選手たちの興味
2007年6月12日選手たちから良くある質問は、「これはボークですか」と「これは妨害ですか」である。
「ボーク」の定義はルールブックにも書かれているが、その動作の程度の判断が難しい。例えば、牽制時の自由な足の踏み込み深さ。またセットポジション時の静止時間の長さとクイックピッチの区分。投手の行為のうち、何が遅延行為かなどなど。
プレートを踏んだ状態でボールを落とすような明確なボークは判りやすいが、大抵の動作の判断基準は難しく、その基準は審判員に一任されていると考えてよい。また、厄介なことに見る方向によっては見えないボークもある。
私の判断基準は「投手が走者を騙そうとしていると感じたら不正投球であり、ボークである」が基準である。例えば一塁審判員である私が「打者に投げるモーションだ」と感じた瞬間に牽制球が来た場合で、走者も逆を衝かれたような場合は「2人の目を騙すような投球モーション」と捉え「ボークと考えて良い」という判断基準にしている。ただし、「ボーク」を宣告するのはコールのタイミングの問題もあり非常に難しい。選手たちには、「牽制球で騙してアウトにしようなどと考えるな」と伝えている。
細かい動作の過ちを探し出し、粗を指摘し出したら試合は全然進まなくなるであろう。特に投手をやりだした頃より染み付いたような「ボーク癖」は、意識せずにやっているだけに直らない。例えば、手を口にやる行為やプレートを踏んで帽子を直す行為。これらは、ほとんど無意識である。だからこそ、低学年のうちに「ボーク」を指摘し、ショック療法で直すキッカケを作ってあげるのが効果的である。
「妨害」の定義もルールブックに書かれているが、これもボークルールと同様に「フェアプレイ精神に則り、最後まで正々堂々とプレイする」という選手宣誓の精神でいてくれれば問題はないはずである。先日、あるプロ野球の試合で監督の退場騒ぎにまで発展した妨害プレイは、妨害を宣告された選手の凡プレイである。この場面は、走者1塁で左打者が送りバントを試みたが一塁側へのファウルフライとなった。捕手がこれを捕球しようとした時に、バッタースボックスで打球の行方を見ていた打者と交錯し、打者の足が捕手の足に絡まり倒れ込んで、結局捕球できなかった。ここで球審は、本当は打者走者になっていなくてはならない「打者」に対して「守備妨害」を宣告した。これに逆行した、ルールを知らない某監督は、球審に暴言を吐き「Get-Out」となったのである。この抗議の内容は全く知らないが、ビデオを観る限り一点だけ球審にも落度はあった。結果は、守備妨害で問題ないと思うが、その妨害を見ていて判断した球審の位置と角度が悪かったように思う。つまり「見ていない」ように観えたのである。どんな名審判でも「見えないもの」は判定できない。もしかすると某監督の抗議は、「見ていないだろう」だったのかもしれない。それに対して「見ていた」と応え、「嘘つき野郎」と返され、「Get-Out」!!(これは想像)。
さてさて、バッタースボックスは何をするところであったか。それは打撃をするところ。打撃が終了した打者はどうするのであろう。速やかにバッタースボックスから出る、これが基本である。つまり、バントをした打者は、速やかにバッタースボックスから出て、打者走者となり一塁へ向かわなくてはならないのである。打者は送りバントを失敗してしまい、茫然自失で立ちすくんだのであろう。失敗をして居たたまれなくなった気持ちは判るが、本当に邪念がなかったは本人にしか判らない。如何なる時も「ルールの基本」を忘れてはいけない。
選手たちは何故、ボークや妨害に対する質問をしたがるのであろうか。
それは、プレイの根底に「ルールブックの隙間」を衝くプレイをしたがること、それが褒められ上手いと賞賛されることにあるように思う。
野球をスポーツへと進化させるためには、野球を始めた頃の純真な気持ちを思い出してもらいたい。バットに当たったら、打球の行方には目もくれず、一塁を目指して走っていた少年時代。
こんなプレイにも、ベーシックな「ルールの基本」がある。
「ボーク」の定義はルールブックにも書かれているが、その動作の程度の判断が難しい。例えば、牽制時の自由な足の踏み込み深さ。またセットポジション時の静止時間の長さとクイックピッチの区分。投手の行為のうち、何が遅延行為かなどなど。
プレートを踏んだ状態でボールを落とすような明確なボークは判りやすいが、大抵の動作の判断基準は難しく、その基準は審判員に一任されていると考えてよい。また、厄介なことに見る方向によっては見えないボークもある。
私の判断基準は「投手が走者を騙そうとしていると感じたら不正投球であり、ボークである」が基準である。例えば一塁審判員である私が「打者に投げるモーションだ」と感じた瞬間に牽制球が来た場合で、走者も逆を衝かれたような場合は「2人の目を騙すような投球モーション」と捉え「ボークと考えて良い」という判断基準にしている。ただし、「ボーク」を宣告するのはコールのタイミングの問題もあり非常に難しい。選手たちには、「牽制球で騙してアウトにしようなどと考えるな」と伝えている。
細かい動作の過ちを探し出し、粗を指摘し出したら試合は全然進まなくなるであろう。特に投手をやりだした頃より染み付いたような「ボーク癖」は、意識せずにやっているだけに直らない。例えば、手を口にやる行為やプレートを踏んで帽子を直す行為。これらは、ほとんど無意識である。だからこそ、低学年のうちに「ボーク」を指摘し、ショック療法で直すキッカケを作ってあげるのが効果的である。
「妨害」の定義もルールブックに書かれているが、これもボークルールと同様に「フェアプレイ精神に則り、最後まで正々堂々とプレイする」という選手宣誓の精神でいてくれれば問題はないはずである。先日、あるプロ野球の試合で監督の退場騒ぎにまで発展した妨害プレイは、妨害を宣告された選手の凡プレイである。この場面は、走者1塁で左打者が送りバントを試みたが一塁側へのファウルフライとなった。捕手がこれを捕球しようとした時に、バッタースボックスで打球の行方を見ていた打者と交錯し、打者の足が捕手の足に絡まり倒れ込んで、結局捕球できなかった。ここで球審は、本当は打者走者になっていなくてはならない「打者」に対して「守備妨害」を宣告した。これに逆行した、ルールを知らない某監督は、球審に暴言を吐き「Get-Out」となったのである。この抗議の内容は全く知らないが、ビデオを観る限り一点だけ球審にも落度はあった。結果は、守備妨害で問題ないと思うが、その妨害を見ていて判断した球審の位置と角度が悪かったように思う。つまり「見ていない」ように観えたのである。どんな名審判でも「見えないもの」は判定できない。もしかすると某監督の抗議は、「見ていないだろう」だったのかもしれない。それに対して「見ていた」と応え、「嘘つき野郎」と返され、「Get-Out」!!(これは想像)。
さてさて、バッタースボックスは何をするところであったか。それは打撃をするところ。打撃が終了した打者はどうするのであろう。速やかにバッタースボックスから出る、これが基本である。つまり、バントをした打者は、速やかにバッタースボックスから出て、打者走者となり一塁へ向かわなくてはならないのである。打者は送りバントを失敗してしまい、茫然自失で立ちすくんだのであろう。失敗をして居たたまれなくなった気持ちは判るが、本当に邪念がなかったは本人にしか判らない。如何なる時も「ルールの基本」を忘れてはいけない。
選手たちは何故、ボークや妨害に対する質問をしたがるのであろうか。
それは、プレイの根底に「ルールブックの隙間」を衝くプレイをしたがること、それが褒められ上手いと賞賛されることにあるように思う。
野球をスポーツへと進化させるためには、野球を始めた頃の純真な気持ちを思い出してもらいたい。バットに当たったら、打球の行方には目もくれず、一塁を目指して走っていた少年時代。
こんなプレイにも、ベーシックな「ルールの基本」がある。
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