持病

2007年3月14日
私は持病もちである。その病気が発覚してから、干支が一回りした。発覚した当時は、落ち込んだ。今の私からは想像できほど、排他的になり、悲観的になり、投げやりな日々を過ごしていた。どんどん、弱気になり、腫れ物に触るように病気と接していた。しかし、ある時から開き直った。きっかけが何であったかは覚えていないが、「病気と仲良くしよう」と思うようになった。落ち込んでいても楽しくない、そう考えると意外と気楽なものである。体調には敏感になったくせに、多少の無理を以前よりもいとわなくなった様に思う。子供が野球をやりだしてからは顕著である。少年野球では父母会で走り回り、リトルでは男親が少ないことから、球場作りや選手の世話からコーチまがいのことまでやった。そして、審判稼業に出会った。きっかけは、妻の気楽な一言である。リトルのコーチから「大会では審判をやったり、色々と手伝ってもらわないといけない」と言われ、簡単に「審判なら出来ます」と私の顔を覗き込みながら言い放ってしまった。もちろん、それまで審判などはやったことは無いし、ルールも良く知らない。昔のやった三角ベースのローカルルールの方が覚えているくらいである。それと、審判が重責なことは判っていたが、肉体的にもそれなりにキツイことは知らなかった。主審などは、1試合でシニアクラスで150回以上スクワットをやらなくてはならない。それも、緊張と集中力と戦いながら。そんなキツイ事も、何気なくやっている姿を見せているため、初めて会う人は、持病もちだと言うと信じてくれない。自分自身も、しばらく持病を忘れてやっているように振舞っているが、実はいつも気にしている。
それだから、持病なのであろう。
数年前には、新たな持病が発症した。一体、いつまで頑張れるのやら。ただ、それまでは楽しむつもりでいる。

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