17球の攻防
2007年7月15日野球では、一つのプレイで流れが変わることは度々ある。それは、我々審判員のジャッジでも流れを変えることがある。それがミスジャッジだと諸般の問題を残す。ルールの適用ミスも時にはあるだろう。あってはいけないが、そこは人間の所業である。それらをある程度許容しているのが野球というスポーツであると、勝手に認識している。
試合の流れを一変しかねないジャッジもある。そしてそれを選手達の直向きさが払拭してくれることも多々ある。逆に、そのまま下向きのベクトルに引き込まれてしまう選手もいる。
野球の攻防のメインは投手と打者の対戦であろう。色々なボールゲームでは、一度のミスを試合終了まで挽回することも、そのチャンスを得ることさえも出来ないゲームも多い中で、野球では打席に立つ事でミスを犯した選手が挽回のチャンスを得ることが可能となる。そのチャンスでどのようなパフォーマンスを見せるかが鍵となる。
バッテリーにとっては、球審との相性は非常に重要な問題であろう。いつも言うとおり、審判員も人間である。体調の優れない日もあれば、気分の乗らない日もある。今一集中力が欠如した日もあるだろう。その中で、もっとも避けなければならないのは「バッテリーとの呼吸が合わない」ことであろう。「リズム」や「タイミング」、投球の「球速」や「球筋」、そして「間」や「呼吸」などが合わないと、体調や気分の良し悪しに関わらず、平常心のジャッジが出来なくなる。格闘技の試合を見ていると、解説者が「二人がかみ合った試合内容となりました」などと説明していることがある。「かみ合う」状態とは「相性が良い」ことであり、両者が力の限りを出し闘う状態を言うのであろう。球審とバッテリーの関係にも相性の成否はあるように思う。私の場合は、リズム感のあるバッテリーとは相性が良い。つまり、かみ合った状態となる。間の長い投手は、どうも性に合わない。実際ゲームを見ていると、間の悪いバッテリーは良い結果を導き出せていないように思う。バッテリーは、いかに審判を乗せるかも重要なことだと思う。
良く耳にする話として、捕手がジャッジに不服な場合にとる行動として、「ブツブツと独り言を言う」「後ろを振り向く」などがある。このような行為はバッテリーにとって有利には働かず、マイナス効果としてジャッジに反映されるのである。それは、審判員も人間であるからである。審判員の感情をコントロールできる捕手もいるのであるから、ぜひ相性について考えてもらいたいものだ。
際どいコースの投球を捕球したミットをストライクゾーン側へ動かすことは、捕手の習性のように行われているが、このような行動に誤魔化されるほど審判の目はナマクラではない。確かに、投手の手から離れた投球が捕手のミットに収まるまで目で追い、その軌道を反芻して最終判断を下しコールするようにしているが、その判断材料となるミットの位置をストライク側へ動かした場合、当然ミットの移動も審判の視界に入り認知される。稚拙な捕手などは、際どい投球を「ボール」とコールされているにも関わらず、ミットをジッと捕球体勢のままでアピールをしている場合がある。ジッと動かさずにいるミットは、実は「動かしたミット」であるにも関わらず。そんな時、心の中で「君はストライクゾーンから外れたと思ったからミットを動かしたのだろう」と語りかけている。「ストライクゾーンから外れた投球はボールだよ」とも付け加える。
捕手のミットが投球の勢いに圧された場合ではなく、故意に動かした場合は必ず分かる。そのような場合は「限りなくボールに近い投球」と思って間違いない。
一方、ミットを捕球位置から動かさない捕手もいる。このような捕手の場合、ジャッジは楽しくもあり、緊張感も増すものである。球筋がミットに収まるまで綺麗に見えるのであるから、判定がし易いがゆえに際どいボールはテンションが上がる。まさにバッテリーと球審との形のない闘いである。
実際は、そのような闘いは表舞台に堂々と出てきてはいけない。表舞台には、投手と打者の息詰まる闘いが相応しい。
ある試合で「17球」も粘りに粘った打者、それに応えてストライクを投げ続けた投手の対戦に立会い、彼等こそがゲームの主役であると再認識した。
試合の流れを一変しかねないジャッジもある。そしてそれを選手達の直向きさが払拭してくれることも多々ある。逆に、そのまま下向きのベクトルに引き込まれてしまう選手もいる。
野球の攻防のメインは投手と打者の対戦であろう。色々なボールゲームでは、一度のミスを試合終了まで挽回することも、そのチャンスを得ることさえも出来ないゲームも多い中で、野球では打席に立つ事でミスを犯した選手が挽回のチャンスを得ることが可能となる。そのチャンスでどのようなパフォーマンスを見せるかが鍵となる。
バッテリーにとっては、球審との相性は非常に重要な問題であろう。いつも言うとおり、審判員も人間である。体調の優れない日もあれば、気分の乗らない日もある。今一集中力が欠如した日もあるだろう。その中で、もっとも避けなければならないのは「バッテリーとの呼吸が合わない」ことであろう。「リズム」や「タイミング」、投球の「球速」や「球筋」、そして「間」や「呼吸」などが合わないと、体調や気分の良し悪しに関わらず、平常心のジャッジが出来なくなる。格闘技の試合を見ていると、解説者が「二人がかみ合った試合内容となりました」などと説明していることがある。「かみ合う」状態とは「相性が良い」ことであり、両者が力の限りを出し闘う状態を言うのであろう。球審とバッテリーの関係にも相性の成否はあるように思う。私の場合は、リズム感のあるバッテリーとは相性が良い。つまり、かみ合った状態となる。間の長い投手は、どうも性に合わない。実際ゲームを見ていると、間の悪いバッテリーは良い結果を導き出せていないように思う。バッテリーは、いかに審判を乗せるかも重要なことだと思う。
良く耳にする話として、捕手がジャッジに不服な場合にとる行動として、「ブツブツと独り言を言う」「後ろを振り向く」などがある。このような行為はバッテリーにとって有利には働かず、マイナス効果としてジャッジに反映されるのである。それは、審判員も人間であるからである。審判員の感情をコントロールできる捕手もいるのであるから、ぜひ相性について考えてもらいたいものだ。
際どいコースの投球を捕球したミットをストライクゾーン側へ動かすことは、捕手の習性のように行われているが、このような行動に誤魔化されるほど審判の目はナマクラではない。確かに、投手の手から離れた投球が捕手のミットに収まるまで目で追い、その軌道を反芻して最終判断を下しコールするようにしているが、その判断材料となるミットの位置をストライク側へ動かした場合、当然ミットの移動も審判の視界に入り認知される。稚拙な捕手などは、際どい投球を「ボール」とコールされているにも関わらず、ミットをジッと捕球体勢のままでアピールをしている場合がある。ジッと動かさずにいるミットは、実は「動かしたミット」であるにも関わらず。そんな時、心の中で「君はストライクゾーンから外れたと思ったからミットを動かしたのだろう」と語りかけている。「ストライクゾーンから外れた投球はボールだよ」とも付け加える。
捕手のミットが投球の勢いに圧された場合ではなく、故意に動かした場合は必ず分かる。そのような場合は「限りなくボールに近い投球」と思って間違いない。
一方、ミットを捕球位置から動かさない捕手もいる。このような捕手の場合、ジャッジは楽しくもあり、緊張感も増すものである。球筋がミットに収まるまで綺麗に見えるのであるから、判定がし易いがゆえに際どいボールはテンションが上がる。まさにバッテリーと球審との形のない闘いである。
実際は、そのような闘いは表舞台に堂々と出てきてはいけない。表舞台には、投手と打者の息詰まる闘いが相応しい。
ある試合で「17球」も粘りに粘った打者、それに応えてストライクを投げ続けた投手の対戦に立会い、彼等こそがゲームの主役であると再認識した。
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