9年間
2007年7月21日息子の高校野球が終わった。小学校3年生から始めた野球生活に一区切りがついた。ただし、それは私自身のことであり、本人の今後の身の振り方は分からない。
高校野球は野球少年たちにとって「集大成」との見解もあるが、私の持論としては、折角始めた野球を「高校野球」で終わる事には反対の考え方である。
小学校の野球は遊びの一環であり、中学野球はクラブ活動の一環である。また、中学シニアのような中学硬式野球は、高校野球をやる「きっかけ」に過ぎないと考えている。高校野球はクラブ活動ではあるが、毎日の練習や土日の練習試合など、青春時代の貴重な時間を野球に費やすのである。このエネルギーは物凄い。冬季トレーニングで身体を作り、日々の地道な練習で技術を磨き、最高の状態となるのが、3年目の夏の大会である。しかし、ここまでたどり着くのは、目に見えない努力と、野球に対する真摯な取り組みと、故障や障害などを回避できたという多少の「運」が必要である。
このようにして最高の状態で挑んでも、全国での「勝者」はただ一校であり、他の高校球児はすべて「敗者」となる。日本の高校球児の大多数が「敗者」となるのであるから、「敗れても悔い無し」と潔くあってほしい。そして、決して燃え尽きることなく、次なるステップを目指しほしいものである。折角、心技体が最高の状態となった状態で、大好きな野球を辞めてしまうのだけは避けてもらいたいと強く願っている。
9年間は確かに長い日々であるが、朝から晩まで「野球漬け」の毎日であり、仕事も学校も横に置いて「野球一番」の日々は、この日のためにあったのは確かであるが、それは大人の考え方であり、目標を高く持つべき子供達には、是非とも新たなる目標を掲げてほしいと思う。
高校野球には「甲子園」という強烈な共通言語があるため、本人達は元より、周辺も巻き込んだ狂想曲となる。これが「燃え尽き症候群」の素因となっている曲者なのであろう。確かに、大学野球では学生野球のメッカである「神宮」という共通言語はあるが、「甲子園」ほどのインパクトはない。
高校野球を終えた球児達の目標設定が難しいことは理解するが、視点を変えると、それほど深刻なことでないことに気付くはずである。
何故、野球を続けてきたのか。何故、野球を続けられたのか。
高校生ともなれば、親の意向などに左右されることもないであろうし、他の誘惑も多いであろう。にも関わらず、野球を継続できたのは、「夏が終われば辞められる」からであったのだろうか。そうではないであろう。単純に「野球」が好きだからであろう。そして「球友」が居たからであろう。
この単純明快な解答さえ導き出せれば、必ず野球を継続できるはずである。
少年野球は、ゴムボールを金属バットで打ち、イボイボスパイクで走る。
中学硬式野球からは、ボールが皮製の硬式ボールとなり、スパイクが刃となる。
高校野球になり、バットが重量制限で重くなる。でも、まだ本物の野球ではない。
高校球児諸君よ。是非とも次のステップに上がり、硬式ボールに木製バットで野球をやってもらいたい。
スポーツ本来の、楽しさを体感してもらいたい。
今までの9年間を無駄にしないためにも。そう願って止まない。
高校野球は野球少年たちにとって「集大成」との見解もあるが、私の持論としては、折角始めた野球を「高校野球」で終わる事には反対の考え方である。
小学校の野球は遊びの一環であり、中学野球はクラブ活動の一環である。また、中学シニアのような中学硬式野球は、高校野球をやる「きっかけ」に過ぎないと考えている。高校野球はクラブ活動ではあるが、毎日の練習や土日の練習試合など、青春時代の貴重な時間を野球に費やすのである。このエネルギーは物凄い。冬季トレーニングで身体を作り、日々の地道な練習で技術を磨き、最高の状態となるのが、3年目の夏の大会である。しかし、ここまでたどり着くのは、目に見えない努力と、野球に対する真摯な取り組みと、故障や障害などを回避できたという多少の「運」が必要である。
このようにして最高の状態で挑んでも、全国での「勝者」はただ一校であり、他の高校球児はすべて「敗者」となる。日本の高校球児の大多数が「敗者」となるのであるから、「敗れても悔い無し」と潔くあってほしい。そして、決して燃え尽きることなく、次なるステップを目指しほしいものである。折角、心技体が最高の状態となった状態で、大好きな野球を辞めてしまうのだけは避けてもらいたいと強く願っている。
9年間は確かに長い日々であるが、朝から晩まで「野球漬け」の毎日であり、仕事も学校も横に置いて「野球一番」の日々は、この日のためにあったのは確かであるが、それは大人の考え方であり、目標を高く持つべき子供達には、是非とも新たなる目標を掲げてほしいと思う。
高校野球には「甲子園」という強烈な共通言語があるため、本人達は元より、周辺も巻き込んだ狂想曲となる。これが「燃え尽き症候群」の素因となっている曲者なのであろう。確かに、大学野球では学生野球のメッカである「神宮」という共通言語はあるが、「甲子園」ほどのインパクトはない。
高校野球を終えた球児達の目標設定が難しいことは理解するが、視点を変えると、それほど深刻なことでないことに気付くはずである。
何故、野球を続けてきたのか。何故、野球を続けられたのか。
高校生ともなれば、親の意向などに左右されることもないであろうし、他の誘惑も多いであろう。にも関わらず、野球を継続できたのは、「夏が終われば辞められる」からであったのだろうか。そうではないであろう。単純に「野球」が好きだからであろう。そして「球友」が居たからであろう。
この単純明快な解答さえ導き出せれば、必ず野球を継続できるはずである。
少年野球は、ゴムボールを金属バットで打ち、イボイボスパイクで走る。
中学硬式野球からは、ボールが皮製の硬式ボールとなり、スパイクが刃となる。
高校野球になり、バットが重量制限で重くなる。でも、まだ本物の野球ではない。
高校球児諸君よ。是非とも次のステップに上がり、硬式ボールに木製バットで野球をやってもらいたい。
スポーツ本来の、楽しさを体感してもらいたい。
今までの9年間を無駄にしないためにも。そう願って止まない。
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