選手宣誓

2007年4月28日
いよいよ春季大会の開会式を経て、今年の公式戦が始まる。開会式では、選手代表が「正々堂々と精一杯、最後まで戦い抜くことを誓います」と、決まり文句を宣誓するのであろうか。最近の甲子園を見ていると、なかなか気の利いた台詞で宣誓するシーンを見かけるが、シニアでは定型句でお茶を濁す事が多い。結局は定型句であるから、自分の思いやチームの思いが言葉の中にはなく、通り一遍の感が否めないように思う。思い入れのない言葉は、すぐに忘れてしまうのか、試合が始まると、宣誓とはまったく逆のことをやってしまう選手やチームが多い。
まずは「正々堂々」であるが、プロ野球の影響なのか、それが文化であるのか知らないが、平気で野次を飛ばすチームがある。スポーツマンとしては最低のレベルであり、グラウンドに立つ資格のない愚挙である。相手チームを野次る暇があるのなら、味方の選手を応援するのが先であろう。マナーとモラルを守れない選手に、ルールのあるゲームを楽しむ資格はないのである。ましてや、妨害まがいのプレイがチームプレイであるなどと理解している選手や指導している大人は、是非とも考え方を変えていただきたい。
次に「精一杯」であるが、これも怪しい。小学校時代には、監督やコーチの掛け声一つで、全力疾走していたはずの選手達が、ダラダラとベンチを出てくるのである。審判員が毎回「追い出し」を掛けても「平気の平左」である。誰が試合をしたいのか分からなくなるような選手もいる。こういうチームのジャッジをする時は、いつもよりハッスルするようにしている。中年親父が張り切っているのに、「ええ若い者が何をやっているんだ」と言う事である。誰の為に、誰の試合の為に球場を確保し、休日をつぶしてまで関係者が集まっているのか。高校野球などを見ていても、だらしのないチームを時折見かけるが、そう言うチームは十中八九勝てないし、応援する気にもなれない。グラウンドに立てる喜びに欠けているのであろう。
そして「最後まで戦い抜く」に至っては、執念の欠如が著しく現れている。野球と言うゲームの最大の魅力である「大逆転劇」を放棄している選手やチームには、「本当に野球が好きなの」「野球の魅力を知っているの」と問いかけたくなる。野球はサッカーやバスケットボールのようにタイムゲームではない。時間制限のないゲームである。最後のアウトを取られるまで、攻撃権は継続するのである。「そんなことは当たり前」という声が聞こえてくるが、本当に「当たり前」に分かっているのであろうか。
今年の春季大会では、選手宣誓の意味を噛み締めて、最後まで戦い抜く姿勢が多く見られることを期待している。

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