一礼の意味

2007年5月10日
私は試合終了後に、両チームのベンチに対して頭を下げる。
特段、謝る理由がある訳ではないが、自然と両チームに対して頭を下げる。それは感謝の気持ちと、謙虚な気持ちと、「お疲れ様」の思いからなのだろうか、本人も良く判らない行為である。
この行為は審判をやり始めた時からであり、勝手に頭が下がってしまうから仕方がない。おそらく「拙いジャッジメント」であったという反省の面から、照れ隠しに出る行為であろう。

サッカーの試合などを見ていると、試合開始前後でキャプテンと審判員が握手をしているシーンがあるが、野球の場合は審判員と両チームの間では言葉さえも交わしてはならないとされている。まして握手などはとんでもないことなのであろう。審判員室はもちろん、球場によっては入口までが違い、プレイヤーと審判員を隔離しているところもある。世界大会では宿舎も隔離し、審判員の外出規制を採る場合もあるようである。それほど一球一球のジャッジが、ワンプレイごとのジャッジが試合を左右するということなのかもしれない。

そんな切羽詰ったような心理状態でジャッジをする訳であるから、当然判定がアバウトとなる場合がある。どちらとも採れるような「際どいプレイ」に対しては、どのようなジャッジを下しても「歓声と悲鳴」が上がる。時には辛辣な不平も聞こえる。それでも「試合中【プレイボールからゲームセットまで】」は、自信が揺るがないよう毅然とし、選手たちのプレイをジャッジしていかなくてはならない。その反動が、試合後の態度に表れるのかもしれない。
どんな試合でも、それが例え練習試合でも、ゲームセットの後にグラウンドを出るまでは緊張の糸は張ったままであるが、『一礼』をすることで救われる思いが巡るのは私だけであろうか。

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