球音
2007年7月6日北海道日本ハムファイターズが来てくれてから、北海道にもプロ野球はもとより、野球自体への注目度や興味が増していることが強く感じられる。加えて、高校野球で駒大苫小牧が活躍して全国の注目を浴び、追い討ちを掛けるように昨年はファイターズが優勝・日本一となってしまった。正に北海道の野球熱は、今が旬である。そこに北海道人気質の「熱しやすく冷めやすい」が相まって、札幌ドームの熱気の凄さは、テレビやラジオの中継でも十分伝わってくる。中継のアナウンサーの力みや、今まで陽の目を見なかったファイターズOB(失礼しました)の熱弁もあり、野球中継としては面白い番組となっている。
しかし、私は札幌ドームへ足が向かない。落成当初やファイターズが来た当時は、何度か足を運んだが、ぱったりと行く気がしなくなった。その原因は二つある。ひとつは「ドーム嫌い」。審判員として選手とともにグラウンドレベルにいると、屋外球場で風や暑さや寒さを感じながら白球を追う野球の素晴らしさが良く判る。一度だけ、札幌ドームで審判員(練習試合)をやったことがあったが、照明の関係なのか非常に「判定しにくい球場」というイメージであった。要は、ボールが見えにくいのである。それと私だけかもしれないが、あの閉塞感は如何ともし難い。風の悪戯も無く、暑さによるスタミナ切れも無く、雨中の死闘も無く、まして人工芝でイレギュラーも無い。野球から「四球」と「失策」が無くなると、得点シーンはかなり激減するのではないだろうか。プロ野球は、本塁打という「野球の華」があるが、アマチュア野球では「四球」と「失策」がゲームの分水嶺となることが多い。ある方が言っていた。「二死走者無しからの安打は点にならないが、四球や失策は点につながることが非常に多い」と。
ドームから足が遠のいた、もうひとつの理由は応援スタイルである。野球をじっくりと見ていられないのと、「球音」がまったく聞こえない。周りにチンドン屋が大挙しているようであり、一球・一球に集中できないのである。野球は、インターバルの多いゲームであり、かつ一瞬にして流れが変わるゲームでもある。その一瞬を見逃すと、ゲーム全体がつまらなくなることさえある。また「音」で判断できることも多い。投手が投球する際に手を離れる「ボールを切る音」や、打者がボールを打つ音、捕手のミットに収まる音、走者が次塁へ向かう際のスパイクで土を蹴る音やスライディングの音。すべてが「球音」であり、選手や審判員にとって、非常に大切なものである。野手は打球音で方向や強さを判断するし、審判員は捕手のミットの音も重要な判定基準である。それらがお祭りのお囃子のような応援で「球音」がまったく聞こえないのである。
最近、大リーグの試合に触れる機会が増えたが、本場アメリカでは観戦する側のレベルも高い。ナイスプレイには敵味方関係なく賛辞を送り、怠慢プレイには地元選手でもブーイングとなる。そして、何より観る側の一球への集中力が凄いことに驚かされる。一球に集中しているとドンチャン騒ぎをしている暇はないはずであると思うのだが。応援スタイルには色々あって良いとは思うが、「野球」を楽しみたいのであれば、その奥深さを感じるために「球音」を楽しむことをお薦めする。
今年の11月には、オリンピック予選が台湾で開催されるが、台湾の応援は組織立っており、かつ殺気立っているようである。日本の応援は比でないらしい。その是非は国民性もあるので触れないが、総じてアジア系の応援スタイルなのかもしれないとも思う。スポーツ競技は、その技術もさることながら観戦スタイルも「発祥の地」に見習うことが多いのではないだろうかと思う。
円山球場へ行ってみると、「野球は屋外が似合う」ことと「球音のすばらしさ」が良く判る。施設は古いが、歴史の重さを感じることが出来る。正に「北海道アマチュア野球の聖地」である。
しかし、私は札幌ドームへ足が向かない。落成当初やファイターズが来た当時は、何度か足を運んだが、ぱったりと行く気がしなくなった。その原因は二つある。ひとつは「ドーム嫌い」。審判員として選手とともにグラウンドレベルにいると、屋外球場で風や暑さや寒さを感じながら白球を追う野球の素晴らしさが良く判る。一度だけ、札幌ドームで審判員(練習試合)をやったことがあったが、照明の関係なのか非常に「判定しにくい球場」というイメージであった。要は、ボールが見えにくいのである。それと私だけかもしれないが、あの閉塞感は如何ともし難い。風の悪戯も無く、暑さによるスタミナ切れも無く、雨中の死闘も無く、まして人工芝でイレギュラーも無い。野球から「四球」と「失策」が無くなると、得点シーンはかなり激減するのではないだろうか。プロ野球は、本塁打という「野球の華」があるが、アマチュア野球では「四球」と「失策」がゲームの分水嶺となることが多い。ある方が言っていた。「二死走者無しからの安打は点にならないが、四球や失策は点につながることが非常に多い」と。
ドームから足が遠のいた、もうひとつの理由は応援スタイルである。野球をじっくりと見ていられないのと、「球音」がまったく聞こえない。周りにチンドン屋が大挙しているようであり、一球・一球に集中できないのである。野球は、インターバルの多いゲームであり、かつ一瞬にして流れが変わるゲームでもある。その一瞬を見逃すと、ゲーム全体がつまらなくなることさえある。また「音」で判断できることも多い。投手が投球する際に手を離れる「ボールを切る音」や、打者がボールを打つ音、捕手のミットに収まる音、走者が次塁へ向かう際のスパイクで土を蹴る音やスライディングの音。すべてが「球音」であり、選手や審判員にとって、非常に大切なものである。野手は打球音で方向や強さを判断するし、審判員は捕手のミットの音も重要な判定基準である。それらがお祭りのお囃子のような応援で「球音」がまったく聞こえないのである。
最近、大リーグの試合に触れる機会が増えたが、本場アメリカでは観戦する側のレベルも高い。ナイスプレイには敵味方関係なく賛辞を送り、怠慢プレイには地元選手でもブーイングとなる。そして、何より観る側の一球への集中力が凄いことに驚かされる。一球に集中しているとドンチャン騒ぎをしている暇はないはずであると思うのだが。応援スタイルには色々あって良いとは思うが、「野球」を楽しみたいのであれば、その奥深さを感じるために「球音」を楽しむことをお薦めする。
今年の11月には、オリンピック予選が台湾で開催されるが、台湾の応援は組織立っており、かつ殺気立っているようである。日本の応援は比でないらしい。その是非は国民性もあるので触れないが、総じてアジア系の応援スタイルなのかもしれないとも思う。スポーツ競技は、その技術もさることながら観戦スタイルも「発祥の地」に見習うことが多いのではないだろうかと思う。
円山球場へ行ってみると、「野球は屋外が似合う」ことと「球音のすばらしさ」が良く判る。施設は古いが、歴史の重さを感じることが出来る。正に「北海道アマチュア野球の聖地」である。
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