観客

2007年5月9日
久し振りに観客になり、スタンドで試合を観戦した。
スタンドの観客心理は、自チームの応援であるから、当然のように自チームの選手が主役であり、相手チームは脇役である。早い話が、身贔屓の観戦となる。そうなると、審判の一挙手一投足にも身贔屓な判定を望むものである。
自チームの投手の判定には辛く、相手チームの投手の判定には甘いように感じてしまうものだ。これが、観客心理なのであろう。審判員をやっているくせに、ついつい冷静さを欠いてしまう自分が情けなくもあった。
これも、人間がやっているゲームなのであろう。お互いのチームの選手や観客が、審判のジャッジに一喜一憂する。辛く感じたり、ラッキーと感じたりしながらゲームが展開されていくから、野球は面白いのである。
昨年、プロ野球では誤審が話題になり、ビデオをジャッジの参考にする案を提唱したチームがあったが、もしもビデオを入れたとしたら、こんな観客心理もなくなり、味気ないゲームになってしまうであろう。
人間が精一杯のプレイをして、それを人間がジャッジをするから面白いのであり、最新鋭の機械を用いて判定をすると冷たいスポーツになってしまうように感じる。
それ故に、審判員の責任は重い。
「審判のジャッジで負けた」などということを言われないような判定を心掛けなければならない。もちろん贔屓もなければ思い入れもない中で、平常心を保ち、ベストポジションで絶妙なタイミングでジャッジし、コールすることが重要なのであろう。
それにしても、負けたチームの観客が「悪者」を探したくなるのも分かるような気がする。
審判員をやっていなかった頃、よくジャッジに文句が口をついたものだが、久し振りに観客心理を思い出した。
だからといって、観客心理を読んでジャッジするわけにもいかない。まだまだ、修行が足りないのは仕方のないことなのだろうか。愚痴をこぼしながらも、変に反省したくなるような一日であった。
それにしても、観客をやるのも疲れるものだ。

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