師匠の言葉
2007年7月4日先日、密かに師匠と勝手に思っている大先輩に、今年初めてお会いできた。足の具合が良くないようではあったが、相変わらず眼光鋭くお元気そうであった。ここぞとばかりに、色々と疑問に思っていたことや今年あったジャッジに対するご意見を伺ったが、答えは実に明快であった。その答えは「ルールブックを素直に読んで、それに従いなさい」である。
野球のルールはあいまいな表現が多く、複雑に考え出すと頭が混沌としてくる。日本のルールブックはアメリカのルールブックを翻訳して「野球規則」となっているから、難しい日本語になっている場合がある。アメリカ人の感覚では理解できることが、日本人の感覚では無理な部分もあるのであろう。文化の違いがあるのだから致し方ない。それでも野球規則委員会では、日本人が理解できるように懸命に日本語に翻訳しようとしている。だから、ルールブックなのにケーススタディのような事例が沢山出ている。
その助けになるのが、ルールブックの中で度々登場する【原注】である。これは、「ルールブック」の原文にある<注意書き>であり、『ルールの基本』を書かれていることが多いため、判断に迷った時には大変参考になる。つまり、ルールがどのような考えに基づいて作られたかということが判るため、そのベーシックな考えに対して「目の前のプレイ」を照らすと判断しやすいのである。
両チームがフェアプレイ精神に則ってゲームを進行してくれれば良いのだが、日本の野球の場合は「隙を突く」とか「弱点を突く」、「虚を突く」などのプレイが指導される。
先日中学1年生の試合で二塁塁審をやった際に、守備側ベンチから大声が飛んだ。「ショート前に回れ!!何やってんだ!!」。そうハッパを掛けられた遊撃手に、次の回のインターバルで意地悪な質問をしてみた。
「君は二塁走者の牽制に入った後、走者の前を横切るけれど、どうして?」
質問された選手はしばし考え、「走者の前を横切ると、走者がスタートを切り辛くなるから」との答え。
私は、「どうして走者がスタートを切り辛くなるの?」と駄目押し。
すると彼は「投手のモーションが見えなくなるから」。
私は彼の目をじっと見て、「そうかぁ〜、走者にすると君が邪魔なんだね」、
「でも、それって妨害だよね」。
彼は「でも・・・・・」と口ごもった。
私は、その選手が可哀相になり「コーチに言われたから、やらないと怒られるよな」と誘導尋問すると、彼は大きく頷いた。
前にも書いたが、二塁走者の前をショートが横切る、それも一度立ち止まり、投手の投球モーションに合わせて定位置へ戻る行為は、厳密には「オブストラクション(走塁妨害)」であろう。妨害行為は、肉体的な妨害ばかりではなく、視界を遮ることも立派な妨害であろう。高校野球では、そのようなプレイは見受けられないが、シニアでは頻繁に目にする。しかし、ほとんどが見過ごされているのも事実である。「野球規則」の事例には、「視界を遮る行為」までは書かれていない。
そこで、師匠の言葉を反芻する。
「ルールブックを素直に読んで、それに従いなさい」。
この行為をこの言葉に照らすと、私見としては「妨害」と考えているが、審判仲間の間では「拡大解釈」と考える人も多いのも確かである。
今の自分は、ジャッジに絶対的な自信と経験が不足していると考えているため、この「私見」は封印し、審判仲間には地道に布教活動をし、指導者には「私見を指導」している段階である。
反応は「そのとおり」とうなずく審判員もいれば、「それじゃ野球にならない」と不平を言う指導者もいる。しばらくは、様子を見ながら偏屈な私見を開陳していこうと考えている。
実は一番の問題は、視界を遮られることで走者は「不安」であり、「危険」であるということであるのだが。その辺りに焦点が向かなければ、結論は出ない気がする。
野球のルールはあいまいな表現が多く、複雑に考え出すと頭が混沌としてくる。日本のルールブックはアメリカのルールブックを翻訳して「野球規則」となっているから、難しい日本語になっている場合がある。アメリカ人の感覚では理解できることが、日本人の感覚では無理な部分もあるのであろう。文化の違いがあるのだから致し方ない。それでも野球規則委員会では、日本人が理解できるように懸命に日本語に翻訳しようとしている。だから、ルールブックなのにケーススタディのような事例が沢山出ている。
その助けになるのが、ルールブックの中で度々登場する【原注】である。これは、「ルールブック」の原文にある<注意書き>であり、『ルールの基本』を書かれていることが多いため、判断に迷った時には大変参考になる。つまり、ルールがどのような考えに基づいて作られたかということが判るため、そのベーシックな考えに対して「目の前のプレイ」を照らすと判断しやすいのである。
両チームがフェアプレイ精神に則ってゲームを進行してくれれば良いのだが、日本の野球の場合は「隙を突く」とか「弱点を突く」、「虚を突く」などのプレイが指導される。
先日中学1年生の試合で二塁塁審をやった際に、守備側ベンチから大声が飛んだ。「ショート前に回れ!!何やってんだ!!」。そうハッパを掛けられた遊撃手に、次の回のインターバルで意地悪な質問をしてみた。
「君は二塁走者の牽制に入った後、走者の前を横切るけれど、どうして?」
質問された選手はしばし考え、「走者の前を横切ると、走者がスタートを切り辛くなるから」との答え。
私は、「どうして走者がスタートを切り辛くなるの?」と駄目押し。
すると彼は「投手のモーションが見えなくなるから」。
私は彼の目をじっと見て、「そうかぁ〜、走者にすると君が邪魔なんだね」、
「でも、それって妨害だよね」。
彼は「でも・・・・・」と口ごもった。
私は、その選手が可哀相になり「コーチに言われたから、やらないと怒られるよな」と誘導尋問すると、彼は大きく頷いた。
前にも書いたが、二塁走者の前をショートが横切る、それも一度立ち止まり、投手の投球モーションに合わせて定位置へ戻る行為は、厳密には「オブストラクション(走塁妨害)」であろう。妨害行為は、肉体的な妨害ばかりではなく、視界を遮ることも立派な妨害であろう。高校野球では、そのようなプレイは見受けられないが、シニアでは頻繁に目にする。しかし、ほとんどが見過ごされているのも事実である。「野球規則」の事例には、「視界を遮る行為」までは書かれていない。
そこで、師匠の言葉を反芻する。
「ルールブックを素直に読んで、それに従いなさい」。
この行為をこの言葉に照らすと、私見としては「妨害」と考えているが、審判仲間の間では「拡大解釈」と考える人も多いのも確かである。
今の自分は、ジャッジに絶対的な自信と経験が不足していると考えているため、この「私見」は封印し、審判仲間には地道に布教活動をし、指導者には「私見を指導」している段階である。
反応は「そのとおり」とうなずく審判員もいれば、「それじゃ野球にならない」と不平を言う指導者もいる。しばらくは、様子を見ながら偏屈な私見を開陳していこうと考えている。
実は一番の問題は、視界を遮られることで走者は「不安」であり、「危険」であるということであるのだが。その辺りに焦点が向かなければ、結論は出ない気がする。
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