公式戦で球審を任されるようになって4年目であるが、当たり前のことだが、初めから今の技術レベルであったわけではない。
私のような父兄上がりの審判員は、養成所などを経て審判員に成るわけではなく、せいぜい春先の審判員講習会を受講し、練習試合などを手伝っているうちに「公式戦」のお手伝いが出来るようになるのである。というよりも、やむにやまれずという理由が大半であろう。当時は、当該チームの球場にチーム審判員が最低一名張り付くのが不文律のようになっていた。それが、チームとしての義務であった。ゆえに、チーム審判員が少ない球団は、苦労するのである。
とは言え、公式戦デビュー当初は、塁審やSBOなどが主である。塁審も三塁塁審がほとんどであり、たまに一塁塁審が割り当てられたりした。
私の場合、この期間が約2年間であり、審判の動きにも、また審判員仲間にも慣れてきた頃に球審を任されるようになった。
最初のうちは、「ストライク・ボール」の判定で目一杯であり、今思えば「見落としのオンパレード」であったのであろう。視野は、相当狭かったと思われる。
私に、公式戦で初めての球審をやらせようと考えられた責任審判員の度量の広さに脱帽してしまう。
デビュー戦は誰しもが経験するものではあるが、そのタイミングが難しい。
そういう意味では、この新人戦は良い機会なのかもしれない。選手たちの技術も、チームワークも不安定な状態であるから、新人審判員のジャッジの不安定さも許されるように思ってしまう。もちろん、正確で安定したジャッジを目指すのであるが、「経験」がものを言う審判員というポジションは、初心者の不安定さは致し方ないように感じている。
この辺りは、選手はもちろん、指導者を始め保護者やその他観客の方々の寛大さにすがるより無い。
とは言うものの、事は勝負事である。自分に不利と思われるジャッジをされ、それがどちらにでも見えるようなプレイであった場合に、「熱くなるな」と言われても、怒り心頭になるのは理解できる気がする。
少しずつだが技術を身につけ、徐々にではあるが信頼を得つつあるように感じている。精一杯ジャッジする姿勢から、少しの遊び(余裕)を持ちながらジャッジする姿勢に移行するときが、いずれ来るように感じてはいる。
しかし球審の経験は、公式戦で未だ50試合に満たない。塁審を含めた公式戦の試合数も100試合に満たない経験しかないのである。まだまだ、色々な経験を積む必要があるであろう。
色々な経験とは、色々なレアケースに遭遇することであろう。最近、色々なレアケースに出会えるようになったのは、それらのレアケースが見えるようになってきたのだと考えている。試合全体、球場全体を鳥瞰するように客観視できて、初めて見えることもある。如何せん、判定は瞬間のことが多いのであるが、ある程度の読みと客観視が判定を助けてくれると思う。
久し振りに一塁塁審をやると、色々な動きが不安になる。お陰で、ハーフスイングのリクエストに「ノースイング」と応えるべきところを、「セーフ」と応えてしまった。恥ずかしかったが、二度目は「ノースイング」とコールできた。これは「読み」が浅かった。予測が中途半端だった。
もっと凄いのは、「オフ・ザ・バック」のコールを忘れてしまい、「ノータッグ」と訳の分からないコールをしていたことである。その後、ボールが本塁へ転送され、クロスプレイとなったために歓声が上がり、私のでたらめコールはかき消されたが、自分の情けなさに独りで「のり・つっこみ」状態であった。
やはり、経験なのであろう。
技術を手に入れるのには沢山の経験を積む必要があり、時間が掛かる。しかし、その技術を失うことは簡単である。経験できなくなれば、すぐに忘れることが出来る。逆に言えば、技術を磨くことが出来るほど経験を積む機会がないのであるから、必死に技術を維持していくよう努力しなくてはと肝に銘じた。
何事も「心掛け」だと思い直した「一塁塁審」であった。
私のような父兄上がりの審判員は、養成所などを経て審判員に成るわけではなく、せいぜい春先の審判員講習会を受講し、練習試合などを手伝っているうちに「公式戦」のお手伝いが出来るようになるのである。というよりも、やむにやまれずという理由が大半であろう。当時は、当該チームの球場にチーム審判員が最低一名張り付くのが不文律のようになっていた。それが、チームとしての義務であった。ゆえに、チーム審判員が少ない球団は、苦労するのである。
とは言え、公式戦デビュー当初は、塁審やSBOなどが主である。塁審も三塁塁審がほとんどであり、たまに一塁塁審が割り当てられたりした。
私の場合、この期間が約2年間であり、審判の動きにも、また審判員仲間にも慣れてきた頃に球審を任されるようになった。
最初のうちは、「ストライク・ボール」の判定で目一杯であり、今思えば「見落としのオンパレード」であったのであろう。視野は、相当狭かったと思われる。
私に、公式戦で初めての球審をやらせようと考えられた責任審判員の度量の広さに脱帽してしまう。
デビュー戦は誰しもが経験するものではあるが、そのタイミングが難しい。
そういう意味では、この新人戦は良い機会なのかもしれない。選手たちの技術も、チームワークも不安定な状態であるから、新人審判員のジャッジの不安定さも許されるように思ってしまう。もちろん、正確で安定したジャッジを目指すのであるが、「経験」がものを言う審判員というポジションは、初心者の不安定さは致し方ないように感じている。
この辺りは、選手はもちろん、指導者を始め保護者やその他観客の方々の寛大さにすがるより無い。
とは言うものの、事は勝負事である。自分に不利と思われるジャッジをされ、それがどちらにでも見えるようなプレイであった場合に、「熱くなるな」と言われても、怒り心頭になるのは理解できる気がする。
少しずつだが技術を身につけ、徐々にではあるが信頼を得つつあるように感じている。精一杯ジャッジする姿勢から、少しの遊び(余裕)を持ちながらジャッジする姿勢に移行するときが、いずれ来るように感じてはいる。
しかし球審の経験は、公式戦で未だ50試合に満たない。塁審を含めた公式戦の試合数も100試合に満たない経験しかないのである。まだまだ、色々な経験を積む必要があるであろう。
色々な経験とは、色々なレアケースに遭遇することであろう。最近、色々なレアケースに出会えるようになったのは、それらのレアケースが見えるようになってきたのだと考えている。試合全体、球場全体を鳥瞰するように客観視できて、初めて見えることもある。如何せん、判定は瞬間のことが多いのであるが、ある程度の読みと客観視が判定を助けてくれると思う。
久し振りに一塁塁審をやると、色々な動きが不安になる。お陰で、ハーフスイングのリクエストに「ノースイング」と応えるべきところを、「セーフ」と応えてしまった。恥ずかしかったが、二度目は「ノースイング」とコールできた。これは「読み」が浅かった。予測が中途半端だった。
もっと凄いのは、「オフ・ザ・バック」のコールを忘れてしまい、「ノータッグ」と訳の分からないコールをしていたことである。その後、ボールが本塁へ転送され、クロスプレイとなったために歓声が上がり、私のでたらめコールはかき消されたが、自分の情けなさに独りで「のり・つっこみ」状態であった。
やはり、経験なのであろう。
技術を手に入れるのには沢山の経験を積む必要があり、時間が掛かる。しかし、その技術を失うことは簡単である。経験できなくなれば、すぐに忘れることが出来る。逆に言えば、技術を磨くことが出来るほど経験を積む機会がないのであるから、必死に技術を維持していくよう努力しなくてはと肝に銘じた。
何事も「心掛け」だと思い直した「一塁塁審」であった。
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