恫喝

2007年6月24日
昨日は色々あったが、充実した一日であった。色々と勉強にもなった。ただし、あるチームのコーチによる恫喝的な態度には閉口した。
現役時代に、どのような選手だったかは知らないが、シニア野球の基本理念を分からずにしゃしゃり出てくるのはやめてもらいたい。実際には、表舞台に登場できないために裏から指示をしているのであろうが、「プロ野球では云々」などという台詞は、シニア野球では通じない。
何度も言うが、日本のプロ野球をスポーツへと進化させたいのであれば、古くから続いている選手や監督・コーチたちと審判員の関係を正常化する必要があるであろう。
元プロ野球選手が多い、プロの審判員には現役時代のしがらみや風習から抜け切れない部分が見え隠れする。セリーグもパリーグも30名程度の審判員によりローテーションで回っているはずなのに、巨人戦がテレビで盛んに実況されていた時代には、同じような審判ばかりが担当していたのは事実である。そこに「長嶋ボール」や「王ボール」が生まれた素地があった。巨人に有利な判定が多いように感じたのは、私だけではないであろう。それがプロの現実である。そこには審判員の現役時代の上下関係や因果関係が存在しており、そのような状況下で公正なジャッジを求める事自体がナンセンスであり、まして「審判員に対する尊敬の念」などは生まれようもない。
シニア野球でも高校野球でも「審判員に対する敬意」は最初に指導するべき事柄である。それをないがしろにして、言葉面の「宜しくお願いします」は必要ない。
我々審判員は、選手達から尊敬されようと思って日々努力しているわけではない。選手達の全力プレイに恥じないジャッジをしようと心掛けているだけである。それは、どのレベルも同じはずである。そこには、野球選手としての上下関係や因果関係が入り込む余地はない。
ちなみに私は野球経験が全くないため、そのようなしがらみがない。単に一スポーツの審判員としてジャッジしているから、野球のルールに照らして是か非かで判断している。そこには、社会通念上のモラルやマナーが優先する場合も当然ある。例えば、選手がプレイ上のトラブルにより怪我をしたような場合、野球の流れを停めてでも選手の健康を守る義務が審判員にはあり、特に頭部付近へのプレイに対しては神経質にならざるを得ない。
シニア野球は、野球の入口である。硬式ボールを扱い、金属の刃のスパイクを履きプレイする野球の入口である。だからこそ選手が危険な状態となった場合には、プレイの流れを無視してでも試合を停める権限が与えられている。
今月の初めに、他のスポーツで若い命が散った。原因は頭部の損傷であった。頭部や胸部(心臓)の障害は一刻を争う。選手の健全な育成を旗印にしているシニア野球の理念を、しっかりと頭に叩き込んだ上で、永く野球をやるために「野球の基礎」を教えていただきたいと強く思う。
野球への情熱、勝負へのこだわりが、時として違う方向へ選手を導いてしまう事がある。そのようなことが無い事を祈りつつ、ルールの解釈をお互いに勉強した上で、また再会したいものである。
ちなみに、野球経験のない私には「恫喝」は通じない事を付け加えておく。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索