クラブチーム
2007年10月2日日本の野球人口は、高校野球をピークに激減する。超先細りのピラミッド型である。裾野が広いと言えば、聞こえのいい話であるが、要は受け皿が足りないのが実情であろう。企業チームの撤退は、もはや時勢の流れであり、都市対抗野球などの社会人野球大会も存続の岐路にあるように感じている。
しかし、私のような野球経験の無い人間でさえも、野球の魅力に引き込まれるのであるから、高校野球経験者で夢を捨てられず、されど受け皿のない現状で、朝野球などに活路を見出そうとするのも理解できる。確かに、野球は楽しくなければならないのであるから、仲間たちと和気藹々とゴムボールと戯れるのも一興であろう。あくまでも、野球を「健康維持とレクレーションとして」と位置付ければ、これでも問題はないのである。
しかし、折角硬式野球を真剣にやっていた時代がある選手たちが、あっさりと軟式野球へ移行してしまうのは勿体ない気がしてならない。野球の原点を考えれば、当然のようにボールは革製、バットは木製となる。
実は、高校野球までは金属バットであるから、まだ本物の野球とは言えないのである。どんなレベルであれ、プレイヤーとして硬式野球に関わって、「生涯野球」を貫く選手が沢山出てきてもらうには、やはり受け皿の問題を解消することが先決となる。「好きなことなら、自分たちで立ち上げろ」と言うは易しである。野球は、特に硬式野球は経済的な援助や球場の確保など問題点が非常に多い。
我々が、小学生の時代には、どこで野球をやろうが文句は言われなかった。家の前で三角ベースをやり、隣近所の窓ガラスを何枚も割り、こっぴどく怒られたものである。しかし、それが元でご近所関係が怪しくなることは無かった。また、学校のグラウンドには、野球をやる子供たちで溢れかえっていたものである。
しかし、昨今は自分の学校のグラウンドでさえ締め出しを食う制度となっている。学校は地域の所有物という考えの下、グラウンドを一般開放という名目で子供たちを締め出しているのである。公園に至っては、かなり以前より「キャッチーボール禁止」の立て札が立っている。その立て札には「サッカーボールを蹴らないで」と併せて「ゴルフの練習禁止」まである。学校の施設や公園は、一体誰が、何の目的で使用するのであろうか。
このような状況下で野球を続けるには、まして硬式野球を続けるには、それなりの施設を持ったチームに所属しなくてはならないのである。中学硬式野球などは、裾野が広いようでいて間口は狭いのが現状なのである。このような状態であるから、高校野球というイベントを終えた多感な青年たちは、好きな野球を苦労をしてまで続けようという気持ちにならないのかもしれない。
近年、四国や新潟にプロリーグが誕生し、各方面でクラブチームが盛んに立ち上がっている。クラブチームを構成しているメンバーは様々のようであり、企業チームにいたメンバーなどが中心になっているチームから、高校や大学のOBを中心にしたチームなど種々雑多である。実際には経営の難しさや活動の維持運営の大変さなどが、黙っていても伝わってくるが、今後も受け皿としての役割を存分に発揮してもらいたいと切に願うばかりである。
私は、息子が軟式野球をやっていた時代に、「イチローと同じボールで野球がしたい」の一言で、リトルリーグへ移籍させた。とは言うものの、その時点ではリトルリーグがどのような運営をしているかとかは、全く知らずに飛び込んだ。結果に対しては、まったくと言って後悔していない。逆に、硬式ボールの魅力に引き込まれたのを鮮明に記憶している。そして、そこで審判という役割と出会うことができたのであるから、あの時の決断は間違っていなかったのである。
しかし、私のような野球経験の無い人間でさえも、野球の魅力に引き込まれるのであるから、高校野球経験者で夢を捨てられず、されど受け皿のない現状で、朝野球などに活路を見出そうとするのも理解できる。確かに、野球は楽しくなければならないのであるから、仲間たちと和気藹々とゴムボールと戯れるのも一興であろう。あくまでも、野球を「健康維持とレクレーションとして」と位置付ければ、これでも問題はないのである。
しかし、折角硬式野球を真剣にやっていた時代がある選手たちが、あっさりと軟式野球へ移行してしまうのは勿体ない気がしてならない。野球の原点を考えれば、当然のようにボールは革製、バットは木製となる。
実は、高校野球までは金属バットであるから、まだ本物の野球とは言えないのである。どんなレベルであれ、プレイヤーとして硬式野球に関わって、「生涯野球」を貫く選手が沢山出てきてもらうには、やはり受け皿の問題を解消することが先決となる。「好きなことなら、自分たちで立ち上げろ」と言うは易しである。野球は、特に硬式野球は経済的な援助や球場の確保など問題点が非常に多い。
我々が、小学生の時代には、どこで野球をやろうが文句は言われなかった。家の前で三角ベースをやり、隣近所の窓ガラスを何枚も割り、こっぴどく怒られたものである。しかし、それが元でご近所関係が怪しくなることは無かった。また、学校のグラウンドには、野球をやる子供たちで溢れかえっていたものである。
しかし、昨今は自分の学校のグラウンドでさえ締め出しを食う制度となっている。学校は地域の所有物という考えの下、グラウンドを一般開放という名目で子供たちを締め出しているのである。公園に至っては、かなり以前より「キャッチーボール禁止」の立て札が立っている。その立て札には「サッカーボールを蹴らないで」と併せて「ゴルフの練習禁止」まである。学校の施設や公園は、一体誰が、何の目的で使用するのであろうか。
このような状況下で野球を続けるには、まして硬式野球を続けるには、それなりの施設を持ったチームに所属しなくてはならないのである。中学硬式野球などは、裾野が広いようでいて間口は狭いのが現状なのである。このような状態であるから、高校野球というイベントを終えた多感な青年たちは、好きな野球を苦労をしてまで続けようという気持ちにならないのかもしれない。
近年、四国や新潟にプロリーグが誕生し、各方面でクラブチームが盛んに立ち上がっている。クラブチームを構成しているメンバーは様々のようであり、企業チームにいたメンバーなどが中心になっているチームから、高校や大学のOBを中心にしたチームなど種々雑多である。実際には経営の難しさや活動の維持運営の大変さなどが、黙っていても伝わってくるが、今後も受け皿としての役割を存分に発揮してもらいたいと切に願うばかりである。
私は、息子が軟式野球をやっていた時代に、「イチローと同じボールで野球がしたい」の一言で、リトルリーグへ移籍させた。とは言うものの、その時点ではリトルリーグがどのような運営をしているかとかは、全く知らずに飛び込んだ。結果に対しては、まったくと言って後悔していない。逆に、硬式ボールの魅力に引き込まれたのを鮮明に記憶している。そして、そこで審判という役割と出会うことができたのであるから、あの時の決断は間違っていなかったのである。
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