために。
「今年も、全力でジャッジするぞ」と意気込むものの、球春まだ遠く・・・
早目の球春を楽しんだ1日であった。
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