イチロー選手の哲学
2007年12月27日今年も残す所、あとわずかとなった。毎年のことではあるが、年末の忙しさは半端でないため、なかなかブログも更新できずにいた。年の瀬も押し迫っているというのに往生際が悪いということである。
往生際という点では、一塁への「ヘッドスライディング」も、そのひとつであろう。我が愚息も、最後の夏に2度ほど敢行していた。日頃から「無駄な愚行」であり「大怪我」のリスクも背負う行為であるからと言い聞かせているのに、高校野球の「麻薬効果」は恐ろしい。
イチロー選手とソフトバンクの川崎選手が合同自主トレを行った記事に触れた。しかし、イチロー選手は豪くご立腹であったようである。川崎選手の態度次第では「もう合同ではやらない」という状況であったようである。その原因となっているのが、先日実施された北京五輪のアジア地区予選における、川崎選手の一塁への「ヘッドスライディング」であったという。イチロー選手のプレイスタイルには、一塁へのヘッドスライディングは格好が悪いということで、あり得ないプレイと言うことのようだ。その最たる理由が「走り抜けた方が速い」と「怪我のリスクがある」ということだ。
シニアや高校野球では、一塁へのヘッドスライディングを奨励しているチームもあるように感じる。何を根拠に、あの危険なプレイを推奨するのか不思議でならない。確か、桑田選手や清原選手と同世代のPL学園の選手は、一塁へのヘッドスライディングで「頚椎損傷」の大怪我を負い、車椅子生活をされている方がいたように記憶している。
そのように「危険なプレイ」ゆえにリトルリーグでは、「一塁へヘッドスライディングを試みた段階でアウトを宣告する」というローカルルールがあった(今もあるのであろうか)。確かに5年ほど前には、実際にあったルールである。リトルリーグの目的から考えると、至極当たり前のように感じるルールであったように記憶している。
一塁塁審をしていると、内野ゴロでフォースプレイの準備をしている時に、打者走者がヘッドスライディングを敢行した段階で「何故?」と感じてしまう。明らかに、走り抜けた方が速いのに「何故?」と感じてしまう。私などは「何故?」と感じた時点で、心の中で右手はコブシを握っているかもしれない。今年も、何度かそのようなプレイがあったが、ほとんどが「アウト」であったように記憶している。
シニアの場合、一塁への悪送球は非常に多い。一度、腹ばいで寝てしまった状態から、悪送球を確認して二塁へ向かうのは大変であり、もしかすると三塁を奪えたタイミングも失う可能性が高い。戦術面からも、決して推奨できるプレイでないのであろう。
先ほどの川崎選手などは、初回一死からのプレイであるから、チームを鼓舞する意味合いが強いのであろうが、その考え方自体が大間違いである。ダッグアウト内の登録選手を代表して出場機会を得ている選手がリスクの多いプレイをされたら、控に回った選手は、どのように感じるであろうか。
時に孤独感を漂わせる孤高の天才・イチロー選手の哲学には、野球のプレイに対してストイックなまでの理論に包まれていることを再確認する記事であった。
往生際という点では、一塁への「ヘッドスライディング」も、そのひとつであろう。我が愚息も、最後の夏に2度ほど敢行していた。日頃から「無駄な愚行」であり「大怪我」のリスクも背負う行為であるからと言い聞かせているのに、高校野球の「麻薬効果」は恐ろしい。
イチロー選手とソフトバンクの川崎選手が合同自主トレを行った記事に触れた。しかし、イチロー選手は豪くご立腹であったようである。川崎選手の態度次第では「もう合同ではやらない」という状況であったようである。その原因となっているのが、先日実施された北京五輪のアジア地区予選における、川崎選手の一塁への「ヘッドスライディング」であったという。イチロー選手のプレイスタイルには、一塁へのヘッドスライディングは格好が悪いということで、あり得ないプレイと言うことのようだ。その最たる理由が「走り抜けた方が速い」と「怪我のリスクがある」ということだ。
シニアや高校野球では、一塁へのヘッドスライディングを奨励しているチームもあるように感じる。何を根拠に、あの危険なプレイを推奨するのか不思議でならない。確か、桑田選手や清原選手と同世代のPL学園の選手は、一塁へのヘッドスライディングで「頚椎損傷」の大怪我を負い、車椅子生活をされている方がいたように記憶している。
そのように「危険なプレイ」ゆえにリトルリーグでは、「一塁へヘッドスライディングを試みた段階でアウトを宣告する」というローカルルールがあった(今もあるのであろうか)。確かに5年ほど前には、実際にあったルールである。リトルリーグの目的から考えると、至極当たり前のように感じるルールであったように記憶している。
一塁塁審をしていると、内野ゴロでフォースプレイの準備をしている時に、打者走者がヘッドスライディングを敢行した段階で「何故?」と感じてしまう。明らかに、走り抜けた方が速いのに「何故?」と感じてしまう。私などは「何故?」と感じた時点で、心の中で右手はコブシを握っているかもしれない。今年も、何度かそのようなプレイがあったが、ほとんどが「アウト」であったように記憶している。
シニアの場合、一塁への悪送球は非常に多い。一度、腹ばいで寝てしまった状態から、悪送球を確認して二塁へ向かうのは大変であり、もしかすると三塁を奪えたタイミングも失う可能性が高い。戦術面からも、決して推奨できるプレイでないのであろう。
先ほどの川崎選手などは、初回一死からのプレイであるから、チームを鼓舞する意味合いが強いのであろうが、その考え方自体が大間違いである。ダッグアウト内の登録選手を代表して出場機会を得ている選手がリスクの多いプレイをされたら、控に回った選手は、どのように感じるであろうか。
時に孤独感を漂わせる孤高の天才・イチロー選手の哲学には、野球のプレイに対してストイックなまでの理論に包まれていることを再確認する記事であった。
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