休養

2007年7月22日
この二日間は、今年初めて審判活動から離れた週末であった。野球自体もほとんど観ずに過ごした。ある意味で、リフレッシュするには良い二日間であったように思う。毎週、野球に明け暮れ、ジャッジに埋没していると、精度自体が上がっているように感じられなくなってきていた。
「こんなジャッジで選手に対して申し開きが出来るのか?」と自問する日々であった。
野球は9人の選手がいればゲームはできるように言われているが、実際には審判員は欠かせない。どんな草野球でも、必ず審判員が捕手の後ろに立っているのである。
つまり、「審判がいなければ野球のゲームは出来ない」ということではあるのだが、これが「審判は偉い」と勘違いを起こす原因となるのであろう。そこに「審判のジャッジは絶対である」という文言のみが一人歩きをし、「審判のジャッジに従え」となるのである。
このような立場をとっていると、「今日の試合の敗因は審判のジャッジ」と平気で言い出す指導者や選手が出てくる。実際には、審判が贔屓なジャッジをすることはないのであるから、敗戦チームの関係者が「悪者」を審判に押し付けているとしか考えられず、こんな言葉を良く耳にするのは寂しい限りだ。こんな反省しか出来ないチームは、なかなか勝利に近付くことはないのであろう。
少しは前向きに審判活動を再開する気にはなってきたのは、良い休養であったのだろう。
再開に向けて、もう一度野球規則を読破しようと考えている。毎晩、眠り薬として愛用しているルールブックを、真面目に最初から読んでみようと思う。
きっと、新たな発見があるであろう。今年のジャッジを全て記憶しているわけではないが、幾つか疑問に思っているシーンがあるが、その都度自分に都合の良い解釈をしていた可能性は否めない。正しくないジャッジは「間違い」として受け止めなければ成長は出来ない。
この年齢になって、成長を考えても仕方がないのであろうか。そうではないであろう。審判員としては、私の年齢は若輩者である。経験や技術は、まだまだ不足しているのであるが、これは実戦を踏まなくては向上しない。せめて知識だけでも頭に叩き込み、実戦不足を補うことをしなくてはならないと考えている。

今年も早いもので、既にシーズンを折り返した。残り少ないシーズンで、少しでも実戦を踏ませてもらえるよう、頑張ろうという気持ちがフツフツと湧いてきた。
良い休養であった。

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