コールドゲームの是非
2007年7月5日高校野球を見ていると、改めて「野球は9回あることに意味がある」と再認識させられる。青春を掛けた高校野球は、ギリギリのせめぎ合いをするため、8回と9回にドラマが多い。それまで淡々と進んでいた試合が、いきなりギアチェンジをして急展開を見せる試合は多々ある。野球の格言に「点が入ると試合が動く」という言葉がある。それまでこう着状態であった試合が、片方のチームが均衡を破ると、一気に試合が動き出すことは非常に多い。「野球はメンタルスポーツ」と言われる所以であろう。
ゆえに、強豪チームや地力のあるチームは9回トータルでの試合プランを立てて挑むことができる。例えば、打者一巡までは相手投手の調子を窺い、球数だけ投げさせて二巡目から仕掛けるチームや、投手力を含めた守備力に自信のあるチームは、とにかく先制点を狙い、奪い取れれば守備のプランに従い有利に試合をコントロールする、などがある。如何に、自分たちの流れでゲームプランを展開するかに腐心できるのである。
ところが公立高校などの一般の高校野球部は、なかなか9回までの試合展開を計算しにくい。その強迫観念にも似た状態を作っているのが「コールドゲーム」である。序盤に点差を広げられても、1回で追いついてしまえるのが野球の醍醐味であるはずなのに、その面白さを「コールドゲーム」が半減させてしまっている。試合内容よりも大会運営を優先する日本人らしい考え方である。
ルール上は「コールドゲーム」は降雨などの天災か日没などで試合継続が不可能な状態で規定の回数が完了している場合、「コールドゲーム」として試合を成立させる。つまり「ゲームセット」である。それに加えて、アマチュア野球の場合は「点差によるコールドゲーム」があり、これは各カテゴリーの大会規定に基づく。高校野球の支部などでは「5回以降10点、7回以降7点」であり、シニア野球では「5回以降7点」である。
しかしこの点差は、本当に「試合結果」を決定付けるに足り得る点差であろうかは甚だ疑問である。先日も高校野球で、7回終了時点で<20−10>という試合があった。もちろんコールドゲームである。確かに10点差ではあるが、7回裏には4点を返していることを考えると、この10点差は埋まらないのであろうか。可能性を言い出せばきりがないのであろうが、最後の夏を掛けた選手たちにとっては、何とも消化不良の感じは否めない。一体誰のための大会なのであろうか。主役は誰なのであろうか。主役たちが思う存分に実力を出し切れるよう、舞台設定をするのが大会を運営する側の務めではあるまいか。ナイター設備がないから、試合時間が長くなると大会日程に響くのであろう。判らなくもないが、主従逆転の感は拭えない。
ルール上は試合が成立している場合、突然の降雨により試合続行不可能となれば、当たり前のように「コールドゲーム」とするであろう。がしかし、「サスペンデッドゲーム(一時停止試合)」という処置もある。その適用については、ケース・バイ・ケースであるが、野球の本来の醍醐味を失わないためにも大会運営にゆとりを持たせてもらいたいものである。近年、選手の健康管理を考慮して休息日を設けたりしている。非常に良い方向へ向かっているのは間違いない。あとは、野球の本来のゲーム性を損なわないような大会運営を望んで止まない。
シニア野球でも、試合時間を短縮するために「コールドゲーム」を採用しているのであれば「本末転倒」であろう。
試合時間の短縮は、選手の攻守交替のスピードアップ、一つ一つのプレイのスピードアップ、無駄なサイン交換をやめることで簡単にクリアできるであろう。子供たちは少年野球からの悪癖で、先頭打者なのに一球一球打席を外してベンチのサインを仰ぐ。一体どんな指示が出るというのであろうか。それよりも、投手の投球に集中する事が重要であろう。また投手の牽制球のサイン、特に二塁走者への遊撃手や二塁手からのブロックサインには辟易する。思わず「チーム全体での遅延行為」でボークを取りたくなってしまう。走者を牽制するためのサインを、走者の後方から出しているのに、どうして複雑なサインが必要となるのであろうか。全く理解できない。これらの行為は、選手たちの自主性に任せていることが多いようであるが、「投手の投球リズム」「他の野手の守備のリズム」を考えると、利より害が大きいのは明白であり、指導者の方々は重々承知しているのであろうから、きめ細やかな指導を望むものである。
昨夏のある大会。3点差で迎えた8回裏に落雷とともに豪雨となり、降雨コールドとなった。泣き崩れる選手の姿を新聞で見た。「コールドゲーム」を宣告した時には、青空も見えていたのに。何とか再開の方法は無かったのであろうか。他人事ながら、気持ちが晴れない。
ゆえに、強豪チームや地力のあるチームは9回トータルでの試合プランを立てて挑むことができる。例えば、打者一巡までは相手投手の調子を窺い、球数だけ投げさせて二巡目から仕掛けるチームや、投手力を含めた守備力に自信のあるチームは、とにかく先制点を狙い、奪い取れれば守備のプランに従い有利に試合をコントロールする、などがある。如何に、自分たちの流れでゲームプランを展開するかに腐心できるのである。
ところが公立高校などの一般の高校野球部は、なかなか9回までの試合展開を計算しにくい。その強迫観念にも似た状態を作っているのが「コールドゲーム」である。序盤に点差を広げられても、1回で追いついてしまえるのが野球の醍醐味であるはずなのに、その面白さを「コールドゲーム」が半減させてしまっている。試合内容よりも大会運営を優先する日本人らしい考え方である。
ルール上は「コールドゲーム」は降雨などの天災か日没などで試合継続が不可能な状態で規定の回数が完了している場合、「コールドゲーム」として試合を成立させる。つまり「ゲームセット」である。それに加えて、アマチュア野球の場合は「点差によるコールドゲーム」があり、これは各カテゴリーの大会規定に基づく。高校野球の支部などでは「5回以降10点、7回以降7点」であり、シニア野球では「5回以降7点」である。
しかしこの点差は、本当に「試合結果」を決定付けるに足り得る点差であろうかは甚だ疑問である。先日も高校野球で、7回終了時点で<20−10>という試合があった。もちろんコールドゲームである。確かに10点差ではあるが、7回裏には4点を返していることを考えると、この10点差は埋まらないのであろうか。可能性を言い出せばきりがないのであろうが、最後の夏を掛けた選手たちにとっては、何とも消化不良の感じは否めない。一体誰のための大会なのであろうか。主役は誰なのであろうか。主役たちが思う存分に実力を出し切れるよう、舞台設定をするのが大会を運営する側の務めではあるまいか。ナイター設備がないから、試合時間が長くなると大会日程に響くのであろう。判らなくもないが、主従逆転の感は拭えない。
ルール上は試合が成立している場合、突然の降雨により試合続行不可能となれば、当たり前のように「コールドゲーム」とするであろう。がしかし、「サスペンデッドゲーム(一時停止試合)」という処置もある。その適用については、ケース・バイ・ケースであるが、野球の本来の醍醐味を失わないためにも大会運営にゆとりを持たせてもらいたいものである。近年、選手の健康管理を考慮して休息日を設けたりしている。非常に良い方向へ向かっているのは間違いない。あとは、野球の本来のゲーム性を損なわないような大会運営を望んで止まない。
シニア野球でも、試合時間を短縮するために「コールドゲーム」を採用しているのであれば「本末転倒」であろう。
試合時間の短縮は、選手の攻守交替のスピードアップ、一つ一つのプレイのスピードアップ、無駄なサイン交換をやめることで簡単にクリアできるであろう。子供たちは少年野球からの悪癖で、先頭打者なのに一球一球打席を外してベンチのサインを仰ぐ。一体どんな指示が出るというのであろうか。それよりも、投手の投球に集中する事が重要であろう。また投手の牽制球のサイン、特に二塁走者への遊撃手や二塁手からのブロックサインには辟易する。思わず「チーム全体での遅延行為」でボークを取りたくなってしまう。走者を牽制するためのサインを、走者の後方から出しているのに、どうして複雑なサインが必要となるのであろうか。全く理解できない。これらの行為は、選手たちの自主性に任せていることが多いようであるが、「投手の投球リズム」「他の野手の守備のリズム」を考えると、利より害が大きいのは明白であり、指導者の方々は重々承知しているのであろうから、きめ細やかな指導を望むものである。
昨夏のある大会。3点差で迎えた8回裏に落雷とともに豪雨となり、降雨コールドとなった。泣き崩れる選手の姿を新聞で見た。「コールドゲーム」を宣告した時には、青空も見えていたのに。何とか再開の方法は無かったのであろうか。他人事ながら、気持ちが晴れない。
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