春の函館遠征は、あいにくの天候で初試合が出来ず、残念であった。新チームにとっての春先の遠征には二つの目的がある。ひとつは、とにかく試合をやって勘を取り戻す事。そして、もうひとつは寝食を共にすることによるチームワークの確認である。試合が出来なかった事は残念であるが、最低目標は達成できたであろう。たった一晩ではあるが、選手達の成長が見えたように感じた。それにしても、函館遠征は天候に恵まれない事が多い。これも巡り合せなのであろうか。
そんな函館遠征で思い出す試合がある。今思えば、私の球審としてのスタートと言って良い試合である。審判歴2年目の夏の上磯球場(現北斗球場)。早いもので、もう3年前になる。案の定、天候がすぐれない中、私の担当は第四試合の球審であった。第一試合から雨が近く、何時降ってもおかしくない空模様の中、プレイボールとなった。
それまでの私の球審としてのジャッジ癖は、「低めに甘く、コーナーが辛い」であった。低目は投手にとって生命線という認識の下、低めは投手有利な判定をしていた。これはプロ野球のテレビ中継の影響が大きい。ご存知の通り、プロとアマチュアでは、低目のストライクゾーンに大きな違いがある。つまり、プロは低めにボール1個広いのであり、テレビ観戦が大好きな私にとっては、少年期から頭に刷り込まれたストライクゾーンであった。これには、諸先輩方から厳しい忠告がかなりあった。審判員は独自のストライクゾーンがある。つまり好きなコース・得意なコースがある。私の場合、それが「低目」であった。これの克服には2年の経験を要した。この件は、後日・・・。
これとは逆に、不得意なコースもある。それが「アウトコース」であった。この話は審判を始めたリトルリーグ時代に遡る。
審判を始めた当時は、ジャッジを正確に見ようとするが故に陥るワナに見事に落ちてしまった。際どいコースを「ボール」と判定したり、際どいタイミングのプレイを「アウト」と判定することが「良い審判・良いジャッジ」と思い込んでいた。このために、多くの子供達に「悔しい思い」をさせたと思うと、改めて申し訳なく思う。
転機は、リトルリーグ時代の大ベテラン審判員の一言を思い出した時であった。「ストライクの意味を知っているかい。ストライクとは打てという意味。野球は打つスポーツなのだから、子供達に積極的な打撃をさせることも審判の役割だよ」。つまり、ストライクゾーンを広げることで、「四球」狙いの姿勢から「積極的打撃」の姿勢に替えてあげる事が、審判員の役割だと言う事である。最初に聞いたときは分からなかったことが、球審暦を積むごとに徐々に理解できるようになってきた。
話しが長くなってしまったが、私の「ストライクゾーン」のうち、コースについて確立した試合が、3年前の夏であった。雨が近いことから、試合の進行を意識し、コーナーを広く取ろうと意識し挑んだ。問題は、初球である。これを取れないと、一試合取れない。緊張の第一球。
「ストライ〜ク」。
この時、私のストライクゾーンの確立への第一歩を踏み出した。

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