GM会議
2007年11月7日大リーグのGM(ゼネラルマネージャー)会議で、歴史的な決定がなされた。
野球の審判の判定に対して、「ビデオ判定」を採用する決議がなされたのである。ただし、本塁打の判定に限ってということではあるが、大リーグ機構の幹部は「我々はビデオ導入に向けて、最初の段階に入った」と意味深長なコメントを発表している。
ビデオ判定で審議されるのは、フェンス際やポールぎりぎりの際どい本塁打の判定に限られており、打球がポールのどちら側を通過したのか、ファンの妨害があったのか、フェンスのどの部分に当たったのか、などを審判員らが映像で確認することになるそうだ。
導入の予定は未定であり、これから詳細の部分を協議していく段階である。
このような流れを、どのように捉えればよいのであろうか。今年も、他の競技において「疑惑の判定」なるものがマスコミを賑わせた。女子レスリングの浜口京子選手の判定に関しては、ビデオによる確認を併用して判定することとなっている「合法的ルール」を無視して試合を終了させた上に、審判団の最高責任者が「誤審」を認めるという体たらくであった。あれは「誤審」という「高度なミステイク」ではなく、ルール適用を軽んじた「初歩的なケアレスミス」であり、議論の余地がない。
歴史的な決定事項ではあるが、これがどのような波紋を呼ぶかは予想ができないし、数年後の回顧録において必ずしも「革命的な良法であった」となっているかは甚だ疑問である。
決定したのが、経営者側のGM会議であることも気にかかる。大リーグ機構における審判団の地位が高いのは良く知られており、数年前には審判団のストライキで大リーグが開催されなかったこともあるぐらいである。完全に独立した権威であることから、本塁打に限定してはいるものの、自分たちの領分を侵されることを簡単に受け入れるとは考えにくいのだが。さてさて、どのような顛末となるやら、今後注目である。
日本でも際どいプレイがあるたびに、ビデオ判定の是非が話題になる。下手をすると、プロ野球OBまでもが声高らかに唱える始末である。本当に、それで野球は面白くなるのであろうか。コンマ何秒のプレイを、ハイテクを駆使したスローVTRで確認するために、イチイチプレイを停めることに、どのようなドラマが待っているというのであろうか。
野球の判定は、瞬時のプレイの「白黒」を判断し一喜一憂するところにスリリングな要素があるのである。灰色判定はありえないのである。必ず、白か黒なのである。よーく考えてもらいたい。
同点で迎えた最終回ウラ、二死三塁のケース。痛烈なゴロが一塁線に飛んだ。一塁手は横跳びでボールを停めたがジャックル。慌てて拾い、一塁のカバーに走ってきた投手にトスする。走者が早いか、カバーの投手が早いか。セーフであれば、三塁ランナーは本塁到達しているからサヨナラ勝ちであり、アウトであれば延長戦である。選手も観客も一塁塁審のジャッジに最大限に注目するであろう。そして、どちらのジャッジが下ったとしても大きな歓声が上がるのは間違いないのである。
こんな興奮高まるシーンで、「只今の判定は、ビデオにより確認いたしますので、暫くお待ち下さい」となってしまったら、どうであろうか。このような状態を「興醒め」と表現されるのであろう。
実は野球の判定では、このような白黒判定が随所にあり、下手をすると連続してくる場合もある。
私がビデオ導入反対論者である大きな理由のひとつは、「野球がエキサイティングでなくなり、非常に味気なく、つまらないスポーツになる」と考えているからである。
シニアで審判をやっていても、「セーフ」をコールすれば攻撃側の選手・父兄が大喜びをし、「アウト」をコールしたら守備側の選手・父兄から歓声が上がる。時には、反対側から汚い野次や罵声も飛んでくる。際どいプレイが連続してあり、それが自分たちにとって不利な判定が続いた場合など、恨みすら買うこともある。「あの審判のせいで負けた」という言葉が囁かれ、それが耳に届くことも稀ではない。
どうして「たかが野球」の勝敗に一喜一憂していることに感謝できないのであろうか。それほど、野球を楽しんでいるというのに。
「そんなに悔しかったら、一つ二つの誤審で負けるようなチーム作りをするな」と大声で叫びたい。そんなことで、野球の流れは変わらないはずなのだが・・・・・・。
是非とも「勝って驕らず、負けて潔く」という人間であってほしいものである。
野球の審判の判定に対して、「ビデオ判定」を採用する決議がなされたのである。ただし、本塁打の判定に限ってということではあるが、大リーグ機構の幹部は「我々はビデオ導入に向けて、最初の段階に入った」と意味深長なコメントを発表している。
ビデオ判定で審議されるのは、フェンス際やポールぎりぎりの際どい本塁打の判定に限られており、打球がポールのどちら側を通過したのか、ファンの妨害があったのか、フェンスのどの部分に当たったのか、などを審判員らが映像で確認することになるそうだ。
導入の予定は未定であり、これから詳細の部分を協議していく段階である。
このような流れを、どのように捉えればよいのであろうか。今年も、他の競技において「疑惑の判定」なるものがマスコミを賑わせた。女子レスリングの浜口京子選手の判定に関しては、ビデオによる確認を併用して判定することとなっている「合法的ルール」を無視して試合を終了させた上に、審判団の最高責任者が「誤審」を認めるという体たらくであった。あれは「誤審」という「高度なミステイク」ではなく、ルール適用を軽んじた「初歩的なケアレスミス」であり、議論の余地がない。
歴史的な決定事項ではあるが、これがどのような波紋を呼ぶかは予想ができないし、数年後の回顧録において必ずしも「革命的な良法であった」となっているかは甚だ疑問である。
決定したのが、経営者側のGM会議であることも気にかかる。大リーグ機構における審判団の地位が高いのは良く知られており、数年前には審判団のストライキで大リーグが開催されなかったこともあるぐらいである。完全に独立した権威であることから、本塁打に限定してはいるものの、自分たちの領分を侵されることを簡単に受け入れるとは考えにくいのだが。さてさて、どのような顛末となるやら、今後注目である。
日本でも際どいプレイがあるたびに、ビデオ判定の是非が話題になる。下手をすると、プロ野球OBまでもが声高らかに唱える始末である。本当に、それで野球は面白くなるのであろうか。コンマ何秒のプレイを、ハイテクを駆使したスローVTRで確認するために、イチイチプレイを停めることに、どのようなドラマが待っているというのであろうか。
野球の判定は、瞬時のプレイの「白黒」を判断し一喜一憂するところにスリリングな要素があるのである。灰色判定はありえないのである。必ず、白か黒なのである。よーく考えてもらいたい。
同点で迎えた最終回ウラ、二死三塁のケース。痛烈なゴロが一塁線に飛んだ。一塁手は横跳びでボールを停めたがジャックル。慌てて拾い、一塁のカバーに走ってきた投手にトスする。走者が早いか、カバーの投手が早いか。セーフであれば、三塁ランナーは本塁到達しているからサヨナラ勝ちであり、アウトであれば延長戦である。選手も観客も一塁塁審のジャッジに最大限に注目するであろう。そして、どちらのジャッジが下ったとしても大きな歓声が上がるのは間違いないのである。
こんな興奮高まるシーンで、「只今の判定は、ビデオにより確認いたしますので、暫くお待ち下さい」となってしまったら、どうであろうか。このような状態を「興醒め」と表現されるのであろう。
実は野球の判定では、このような白黒判定が随所にあり、下手をすると連続してくる場合もある。
私がビデオ導入反対論者である大きな理由のひとつは、「野球がエキサイティングでなくなり、非常に味気なく、つまらないスポーツになる」と考えているからである。
シニアで審判をやっていても、「セーフ」をコールすれば攻撃側の選手・父兄が大喜びをし、「アウト」をコールしたら守備側の選手・父兄から歓声が上がる。時には、反対側から汚い野次や罵声も飛んでくる。際どいプレイが連続してあり、それが自分たちにとって不利な判定が続いた場合など、恨みすら買うこともある。「あの審判のせいで負けた」という言葉が囁かれ、それが耳に届くことも稀ではない。
どうして「たかが野球」の勝敗に一喜一憂していることに感謝できないのであろうか。それほど、野球を楽しんでいるというのに。
「そんなに悔しかったら、一つ二つの誤審で負けるようなチーム作りをするな」と大声で叫びたい。そんなことで、野球の流れは変わらないはずなのだが・・・・・・。
是非とも「勝って驕らず、負けて潔く」という人間であってほしいものである。
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