時間無制限

2007年3月29日
今年のルール改正のキーワードは「時間短縮」である。オリンピックやWBCなどにより、ベースボール関係者、とりわけ大リーグ関係者は、ベースボールをスタンダードスポーツにしようと躍起である。そこには商業主義アメリカの思惑が見え隠れする。その弊害となっているのが、「時間無制限一本勝負」という野球の特徴である。テレビなどのメディアに気に入られるためには、「予定」の立つスポーツが好まれる。サッカーやアメフト、バスケット、アイスホッケーなど、ボールゲームのほとんどが時間制限のあるゲームであり、それ故に扱いやすい。観る側にとっては、どのようなスポーツでも、結果が判らないほどつまらないものはない。スポーツをやる側にとっては、自分の持てる力を出し切れば、「結果はおのずとついてくる」という心境で良いのであるが、観客・ファンは満足しない。昔、野球中継が7時から9時までしか放映されていなかった時代に、テレビ中継が始まった時には、試合の大勢が決まっていたことがよくあった。江川が投げていた頃は、中継が始まった時には、すでに終盤なんてことも間々あった。一方試合も大詰めで、「逆転の走者が出てバッターは王、さあ逆転の本塁打が出るか」、「残念ですが、ではまた明日」なんてことも結構あった。慌ててラジオに走ったものである。そういうときに限って、王はホームランを打つのである。
これも「無制限ゲーム」のなせる業であり、野球はテレビではなく、球場で観戦するものだとつくづく思うのである。
テレビでしか野球を見ていないと、アナウンサーや解説者の下らない話でも、球場では耳に出来ない。球場での観戦は「さあ、第一球投げました」という言葉が聞こえないので、注意して見ていないと大事な場面を見過ごしてしまう。テレビではVTRがあるから、再生してくれるが、球場ではそれも叶わない(最近は、オーロラビジョンがあるが、それでも不満が残る)。
話が「時間短縮」からそれてしまったが、ベースボールの起源に遡れば、理由がわかる。ベースボールの原型は、イギリスなどで盛んな、「クリケット」と言われているが、それこそ一日中「時間無制限」でボールゲームを楽しんでいたのが起源である。
軟式野球や少年野球では、時間制限があるが、「時間」に追われている割には、攻守交替もダラダラしているし、ベンチからのサインが長いなど、本当に最後までやる気があるのかと思いたくなるようなゲームが多々ある。
今甲子園で行われている選抜高校野球の試合時間は、同じ9回を行うプロ野球と比較しても実に短い。試合時間に一番影響を与えているのは、これらのインターバルの長短である。
プロ野球選手も、その昔は高校球児であった。全力疾走で攻守交替をしていたはずである。いつから、「子供たちに夢を与えるプロ野球選手」がだらしなくなってしまったのであろうか。
斯く言う、シニアもだらしなさが目に付くのは、私だけだろうか。

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