愚行の成れの果て

2008年1月29日
大リーグには色々な球団があるが、その特徴は「長」であるオーナーの性格が色濃く反映されている場合が多い。日本のプロ野球は企業が宣伝効果を期待して球団を持つことが、ほとんどであったが、大リーグでは、今でも個人で球団を持つ変わり者がいるのには驚かされる。
スポーツメーカーとしての草分けであるスポルディング社は、その創設者が球団を所有していた。この当時の野球は、正に興行であり、その位置付けはサーカスやプロレスと同様であった。観客が集まり、お金になると思えば、そこに投資したのである。また、アイディアを出し、客寄せのためならルールまで変えてしまったのである。時代が流れ、野球のスポーツ化が進むと、興行師であるスポルディングにとっては、面白味が欠けてきつつあるところに、常識人が大勢を占め出した大リーグ機構にとっては、ふさわしい存在とは映らなかったのであろう。
さてさて、現代の日本のアマチュア野球界では、どうであろうか。一時期には沢山あった社会人野球チームは、昨今の不況の煽りを喰らい、どんどん休部に追い込まれている。休部とは名ばかりで、廃部である。北海道にも沢山あった社会人野球チームも、今やJR北海道が最後の砦のようになってしまった。
「たくぎん」「大昭和製紙北海道」「王子製紙」「日産サニー」「NTT北海道」・・・。
これは、所有する企業の業績不振が原因で、浪費する金額の割には宣伝効果しか見込めない、「道楽息子」を勘当するような感覚だったであろう。
少年野球の世界にも、どうしようもない指導者や球団代表が沢山いる。子供たちは野球をやりたくて集まっているのに、球団の方針を理解できないのであれば、辞めてもらって結構などということを平気で言ってしまう馬鹿な責任者もいる。
こうなると、責任者と呼ぶのもおこがましい。所詮、お山の大将のボス猿であり、すでに子分がいなくなっていることが判らずに吠えているのである。
「団体」とは、ある共通項目について同じような目的を持ち、協力しあって楽しもうとすることであろう。その内、一つでも違う方向を向いた人間は、団体に所属する権利を失うのである。団体の方向性は所属する権利を持った、つまり同じ目的を持ち協力し合える人たちが方向性を決めれば良いのである。その時代に則した、その時のメンバーに合致した方向性を決定すれば良いのであり、団体のポリシーや理念などは、変化するのが当たり前であるし、変化しない方が気持ちが悪い。
ましてや、金も出さないのに創設者の一員だというだけで、オーナー気取りで気持ちの悪い理念を振り回す輩は、何とも哀れである。
少年野球やシニア野球の中心は、当たり前だが「子供たち」である。そのサポートをするのが父兄であり、指導者である。その場を提供したり、活動がスムーズに進行することをサポートするのが球団の役割である。
シニアの名門球団が窮地に立たされている。我がチームも窮地に立たされた時があった。その際に、色々と面倒を見てくれた恩義がある。何か力になってあげたいと考えている。春が来たら、少しでも力になってあげたい。
これも、球団や企業の愚行の成れの果てである。
我が球団も、共通の目的意識を持って行かなければ、いつ一人の馬鹿の愚行に振り回される結果となるか判らないのである。
しっかりと、足許を見つめていたい。

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